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女達の迷家 その4


 ふと気付けば薄暗い廊下を歩いていた。

 ボロボロの壁は漆喰が剥き出しで、廊下に貼られた絨毯は擦り切れていた。

 片隅に置いてある花台は埃に覆われていて。

 美しい陶器であったであろう花瓶は半分ほどに割れていた。

 一歩一歩足を踏み出せば、足裏にじんわりと堆積した埃の感触がして。

 さぞかし埃っぽいだろうと、周囲の臭いを取り込んでみれば、不思議と不快感は感じない。

 どこか……そう、どこか郷愁を誘う夏の匂いがした。


 自分の立ち位置がわからないまま歩みを進めていくと、一つの部屋に辿り着く。


 部屋の向こうからは……深い嘆きの中にいるような、女性の啜り泣く声が漏れ聞こえてきた。


 それは深く深く沈み込んで。

 どうしようもないナニカを嘆き悲しんで。

 胸が苦しくなるほどの慟哭が絶望を明らかにしていて……。


 その嘆きの持ち主を、確認せずにはおれなかった。

 

 扉の向こうには、床に頽れて慟哭する一人の女性の姿があった。

 床に伏せているせいか、長い黒髪が巣穴から出てきた蛇のように広がっていて、女性の顔は見えない。

 ただひたすら。

 嘆き悲しむ声と、震える肩が、背中が、その悲壮を物語っていて……。


 ナニカに促されるように、一歩一歩と女性に近づく。


 揺れる背中が、細い肩が、近づいて……。


 わたしの気配に気づいたのか、すすり泣く声が止まる。

 ゆらりと海に揺れる海藻のように黒髪が流れ、だんだんと丸まっていた背中が、肩が伸びていく。


『……どうして……』


 ぽとりと落ちたのは掠れ切った女性の声で。


『……どうして……どうして……』


 絶望も顕わなその声は、わたしの胸をざわつかせる。


『どうして……どうしてどうしてどうしてっ!』


 ゆらゆら揺れる黒髪が、段々激しさを増していく。


『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてっ!!』


 だんだん大きくなる声に、恐怖を感じてじりりと身体が逃げを打つ。

 

 顔を覆っている女性の手に浮かぶ赤い斑点が、なんだか妙に目について。


『どうして……!! ねぇ! どうしてなのっ!?』


「ひっ?!」


 ばさりと女性の顔を覆い隠していた黒髪が翻り、女性の(かんばせ)があらわになって……。

 白い浴衣のような襟元から覗く首筋は、ぽつぽつと小さな斑点が浮かんでいて。

 こけた頬にまでそれは広がっていて。

 ぽかりと開いた口元は赤く爛れ。

 鼻の辺りはぺたりとゴムを張り付けたようになっていた。


 元は整った顔立ちだったと伺えるが、今となってはその面影を僅かに残すだけで。

 熱に浮かされたような瞳が炯々と光っていた。


『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてっ!!』


 ギラギラとした瞳がわたしを捕らえる。

 ゆらりゆらりと立ち上がって、わたしの方に手を伸ばす。


「……っ!?」


 斑点の浮かぶ華奢な手がわたしに向かって伸びてくる。

 ふらりふらりと揺れながら、わたしに近づいて……。


 ぶわりと鼻をつく死の臭いが堪えがたいほどで。

 鼻先が触れ合いそうなほどに近づいた女性の顔は、絶望と憤りと怒りと悲しみと……。

 ありとあらゆる負の感情が渦巻いていて。

 ぼこぼこと歪に歪んでしまった鼻が、こけた頬が、恐ろしくて……。


「ひっ!?」


 

『ねぇどうして……?』


 

 ドウシテ ワタシガ アンナバケモノノセイデ シナナキャナラナイノ?


 

 間近に迫った女の顔が、どろりととけた。


 

◇◇◇



 どこか遠くで女の悲鳴が聞こえる。


「……っ! ……こっ?!」


 闇夜を切り裂くような甲高い悲鳴が耳を刺す。


「……こっ?! 目を……さま……っ!? なこっ!?」


 遠くに聞こえていた悲鳴が、どんどん近づいてきて。

 誰かに肩を揺さぶられて、恐ろしい夢の残滓から逃れたくて足掻く。

 チカチカと瞬く光に縋るように意識を伸ばして……。


「那子っ?!」


 悲鳴が自分の口から出ていると気づいた瞬間……


「ひゅっ!?」


 喉が詰まる。

 酸素を求めて喘ぐけど、ちっとも入らない。入ってこない。

 葵さんに掴まれたままの肩を揺らしても、息ができない。


「あっ……あっ……」


 浅くしかできない呼吸は十分な酸素を取り入れることなどできなくて。

 酸素の足りない脳がぐらぐらと揺れ始めて……。

 霞み始めた視界いっぱいに葵さんの顔が広がって……。


「ふぅ……」


 塞がれた唇が苦しくて首を振るも、わたしの口を塞いでいるモノは離れていかない。

 ぬるぬるした温かいモノがわたしの口を無理やりにこじ開けてきた。

 ソコからゆっくりと空気が吹き込まれて、ゆっくりと吸いだされる。

 それにタイミングを合わせて肺を膨らませて、しぼませて……。


 気づけば鼻腔一杯に広がる花の香り。


 戻ってきた視界が映し出すのは、葵さんの目元をぽつりと彩る泣きぼくろ。


「ふあっ……」


 深く繋がりあっていた唇は離れたけど、葵さんの顔はまだまだ近い。

 どこを見ていいかわからなくなって、ウロウロと視線を投げるも、葵さんのしっとりと濡れた唇が目に入って……。


「ふあぁぁっ?! むぐっ?!」


「な~こ? そろそろ静かにしような? ここ、旅館だからな?」


 葵さんのてのひらで口元を塞がれてしまった。


 分かったとコクコク頷くと、口元は解放され、ついでに腕を引かれて起こされた。

 離れていった葵さんが戻ってくると、その手には水のペットボトルが握られていた。


「那子? 飲めるか? それ飲んで落ち着いたら……何がどうしたか話せるか?」


 開封済みのペットボトルを渡されて手を伸ばすも、自分の指先が僅かに震えていることに気づいた。

 零してしまいそうでペットボトルは受け取れず、震えが止まるようにぎゅっと指先を握りこむ。


「……那子?」


 名前を呼ばれて顎を掬われて……。

 再び唇に自分以外の熱が戻ってくる。


 とろりと注がれる水を、零れないよう慌てて飲み干して。

 ドドドドッと、夢の残滓とは違う意味で早まる鼓動を持て余しながら、何度かぬるい水を飲み込んで。


 どちらともなく、ふうと息を吐いた。


 いつの間にか伏せていた目を開ければ、目の前には葵さんの顔があって。

 それが徐々に近づいてきて……。


 トントントン。


 突然響いたドアを叩く音に、びくぅ! と漫画みたいにお互いの身体が跳ねた。


「おーい。二人ともー? だいじょうぶかー?」


 時間を気にしてか、辺りを憚る小さな亀田さんの声がドアの向こうから聞こえてきた。

 その声にハッとして、乱れてもいない袷を直す。

 立ち上がった葵さんに手渡された半纏を羽織っていると、ドアの向こうで僅かなやり取りが聞こえ、誰かが入ってくる気配がした。


「おー、那子ちゃんだいじょうぶかぁ? なんか葵くんに無体な事でもされたんかぁ?」


「……変な濡れ衣掛けないでください……」


 亀田さんの呑気な声が響いて、葵さんの後ろに大きな影が……


「ひえっ?!」


「? 那子?」

 

 わたしの反応をいぶかしんだ葵さんがこちらに近づいてくるけど、その後ろにいる玄武の存在感があり過ぎてなんとも。

 ていうか、なんで()()葵さんに触れてないのに視えてるの?


「那子? もしかして……視えてるのか?」


 葵さんの言葉にこくんと頷きを返す。

 そうこうしているうちに、いつかのように玄武の輪郭がじんわりと滲んで行って、浴衣に丹前を羽織った亀田さんが心配そうにこちらを見ていた。


「那子ちゃん? 大丈夫かい?」


 亀田さんに問いかけられて、慌てて口を開く。

 ……葵さんは何かを思案するように押し黙ったままだった。


「あ……いえ……。変な……えぇ、ちょっと怖い夢を見て……見ただけで……」


 そうだ。

 アレは夢だ。

 悪夢だったけど、所詮夢。

 夢は夢でしかない。

 ……ないはずだ。


 じっとりと背中を濡らす汗が、どんなに気持ち悪かろうとあれは夢だ。


 怖い夢を見て、大騒ぎして、過呼吸まで起こして、挙句……。


 そこまで考えてぼわりと頬が熱を持つ。


 いやいやあれは治療の一環っ! 過呼吸に苦しむ同僚を助けてくれただけっ!

 そうっ! それだけっ!!


「……那子ちゃんどうしたの?」


 ぶんぶんと脳内のピンク妄想を振り払っていたら、訝し気な亀田さんの声が聞こえてきた。


「いえっ! なんでもありませんっ! ていうか、夢を見ただけでお騒がせしてすみません……」


 わたしの言葉に、葵さんと亀田さんが顔を見合わせる。


「那子、どんな夢を見たか教えてくれないか?」


 妙に真剣な表情で葵さんが訊ねる。だけど……。


「でも……夢だよ?」


 たかが夢。ここまで大騒ぎをしたうえで、更に恥の上塗りは避けたい気分なんだけど……。


「俺達のような界隈の人間にとって、夢は大きな意味を持つ。

 夢見って能力があるくらいだからな」


 葵さんの横で亀田さんが深く頷いている。

 だから……しぶしぶと夢の内容を告げた。





「それは……」


「何というか……」


 わたしの夢の話で複雑な表情を浮かべる二人に、居た堪れない気持ちになる。


「だから、わたしの夢なんて……」


「いや、恐らく那子の見た夢は……あの屋敷の……」


「記憶……だろうねぇ。

 すごいねぇ、那子ちゃん! どんどんできることが増えてくねっ!」


 亀田さんの言葉、微妙に嬉しくないのはなんでだろう?


「それにしても……。その女性が何番目の妻か分からないが……いや、死にたくないという意思があったなら、最初の妻か……?」


 顎に手を当てた葵さんが唸るように呟いた。


「いや、夢だからね? わたしの見た適当な夢だからね? でもなんで最初の奥さんだと思うの?」


 真剣に取り扱われて、思わず否定を繰り返す。


縊鬼(いつき)に憑りつかれてた場合、本人の意識としては自死だから、死にたくないとは思わないはずなんだ」


「だけど……最初の奥さんは病気で亡くなったんじゃなかったっけ? あぁでもそれなら死にたくないって思うかぁ」


 葵さんの言葉に首を傾げる。

 

「そう……だよなぁ」


「そもそも、バケモノって……何を指してるんだろうな?」


 亀田さんの言葉にさっきとは逆に首を傾げる。


 確かにあの人が最初の奥さんなら、あの屋敷に縊鬼(いつき)はまだいなかったはずだから……。

 

 色々謎が深まっただけになったけど、現状ではこれ以上わかることもなく、翌日の現地調査に挑むことになった。


 


 

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