安易な決断でどういった結末を生んだのか。
立ち上がりかけたことで、少し浮いていた腰を下ろしソファーに深く座り直す。
そうだ。
半ば尋問のように進んでしまった今回の会合は、めぐみの彼氏に対する裏切り、不貞行為を告白させることが最大の目的ではない。
これまでの問答は言わば前哨戦、本題は別にある。
千鶴が問いかけているのは、自分たちを避けていた理由だ。彼女の身から出た錆で遠回りしているようだけど、最初からそれを確認する為のものである。
それに、めぐみが自ら犯した痴態は、既に私たちが把握していると明かしてはいない。
この優位性が有る限り、この会合の一面は答え合わせのようなもの。
めぐみには悪いが、易々とそれを明かすつもりはない。
頭の中をもう一度整理する。
めぐみは飲み会での事件が起こった日から、極端に私や千鶴、また千鶴と共に所属しているグループのメンバーをも避けていた。
千鶴曰く、それまでは毎日のように一緒に授業を受けたり昼食を取ったりとしていたが、急にバッタリと来なくなり、顔を合わしても直ぐにそそくさとどこかに消えていくなど、露骨に避けているように感じたという。
私は元々仲良しってわけでもないからあまり感じなかったけど、これまで顔を合わせれば挨拶を交わすなり、一言二言話するくらいはしていたんだけどね・・・
カラオケルームでの一件において、不貞行為の一部を見ていた私じゃなく、めぐみの行為を知らない千鶴からすると、飲み会が終わってからいきなりそのような対応をされ、『急に避けられている?』なんて気分が良いものではなかったと思う。
また他のグループの皆もとばっちりだろう。
そしてめぐみが避けるような行動を起こし始めた日を遡って考えてみると、あの飲み会に辿り着くのは明白だったのだ。
彼女の不貞行為云々は置いておいたとしても、意図的に避けていたのか?そしてその要因は?それをクリアにすべきだというのが千鶴の考えだね。
千鶴の深層心理までは分からないけど、この会合でのめぐみの回答次第で、今後の彼女に対する評価、態度が決まっていくのだろう。
私個人の感情としては、めぐみのその一連の行動に対してやはり嫌悪感を抱くし、友達として一緒にいたいとは到底思えないけど。
・・・だけどまあ、そういった感情はこの話し合いにおいては、やはり邪魔な感情なんだろうね。
そもそも私がめぐみを非難するなんて、筋違いな気がするし。
せいぜい友達未満の関係性である私がそれを指摘するのは違うと思う。彼女の一面しか知らない私よりも、ずっと近くでめぐみと過ごしてきた千鶴を差し置いて非難することなんて、あり得ないことだ。
・・・それに、仮に非難するとしても、どの立場で高説垂れるんだ?聖人君子になったつもりでめぐみを説教するのか?
他者に対して恥じるような振る舞いはこれまでの人生において、なるべくしないように努めてきたつもりだけど、そんな私にだって誰にも言えない、言いたくないことの1つや2つはあるから。
だから、めぐみのやったことは許せないけど、私が非難をしたりする立場ではない。
ただ、そういった邪魔な感情を直接ぶつける事ができないことに少し苛立ちを感じていることも確かなんだけどね・・・。
何度も言うが、私はめぐみの彼氏である慶次さんへのぞんざいな扱いが気に入らないし、未だにすごくすごーく嫌悪する気持ちは残っている。それは、目の前で泣き崩れても自業自得だと思うし、同情もできない程。
その立場でないと頭ではわかっているんだけど、小言のひとつやふたつぶつけたくもなるよ・・・。
まあそんなわけで、めぐみが彼氏の目の前で不貞を働こうが恋人と別れようが、当事者2人の問題であって、私も千鶴も踏み込んで意見することはない。
この場はあくまでめぐみが周囲を避けていた要因を吐き出させること。
と、そんな感じだね。
まとまっているのか散らかっているのか微妙な頭の中は少し停滞気味だ。
ここでほったらかしになっていたラテを口に含み、息を吐き出す。
・・・ふう。
先ほどまで表面に浮かんでいた泡は消え、少しばかり温くなったラテは私にとって適温で。
一口、もう一口と飲み進めると、心地よい溶けた砂糖の甘さが体に染み渡っていくかのようだった。
こういった気が重たくなる話題は本当に疲れるね。
やはり興奮して力が入っていたのか、身体が軽くなったような気がする。
まるで水を得た魚のように、場を整然と組み立ていく冷静な千鶴の姿を見て、自らの力の入り具合に気が付いたということもある。
外堀を埋めて逃さないように。
有耶無耶になんてしないように。
ほんの少し前の、ニッコリと特徴的なエクボが見える笑顔で切り込む親友の姿を少し思い出して、僅かに身震いする。
・・・そういえば。
今しがた途中で帰ろうとした自らの行動を顧みれば、この千鶴に謝罪する必要があることをすぐに悟った。
めぐみの告白は、総じて理解し難いことだったし、彼女自らが悔いていたとしても全く良い心象にはならなかった。私は変わらず怒りの感情が沸々としていたのだ。
そんな中、ボロボロになって懺悔する親友めぐみの姿を見て千鶴は、歩み寄ろうとした。泣き崩れる彼女の支えになろうとする姿に対し、思わず失望の感情が出てきてしまったのだ。
私だけがめぐみをずっと軽蔑しているなんて、馬鹿らしいじゃないか。
少しでも長く・酷く惨めに苦しむ姿を見たいと思った自分が場違いだと、この場を去ろうとしたんだ。
実際の千鶴は、何もスタンスは変わっていなくって。
私の思い込みで勝手に失望してしまって。
・・・そんな自分が許せなくて、千鶴に対し後ろめたさを感じている。
本当に至らないね。
だからこそ、ごめんと言わなきゃ気が済まない。
私の気持ちに気が付いているのかどうなのか、千鶴は私に何も言わない。
ただ今、淡々と自身の目的を果たそうとしている。
凛とした表情でめぐみを見詰める千鶴の表情は、いつもよりも大きく、気高く見えたんだ。
さて、引き攣った表情をしているめぐみに対して、更に千鶴は続ける。
「私も瞳も、めぐみちゃんがあの日に何があったのか、その内容について口を出すつもりはないの。今さっき聞いておいて、なんだけどね・・・
勇気を出して告白してくれたこと自体は素直に嬉しいし、支えになりたいとも思う」
「・・・」
「私はあの日以降、途端に私たちとの接触を避けてたのがずっと気掛かりだった。瞳とはグループが違うから避けていたのかどうかは分からないけど、私の場合は違うよね?
私以外のメンバーに対してもそう。接触を避けるような行動が嫌でも目に付いたの。
それはなんで?
一緒に話をしたり、ご飯を食べたり、講義を受けたり・・・
学校ではずっと過ごしてきたから、皆凄く心配しているの。
何も四六時中一緒に過ごしてなんてお願いするつもりはないけど、これまで当たり前のように一緒に過ごしてきたのに、突然避けるような行動をされると、戸惑っちゃうよ・・・」
悲痛な表情を浮かべる千鶴。
そんな表情を見ているのが友達として、苦しい。
「・・・えっと・・・それは・・・」
飲み会以降の彼女の行動は、ハッキリ言ってちぐはぐだった。
私や千鶴はまだしも、自分が所属するメンバーに対しても近づかないように行動していたのが解せない。誤解や軋轢を生むことは火を見ることが明らかだったと思うし。
根回しさえ碌に出来ていなかった状況を理解すると、自ら崩壊に向かって突っ走っていったことが分かるから。そこに弁解はもはや出来ないと思うが・・・
◆ ◆ ◆
めぐみの沈黙は長い時間続いた。それでも黙秘を保つことで有耶無耶に・・・なんてことは許さなかった千鶴に対し、最終的にはめぐみが半ば諦めたように打ち明けていった。
簡潔にいうとこうだ。
めぐみは、自分の醜態を誰にも知られたくなくて、とにかく私たちとの接触を避けた。ただひた隠しにしようとした。そこには誰も傷付ける意図など一切なく、それは自らの心の弱さから生まれた醜い動機がであったと。
彼女自らの選択で、千鶴や私、そしてグループのメンバーを可能な限り避けて過ごしたと。
また、予測通りであるが、飲み会翌日の『カラオケルームでの出来事、何か憶えてる?』なんて質問は、やはり知らないのならそのまま隠し通そうと思っていたようだ。
・・・別に、隠そうとする気持ちは分からないまでもないから、怒りの感情とかはないんだけどね。つくづく人間的だなと思うだけで。
―――カラオケルームで慶次さんが出て行った後、周りに目を向ける余裕が全くといってなく、解散した後に徐々に自分の起こしてしまったことの大きさにようやく気が付き、猛烈に後悔したという。
その後も慶次さんへの連絡は、返信どころかメッセージの既読も付かない状況に凄まじい焦燥感が心を占め、それに加えて当日の痴態を私たちに見られていたのかどうかも分からずで、もはや気が気じゃない精神状態だったという。
そして、私たちへの聴取の結果、幸いにも求めていた通り私たちの『寝ていた』と言う答えを得ることが出来た。・・・が、よくよく考えるとそれも信じられない。
実は全てを見ていた私や千鶴がグループに対して話を拡げ、巡り巡って大学中で噂にもなるのでは・・・?なんて飛躍した思考が頭を占め、極力視界に入らないように行動していたようだ。
もはや誰も信じられず、ただ自身の存在を消し去ってしまいたいと、これまで接点があったメンバーを極端に避け、大人しく過ごしていたという。
親友の位置にいたはずの千鶴も、最後まで信じることが出来なかったと。
そんな、おそらく本心から出てきたであろう言葉も聞くことができた。
精神的に追い詰められた中、ただ歩み寄ってくれたという朝倉柚子ちゃんという子の話も少しだけ聞いた。突然距離を詰めたのにも関わらず、受け入れてくれたという話だった。
話はそんな感じ。
無様に取り纏うようなことはせず、最終的にはただ事実を述べていった彼女の姿勢は評価に値すると思う。
諦めの感情が大半、わずかに許しを乞うかのような感情が混ざっているようだった。
盤上の趨勢は決した中なので、巻き返しは本人も無理だと悟っていたのか最後は潔いと言えたまである。
と、外からの見て感じた私の感想だ。
これからどうするか、と考えた私だが、現状維持で良いかなと思っている。
元々ただ千鶴の友人であると遠巻きに見ていただけであったし、それが変化することは望んでいない。
めぐみとしても自分の痴態を知る、所詮顔見知り程度の人間と積極的に関わることは望まないだろう。
このことを大学のメンバーにわざわざ話す気もない。最初に約束したからね。
元々の少し遠い関係のままでいい、改めて思う。
ただ千鶴の意思は最大限に尊重するつもり。親友の望むままに運べばいい。
千鶴のモヤモヤが晴れるきっかけとなればそれでいいんだ。
本当に、それだけでいい。
目の前で未だポロポロと泣き続けている彼女が巻き起こした行動でどうなった?
一時の感情、行動で失ったモノはなんだ?
壊したモノは?
慶次さんのココロは?
誰も幸せになりやしない結果を生んだ始末だよ。
すっかりと冷め切ったラテを飲み切った私の頭は、もう何も考えられなくなっていた。