この話は、私が先手を打つ必要がある。
私が馬鹿らしくも長く誠一先輩に対して向けていたほのかな憧れの感情は、たった今文字通り霧散した。今まさに対面している想い人から直接的な言葉で振られたという訳ではなく、私の方が幻滅して、もはや恋愛対象として見ることができなくなってしまったという話。
きっと恋愛小説では描かれることがないような、それはそれは小さな失恋のお話。多分物語の序章にすらなれないだろう。
他者に対して憧れの感情を抱き続けた事実に対して、馬鹿らしいと感じるということは、斯かくも惨めなものなのか。
・・・正直、こんな形で私の気持ちが無様に終わっていくなんて思いもしなかった。
私も馬鹿だよね。前回の先輩の失恋の要因を聞いて、ある程度の予測は出来ただろうにさ。
いつか憧れであった先輩は、反省して立派な人になってくれると、そう信じていた。自分ならば先輩の悪いところも上手く付き合っていくことが出来るのではないかと思っていた。悪いところは悪いと伝えながら、私が導いて行くんだと―——・・・
改めて目の前の先輩を見る。
金色に近い髪色のてっぺんは、少し黒色が侵食しているかのよう。身だしなみに気を遣う先輩にしては少し珍しく、こんなことからも余裕がないことが窺える。
そして長ったらしい自己弁護の語りは未だ止まらない。もはや尊敬できる域にあるかな。適度に返答をするが、私の気持ちなどどうでもいい様子。
話を聞く限り、慶次先輩の彼女に手を出したこの誠一先輩は、直接的に慶次先輩へ謝罪をした訳でもなく、ただ怯えて逃げ回っていたように推測できる。
そんな状況において大学で涼介先輩に捕まり、強い言葉で非難されたようだ。両者の言い分を聞いていないので判断は少し難しいが、このように自己弁護に努める誠一先輩の言葉を信用していると私まで破滅してしまう気がして仕方ない。
烈火の如く怒る涼介先輩なんて単純に想像したくもないよ・・・
きっと彼はこのままでは破滅に向かって一直線に突き進んでいくのだろう。
それはあまりに可哀想だと、ここで思い留まらせるように図るか?なんて考えてみたけれど、私が表立って行動しても良い風に向かうイメージが湧かない。そのようなことが出来ると自惚れてもいない。
残念ながらここで戸惑って歩みを止めてはいけないと、私の直感が告げている。選択肢としては彼の全てを受け入れるか、全てを切るかの二択。そしてそれを直ぐに選ばなくてはならないということ。
そんな訳で、私が出した結論としては後者。今なすべきはさっさとこの部屋から帰ることに尽きる。それも円満にね。
そう決心すると、ふつふつと怒りの感情も湧いてくる。
私は先輩だけの為に、盲目的にこの人生を捧げたくない。私は彼の人生を生きているのではない―——
さて、誠一先輩というと、どうやら一通りを話し終え満足したようで、冷蔵庫に入っていたアルコールを飲み始め一息ついている。
「茜も飲む?」
邪な考えでもあるのか?そう思わずにいられない。ひと昔前の私ならばどうしただろうか。今となっては気持ち悪いと感じてしまう。
「私、未成年なんでやめときますねー」
手元の荷物を手繰り寄せる。少し時間を気にする素振りを交えながら。まあ荷物といってもそんなに多くはない。講義で使う教材などはカバンから出していないし、携帯と充電器くらい。
「あれ?帰るの?」
「誠一先輩、ごめんなさい。今日は時間的にもう帰らないといけないので・・・」
「そうなの?いつも言うけど泊まっていけばいいのに」
少しお酒の臭いを漂わせて言葉を発する誠一先輩の顔が見れない。いつもよりも少し強引な誘いに強烈な忌避感を抱く。
「そうしたいのは山々なんですけどね!私の家ってば親が早く帰って来いってうるさくって」
これは嘘。
男女の関係でもない私たちにおいて、これまで自分の中で明確な線引きをしていたところだ。
今となっては良い口実となっている。
「あっそう・・・分かったよ。また暇なときにでもおいでよ」
ぶっきらぼうに答える先輩を見てハッキリと自覚する。
私はただ先輩の余暇を埋める為だけの存在だったのだと。
正直、それでも良いと思っていた時もあったのは認める。今はただ虚しい。
だけども少しだけ悲しくて、そして少しだけ寂しい気持ちになった。
そんなことを思うのはしょうがないかな・・・?
未練がましい自分に嫌悪する。
が、歩みを止めてはいけない。自らの直感が告げているのは破滅へのルートだ。
「じゃあね誠一先輩!また来れたら来るねー!」
上手く笑えているのか微妙だけど、家族や友人からよく褒められたりする笑顔を浮かべ、大げさに手を振って彼の部屋から出た。
放った言葉とは真逆の『もう二度と来ない』という意思を強く持つ。
サヨナラ。
ガチャりと無機質な音を立てて閉まる扉から徐々に離れていく。相変わらず不用心にも鍵をそのままにして、かけることをしない先輩は、他の女性でも招くのだろうか。はたまた私のように都合の良い存在をまた探すのか。そんなことまで考えるが、自身の選択に後悔はない。
さっきから私の中でけたたましく鳴り響いていたアラートが、一気に無くなった気がした。
そして、これら一連の選択が間違いでなかったと思い知らされるのは、遠くない未来のことだったんだ。
◆ ◆ ◆
誠一先輩の家から駅に向かって歩き続け、もうそろそろ駅の外観が見えてくるかといった矢先に、不意に携帯から着信を告げる音がカバンから聞こえてきた。それなりに夜も遅い時間であるが、いったい誰なんだと慌ててカバンから携帯を出す。
「ええっ!」
ディスプレイには『真田涼介先輩』の文字。いつだったか話の中で連絡先を交換していたのだ。それにしても見計らったかのような、強烈なタイミングである。
「もしもし!」
緊張して必要最低限の言葉しか出ない。
「あっ、もしもし茜ちゃん?同じ大学の真田涼介だけどわかるかな?」
「はい!もちろんわかりますよー!」
涼介先輩からの電話なんて初めてだったから驚きで心臓がドキドキしている。
「良かった、遅くにごめんね」
少し安心したように話す涼介先輩の口調はとにかく柔らかくって、どこか心を落ち着かせてくれる。普段の陽気なキャラクターとも違う様子に少し戸惑いを感じるけれど。
「それでさ、実は誠一のことなんだけど・・・」
やっぱりこの話題か。先輩にしては妙に歯切れの悪い言い回しで、本題へと移っていく。
少しだけ息を吐き気持ちを整える。
さっき誠一先輩から話を聞いたとき、何となくこうなることを想像していたんだ。
慶次先輩か涼介先輩から、『これからも憧れていた誠一先輩と共に歩むのか、それとも決別する意思があるのか』それを問われるのではないかと思っていた。私が3人の先輩と仲が良くて、誠一先輩とは最も近い存在だからさ。
ああ、何も聞かずに私を誠一先輩の側だと認識して近寄ることもしないのではないかとも考えたよ。
だけど、ふたりならそういったことは何となくしないだろうと思っていた。
それでも、まさか今日このタイミングで連絡を貰うことになるとはね・・・。
少し言いよどみながら話し始める涼介先輩に対し、失礼だけど言葉を重ねる。
「あの、涼介先輩。私からもそのことでお伝えしたいことがあったんです。もしよろしければ、明日にでも直接会ってお話しませんか?」
この話は、私が先手を打つ必要があるんだ。