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5~8




《 5 》


「まずは順路通りに見て歩きましょうか。みなさん、こちらへどうぞ。シヨン城の地下室を御覧に入れますよ。階段が狭くて急だから気を付けて」

 正門からシヨン城に入った一行は、『アンリおじさん』の案内で中庭を抜けて城内を進む。

「手をつなごうよ、ジョルジュ」

「うん」

 狭くて急な階段は大人一人がやっと通れる程度だったが、仲良しの二人は手をつなぎ、仲良く歩調を合わせて進んだ。

 アレックスは、今朝はジョルジュの側から離れようとしない。ジョルジュは沈んだ様子など少しも表面に出してはいないのに、アレックスは何かを敏感に感じ取っているのだった。

 湖に突き出した岩の上に築かれたシヨン城は、向こう岸から見ると「湖に浮かぶ古城」とも見え、なかなかに優美な佇まいである。

 但し、呼び名こそ「城」であるものの、正面からの外観が無骨であるのは、作られた時代とその用途に由来する。

「イタリアからアルプスを越えてやってくる商人たちに、通行税・物品税をかけるための関所として造られたものなのですよ。九世紀にね」

 地下室は薄暗く、案内された牢獄や拷問部屋、食糧倉庫や武器庫あとなどは、どれもみな同じように見える。せっかくのアンリおじさんの歴史的説明も、子供たちにはきっと退屈なだけだろう。

 もっとも、からはしゃぎにはしゃいでいる男の子二人の様子は、大人たちの目には無邪気に、天真爛漫そのものに映っているのだったが。

「さて。ここは城主の間ですよ。他の部屋より幾分立派でしょう。・・・まあ、君たちのおばあさま、マダム・ジュヌビエーヴのシャトー(お城)の客間には遥かに及ばない。ここにはもう何世紀も人が住んではいないのだから、そのあたりは御勘弁頂きたいところです。多少、ほこりっぽく感じられてもね」

 大人にするように丁寧な言葉づかいと物腰で接してくれる、おばあさまの古くからの友人、『アンリおじさん』。

 子供たちは、ここ数日の間にすっかり彼に打ち解けてしまった。歓迎パーティーでは遠い親戚のおじさん、おばさんにたくさん会ったけれど、『友だち』にしてあげたのはアンリおじさんとフランソワお兄さんだけだ。

 アンリおじさんは独身で、フランソワお兄さんはおじさんの兄弟の子供だから、叔父と甥の間柄だそうだ。二人は顔立ちなんかがとても良く似ている。

 フランソワお兄さんは無口で無愛想だけど、怖くも話しづらくもない。ぶっきらぼうな中にも優しい気遣いを示してくれるからだ。

 子供に無関心な大人はすぐに分かる。『子供は嫌い』光線を出しているから。それから、自称『子供好き』の大人が、ペットの犬や猫を気紛れに可愛がるようにして子供に対することがよくあるが、もちろんそんなのは問題外。

 素敵な『アンリおじさん』は、子供の気を引くすべを心得ている。

「でも、ここには君たちのおばあさまのお城には無い物が一つあるんです。何だと思う?」

「答えを言わないでね!」

 アレックスがアンリおじさんの腕にぶら下がるようにして飛びついた。ぴょんぴょん跳ねながら懇願する。

「ぼく、ジョルジュと一緒に見つけてみせるから!」




《 6 》


――――――ジェラールに求婚されたの。シヨン城の『結婚の椅子』に座らされて。

 十三年前。

 長女のロクサーヌが頬を薔薇色に染めて報告してくれたのが、つい、昨日のことのようなのに。

 マダム・ジュヌビエーヴは、少しばかり熱を出したためにシヨン城行きが叶わなかった孫娘、可愛い小さなベロニックを寝かしつけながら、ずっとそのことばかりを繰り返し思っていた。

 周りからたくさんの祝福を受けて結婚したはずの二人が、五年後にはどういうわけかしっくりいかなくなっていた。そのあたりの事情は、今に至るまで打ち明けては貰っていない。

 あの時点で離婚するはずだったのに、ロクサーヌの妊娠が分かり、結局二人は別れなかった。初孫の誕生は全ての憂いを押し流し、問題となることは何もかもが霧散して果てたかのように思われた。

 だがそれは『おばあちゃん』の都合の良い幻想に過ぎなかったのだ。

 ちょうど同じ頃に次女も妊娠して、ジュヌビエーヴの周囲は俄かに慌しくなり、長女夫妻の問題とじっくり向き合う時間は失われたのだったが、或いは自分は故意に目を背けたのかもしれない、と今になってみると思う。

(期待したのね。子供への愛情が夫婦の仲を修復するという奇跡を)

 そしてまた、この夏も。

 無駄だと知りつつ、自分はやはりどこかでまだ奇跡を期待する気持ちがあったのだろう。スイスに、モントルーに、シヨン城に。あの『結婚の椅子』に、昔の思い出に、もしもの奇跡を願ってしまったのだ。

(そんな都合のいい魔法なんて、現実にはありはしないのにね)




《 7 》


「降参。教えてアンリおじさん。答えは何?」

 そう広くない室内を双子の天使たちは熱心に探索し、あれやこれやと推理を巡らせもしたが、ついにあきらめたようだ。残念そうに申告してきたので、アンリは二人を壁際へ案内する。

 そこに置かれているのは何の変哲もない、古びた椅子だった。

「これなの?」

「これ、特別な椅子?」

 二人はしげしげと椅子に見入った。

「これはね、『結婚の椅子』と呼ばれています。独身の女の人がこの椅子に座ると一年以内に結婚する、と言われているんです。おばあさまのシャトーには、そんな椅子は無いでしょう?」

「うん。ないよね?」

「そうだね」

 二人は同意しながらも、当てられなかったのが不服そうだ。

「ぼくは、あのタペストリがあやしいと思ったんだけどなあ」

「ぼくはどこかに隠し扉があるんじゃないかと思って、いっしょうけんめい壁をさがしたんだ」

「残念でした」

 アンリは二人の頭を撫でて、その健闘を讃えた。

 マリー・ルイーズは夫の田中哲氏とともに、目を細めて子供たちとアンリとの遣り取りを見守っていた。

 ふと、姉夫婦の方に視線を向けたマリー・ルイーズは、直後に酷く後悔した。見なければ良かったと思った。

 傍らの優しい夫の腕を引いて、自分の腕をきつく絡める。

「どうしたの?」

 穏やかな笑みを浮べて尋ねてくる夫に、彼女は曖昧な微笑みを返すしかなかった。

「なんでもない……」

 マリー・ルイーズは姉夫婦の求婚のエピソードを思い出したのだ。当の姉夫婦が忘れているということは有り得ない。

 それなのに、なんのこだわりもなく、二人揃って思い出の場所である古城見学に参加したのだ。ジョルジュを連れ、妹夫婦や友人たちと共に。

(私なら考えられないわ)

 二人並んで、思い出の『結婚の椅子』の前に立ち、その解説を聞き。

(もう、本当にだめなのね。どうしようもないのね)

 マリー・ルイーズを落胆させたのは、姉とその夫の眼差しの、何とも言えない冷たさだった。

(こんなのって、あんまりだわ)

 フランスにこんな心残りを置いて遠い日本へと行かなければならないことに、彼女は深い罪悪感と無力感をおぼえた。




《 8 》


 歴史あるシャトーのワイン作りを引き継ぐべく、ロクサーヌは懸命に努力をしてきた。娘時代も、そして現在も。

 だから、お世辞にも家庭的な妻であったとは言えない。だが、それが問題だろうか?

 離婚率が50%を越えるフランスで、決断に至るまでの事情はもちろん様々だが、皆それなりに離婚後の家庭を維持している。母の時代から世相は大きく変わったのだ。

 妹のマリー・ルイーズも、一時社交界を騒がせるほどの『身分違いの結婚』をした。日本贔屓が嵩じて日本かぶれになったと噂されたものだ。

 あちらは至極円満な結婚生活で、だが、生国であるフランスを離れて極東の島国へ移り住むことが決まった。日本かぶれが更に嵩じて、とうとう日本人そのものになったと、もっぱらの評判だ。社交界のゴシップなど、別にどうでもいいことだが。

 個人主義が国民性のように言われるフランスでも、旧家となればまた事情は違う。自分たちの不行跡は棚にあげて、社交界の「かくあらねばならぬ」という倫理観は、思いのほか厳しいのである。母は、さほど世間体を気にする人ではないが、全く気に掛けない無頓着さを誇るような人でもない。

 昨夜は遅くまで妹と話し合った。永の別れでもないけれど、滅多に会えなくなるのは確かなことだったから、互いに現在の心境を話し合えたのは良かったと思う。

 ゴシップなどどこ吹く風と、ちゃんと幸福な家庭を築いて母を喜ばせていると思っていた妹が、まさかあんな風に罪悪感を抱いているとは思いも寄らぬことだったが。

 ロクサーヌは妹とは七つ、年が離れている。思えば、子供の頃から喧嘩らしい喧嘩はしたことがなかった。

 勝気で行動力のあるロクサーヌと、引っ込み思案で遠慮がちなマリー・ルイーズ。二人はそもそも性格からしてまるで違う。たぶんそれが良いのだろう。お互いの相違点を認め合えることが。

 夫婦と姉妹と。その関係性の違いは何だろう。認め合うこと、思い合うこと。基本は一緒ではないのだろうか。

 夫婦関係がうまくいかない理由は、結局のところ何だったのか。血の繋がりか、性別の違いか、それともやはり「相性」に尽きるのか。

 今更だ、とロクサーヌは自嘲する。

 簡単に答えの出る問題なら、世間でこんなにも離婚率が高くなるはずもないのだ。





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