表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

1~4

《 1 》


 世界中から観光にやってくる外国人にパリの街を明け渡し、パリっ子たちがバカンスに出掛ける夏。

 ジョルジュとアレックスの一家も、朝一番のエア・バスでパリを脱出し、スイスに向かった。おばあさまが、「今年はモントルーの別荘に行きましょう」と言い出したからだ。

 ジョルジュとアレックスは同い年の従兄弟。母親同士が仲良し姉妹で、二人は本当の兄弟のようにして育った。ジョルジュは一人っ子だが、アレックスには妹がいる。

 居眠りをする間もなく到着する短い旅程なのに、父親たちは船を漕いでいる。母親たちは相変わらずおしゃべりに夢中だ。おばあさまはアレックスの妹、幼いベロニックに絵本を読んでやっている。

「むこうに着いたら、いっぱい遊ぼうね」

「うん」

 隣り合った席からかわるがわる窓外を見下ろして、二人は期待に胸をふくらませた。蒸し暑いパリを抜け出して、涼しいスイスで夏期休暇を存分に楽しむ。楽しい計画は、たった今はじまったばかりだ。

 ジョルジュはエコール(フランスにおける初等教育課程)の4年生。同い年の従兄弟、日仏ハーフのアレックス・哲司とは、まるで一卵性双生児のようにそっくりである。

 今はあまり似ていない二人の母親も、子供の頃はとてもよく似ていたというから、ジョルジュとアレックスも長じればそれぞれの個性が際立ってくるのかもしれない。だが今のところ外見だけを見れば、本当にどちらがどちらとも分からないくらいにそっくりだった。

 夏が終わればアレックスの一家は日本に行くことが決まっていて、この夏休みは二人が一緒に過ごす最後の休暇になる。そのことだけが、楽しいばかりの予感に少しだけ影を落としていた。

 一家が向かっているのはレマン湖の東端、国際的リゾート地として名高いモントルーである。

 高級ホテルやカジノが立ち並ぶ湖岸の街並みは昔から少しも変わらないが、四十年ほど前に始まった音楽フェスのさきがけ、そして、今やジャズ・プレイヤー達の最高峰の舞台にまでなった『モントルー・ジャズフェスティバル』のおかげで、期間中の街中は実に雑多な人々で溢れかえる。

 浮かれ騒ぎに乗じて一儲けを企む怪しげな連中もいれば、普段よりも良い実入りを期待する流れ者の大道芸人たち、露天商たちもいる。高級リゾート地には付きもののジゴロにギャンブラーもいれば、避暑を楽しむために世界各地からやってくる健全な家族連れもいるという具合だ。

 貸し別荘やキャンプ地には、そうした幸せそうな家族連れが大勢いて、ジョルジュとアレックスだって傍目にはそんな家族に見えることだろう。古くからの別荘地に、一家をあげてやってきた上流階級の幸せそうな大家族。

 確かにそれは間違いではないけれど、だが、どこの家庭にも何らかの問題は存在する。小さなものから大きなものまで様々に。

 円満に見えるジョルジュの家庭も、今や大きなほころびが隠しようもなく現れてきていた。おばあさまがスイス行きにこだわったのはそのためだ。モントルーはジョルジュの両親が十三年前、結婚を決めた思い出の地なのだった。 




 《 2 》


 パーティー会場の大広間は大勢の招待客で賑わっていた。

 カーテンが引かれていないたくさんの大窓を通して、夜の気配がそっと滲み始めた黄昏時。この時期のモントルーの日没は遅い。

 いつまでも暮れない空を窓越しに見上げて、ジョルジュはあくびを噛み殺した。緊張よりも疲労と退屈が勝っている。パリの小社交界、モントルーでのデビューを、今まさに控えているところなのだが。

 子供が大人の社交の場に同席するということは普通は無いのだが、これは例外中の例外だった。昼食会から続いた歓迎パーティの流れで、一家を代表してのミニ・コンサートが組まれていたからだ。

 アレックスのお父さん―――さとしパパ―――の篠笛が甲高く響いた。コンサートの幕開けだ。今日は振袖姿も美しいお母さんのマリー・ルイーズが和琴を合わせる。

 一曲目は、なんとかかんとかいう日本の曲。曲の終わりがアレンジで変えられて、いつの間にか『エーデルワイス』になる予定。

 歌は三人で何度も練習したから、何の心配もないはずだった。だが、ベロニックの頭に手を置いてやろうとして、ジョルジュは仲良しの従兄弟が震えていることに気付いた。

「アレックス」

 小さな声で呼びかけて、ベロニックの背中越しに従兄弟の手をキュッと握る。アレックスは相当アガッてしまっているようだ。震えは少しもおさまらない。

(仕方ないな)

 握った手をグイッと引っ張って、アレックスを自分の方に引き寄せてしまうと同時に、ひらりと身を返すようにしてベロニックを自分たちの前へと押し出した。

 この可愛らしい小競り合いは観衆を大変に喜ばせた。そこここで、「可愛いわ」と声があがる。アレックスのママは機転を利かせて、前奏部分をもう一度繰り返し奏でてくれた。

 びっくりして震えが止まったアレックスと余裕綽々のジョルジュは、手を取り合ったまま歌い始める。空いている方の手は、それぞれ小さなベロニックの肩に。

 大振袖を着せられたベロニックは、昼間のガーデン・パーティーでも大人気だったが、さすがにそろそろ限界らしく、さっきから眠たい目をこすってばかりいる。

(がんばって。これを歌い終わったら帰れるからね)

 スイスを舞台にした誰もが知るミュージカル映画は、音楽の素晴らしさと家族の愛情、人生、夢、希望、平和を感動的に謳い上げる名作だ。

 虚飾に満ちた都会を離れて、スイスの大自然に癒されようとやってきた人々。だが、正装でのぞむ華やかな夜会には、いつもの顔ぶれによる、いつもの噂話が花開き、それはパリでの生活と全く変わりがない。

 子供たちの清らかな歌声を聞きながら、それでも彼らは気付いていた。自分達が失くしてしまったものが目の前にあることを。

 誰にとっても夏の日の思い出は、どこか切なく、愛しい。




《 3 》


今日は、登山鉄道でユングフラウ・ヨッホに登りました。

登るとちゅうで雨がふってきたので、アンリおじさんは「頂上はきっと吹雪だよ」と言いました。

ぼくは、「そんなわけないのに」と思いました。でも、アンリおじさんの言ったとおり、頂上は吹雪でした。とてもびっくりしました。それから、吹雪で展望台に出られなかったので、とてもがっかりしました。

氷河をくりぬいて作った「アイス・パレス」には、ぼくの背たけくらいの氷のちょうこくがたくさんありました。

フランスのエッフェル塔や、アメリカの自由の女神もありました。それから、ロダンの考える人もいました。「なんでもアリだな」と、フランソワお兄さんが言いました。ぼくもそう思いました。

日本の五重塔のちょうこくを見ていたら、外国の観光客の人に、かってに写真をとられました。

お父さんは、観光客の人に「ジャパニーズ・ボーイ!」と言われて写真をとられて困っていたので、ぼくとジョルジュで助けてあげました。でも、三人ともみんないっしょに写真をとられてしまいました。かってにです。そういうのはよくないと思います。

でも、お母さんは笑ってみんなに話したので、みんなも笑いました。ぼくはとてもはずかしかったです。

アイス・パレスはとても寒かったので、レストランでホット・チョコレートを飲みました。とてもおいしかったです。


(田中・アレックス・哲司の日記より)  




《 4 》


 子供の時間は一日がとても長い。

 おそらく大人の二十四時間とは全くの別物なのに違いない。一日一日がとてつもなく長く、一週間・一ヶ月・一年の積み重ねは、それこそ気が遠くなるような『時』の堆積とも思われる。

 自分たちはいつまでたっても子供で、大人たちはまるで遥か昔から既に大人であったとしか思えなくて、『時』はまるで止まっているかのようになかなか動かないもので。

 ジョルジュは、その年頃の少年としてはごく当たり前に、かなり頻繁に「早く大人になりたい」とは思うものの、その焼けるような焦燥さえ瞬時のまぼろしに過ぎず、意地悪な『時』は、どうしたって歩みを速めたりはしないのだった。

 自分が子供であることの惨めさは、時々ジュルジュをひどく打ちのめす。それは、日頃から感じている寂しさが、心のコップの容量いっぱいに溢れてこぼれる瞬間だ。

「だれでも心の中に金のコップと銀のコップを持っているものなのよ」

 おばあさまは、小さなジョルジュとアレックスを膝に抱いて、そう話してくれた。

「うれしい気持ちは金のコップに、かなしい気持ちは銀のコップに注がれる。二つのコップは秤に載っていて、いつもバランスを取っているの」

 だが、近頃ジョルジュの銀のコップは溢れてばかりだ。秤が壊れてしまったとしか思えない。

 両親が冷ややかに交わしていた会話。そのやりとりを、ジョルジュは聞いてしまった。

 夫婦の会話が冷ややかなのは今に始まったことではない。だが、夕べのは少し違っていた。何かが決定的に違っていたのだ。

 銀のコップから溢れた悲しい気持ちは、ジョルジュの全身をまるで氷のように冷やしてしまった。ユングフラウ・ヨッホの永久氷河みたいに。

 両親は、たぶん離婚するだろう。


3回連載で完結となります。

(この作品はムーンライトノベルズで連載中の「夢のあとに」という作品から、ボーイズラブの要素を抜いて、通常小説として構成しなおしたものです。)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ