魔王討伐を果たした最強ドルイド、転生先の時代に困惑する
『森呪使い(ドルイド)、ゴヴァン・カークランド。貴殿を魔王討伐隊に任命する』
思えば、王都にて国王陛下からこの任務を拝命してから、まだ数年しか経っていなかった。至るところに飾られている絵の超然とした姿より、だいぶ小柄で体も不自由そうな、普通の老人だった。
『ゴヴァン兄さん。私、待ってるから。だから、必ず生きて帰ってきてね』
ごめんな、パトリシア。お前の兄貴は、最期まで馬鹿な男でしかなかったみたいだ。唯一家族らしい繋がりがあっただけに、約束、守りたかったけど……。
「カークランド、しっかりしろ!」
「ああ、なんてことだ。ずっとここまで旅してきたって言うのに……っ」
ほとんどの仲間たちが、沈痛な面持ちで僕の顔を覗き込んでくる。彼らの濡れた瞳に映る男の顔色は、この旅がはじまるより前。まだ各国が個別に魔王率いる魔族の軍勢を迎撃していた頃によく見た仲間の亡骸と同じ土気色だった。いよいよ、おしまいらしい。
「魔王は、やったか……?」
魔王と対峙した際、仲間の一人が焦りからミスを犯した。どうにか均衡を保っていた戦況が台無しになりかけ、リスクを冒さざるを得なくなった結果僕は死ぬ。
元より半ば捨てた命と思っていたが、それでも、結果だけは確認しておきたかった。
「ああ、殺したさ。お前のおかげだ。魔王も倒す間際、果敢なドルイドと一番に讃えていたぐらいだ。お前はみんなの英雄だよ」
飛びっきりのハンサムが、力強く断言してくれる。別に、僕なんかのために泣かなくてもいいのになあ。
「……勇者様と魔王のお墨付きか。先に逝った連中へのいい土産話になりそうだ」
「カークランド様、今蘇生を!」
「いや、いい……ここまでやられたら、聖女の祈りでも無駄だ」
普通の人間であれば、間違いなく即死していたことだろう。今の今まで持ちこたえたが、体を起こすこともできないうえに酷く寒い。おそらく、魔王の攻撃には魔力回路などへの強力な呪いも付与されていたのだろう。残念ながらここまでだ。
「俺より、まだ助かる奴に使ってくれ。まだ、向こうで俺たちを信じて戦ってるだろ」
「……っ、心得ました」
神官の彼女は、震える声を振り絞るようにしながら頷いた。と言うか、なんだろう。男たちはともかく、まさか女性陣までこんなに悲しんでくれるとは思わなかった。雰囲気に流されているという可能性もなくはないが、ひょっとして、僕に気があったりなんてことも——。
「カークランド様のご遺命、慎んで遂行致します!」
「アンタが命と引き換えに、アタシらを救ってくれたんだよ。みんなの恩人だ」
「エルフの里へ帰ったら、森中でお前の勇姿を千年語り続けよう」
あ、ないなこれ。ただの尊敬だわ。漏れた苦笑いを殊勝な何かと勘違いしたのか、泣き声がさらに大きくなった。これから死ぬ身ではあるが、不謹慎な僕でもさすがにいたたまれない。
「さあ、もう行け。まだ終わりじゃないだろ」
「カークランド……」
「故郷と妹のこと、頼めるか」
「……心得た。安心して眠れ」
勇者のその一言で、不意に力が抜けた。遂に気力も尽きるようだ。
まあ、こいつらに託せば、悪いようにはならないだろう。道中いろいろあったし、気の合わない奴もいたけど、魔王討伐を為したメンバーなのだ。
その一員になれたことへ、ささやかな誇りを感じながら、僕は薄れよく意識を永遠に手放したはずだった。
「お゛ぅ、お゛お゛……お? ぬ゛お゛お゛お゛お゛お゛ぉ゛!」
スラムで漁った残飯に当たり、酷い腹痛をごまかすため信じてもいない神に思いを巡らせていたとき、僕の脳裏には走馬灯のように、かつて経験したゴヴァン・カークランドとしての記憶が次々甦っていった。
え、なんだこれ、幻覚か? それとも、この終わりの見えないゴミ溜めでの日々に、とうとう頭がおかしくなったのか?
混乱しながらも、今纏っている亡骸から拝借したボロの文字を読む。生まれてこのかた、学校なんて通ったこともない僕には到底読めず模様にしか見えなかった掠れて消えかけの文章が、すらすらと頭に入ってきた。
いったい、何がどうなっているのか。未だ痛む腹を押さえながら、外から来た人間や成金じみた者、そしてヤクザ以外がこぞって貧乏で、悲しさや苛立ちを堪える目をした街を駆け、街の名前が書かれた案内板を目にした僕は衝撃を受けた。
「そんな……そん……」
二の句が継げない僕が、何度読み直しても信じられなかった街の名前。それは○○。かつて王都に次いで栄え、迫り来る魔族の軍勢から守るため、仲間たちと共に決死の戦いを繰り広げた大都市と同じ名前だったのだ。
第二話
混乱した頭で、そのまま街を駆け巡る。もしかすると、全く同じ地名というだけの違う街かも知れない。
しかし、街には生前、いや、前世で目にした風景が、多かれ少なかれ形を変えながらもいくつか残っているのを、この目で確かめてしまった。間違いない。ここは確かに○○なのだ。
呆然と顔を俯けると、高そうなコートを着た男が、ちょうど僕の足元に持っていた新聞を落とす。景気は緩やかに回復しつつあると題されたそれを拾い日付を確かめると、あの日から既に八十年もの月日が経っていた。
「こら、ショーティー、いくら空腹だからって、そんなもん食うなバカ野郎! また腹壊すぞ!」
およそ文盲であろう、みすぼらしい子供が新聞と睨めっ子をする姿にいくつかの失笑が漏れる。そんな中、何かを焼いた香ばしい匂いのする男は、僕の持っている新聞を奪うと地面へ投げつけ、忌々しげに踏みつけた。
「ちっ、まったく、口卑しいにもほどがあらあ。ほれ、売れ残りだ。今回で最後だぞ」
かわりに押しつけられたのは、紙に冷たくなった脂を染み込ませたパンであった。
「ったく、けったクソ悪いぜ。人が首括りまくってて何が好景気だよ」
そのまま読めなくなるまで念入りに捏ね、そこへ痰を吐きかけたのち、苛立ちながら足早に去っていった。
彼は時折、僕のような名もない孤児たちに渾名をつけ、今のように世話を焼いてくれる物好きな男だ。かつては役人の下で働いていたが、商人が取り仕切るようになると人員削減により暇を出され、妻子にも逃げられた。今は本人が焼いたパンを売りながら、ショボい博打をしつつ暮らしている。
噛ったパンは空腹の身には美味かったが、その際覚えた歯の痛みに思わず持つ手から取り零しかけた。
何が原因かは、すぐに気づいた。虫歯だ。手元に鏡などないので確認はできないが、歯磨きの習慣がなかった僕の口内は、ほぼ間違いなく味噌っ歯状態だろう。
「【治癒】【芽吹く清浄】」
唱えた二つの呪文のうち、一つは神官らも用いる、一般的な回復魔法だ。もう一つの【芽吹く清浄】は、ドルイド特有の状態異常、例えば解毒などに有効な呪術であり、修行を始めたばかりの見習いでも、すぐに習得できる初歩的なものである。しかし……。
「ぐっ、体が……っ」
次の瞬間、僕はとうとう体をすえた臭いが染み着いた地面へ投げ出してしまった。呪文はたしかに、歯の痛みや腹痛を改善してはくれた。だが、これまで一度も魔力を使ってこなかった体には、この程度の呪術や魔法すら無理があったらしい。
情けない。元の体だった頃は、既にこのぐらいの年齢でも魔物を狩っていたのに。どうやら、一から修練を積み直す必要があるらしい。
それでも、一応使うこと自体はできた。こっちでの過去の記憶を思い返しても、これまで魔力を使えている人間をほとんど見ていなかっただけに、そこだけは好材料と言えるだろう。
魔力が回復すると同時に、これまで蓄積されてきた体の不調を少しずつ癒し、貰ったパンも呪術で綺麗にしてから食べ、ようやく一心地ついた頃。僕は、これからの生活の指針を立てはじめた。
まず、何より必要なものは、金を得るための力だ。基礎的な身体強化の魔力操作の習熟を目指しながら資金を貯め、それを元手に身分証を手に入れよう。
それにしても……どういう原理かもわからないけれど、転生って、本当にあったのだなあ。一応ドルイドの信仰として、物質や霊魂は永遠、人間の魂もまた転生に委ねられるというものがあった。
それでも、まさか生まれ変われるとは。そして、再び人間として生を受けられるとは。前世で、自分なりに頑張ったからかなあ。
恐らく違うだろうが、もしこれがドルイドの言い伝え通りの形での転生なのだとすれば、罰や報いとして他の動物などへ生まれ変わらせられずに済むハードルは案外低いのかも知れない。
ある程度魔力を安定して使える目処が経ったのち、僕は荷運びの仕事へ向かった。手配師の男のもとには、既に汚れた服の襟元に抜け毛やフケを乗せた男たちが集まっている。
その片隅に立ち、移動の時間を待っていると、まだ酒が残っている様子の男に怒鳴りつけられた。
「ガキがなんの用だ! あっちに行け!」
「俺も仕事に来たんだ」
「そのみすぼらしいナリで、何が仕事だ! お前のようなチビには、人足なんぞ務まらん! 路地でスリでもやってるんだな!」
憂さ晴らしのつもりか荒れる男に、他の大勢が我関せずを決め込む中、一人の男が声をかけた。
「まあまあ、落ち着けよ」
「俺は落ち着いてるよっ! お前もこの糞ガキに何か言え!」
「手伝いさせて、駄賃ぐらいくれてやろうや。おい坊主、今日だけだぞ」
「ありがとうございます」
顔を真っ赤にした男が、「ちっ、お人好しめっ」と吐き捨て、離れた場所に騒々しく腰を下ろす。そうしてしばらく経ったのち、手配師がやってくる。
「今揃った奴らではじめるぞ。遅れた奴は可哀想だが自己責任で——って、なんだこのガキは」
「仕事したいそうですよ」
「よろしくお願いします」
手配師の男は、無理に作ったような好相を引っ込ん?め、胡乱げな目で僕を見下ろす。
「あのなあ、たしかに人数が集まるにこしたことはないが、自分でやってて、こんなアバラの浮いたチビに勤まる労務と思うか?」
合いの手を入れてくれた男へ、半ば呆れた顔を向けたあと、僕に向き直った手配師はこう言った。
「いいか? このおじさんたちは今から、数十キロの荷物を八時間運んだり移し替えたりし続けるんだ。お前みたいなガキは、いるだけでも迷惑なんだよ」
「キツい仕事だ。悪いことは言わねぇから、帰ってピンハネされながらの物乞いに甘んじてな。もっとも、俺を持ち上げられるなら話は別だがよ」
これはしめた。そう内心手を叩いて喜びながら、僕は割り込んできた恰幅のよい男へ返事をする。
「あなたを持ち上げることができたなら、連れて行ってくれるんですね」
次の瞬間、辺りがどっと突き放すような哄笑に満たされた。
「おい、聞いたかよ。このガキ、こいつを持ち上げて見せるんだと」
「はは、意地悪して悪かったな。だが、売り言葉に買い言葉なら引っ込みがつくうちに取り下げるんだな。なんたって、俺の体重はゆうに百キロはあるんだ。二十キロもなさそうなガキには、とてもじゃないが——」
男の口が、浮かぶ戸惑う表情とともに塞がる。周囲からは抱き着いているようにしか見えないだろうが、手応えを感じた僕は、男に一声かけた。
「今から上げますので、体を痛めないよう気をつけて下さいね」
「ちょっ、待てよ——うおおッ!?」
次の瞬間、男の体は持ち上がり、空中で俯せになったのち、僕へ背中を向ける形で横抱きにされた。
「お、おいっ、持ち上げやがったぞ!」
「信じられねぇ……こ、このチビのどこにそんな力が……」
周囲が動揺を露にする中、僕は何度か腕の中の彼を大きく振って見せたのち、姫を扱うよう地面へ降ろしてやる。
「お怪我は?」
「あ、ああ」
「それは何より。では、行きましょうか」
後半を手配師に向けて言うと、彼は戸惑いながらも全員へ仕事場所への移動を命じた。
行われる仕事は、倉庫での積み降ろし。魔道具により運ばれてくる荷物を箱に詰めて移し替えたり、逆に流れを途切れさせないよう次々乗せていったり。途中で僅かな休憩を挟みながら、それを八時間と少しほど繰り返し続ける。
まだ今の体での魔力操作に慣れていないこともあり、最初は様子見しながら作業だったが、慣れはじめると体が悪そうな同僚へさりげなく回復魔法や呪文を使う余裕も出て来た。ちなみに、初日僕を庇ってくれた男を優先的にケアしているのはここだけの秘密だ。
「坊主、なかなか頑張ってるじゃねえか」
「ありがとうございます」
昼食に、恵んでくれるおじさんから買ったパンを噛っていると、ここらを仕切っているヤクザ者が声をかけてくる。
「まだ小さいのに偉いな。お前は将来出世するぞ。ほれ、先行投資だ」
そう言いながら、柔らかい笑みとともにチョコレートの包みを渡してくる。一見普通の役人にも見えるが、深い笑い皺に彩られた常に周囲へ目を配り続ける瞳や、どこか人に緊張を感じさせる雰囲気は、明らかに堅気のそれとは違うものであった。
「大事に食べます。いただきます」
「はは、しっかりしてるな。もう少し大きくなったらウチに来い。世話してやるから」
にこやかさを絶やさないまま、彼は埃っぽい休憩場所を去って行く。裏稼業の人間としては、間違いなく手配師より格上だろう。
もっとも、ヤクザになる気はさらさらないが。そう胸のうちで呟きながら食べたチョコレートは、とても美味しかった。
「なあ、相談があるんだけど」
仕事が終わった頃、労務者の中では明るい男が僕へ声をかけてくる。
「どうしました」
「ちょっと妹の体が悪くなっちまって、ほんの少しでいいんだ。金を貸してくれないか」
子供相手でもへり下った、それでいて妙に腰の軽そうな態度。
「お金の貸し借りはちょっと」
仮に病が本当だったとしても、僕はこの男が酒を飲み、博打をしていることを知っている。僕はこんな奴に遊ぶ金を提供してやるようなお人好しではない。
「ほんの少しでいいんだ。今日君が貰って食べていたチョコレート。あれを食わせてやりたいんだよ」
僕の沈黙を勘違いしたか、男は調子づいて言葉を重ねる。
「そうだ。君のも買ってきてあげるよ。さっきのチョコよりずっと美味しいんだ。なんたって、俺のオススメなんだからな。どうだ、食べてみたいだろう? 少しでいいからさ」
「生き別れになった母を探す路銀を貯めていますので」
「じゃあそれも手伝ってやるよ。俺は友達が多いから、すぐお母さんに会わせてあげられる。だから信用して、ね?」
ねちねちと、しつこい男である。こういう奴は小銭を貸すだけでも、それを当たり前と捉え気づけば毎日、やがては額まで大きくなっていくのだから、最初こそ肝心なのだ。
「言っちゃ悪いけど、子供一人で探したところで成果は出ないと思うよ。それどころか、たちの悪い奴に金を巻き上げられるのがオチだ。おじさんが守ってやるから、そしたら安心だろ?」
「家庭の事情なので、他人には立ち入って欲しくないです。ご配慮下さい」
「いやでも——」
「ご配慮下さい」
食い気味に言うと、男はようやく諦め去って行く。人当たりのよさそうな態度は変わらなくとも、その目には明らかに次の獲物を探す貪欲さが光っていた。
「あれでいい。金の貸し借りだけは絶対するな」
帰り道、初日声をかけてくれた男が小声で言った。
「それとな、母ちゃん探すとか言ってたが、まあ、お前の好きにすればいいけどよ」
少し歯切れを悪くしながらも、男は同情する目を僕へ向ける。
「期待通りの結果が出ないのが人生だぞ。仮にどんなことが起きても、冷静でいろよ」
前世での僕は、妹や一部の親戚を除けば、あまり血縁者たちと上手くいかなかった。彼にも、かつて似たような体験があったのだろうか。
「覚えておきます」
礼を言うと、男は微かに微笑み去って行く。僕は彼を見送りながら、その背中にありったけの疲労回復や健康状態を改善する呪文を唱えまくったのであった。
◇
「今日も働いてきたのか」
「うん。今日もパン売れ残ってる?」
帰った僕は、おじさんの元へパンを買いに向かった。彼は盛大に溜め息を吐くと、
「今日も売れ残ってるよ。いつも通り二つだな。ちょっと待ってろ」
そう言いながら、まだそれなりにある紙の包みを触って確かめ、僕へ差し出す。
「一つ多いけど」
「今日は多く売れ残ったから、おまけだ。本当は、焼き立てが最高に美味いんだけどなあ……」
一人ごちる彼だが、僕は残念なことに一度も味わったことがない。これまで食べてきたのは、売れ残りの冷めたものだけだ。
もっとも、そんなに美味しいものならここまで売れ残ることもないだろうが……物見遊山に足を運んだ観光客向けを狙って売り付けるものとあっては、そんなものなのだろう。
「お前はまだ小さいんだから、無理するんじゃねぇぞ。体壊したら、なかなかもとに戻らねぇんだから。俺もずっと腰が悪くてな。もっとも、最近急に痛みや痺れがなくなりやがったが」
ちなみに、彼にも会うたび治癒を施している。長年の恩に報いるのは、人として当然のことだ。
「俺たち貧乏人は、滅多なことじゃ病院に行けねぇからな。昔はこうじゃなかったんだが……ところでショーティ、お前、なんか甘いもんでも食ったか?」
軽く嗅ぐような仕草をされ、昼にヤクザ者からもらった差し入れを思い出す。
「チョコ食べた」
「チョコか。まあ、お前はまだ酒も飲めないし、いい息抜きなんだろうな。俺の子供も好きでなあ。昔はよくねだられたもんだ」
「そう、ですか……」
懐かしむ顔の男の目は、意外にも穏やかな表情だった。今は会えなくなってしまった子供のことを、彼はいったいどう思っているのだろう。
それを考えると、僕は何も言えなくなってしまった。前世で子供でも作っていれば、また違ったのだろうか。
◇
順調に金は貯まり、最低限の魔力操作も身につきはじめた頃。僕は帰り道に不穏な気配を感じていた。その粘ついた視線は、こちらが察知して行く先を変えようと振り切れず、すぐ別の場所からまとわりついてくる。
十中八九、強盗だろう。溜め息を吐きながら動くこと十五分。人気のない場所で、僕はそいつらと対面した。
「へへ、勘のいい小僧だぜ。うっかり逃げられちまうところだった」
「だが、俺らのほうが一枚上手だったようだなあ。ここじゃ、泣いて喚こうが誰も来やしねぇ。聞いているのも死体だけだ。そこに転がってる奴の仲間入りをしたくなきゃ、とっとと出すもん出すんだな」
壁を背にする僕へ、連中はほくそ笑みつつ上からものを言ってくる。そのうちの一人が顎で指した先には、男の亡骸。様子から見て、相当いたぶられたようだ。
常習犯か……まだ若い彼らを前に暗澹たる気分となりながらも、一度だけ警告することにした。
「今すぐ引け。心を入れ替え、真面目に働いて金を貯めろ。そしたら、この狼藉も黙っていてやる」
一瞬の静寂のあと、連中は盛大に笑い出した。
「おい、聞いたかよ。こいつのありがたい今のご高説を」
「な、涙が出やがるぜ。勤労少年様の言葉が沁みてきやがる」
「腐れ乞食のくせしやがって、一丁前な口聞いてんじゃねぇぞ。お前今から死亡決定な」
言いながら、男たちはナイフを抜こうと懐に手を伸ばす。その手が柄を掴み引き抜かんとしたとき、僕は駆け寄り一番手前にいる相手の腕を蹴りつけた。
「ぐぉっ!? う、腕が……っ」
潰れた腕に気を取られた相手からナイフを奪うと、腕を抑え前屈みになっていた相手の喉へ掌底を当て、すぐに距離を取る。狼狽える面々を前に、僕は奪ったナイフを構え最後の忠告を告げた。
「引け。過去とは距離を置き、真っ当な違う人生を歩め。それがお前たちのためだ」
「……なっ、ナメるな! やっちまえ!」
決裂か。ほぼ予測していたとは言え、残念なことだ。
勢い込んで突っ込んでくる彼らは、一人が先にやられていることもあってか動揺があった。それを抑え込まんとしたのか、もしくは仲間をやられた怒りからか。
どちらにせよ、あまりに無闇な間合いの詰め方だ。連携も取れておらず、練度云々以前の問題だろう。
脇にあった遺体の後ろへ下がると、彼らは芸もなくそれを飛び越え、または迂回しながら僕へ迫ろうとする。あまりにも重心が高いうえ大きく、雑で隙だらけのステップ。
合わせて鋭く間合いを詰めると、正面の男は恐怖に瞼を見開きながら体を強張らせ、不必要に力を込めながらナイフを突き込んで来た。引くこともできない、避けられたら終わりの粗末な動作。
身を低くして回避しながら懐へ潜り込み、体ごと刃を肝臓へ突き立てる。ガクンと無事もたれかかってきた男を側面へ回った敵へ向けて放りながら、遮蔽物から出る要領でもう一人の正面から来た敵の虚を突く。
外側の側面から強く滑り込み、男の足を削ると、太い何かが切れる音が響いた。倒れ込む男の頭を掴んで捻り、僕へ向かう側方別方向からの敵に向けた喉を裂く。
噴き出す血で目を潰された男を処理した頃、肝臓をやられた仲間の亡骸を受け止めていた敵や、前が詰まっていたことで踏み込みきれなかった残りから僕は距離を取った。
「糞っ、なんなんだよこのガキは!?」
「おい、お前なにビビってんだよ行けよ!」
「うるせぇ! お前こそ後ろでコソコソしてないで、自分で行ってこいよ!」
その後は一方的だった。恐怖で踏み込めなくなった相手を、一人また一人と始末していき、逃げ出そうとした男も、投げつけたナイフが背中に刺さると、短い叫び声とともに地面へ倒れ伏した。
「こ、殺さないでくれ……っ」
涙ながらに懇願する顔は、思っていたよりだいぶ幼かった。ようやく二十歳になったばかり、と言ったところだろうか。
前世の頃であれば、全員兵として面倒を見てやってもよかった。そうでなくとも、こんな環境でさえなければ、彼らにも違う未来があったことだろう。だが——。
「ごめんな」
せめて一突きでと精確に急所を刺すと、男は一度くぐもった吸い込む音を出し、そのまま息絶えた。今の未熟な僕では、残念ながら血気盛んな若者たちの面倒など見られそうもない。
前世でも、こんなことはよくあった。自分にもっと力があれば。自分が事前に察知していたら。そう思いながら、人や魔族の血で手を汚してきた。
生死を懸けたスリルの熱狂などとうに霧散し、胸には苦さだけが残る。この体でも、早く元の強さを取り戻さねば。
◇
「久しぶりだな……」
見上げた目の前の建物は、冒険者ギルド。魔物の駆除や討伐から素材の採取、さらには細かな雑用まで、様々な依頼を斡旋してもらえる場所だ。
八十年も経つと、だいぶ老朽化してしまうのだな……それでも、僕が死んでから建てられたであろう建築物に比べれば、実用一点張り特有のある種重厚さを感じる。とは言え、それもかつて見知っていたという郷愁からなのかもわからないけれど。
中へ入ると、それなりの人数が依頼板を眺めたり、カウンターで素材のやり取りをしている。が、どうも根っからの荒くれ者というタイプは少なくなったように見えた。昼間から飲んでいるような奴でさえ、一見した限り厄介な飲み方はしていないように見える。
随分雰囲気が変わってしまったのだな。そう思いながら空いたカウンターへ行くと、受付の女性が僕に気づき声をかけてくれた。
「どうしたのかな?」
「冒険者登録をしたいのですが」
小さな子供へ向ける笑みが、途端に当惑の表情へと変わる。
「あの、登録にはお金がたくさん必要なんだけど……」
「これで足りますか」
過去よりもだいぶ上がった受験費用を机に乗せると、彼女はますます困った顔になってしまった。そこへ、一人の男がやって来る。
「どうした」
「あ、副部長。この子が冒険者になりたいと」
副部長と呼ばれた男は、片眉を上げながら怪訝そうに僕を上から下まで眺め、机の上の金を一瞥したあとこう尋ねてきた。
「お前、名前は?」
「ショーティー」
「ショーティー?」
「そう呼ばれてる。路地裏で生きてきたから本名はない」
二人は困ったように顔を見合わせる。ため息のあと、男は厳めしい表情を作り僕へ怒鳴った。
「ここは子供の来るところじゃない! この金持ってさっさと消えろ!」
「年齢制限はなくなっているんですよね? なら、受験の資格はあるはずです」
心配してくれている嬉しいが、それでも僕は冒険者登録を済ませなければならない。ここで引くわけにはいかないのだ。
「お前なんか、なったその日に魔物の腹ん中へ収まるのがオチだ! 殴られたいのか!」
「殴られて試験を受けられるなら、いくらでも」
「このッ!」
だいぶ加減された、それでも屈強な体から繰り出されたシャープな動きのパンチを、僕は落ち着いてパリングしガードした。
「な!?」
「もう一度、今度は本気で構いません。対応できそうですので」
「騒がしいね。いったい何事かな」
二人が絶句する中、奥から初老の男が出てきた。きちんとセットされた髪型、上品なお召し物。乱雑なところのない所作。
冒険者にも几帳面な人間はいるが、それにしてもこの男は毛色が違うように見える。その場違いさたるや、まるで役人か何かのようだ。
「支部長……」
副部長の表情に、やや苦み走ったようなものが滲む。対する支部長の態度も、副部長に対しあまり友好的には見えない。
「状況を説明しなさい」
「その、この子が冒険者になりたいと……」
「ほう、受験費用はあるのかね?」
「こちらになります……」
受付の女性が机にある金を指すと、本部長は髭を撫でながら言った。
「なら、何も問題はあるまい。受験を認めるように」
「ですが支部長、まだ十歳にも満たないような子供ですよっ」
「志のある者を妨げる、あの忌まわしき規制が撤廃されたのを君は忘れたのかね」
食って掛かる副部長に向けられた支部長の目は、非常に冷ややかなものであった。
「自分は反対です。あれ以来大勢の幼い冒険者が死亡したり後遺症を負っています」
「自分で選んだのだから、それは自己責任というものだろう。リスクが高いからこそ、冒険者ギルドには今日も夢を追う者たちが集まってくるんじゃないか」
「年々、低ランク冒険者への支援やサポートが削られ、そもそも依頼の条件も悪くなりつつある状況で、その言い分は大人として無責任です。この子がこれから死んでも、何も感じないのですか?」
「君はなぜ、この少年が死んでいった至らなかった者たちと同じだと決めつける? 私から言わせれば、それは単なる自己満足と所有欲でしかないね。彼は君の気持ちを満足させるためにいるわけではないし、規則を無視して受験を拒否するなど、仮にも当ギルドの要職に就く者として恥ずべき振る舞いだ。わかるかね、つまり先ほどの暴力も含め、君自身の幼さが問題なのだよ」
言い終えると、男は副部長へはもう目もくれず、僕へ一般的に柔和と形容されるであろう笑みを向けてきた。
「すまなかったね。どうも私の教育が足りなかったようだ。君が冒険者として大成できることを心から祈っているよ。幸運を。おい、受験を認めてやれ」
空虚な言葉の羅列を残すと、受付嬢へそれだけ言って、本部長はカウンターの奥へと引っ込んで行った。僕としては好都合ではあるが、なんとも酷い空気だ。他人事を決め込めるなら、即座に外へ出て何か気晴らしでも見つけに行くことだろう。
「……あの、お願いします」
遠慮がちに頭を下げると、受付嬢は仕方なさそうに書類を僕へ手渡す。埋められる項目を埋め、空欄には不明とだけ書いたものを提出すると、試験場へと案内される。
向かう前、憮然とした表情で立ち尽くす副部長へ深く頭を下げたが、彼は僕を一瞥しただけで何も言わず顔を背けたのだった。
◇
「こいつが受験者か? 随分小さいな」
通された場所で、僕を見た試験官らしい男が受付嬢へ眉を潜めて見せる。彼女も肩をすくめながら、仕方なさそうに受け答えをした。
「副部長は止めてくれたんですけど、本部長が……」
「ああ、あの天下りか。さもありなんって感じだな……ちょっと待ってろ」
奥の用具室へ男が向かって行った間、僕はさりげなく受付嬢へ話しかけた。
「やっぱりあの人、元はお役人なの?」
「うーん、そうね。まだ君には難しいかも知れないけれど、財政官吏のお仕事を務め上げたあと、このギルドの本部長に就任したのよ」
「冒険者ギルドって、国から独立した組織じゃないの?」
「なんて説明したらいいのかしら……近年では、いろんな決まりごとや枠組みが少しずつ撤廃されてきているの」
困ったような笑みの彼女から事情をおおよそ察した頃、奥から試験官が木刀を二本携え戻ってきた。そしてそのうちの一本を、僕へ向け放ってくる。
「試験は剣術だ。まあ、適当に打ち込んで来い」
渡されたそれは短く軽い、いかにも体格の小さな者向けのものだった。男は普通の木刀だが、別に僕に不利を強いようという魂胆ではないのだろう。
構えも、完全に小さな子供へ手解きをする際のナメたを通り越して一種おおらかさすら感じる、棒立ちド正眼。表情も、子供好きによく見られるそれをほんの僅かに引き締めた程度だ。
なんだかなあ、僕これでも、紆余曲折あったとは言え魔王討伐隊の一員に選ばれ、実際に為し遂げちゃうレベルだったんだけどなあ。そう戸惑っているのを誤解したか、彼は無造作に近寄ってくる。
「ああ、すまんすまん。いきなり打ち込んで来いと言われても困るよな。そら、今から俺が軽く打ち込むから、まずは自分なりに受けてみろ。そらっ」
大いに加減されたそれを、僕は一応受け続ける。とくに返したりはしない。これはもう、そういう雰囲気ではない。
「へえ、きちんと足捌きで受けられるんだな。誰かから習ったのか?」
「小さいのに、本格的ですねぇ……さっきも自分で書類を書けていましたし」
「そ、その、見よう見真似で……」
「いや、多少揺さぶっても全然崩れる様子もないし……相当センスがあるのかも知れないな」
「年々識字率が下がっていく中、まだ小さな孤児なのに読み書きを覚えたなんて……きっと相当努力したのね」
嗚呼、後ろめたい。前世での享年も足せば三十才を超すであろう僕が、こんな純朴そうな若者たちを騙してしまうなんて。
別に、燃えるような向上心があって覚えた、とかではないのだ。単に歴代ドルイドを輩出する家に生まれ、そこに生まれた者として小さな頃から仕込まれただけなのだ。
もし本当に捨て子の孤児だったなら、少なくとも読み書きに関しては絶対覚えきらなかったことだろう。
「よし、じゃあ次はここに打ち込んでみろ。どれだけ力があるか見たいだけだから、遠慮は要らないぞ」
そう言いながら、男はおよそ僕の胸の高さへ、木刀を横にして見せた。
「どれだけ動きを覚えていても、最低限の威力がないと魔物に殺されちゃうからな。さあ、思い切り来い」
思い切りか……もし本気でやってしまったら、間違いなく男に重傷を負わせてしまうことだろう。なるべく加減をして、それこそ一般的な冒険者レベルの力に調整しなくては。
「い、行きます」
「頑張って下さい!」
受付のお姉さんの言葉を背に、的となった木刀へ正面から打ち込む。強かに打ち付けられた木刀は、盛大な音を響かせながら床を跳ねた。
「痛っ……!」
「だ、大丈夫ですか!?」
試験官の男が、木刀を持っていた手首を押さえながらしゃがみこむ。まずい、あれでも相当抑えたつもりだったが、まだ強かったようだ。
こっそり治癒魔法をかけながら様子を窺うと、男は手首から先をひらひらと振りながら、僕らを安心させるように微笑んだ。
「ボキって音がしたかと思ったけど、なんともなかったみたいだ。いやあ、凄いな。折られたかと思ったぞ」
しかし、受付嬢は未だに心配そうな眼差しで彼を見つめる。
「あの、本当に大丈夫なんですか? 一瞬ですけど、腕の曲がらない部分が曲がったようにも見えたんですけど……ちょっと見せて下さい」
「だから大丈夫だって。坊主も気にするなよな。むしろ俺としちゃ、美人なお姉さんに心配してもらえて役得なぐらいなんだから」
「まあ」
この二人、ひょっとしてイイ感じなのだろうか……まあ、お似合いのカップルに見えなくもないけれど、なんだろうこの気持ちは。まるで、かつて旅の仲間だった勇者が女性陣と妙な親しげさを醸しはじめた際の、あの言い知れぬ所在なさに似た——。
「やってるか」
そんなかつての記憶でブルーになりかけていたとき、副部長が試験場へ姿を現した。二人は立ち上がると、近すぎず遠すぎない距離にスッと離れる。
「あ、副部長、お疲れ様です」
「いやあ、まだ小さいのに、こいつやりますね。実力的には充分合格ラインに——」
「それは俺が判断する。その木刀を貸せ」
副部長の硬い声音に、二人は思わずと言った様子で背筋を伸ばし表情から笑みを消す。
「あ、あの。ちょうど俺が剣術の試験を終えたところなのですが……」
「じゃあ、今からやり直しだな。試験官は俺が直々に務める」
試験官は抵抗の姿勢を見せてはくれたものの、睨み合いの末、最終的には木刀を手渡した。それを軽く振る姿を見るだけでも、副部長が決して悪くない技量を持っているのがわかる。少なくとも、この若い試験官ではとても太刀打ちできないほどの力の差があることだろう。
「すまん……やり直しになるみたいだ」
「いえ、気にしないで下さい。それより、普通の木刀を貸してもらえませんか?」
「そうだな。さすがにそれじゃ……ちょっと待ってくれ」
その後、交換して貰った普通の木刀の感触を確かめたのち、僕は副部長と向き合っていた。
「安心しろ。怪我をしてもギルドの白魔術師がすぐに回復させるし、受験費用も俺のポケットマネーから返還しよう。お前は何も考えず、一撃で俺に伸されればいい」
「副部長、考え直して下さい」
「そうですよ。もしこのことが、あの支部長に知られたら……」
心配する二人に対し、副部長は自嘲するように笑う。
「気にするな。あの守銭奴に知られたなら、そのときは潔く辞表を出すだけだ」
「そんな……」
「もう、下の世代の不幸を尻目に、形ばかりの抵抗を心を慰めとしながら唯々諾々とし続ける自分にうんざりなんだ。最後ぐらい、せめて大人らしいことをしたい」
言葉を失う二人へ言ったのち、彼は僕へ向き直った。
「さあ、はじめるか」
「……少なくとも俺の目には、貴方はきちんと大人に見えますよ」
僕の言葉に一瞬目を丸くしたあと、それを好戦的な笑みに変えて副部長は構える。
「それでは、試験はじめっ!」
開始早々、挨拶代わりとばかりに鋭い突きを二度、三度と繰り出された。単に闇雲な突撃とは違う、捌かれた際のリスク管理もきちんと考えたうえでの立ち回り。かわし、払い、反撃に打って出ようとしたところ素早く距離をとられた。
「ほう……意外とやるのじゃないか」
「どうも……副部長さんこそ、相当やりますね」
壮年ではあるが、老いを感じさせない動きのよさがある。もちろん、大柄なだけあって敏捷性の高い動きというわけではないのだが、その大きな体を上手く取り回しながら、スケール感のある戦いを実現させていた。人柄も含め、部隊長に任じたくなるような強い男だ。
「これでもかつては、魔族との戦いに傭兵として参加し生き延びた父から手解きを受けた剣を武器に鳴らしていたんだ! ガキとは年期が違うんだよ!」
そう言いながら、再び打ち込んでくる。どうにか捌くが、さすがに正面からでは若干押され気味の感が否めない。
「素晴らしい剣捌きだ! 将来冒険者の試験に受かってから、どれだけ名を残すか楽しみだな!」
「……悠長にしている暇はないんですよ」
「急ぎ過ぎるな。お前のような類い稀なる才のあるものこそ、より慎重にことを運ぶべきだ。生き急いでも雑に使い潰されるだけだぞ」
『どうして○○兄さんは、生き急ぐような真似ばかりするんですか』
かつて妹から呆れた目で言われた言葉が、目の前の巨漢の言葉と重なり口が重くなる。それでも……。
「俺にとってそれは、甘んじる理由にならないんですよ。貴方と同じです」
前世では、恵まれた生まれという責任から各地で武器を取った。それは決して、妹を除く不仲だった家族への反発という理由だけではない。
そして今の僕は、かつてドルイドとして三本の指に入る、戦闘では随一と呼ばれた者としての記憶が残っている。力を持つ者として、この荒んでしまった世の中で指を咥えていい言い訳にはならないのだ。
僕は細かいステップによる数十センチの差を刻みながら、副部長が振るう剣がぶつかる感覚をズラしはじめた。
「ぐっ、この……っ」
これで完全に相手の力を削げるわけではないが、万全のインパクトを得られない感覚を嫌った副部長の動きは、おそらく無意識のうちとは言え、やや大振りなものになっていた。
「し、信じられない……未だに地方最強と名高い副部長と、対等に渡り合うだなんて……」
「俺たち今、とんでもないものを見ているんじゃ……」
この男は賢い。すぐ自分の動きの乱れに気づき、修正して僕の動きへも対応し、無理に打ち込まない堅実な戦いへとシフトしてしまうだろう。
そうなれば、僕の勝ち目は薄い。だからこそ、今勝負を決めて見せる。
やや大きくなった挙動による動作のロス。それによる重心の僅かなズレによる、取り回しの遅れ、動きの滑らかさの陰り。
その隙を突き、僕は思い切りよく副部長の懐へと飛び込んだ。さすがに反応されるも、態勢は不十分なもの。そんな状態では、二度三度と受けるたびに崩れる度合いも大きくなっていく。
「くっ……!」
一度引いて体勢を整えようとした副部長へ、離されることなくさらに攻め寄る。雑にならざるを得ない距離を取るための切り払いを交わした僕は、遂に副部長の喉元へ剣先を突きつけることに成功した。
「しょ、勝負あり!」
試験官の言葉に、副部長は床へ尻餅をつく。見れば汗びっしょりで、肌も耳や首元まで真っ赤に染まっている。そのまま荒い息で、彼は短く呻いた。
「嘘だろ……なんて剣技と気迫だよ……」
「お見事でした。本気を出さなければ、とても敵わなかった」
手を差し伸べると、副部長は呆れた顔をしながらも握り返し、ふらつく足取りながら立ち上がる。
「まったく、末恐ろしいガキだ……伝承でしか知らんが、少し前に亡くなられた勇者様のような戦いぶりだった」
手はそのまま握ったままで、讃えるように言われた。あいつに比べたら、僕の剣など形無しだ。と言うか、死んじゃってたんだな……まあ、生きてたとしても百歳ぐらいだし、仕方がないか。
◇
「ショーティー、君? 君のおかげで、副部長が辞めないで済んだの。本当にありがとう」
「と言うかお前、俺相手には完全に抜いてたろ。まあ、あれだけの剣を見せられちゃ仕方ないのかも知れないけど……このぉ」
「す、すいません……雰囲気に流されたと言うか」
試験官の男に拳で頭を挟まれていると、副部長が振り返り、僕に尋ねてきた。
「で、どうするんだ? もう今日から依頼を受けるのか?」
「そのつもりです。まだ夜まで時間もたっぷりとありますし」
前世での冒険者試験は、もう少し長かった。魔力の適正を見たり、野営時に一晩通して見張りをする、などと言った内容もあったほどだ。
それが、剣術の試験のみとは……さっきギルドの中へ入ったときも、魔法や呪術を使える人間はあまりおらず、いても正直に言うと未熟な人間ばかりだった。身体強化にしたって、この人のよさそうな若い試験官が上に来てしまうレベルだ。
仮にも主要都市のギルドだと言うのに、こんなこと、あり得るのだろうか……。
「そうか。まあ、最初は簡単そうなのにしておけ。お前が強いのはわかっているが、例え弱い魔物相手でも実戦は違う。場所もさっきの訓練場と違って平地じゃないし、視界だって常に確保できるとは限らないからな。おい、適当なのを見繕ってやれよ」
「わかりました。じゃあ、向こうに着いたらまずはカードを渡すね」
僕らは副部長と別れ、最初のカウンター前へと戻ってきた。
「はい、これが君の冒険者カード。再発行は結構かかっちゃうから、なくさないようにね」
「最初はみんなGからなんだ。でも、坊主ならすぐにE、Dと上がってくだろうな。早く一緒に仕事しようぜ」
手渡されたそれには、ショーティー、Gランクと太字で書かれている。なくさないよう収納魔法にでも入れようかと思ったが、これは僕が死亡した際の識別証でもあるので、胸に入れるだけにした。
「じゃあ依頼なんだけど……うーん、どうしよう。蹴りウサギは難易度が低いんだけど、少し遠いし……」
「レッサーボアとか、いいんじゃないか? 物凄く弱いってわけじゃないけど、個体数も今はそこまで多くないし」
名前が挙がった魔物は、小さい猪型の魔物だ。農作物や家畜、非力な女子供を食ってしまう害獣で、前世では訓練も兼ねた狩りで子供の頃から相手にしてきた。問題はない。
「では、それでお願いします」
「よかった。どちらかと言えばE寄りなFランク相当の魔物なんだけど、場所も近いから、ショーティ君の実力なら一番安全だと思う」
「あとその、武器の貸し出しなどはありますか?」
前世のギルドでは、初心者向けに最低限の武装を貸し出してくれる。と言ったサービスがあった。
もちろん質までは期待できないし、破損してしまった場合は弁償なのだが、その多くは引退したり死亡した冒険者の遺品ということもあり、こうした大都市にあるギルドでは基本的に貸し出しに応じてくれるはずだった。だが……。
「貸し出し、ですか……」
受付嬢は、渋い表情で黙り込んでしまう。言葉を継いだ試験官も、その口調は決して滑らかなものではなかった。
「前はあったんだけど、破損率返却率だの、冒険者を甘やかすな、だのと理由をつけられて、禁止になっちゃってな……」
「私たちとしては、例え多少破損しようと準備を整えてあげたいんだけど……どんな形でも生還して、経験を蓄積することが大事だし」
そうなのか……もちろん、前世でもそういう風潮自体はあったし、明らかに問題のある冒険者にはギルド側が貸し出しを拒否することもあった。
しかし、こういった主要都市のギルドでも貸し出しを渋られるとは、完全に予想外だった。適当によさそうなものを見繕い、あわよくば前世で杖とともに愛用していた戦斧でも借りられたらと思っていたのだが……。
「……ちょっと待ってろ」
こうなったら、素手でやるしかないか。レッサーボア程度ならどうにかなるし、それに運がよければ、亡くなった冒険者の武器を拾えるかも知れない。
そう考えていた僕に一声かけると、試験官は一度場を離れ、戻ってきたときには、その手によく手入れされた短剣を握っていた。
「これ、貸してやるよ。俺からの合格依頼だ」
「えっ、でもそれ、あなたのお父さんの形見なんじゃ……」
表情を強張らせるお姉さんに、試験官はやや咎める視線を向けた。
「これから貸すってときに、そういうこと言うなよ……ほら、受け取れ」
「い、いや。使えませんよそんなの。別に弱い魔物なら素手でも——」
しかし、遠慮しようとした僕の手へ、彼は強引にその短剣を握らせる。
「子供が遠慮するな。親父だって、一介のギルド職員が遊ばせとくより、未来の名剣士に使ってもらうほうが浮かばれるだろ。いいか? 破損してもいいから、躊躇わず使え。僅かな躊躇が生死を分けるんだ。返さなくてもいいぐらいの気持ちで振るえよ」
そうして、強引に手渡されてしまった。彼の様子に、受付嬢も自身を納得させたか僕へ微笑みを向ける。
「そもそも、あれだけ高くなった受験料払わせといて、最低限の武器も与えないほうがおかしいんだ」
「よかったね。初めての依頼、頑張ってね」
僕は二人に深々と頭を下げ、この体になってから初めての依頼へ向かったのであった。
衛兵が守る門を出てから、歩いて少し経った頃。前世で覚えのある魔力反応を感じ取った僕は、気配を消しながら察知した方向へ向かう。そこには予測通り、レッサーボアの姿があった。
個体としては他より少し大きめだが、群れではなく単独で行動しているようだ。対魔物での勘を取り戻す準備運動としては、うってつけの相手だろう。
最後にもう一度、手のひらの中で短剣の感触を確かめたのち、僕は放物線を描くように手頃な石をレッサーボアへ向け落ちるよう放り上げた。
それが奴の体に当たり、飛んできた方向へ警戒の目を向けるレッサーボアに対し、僕は死角となる位置から突撃した。
加速のついた突進を封じるため、気づかれるまでの間に少しでも距離を詰めるための行為だったが、所詮はEランクに差し掛かった中堅未満に回される魔物だ。
身体強化によるスピード向上も相まって、僕は一気に距離を詰めることができた。これで、最大の猛威を心配せずに済む。
さすがに向こうも、本当の狙いに気づいて振り向こうとする。しかし既に、僕は突きを放つ用意ができていた。
ちょうど眼球を捉え、レッサーボアの頭蓋骨の内側へ入っていく刀身は、そのまま致命傷となって敵の命を奪う。今の体では、敵の弱点を突く堅実な戦い方をすべきだろう。それにこの剣も、あの試験官へ無事返してやりたい。
レッサーボアを収納魔法に放り込み、そのまま次の獲物を探しに向かう。何度か群れと遭遇したが、挟撃を避ける形で自滅を誘ったりと、あくまで力押しではなく丁寧に屠っていく。
「こんなところかな」
何頭まで報酬を貰え、買い取り制限がいくらか、といったことを聞かずに来てしまったが、二十頭も仕留めたら十分だろう。
前世であれば囲まれようと鎧袖一触、歯牙にもかけず倒せただけに不甲斐ない話なのだが、今は一歩ずつやっていくより他ない。
幸いにも、途中でまだ使えそうな剣を拾うことができた。持ち主がいなくなってから時間が経っていたらしく、多少メンテナンスが必要だろう。それでも、駆け出しの僕には十分過ぎるほどだ。
帰ったら、この短剣を返したうえで何かしらのお礼もしなければ。不意の襲撃に警戒しながらとは言え、どこか脳の一部が弛緩していたとき、突如近づいてきた魔力反応に神経は再度反射的に張り詰めた。
「た、助けてくれ!」
声がした方向からは、人を背負った男と目に見えた傷を負いながらも自力で走る女が、熊の魔物に追われながらこちらへ向かってきていた。あれは……おそらく、キンググリズリーだろう。
大柄な体に力強さと速度を兼ね備え、性格は残忍にして一度狙った獲物への執着心も高い。たった一頭で複数の村を壊滅状態に追いやり、討伐に多くの犠牲が払われたこともある非常に危険な魔物だ。
「今助けるぞ! 頑張れ!」
叫んでから向かうと、救援を求めていたはずの彼らの反応が突然変わった。
「え、こ、子供!? どうしよう」
「どうしようじゃないよ、もう巻き込んじゃったわよ!」
動転していたうえ、遠くからでは人影の大きさがわからなかったのだろう。それでも、彼らに悪気がないのはわかるが、言い様のない気持ちにさせられる。
「今からでも迂回して——」
「そのまま来ていい!」
「でもっ」
「入れ替わりで後ろへ抜けて行け! あとは任せろ!」
というより、この何も障害物のない地形では、彼らとてそうするより他に手段などないはずだ。
すれ違う際、それぞれ後ろめたそうな顔をした二人と交差する。おそらく、このあと僕が無惨に殺されるとでも思っているのだろう。
だが、熊の魔物は基本的に、他の個体と群れを作らない。一対一であれば、やりようはある。
キンググリズリーは、新たに姿を見せた僕を脅威と見なさなかったのか、向かって正面の僕を右前足で煽るように払い退けようとする。
その前足の、なるべく太い骨から離れた関節部へ魔力を込めて刃を滑り込ませると、肉といくらかの細かい骨が砕ける感触が刃越しに伝わってくる。
これは断ち切れないだろうと判断し、半分近く斬り裂いた右前足から剣を抜き離脱する。離れた瞬間、僕がいた場所にはキンググリズリーの絶叫とともに無事なほうの左前足が唸りを上げながら振るわれた。
その目に痛みと怒りを滲ませながら、キンググリズリーは攻撃性を剥き出しにして距離を取った僕へ襲いかかって来た。手負いの獣は人と違い戦意が高まり、危険度が一段と高まる。
それでも、肉体にダメージが生じていることに変わりはない。その証拠に、もう二度とこれまで通りには使えなくなった右前足で地面を駆ける際、どうしても態勢が崩れるようになってしまった。
そんな体で無理矢理出力を出すものだから、動きのバリエーションも損なわれ、さらに柔軟性を欠いたその挙動からは、次の動きが手に取るようにわかった。
当たれば即死級の攻撃を交わし、僕はキンググリズリーの懐へ潜り込む。先程まであんな無邪気に他の冒険者を追い回していた姿と打って変わり、奴の瞳や息遣いには恐怖が現れている。それは、心臓に刃を突き立てられて思考を失うまで続いた。
一気に全身を弛緩させ、糸が切れたように倒れ込むキンググリズリーの下から這い出る。すると少し離れたところでは、先程の冒険者たちが唖然とした表情で僕と亡骸になったキンググリズリーを見ていた。
◇
「え……嘘だろ……」
「あ、あんな子供が、大きな熊の魔物を倒しちゃうなんて……」
魔物の種類もわからず逃げていたのか……見れば三人とも、あどけなさの残った顔立ちをしている。おそらく、十五歳前後だろうか? こっちでの僕と同じ、駆け出しの冒険者なのだろう。
「その背負ってる人、傷は?」
「あ、ああ。さっき君が倒した熊にやられて、急いで街へ連れて行かなきゃならないんだ」
見ればその人は既に意識を失っており、顔色も前世で死ぬ前の僕にそっくりだった。このままでは、街へつくまでの間など到底持ちこたえられないだろう。
「でも、街まで行けても、お金もないのに治してくれる人なんて……」
「そこは必死に頼むんだ。教会でも、薬師でも、誰でもいい。とにかく頭を下げる」
「……かわいそうだけど、無理よ。みんな門前払いされて、お金だけ取られて死んでいったじゃない」
「そんなことない。唯一残った肉親なんだっ。こいつだけは絶対に助ける!」
二人が揉めかけたとき、彼の背中にいる少女が、その見た目からは想像もつかない嗄れた声で言った。
「いいの……お兄ちゃんも、ハーティさんも喧嘩しないで。私の不注意で、自己責任だから……」
「ソフィアっ、無理に喋るな。今お兄ちゃんが助けてやるから!」
しかし彼女は、痛ましさを感じずにはいられない笑みを無理矢理浮かべ、言葉を続けることをやめようとしない。
「ハーティさん、お兄ちゃんのことをお願いします。二人はとってもお似合いです。私のぶんも幸せになって下さい」
「ソフィア……」
「お兄ちゃん、私、お兄ちゃんの妹に生まれてこれてよかった。今までありがとう」
背負っていた彼は、首が捻切れんばかりに妹のほうを向き、大粒の涙を溢しながら絶叫した。
「今までなんて言うな! チクショウ! なんで俺の妹が死ななきゃならないんだ! 誰だか知らんがふざけやがって! 俺らを助けてくれる奴なんて、この世のどこにもいないのかよ!?」
「ここにいるぞ! 【中級治癒】!」
もともとドルイドというのは、一般的に見ても治癒魔法が得意だ。こちらの体でも、自分や他人の思わしくなさそうなところを治し続けてきたことで、回復職としての技量も最低限のレベルには達している。
杖なしの状態ではあるが、それでも体内から魔力が抜ける感覚の中、ソフィアと呼ばれた少女の傷は瞬く間に治っていく。
「ウソ……あれだけの重傷が……」
「ん……お兄、ちゃん。私、どうして……?」
「そ、ソフィア! よかった! 本当に……っ」
ハーティというらしい少女が呆然とした表情で固まり、兄が人目も憚らず妹を抱き締める中、僕はその様子をへたり込みながら眺めていた。よかった。戦闘後で魔力を回復させる時間もほとんどなかったが、間に合ったようだ。
◇
「妹の命を救って下さり、本当に、なんとお礼を言ったらいいか」
「ありがとう。君のおかげで仲間を失わずに済んだわ」
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
「いや、もうお礼はいいよ……」
そう言っても、三人はなお感謝の言葉を口にし続ける。別に年長者や実力者が未熟な者を助けるなんて、当たり前どころか怠る奴は恥なのだから、気にし過ぎないで欲しい。
それに今は、精神だけでなく体のほうも少し辛い。やはり、それなりの獲物を相手にしたあとに【中級治癒】を使うのは、やや負担が大きかったようだ。
現に今も、僕は兄におぶられているソフィアの隣で、ハーティという名の少女にみっともなくおぶられている。これでは格好もつかない。
そう不貞腐れていると、僕のほうを振り返ったハーティとやらが、何を勘違いしたのかニッコリ微笑んできた。
「気にしないでいいよ、全然重くないから。と言うか君、小さいのに凄いね。あんな大きな熊の魔物を、単独で罠も使わずに正面から倒しちゃうなんて」
この、お姉さんムーヴである。さっきの受付嬢もそうだが、年下からこんなふうに扱われるのは居心地が悪いし、騙しているようで申し訳ない気持ちになる。
僕、本当は前世と今世トータルで三十歳ぐらいなんだけどなあ。でも、それを口にしたところで何かが好転するとも思えないし、黙っている他ないよな……。
「そういえば、どうしてキンググリズリーに追いかけられていたの?」
「俺たち、向こうで弱い魔物を狩りつつ薬草の採取をしてたんだけど、そこに急に現れて……」
「生息域がそこまで遠くないのはわかっていたんだけど……でも、こっちから何か不用意な真似をしたわけでもないのに」
不測の事態というのは、残念ながら常に起こりうる。おそらく、縄張り争いに負けた個体が外をさ迷い、運悪く彼らが遭遇してしまった、ということなのだろう。
「急に現れたあの熊の魔物、キンググリズリー? に、私がやられてしまって……やっぱり、強い魔物だったんですよね?」
「メンバー構成にもよるけど、ある程度手強い魔物なのは確かだと思う。さっきギルドで見た限り、たしかCランク扱いになっていたはずだ」
「し、Cランク……」
僕の言葉に、彼らは絶句してしまった。どうしよう、間を持たせなければ。
「よ、弱い個体で助かったよ。本来出ない場所にいる魔物は、だいたいそこから出るはめになるだけの理由があるから」
「あれで、弱い個体なんだね……」
「俺らが普段狩ってるの、フォレストラットとか、ときどき珍しいグレートテンだもんな……」
あ、あれ? おかしいな。さらに重い空気が固定化されてつつある気が……何か無難な話題はないか?
「い、いつ頃から冒険者を?」
「え? ……ああ、だいたいだけど、ここにいる三人では半年ぐらいかな。そう言えば名乗ってなかったか。俺はデイヴィ。君は?」
「ショーティ。今日が初めて」
僕が名乗った名前に、ソフィアが不思議そうな顔をする。
「あの、つかぬことをお聞きしますが、ショーティが名前なんですか?」
「名前がないから、パン売りのおじさんが付けてくれたアダ名を登録するときの名前にした」
「そ、そう……い、いい名前ね」
あれ、駄目な感じか……? 僕としては、売れ残りを恵んでくれたり、ぶっきらぼうながら暖かい言葉をかけてくれた彼へ感謝を込めて選んだつもりなんだけど……。
「そ、それはそうと、ショーティさっき強かったな。いったい、どこであそこまでの剣を研いてきたんだ?」
「ど、独学、かな……」
小さな頃に他の兄弟たちと家庭教師の手解きを受けていたけど、こっちでは孤児なので適当にごまかしておこう。
「独学であれだけ……あんな恐ろしい魔物を簡単に倒してしまうだなんて、まるであの伝説の勇者様のようね」
いや、あいつの剣は凄すぎてまるで参考にならない。奴に比べたら、僕の技など単なる児戯である。
「そんなに凄かったんですか?」
「ああ、あの熊の片足を切り飛ばしたかと思いきや、次の瞬間には心臓を一突きだからな。うちの副部長ですら、あんな鮮やかには倒せなかったろう」
「そんなにですか……そのうえ、治癒魔法も使えるなんて、年下とはとても思えません」
口調から察するに、あの副部長は想像通り末端の冒険者たちからも慕われているようだ。おそらくギルドの自体、あの人で持っているようなものなのかも知れない。
「そうだなあ。俺らなんかと違って、すぐ上に登り詰めて行くんだろうな」
「『私たち、あの有名人に助けられたのよ』って、自慢できるわね」
彼らの冒険者らしくない言葉に違和感を感じた僕は、さりげない感じを装いながらこう尋ねた。
「三人は、どうして冒険者になったの?」
「……行く場所がなかったから、かな」
少しの間のあと、彼が重い口振りで話し出す。
「もともと、俺らは農民だったんだけど、いちいち種を買わなきゃならなくなったり、他国から入ってくる安い作物に押されて生活が苦しくなって。食えない水飲みどころか、しまいには受け継いだはずの農地も失っちまったんだ」
「私もデイヴィたちも、親は働き過ぎて倒れたまま、ろくに医者にもかかれず死んでしまって……売られたり、肥え太った地主の奴隷になるぐらいならって、三人で村を出たの」
「でも、こっちへ来てからも上手くいかなくて……本当はもう何人か、こっちで知り合った人たちがいたんですけど。でも、私たちには学がないので、今はこの仕事を続けるしか……」
昔だって、夢を求めて冒険者に。なんて謳い文句は眉唾扱いで、ある種の棄民政策的な側面は間違いなくあった。
それでも、ここまで活気を失ってはいなかったし、若い連中の大半は、例えその言葉の裏付けなどなくとも、功績を積みいずれは貴族になると言った大言壮語を吐いていたものだった。
それが、僅か八十年でこうも変わってしまうとは……主要都市の衰退も含め、状況は相当悪くなっているようだ。
◇
門の少し手前で降り、街に戻ってギルドへ向かう途中、デイヴィがにこやかに言った。
「今日は本当にありがとう。おかげでみんな助かったし、凄い剣技も見せて貰えた。これ、上手く剥ぎ取れなかったけど」
手渡された袋の中を覗くと、そこにはキンググリズリーの毛皮や爪、牙、肝に魔石などが入っていた。
「治癒魔法を使ってもらったぶん、これで足りるかわからないけど……まだ足りないようなら、分割になっちゃうけど必ず払う。だから待っててくれ」
「……今日の君たちの猟果は?」
確認すると、彼はおどけたように肩を竦めて見せる。目だけは、疲労の滲む色の薄いものだった。
「逃げてる途中、どこかに落として来ちまった。まあ、自業自得ってやつだ。大人しく違約金を払うさ」
その際に支払う金は、きっとなけなしのものなのだろう。僕は無意識のうちに、渡された袋を押し返していた。
「これ、あげるよ。売れば依頼未達成の違約金を帳消しにしても、それなりのお釣りが返ってくるはずだ。その金で、三人とも少し休んだらいい」
「え、でも……」
当然、子供にだって見栄はあるだろう。しかし、誰がどう見たってこの状況、彼らは喉から手が出るほど欲しいこのキンググリズリーの素材を、痩せ我慢で僕へ感謝の形として渡そうとしているのである。
「治癒魔法で治した妹さんだけでなく、二人も相当疲れてるように見える。危険な仕事なんだから、休息を取ったうえで装備を整えたらいい」
「で、ですが、ここまでしていただいて……せめて治療代だけでも——」
「それも必要ない。俺は自分で魔物を狩れるから、治癒魔法で金稼ぎをしようとは思わない。いざお代を貰う段になったとしても、今お金を持っていない人たちに払って貰うなんてことは絶対したくない」
であれば、ここで大人としてするべきことはきっぱりと断ることだ。彼らは恥じ入るかも知れないが、それは決して恥ではない。
発展途上の子供に助けが必要なのは当たり前だし、こんな子たちが自己責任だの自業自得などという言葉で自身の不自由を許容する状況こそおかしいのだ。
「正直、私たちもお金は必要だし、その……ショーティ君と私たちとで、山分けなら」
「わかった。じゃあ、ギルドへ行こうか」
中へ入ってカウンターへ向かうと、気づいた先ほどの受付嬢が笑いかけてくれた。
「あら、おかえりなさい。お友達ができたの?」
「おかげさまで。狩ってきた素材が少し多いのですが、どこに置いたらいいですか?」
「じゃあ、そっちのほうにお願いできるかな」
促されたスペースへ、収納魔法から出したレッサーボアを放り出していく。受付のお姉さんは、感心した様子でそれを見ていた。
「収納魔法も使えるんだね。久々に見たな……」
前世でも使える人間は全体の数割だったとは言え、久々なのか……キンググリズリークラスのそこまで弱くもない魔物ならともかく、レッサーボア程度では魔道具以外の袋などで運ぶと、血の臭いから他の魔物が寄って来やすい。
もちろん、それを狙って集まってくる魔物を狩る方法もある。しかし、衛生面や安全性から考えてみても、使えるならせめて収納用の魔道具を使ったほうがよいのだが……。
「討伐対象の魔物二十匹、たしかに確認しました。ご苦労様。でも、次からはもう少しセーブしてね。慣れるまでは安全第一で」
「はい、わかりました」
「うん。いい返事。報酬はこちらだから、確認してね」
受け取った額は、あくせく働く日雇い代を軽く十倍は超えていた。まあ、あれは身分証なしでも働けるうえ、麻薬を運んだりしなくてもいい仕事だから安いのは当然なんだけど……この額だって、前世に比べればだいぶ安くなってるし。
「じゃあ、次はデイヴィさんたちの番ですね。薬草の採取とフォレストラット狩り、もうだいぶ慣れてきましたか?」
「あ、あの……」
やや後ろめたそうな顔の三人が出した袋を受け取ると、お姉さんは中身の確認をはじめる。
「お、なんでしょう。グレートテンとかですか? イタチ系の魔物は、毛皮が売れるので実入りがいいんですよね。おめでとうござい——」
そこまで言って、彼女は少しの間、完全に沈黙した。それから少しあと、やや肌を粟立たせながら爪を取り出した。
「あ、あの……これはなんでしょう。フォレストラットとも、グレートテンとも違いますよね……?」
「それ……キンググリズリーのです」
「キング、グリズリーの……副部長! ちょっと来てくれますか!」
歯切れの悪い報告を受けた受付のお姉さんは、ようやく思考が追いついたのか後方へ指示を仰ぐ。
「騒々しいな、どうしたんだ」
「こ、これ。キンググリズリーを、あの子たちが狩ったと……」
まだ動転した様子の受付嬢を尻目に、やや目付きを鋭くしながら副部長は彼ら三人を見る。
「こいつを、お前たちが?」
「は、はい……はぐれに襲われたところを、運よく……」
最後まで聞くこともなく、もう一度袋の中を見たあと、彼はソフィアの装備を見やる。
「手酷くやられているな。傷はないのか」
「えっ!? は、はい。運よく、装備だけで済みました……」
不意に、副部長の虎のような眼光が僕へ向けられた。とりあえず平静を装いはするが、まあ、当然疑われるよな……せめてお姉さんの呼ぶ相手が、あの試験官だったらごまかし様もあったろうが。
「……実績を稼ぎたいのかも知れんが、嘘はいかんな。偶然死んでいるところを見つけ、素材だけ剥いできた。そうだな?」
「え、あの……」
唐突な展開に置いてけぼりになった彼らを無視して、副部長は一人続ける。
「だがまあ、横取りでもしていない限りは、原則的に素材は見つけた者の物だ。買い取りに関してはは受け付けよう」
「そ、その……本来受けたはずの依頼を失敗してしまいましたので、違約金を引いていただけると……」
「ちゃんと計算しといてやるから安心しろ。牙に爪に、毛皮に胆にと……」
少しあと、彼らの手には、多くの金貨が渡っていた。
「こ、こいつはすげぇや……」
「こんなにたくさんの金貨、初めて見たわ……」
「なんだか、一生ぶんの幸運を使い果たした気分です……」
三人が放心状態の間、副部長に襟首を掴まれた僕は詰問の眼差しを受けていた。
「おい、俺はくれぐれも、無理をするなと言ったはずだが」
「い、いや。本当にはぐれだそうで、彼らが連れて来ちゃったんですよ。そうなったらもう、やるしかないじゃないですか」
宙吊りにされたまま答えると、彼は少し唸ったあと、僕を壁にかけられた地図の前に吊るす。
「どこからのはぐれだ」
「ええと、彼らの逃げてきた方向が北で、本来受けていた依頼の薬草が生えている場所から推測すると……おそらく、ここではないかと」
指したのは、前世の頃もキンググリズリーがよく出没していた場所だ。とは言え、おかしいな。森の面積が、少し狭まっているように見えるが……。
「あの、以前古い地図を目にする機会があったのですが、平地が増えてませんか?」
「ん? ああ、他国の商業ギルドが入ってきて、伐採しやがるんだ」
「えっ、駄目でしょそんなの。国で取り締まらないんですか?」
「その国が商人どもの言いなりで規制を取っ払って、平気で法まで変えちまってんだ。おかげでこっちは迷惑してるってのに、どいつもこいつも目先の金に目が眩んだ奴らばかりだよ」
信じられない。そんな暴挙がどんな悪影響を生むか、その結果を考えられないわけではないだろうに……。
「……そんな深刻そうな顔をするな。子供にする話じゃなかったかもな。なに、最悪俺らがどうにかするから、お前らは心配するな」
副部長は、僕を元気づけようと似合わない笑みを形作って見せる。そのまま降ろされた僕は、待ってくれていたらしい三人と合流した。
「副部長と、なんの話をしてたんだ?」
「はぐれについて、少し」
デイヴィが、ふぅんと返事をする中、ハーティが僕へ金貨を差し出して来た。
「これ、ショーティのぶんよ。今日のこと、心から感謝するわ」
しかし、渡されたそれは全体の半分であった。僕は受け取ったそれをさらに半分にし、彼女へ返す。
「山分けの約束だろ。これで四等分。均等だ」
「え、でも私たち、なにもしていないのに……」
「キンググリズリーの解体をしてくれただろ。立派な仕事じゃないか」
「つ、連れていくのは当然でしょっ。私たちが巻き込んじゃったんだし、解体だってお礼のためであって——」
まだ言葉を続けようとするハーティへ、僕は有無を言わさぬ口調で強引に金貨を握らせた。
「四の五の言わない。山分けっていうのは、こういうことなんだ。そもそも、みんなと出会わなきゃこの金だって手に入らなかったんだから、運がよかったと思って黙って受け取ってくれ」
たしかに、この金があれば、早く自分の装備を整えて借りた剣も試験官を務めた彼に返すことができる。
だが、彼だって形見の品だと言っても、そんな理由で早く返されたって素直には喜べないだろう。
「……じゃあ、このあと時間あるか? せめて飯ぐらいは奢らせてくれ」
ここが落としどころだろう。僕は頷き、四人で温かい食事を取りながら情報を提供し合った。
僕は小さな子供が知っていても不自然でない範囲で彼らの質問に答え、彼らは僕に八十年経った世界の常識や一般的な感覚を、雑談の中で教えてくれた。
ちなみに、帰りにパン売りのおじさんと会い、いつも通りいくつか買った僕に合わせ彼らも一つずつ買って噛ったのだが、総じて微妙な顔をしていた。これ、そこまで美味しくないのだろうか……。
◇
「ヴァーダントウルフが四匹! 行くぞ!」
「おう!」
それからほどなくして、僕はデイヴィたち三人とともに依頼を受けるようになった。
ギルド側から、非常時を考えるとソロでの依頼はなるべく避けて欲しい受けないというアドバイスがあり、ちょうど顔見知りになった縁もあってパーティーを組むよう勧められたのだ。
当初は遠慮のあった彼らではあったが、三人とも気のいい奴らということもあり、お互い打ち解けるのは早かった。
小規模な群れと会敵した僕らパーティーは、まず僕が前へ飛び出して魔物を切りつけていく。なるべく手数を多くし、奴らに僕個人への敵愾心を強く抱かせる。
もちろん突っ込む際、スピードや前から掛ける圧力を損なわないようにしながら、敵の進行方向を限定することも忘れてはならない。
一匹、また一匹と倒していくが、三匹目を相手にしているうちに、僕との戦闘を避けた個体が、後方の三人へと流れてしまっていた。
「来たぞ! 二人とも!」
「もう、わかってるわよ!」
「はい! やりましょう!」
今回迎え撃つのは、ヴァーダントウルフと対面する側の三角形の頂点に位置するハーティとソフィアの二人。デイヴィは二人と間隔を保ちながら、どちらかに何かがあってもすぐ代わりに入れるよう、サポートに回る。
「他のは全部ショーティが仕留めた! 他の魔物の乱入もない! 残るはそいつだけだ!」
「了解! 私が止めるから、その隙に!」
「わかりました! お願いします!」
三人は声をかけ合いながら、じりじりとヴァーダントウルフを追い詰めていく。
目の前に二人を相手取り、さらにその後方からは、もう一人が隙を見せれば飛び出して来る状況。好き放題に相手を蹂躙できないヴァーダントウルフは、次第に傷つき、疲弊していく。
そこへハーティが、果敢に体ごとぶつけるような斬撃を浴びせに行く。致命傷は避けたものの、行動の自由を制限されたヴァーダントウルフに、ソフィアが見舞う止めの一撃を避ける術はなかった。
「お疲れさま。なかなか板についてきたね」
「ありがとうございます。ショーティさんが教えて下さるおかげです」
「まあ、一緒に組んでる以上は私たちもちゃんと仕事しなきゃね」
嬉しそうに頭を下げるソフィアと、得意気に胸を反らすハーティ。そんな中で、今回は後方に回り戦闘の機会も得られなかったデイヴィが一人ごちる。
「もっとも、後ろのときは相変わらず自分も行きたくなっちまうけど」
この三人の中では、デイヴィが一番強い。それだけに、直接戦闘に加われないこともあるのは、内心歯痒いのだろう。
「でも、この戦い方に変えてから、傷を受けることもめっきり減りましたね」
「ヴァーダントウルフ相手ぐらいなら、三人で滅多打ちでも構わないんだけど、こっちのほうが多少時間はかかっても安定するんだ」
「そうね。それにデイヴィとの二人組だと、あんたがすぐに倒しちゃうからあまり練習にならないし」
「べ、別に不満があるわけじゃねぇよ。ショーティと組んですぐの頃の俺たちじゃ、ヴァーダントウルフなんてとても相手にできなかったんだし」
魔物を倒すと、その魔物の持っていた魔力を、その魔物が脅威を感じた者から順に多く得られる。当然それが低くとも、その場にいれば大なり小なりその仕組みの影響は受けるもので、それまではイタチやネズミの魔物を狩っていたらしい三人も着実に力を付けつつあった。
「まあ、士気を高めて全員で突撃以外にも、こういう引き出しを持っておくことは決して無駄にならないから。それに乱戦に陥ったら、嫌でも全員で戦うはめになるよ」
「ぞ、ぞっとしないな……」
「大丈夫。そうなるのを避けるために、数を意識すればいい。自分たちと相手の力量差はどれぐらいか。状態がもたらす変化は何か。地形や天候のような変動する条件が、それにどんな影響を与えるか。それらを鑑みたうえで、誰がどの敵につくか、または自由を与えるのか」
有利な状況を自分たちで作り出すこともあるだろうし、互いに有利、もしくは不利な状況だとしても、結果的にこちらの利が多いならそれを採用することもある。
「今は形式的にやっているけど、いずれは臨機応変に対面する相手とミスマッチが起きないよう、適した者が対面することにもなる。その選定も、全体で共有する狙いによって変わってくる」
早期決着か、持久戦か。火力を重視するとしても、それをどのタイミングでどのような形で発揮するか。やり方はいくらでもあるし、力量差が激しい場合は、割り切ったやり方だって選ぶ必要がある。
例えば、前世の魔王相手の戦いで僕が死ぬことになったのも、長丁場の戦闘により疲弊した味方のうちの一人が、不用意なタイミングで使ってしまった大技による戦況の破綻を避けるためだった。
最近でも、この未熟な体でキンググリズリー相手に戦った際は、負傷者を抱えた子供たちがいる後方へ通すことはできない以上、リスクを承知で一気にカタをつける必要があった。
もっとも、キンググリズリーごときに本気を出さなければならぬほど落ちぶれてしまったことは、僕にとって結構ショックなことなのだけど……。
「勝負をするときは、常に相手がいる。だからこそ、この差し引きには繊細な注意が必要だし、それを鑑みる際には極力固定概念を取り払ったフラットな視野が必要になる。今の練習は、その下地作りっで、それを容易にする方法のうちの一つが、数を意識するってことなんだ」
つい長々と冗長な話をしてしまい、内心しまったと思いながら三人の顔を見回したが、幸運なことに呆れ返った素振りを見せているものはいなかった。今度からは、気をつけよう。
「難しいな……俺ら、算術とか習ってないから」
「い、家の手伝いが忙しくて、学校なんて行けませんでしたもんね」
「その学校も、通える範囲のはいつの間にかなくなっちゃうし。ご厚意で教えに回ってた元教師の方も、私たちが小さなうちに亡くなられちゃったのよね」
えぇ……敵の総大将をどうにか討ち取って戦いに勝利したのに、なんで平和の中でここまでの文明崩壊が起きるんだよ。未来の世界では、底辺層の救済が進んで文化レベルも底上げされ、学校ぐらいは誰もが行ける世の中になると思ってたのに……。
「だ、大丈夫か、ショーティ」
「……ああ、平気平気。とにかく、根気強くやってれば、そのうち自然とわかるようになるよ」
例えば僕自身、兄弟たちの中で学はもっともないと自認するが、こと戦闘面に限ってはドルイドの中で随一という評価を得ていたし、前世でパーティーを組んでいた盗賊の子も、読み書きや計算はできていなかったが体感的には深く理解していた。
故にパーティー内の年少者に属しながら、斥候から撹乱、囮に強襲と、彼女は戦闘をスムーズに進めるうえで欠かせない存在であった。もう勇者同様死んでしまっていることだろうけど、幸せな余生を送っていたなら嬉しいいなあ。
逆に、これ以上ない学歴を持っていても、状況を考えず最大限の結果ばかり求めてしまったり、そもそも長けている分野が実務ではなく政治力だった、というタイプも多い。
結局のところ、それに必要性を感じ、どれだけ関心を持てるかというのも、技術や知識と同じぐらい重要なのだろう。
そういう意味で、この三人は非常に飲み込みが早く貪欲だ。必要は発明の母という言葉を改めて実感させられる。
「それにしても、ショーティさんって……」
ふと視線を感じ三人へ目を向けると、彼らは一様に狐につままれたような顔で僕を見ていた。
「え、な、なに?」
「その……ときどき凄く、年齢不相応なことを話しはじめるわよね」
「どっちが年上か、わかんねぇな……」
「せ、正確な年齢はわからないけど、みんなより年下だと思うよ? あ、僕ちょっとトイレ」
ごまかそうと子供らしいことを言うと、小さな笑いが起こった。
「まったく、そういうところは子供だよな」
「仕方ないじゃない。ぱっと見た感じじゃ、まだ十歳にもなってなさそうだし」
「一人でできますか? あまり遠くには行かないよう気をつけて下さいね?」
「うんー! すぐ戻ってくるからー!」
危ないところだった。まさか前世の記憶がある、なんて仮に喋っても一顧だにされず、『面白ェわ。やっぱりショーティの話は面白ェわ』と笑われるだけかも知れない。それでも、不用意な言動はなるべく慎むようにしよう。そう自省しながら、僕は小便のふりを少しの間続けた。
◇
「四人とも、Eランク昇格です。おめでとうございます」
帰ってギルドで依頼の達成を報告すると、受付のお姉さんに明るい声で祝われた。
「ふふん。Fになってからずっとそのままだったけど、遂に昇格できたわ」
「はい、これからは、Dランクの依頼も受けられるようになりましたね」
「ヴァーダントウルフも、そろそろ安定して倒せるようになってきたしな。次の割のいい魔物は……って、ショーティ、お前ももっと喜べよ」
「いや、喜んでるよ」
昔だったら、達成報酬にしろ素材の買い取り代にしろ、もっと高い金になったのに。そんな不服も、みんなが喜ぶ姿を見ていると和らいでくるのが不思議だ。
「こういうときは、もっとパーッと喜ぶもんだろ。今回の昇格の立役者はお前なんだからな」
「そうね、普通は倒す前段階、狙った獲物を見つけるだけでも、結構時間がかかるものだし」
「解体や運搬も、収納魔法のおかげで手間もリスクもなくなっちゃいましたものね。おかげで多くの依頼をこなせるようになりました」
逆に言えば、これらの要素を確保できない冒険者たちは、その日暮らしを強いられるということになる。
ただでさえ、害獣である魔物の処理や、それらがうろつく外での採取は危険が伴う。食うや食わずで装備やポーションなどの備品をケチれば、少しの不運が死へ直結してしまうことだろう。今組んでいる三人も、出会ったあの日は乞食だった僕と大差のない格好をしていた。
どうせ魔物か盗賊の手にかかるような開拓村に口減らしで送り込まれる開拓民同様、冒険者も棄民政策の一環という流れは、実際前世の頃からあった。
しかし、ここまで露骨だった記憶はない。今の彼らに羽振りのよさはほとんど見られず、現に僕らですら、金が貯まる速度は遅々たるものなのだ。別に僕は金の亡者というわけではないが、あまりに対価に見合っていない。
◇
「お、Eランクになったか。みんなおめでとう」
内心思いを巡らせていると、あのときの試験官が人好きする笑みを讃えながら僕らを祝福してくれる。よい機会だと思い、僕は借りていた短剣を取り出した。
「ありがとうございます。このお借りしていた短剣のおかげで、懐に自分の武器を買えるだけの余裕もできました」
「おっ、それはよかった! 親父もきっと喜んでる……へえ、随分丁寧に手入れしてくれてたんだな。不思議と、渡したときより状態がいいように見えるぐらいだ」
「返す日のために、準備していました」
実際、剣の状態は彼の言う通りだ。日々の狩りや修練によって魔力操作も向上しつつあり、最近は整備の質も単純な手作業で行っていた頃より上がりつつある。
初日に拾った剣も、このおかげで十分実用に足るレベルにまで武器としての機能を取り戻していた。もっとも、形見の品というだけあって当初手にした時点でもとくに問題はなかったのだけれど。
「まったく、律儀な奴だな。その年齢であれだけ強い理由もわかるよ」
彼に頭を下げ、僕らは街へ出た。向かう先は、武器や防具など装備を扱う店だ。
◇
その店は、他国にある大きな生産ギルド(もう少し詳しく。前世の出来事と絡めて)の出張所だった。もとは○○(地名)の歴史ある店の建物だったのだが、統合されてしまったらしい。かつて賑わっていた様子を知るものとしては、少し寂しくも感じる。
「この剣、ちょっと試してみようかな。値段も手頃だし」
「私も、少し革鎧がヘタってきちゃって……もともと大きさも合ってなかったし」
「この靴、足首まできちんと守ってくれてるのに、とっても軽いです!」
みんなが手に取った装備は、どれも質のいいものばかりだ。決して高性能というわけではないが、このレベルのものを山積みになるレベルで量産できるというのは、前世では考えられないことであった。
ただ、気になるのはその安さだった。かつてに比べれば、その値段自体は高い。しかし、この剣や防具などの性能からすると、少し安過ぎるのだ。別に、高ければいいというものでもないが……。
「ショーティ、お前は何を選ぶんだ? って……なんだそりゃ」
僕がとりあえず手に取ったものを見て、デイヴィは呆れた顔を向けてきた。
「え、戦斧だけど……」
「いや、それは知ってるよ。なんでそんなもん買おうとしてんだ?」
「せっかく剣の腕があるのに、わざわざ戦斧なんて宝の持ち腐れよ」
「あっちにのほうに、よく斬れそうな剣がありましたよ? まずはそちらを試してみませんか?」
続く二人も、それぞれやんわりと違うものを選ぶよう促してくる。どうやら、僕に戦斧は合わないと考えているようだ。
一応、剣や槍、杖も使えないことはないが……やはり手に馴染むのは戦斧である。もちろん、状況によって武器は使い分けるものだが、基本は戦斧だったし、最期のときもそれは同じだった。
「こっちのほうが得意だよ。ほら」
開けた場所で、今の小さな体でも澱みなく振れるところを実演して見せる。左右問わずスムーズに扱える様子に、三人は少し黙り込んでしまった。
「それだけ使えるなら、まあ……いいんじゃないか?」
「剣や魔法だけでなく、戦斧まで長けてるのね……」
「最終的に決めるのは、ショーティさんですし。と言うか、ショーティさんなら剣以外でも敵なしって感じですよね」
「そんなことはないぞ。剣なんか上手い奴に比べたら素人同然だったし、この戦斧でだって敵わなかった奴らもいた」
単純な技量だけなら前衛を務めるドワーフの○○にも負けなかったが、それでも純粋な格闘能力だけで言えば軍配は彼に上がったことだろう。最期の魔王も筆舌に尽くし難い強さで、命と引き換えにパーティーの体勢を建て直す時間を稼ぐので精一杯だった。○○に関しては、種族の寿命の面では問題なく生きていることだろう。機会があれば会いたいものだ。
「と、とても信じられねぇけど……ショーティが言うなら、きっとそうなんだろうな」
「ショーティが敵わないなら、当然副ギルド長でも無理ってことよね……そんな相手、どれだけいるのかしら……」
「スケールが大きすぎて、ちょっと想像できないです……まるで、勇者様たちの物語みたいですね」
実際にそうなんだけど、僕以外にも味方が大勢死んでまで残した未来がこの有り様というのは、寂しいものがある。
「これ買ったあと何か食べたら、少し弱めの魔物でも狩りに行かない?」
「そうだな。まだ夜まで時間もあるし、これの慣らしにもちょうどよさそうだ」
残る二人の合意も得られ、その後僕らはFランク相当の魔物を数時間狩り続けた。この程度の相手でも、開拓民や十分な護衛を雇えない旅の者には脅威となってしまう。
既にEランク昇格済みということもあり、ほぼ実績にはならないし、あまり人が受けたがらない依頼だったこともあって達成報酬も割に合っているとは言い難い。
それでも、今はできることからだ。数十年ぶりに握る戦斧の感触を確かめながら、僕らは害獣駆除に勤しんだ。
◇
昼間で眠っていたのは、別に休みを怠惰に送ろうと思ったから、というだけの理由ではない。昨夜パーティーを組む三人のため、小さなサイズで重さも変わらないまま多くの荷物を運べる魔道具、マジックバックを夜なべして作っていたのだ。
収納魔法自体も教えてはいるのだが、三人とも始めたばかりということもあり、まだまだ時間がかかりそうだ。僕自身も何かあったときの保険として持っておきたいと思っていたところに、材料となる素材も集まったのでよい機会になった。
空が白みはじめた頃、防犯機能の確認も済ませたところで、眠気も限界となり寝具へ潜り込んだ。前世の記憶があるだけに、正直出来栄えには不満しかない。
しかし……寝惚けた頭で目頭を揉みながら見た感じ、現時点で作れるものとしては、これが限界だろう。あとでもう少しまともなものを渡すつもりとは言え、果たして、喜んでもらえるだろうか。
その後僕は、顔を洗い身支度を済ませ、買い置きしておいたおじさんのパンを齧りながら、食事を摂りに部屋を出る。
他国の資本というのは気になるが、安く肉や野菜の量も多い店で腹ごしらえを膨らませると、街を回りながら依頼をこなすうえで必要な備品を補充して回った。
こういったことは、あの三人から一任してもらっている。一応、事前に確認は取っているのだが、今のところ難色どころか嫌な顔一つされたことがない。
せいぜい説明を求められるぐらいだが、それも話せば納得してくれる。この関係性をいつまで維持できるかはわからないが、普通はなかなかできないことだ。
「あ、ショーティだ。おーい」
そんなことを考えていたからか、不意に三人とばったり出会した。
「こんにちは、ショーティさん」
「何してるのかしら、買い物?」
「ちょっとパーティーの○○費で備品を買ってるんだ。みんなは?」
尋ねると、デイヴィはとくに含むところもない様子で教えてくれる。
「休みだし、いろいろ冷やかして回ってるよ。一緒に行くか?」
僕は彼と、その横にいる二人へ目を向け、しばしの間考え込んでしまった。……前から思っていたことだけど、デイヴィに対するハーティとソフィアの距離、どうにも近すぎるように感じる。
まあ、ハーティに関してはデイヴィを想っているであろうことがハッキリ見て取れるので、かつて勇者を横目に見ていたように「おアツいですね」で済む。
だがしかし、妹さんのソフィアも、それに張り合っているのかと思うほど近い。別に現時点ではギスギスしたり不仲な印象こそないものの、ことデイヴィのこととなると、二人の間に妙な間を感じることは一度や二度ではなかった。
そんなこともあってか、今も左右から腕を絡められ歩く姿は、まさに両手に華。別にガキ相手に不貞腐れるほどは子供じゃないし、その二人からも幼い外見からか邪険にされている様子こそないものの、どうしても気兼ねしてしまう。
「ごめん。もう少し回るところがあるから、今日は遠慮しておくよ」
「そっか。じゃあ、次は一緒に遊ぼうな」
嫌な顔一つせず言う彼へ、僕は収納魔法からマジックバックを三つ取り出した。
「これ、マジックバック。もしよかったら使ってみて」
「おっ、マジか!? サンキューな!」
「収納魔法の練習、まだまだかかりそうなのよね……ありがとう、ショーティ」
「いつも助かります。大事に使わせていただきますね」
無事喜んでくれた三人の背へ、僕は安堵しながら手を振った。それにしても、やはりソフィアはデイヴィに対して近い。表情も喜んだり残念がったりとコロコロ変わるし、やっぱりそういうことなのだろうか。
用事を済ませつつ、小腹が空くたびにそこへパンを詰め込みながら思い返す。うちの妹は、あんな子犬がじゃれつくようではなかったな。
もちろん、あいつは僕のことを相当気にかけてくれてたけど、あれは面倒事ばかり起こす世話の焼ける兄、というニュアンスだったように感じる。母親が違うぶん、見た目からしてクールで大人びた奴だっただけに、余計そんな印象が深く残っている。
大規模な戦争はないとは言え、格差が拡大し荒んでいったであろうこの世界で、あいつはいったいどんな生涯を送ったのだろう。
まだ生きている可能性もゼロではないが、生きて帰るという約束を守れなかった身としては、会いたいような後ろめたいような、複雑な気持ちだ。
僕が死んだと聞いて、怒っただろうか。悲しんだろうか。こんな気持ちがおこがましいぐらい、何も感じることも僕を思い返す暇もなく、幸せな生を送ってくれていたらと願わずにはいられない。
まあ、生活が困窮するほど追い込まれたということはなかったろう。なにせ実家は、親父が生臭で有名なドルイドの家だったんだから。仲間に託した遺言も、全く反故にされてしまったとは思わないし。
そこに関してのみは安心しながら、僕は最後の用事を済ませに、観光客向けのパンを売るおじさんのもとへ向かった。
「パン欲しいんだけど」
「これ吸い終わるまで、離れたとこで待ってろ」
見つけた不景気そうな顔へ向けて言うと、おじさんはタバコを吹かしながら、僕を遠ざけるよう手首を外側へ返す仕草を二度した。
待つことしばらく。路地から出てきた彼に手渡される、売れ残ってしまったパンの数を数え、お代を少し多めに払う。
「冒険者になって景気がいいみたいだな。でもこれ、計算間違えてるぞ」
「黙っておけばいいのに」
「ばか野郎。人間正直さを失ったらおしまいだぞ」
いやおじさん、あんたヤクザに払うみかじめ以外は、ろくな許可や資格も取らずにこれ作って売ってるんじゃないの?
そう思いながらも、黙って鬱積混じりの説教を聞き流し続ける。パンを入れた袋の詰まり具合から察するに、売れ行きは決して芳しくないようだ。
「はあ、観光客相手のしのぎも、そろそろ潮時かもな。疫病が流行るたびに、街もがらんどうだし。これじゃ糊口を凌ぐので手一杯だ」
「読み書きに計算もできるんだから、そっち行ったら?」
「ハッ、ヤクザどもの勘定なんかやった暁には、どっかの路地で冷たくなって転がってるとこだろうよ。まともなとこも、こんなオヤジは用なしだ」
体の調子が悪くないのは良いが、こんな調子じゃ生きて行けねぇわ。存外カラリとした調子で笑って見せる彼へ、僕は金の入ったマジックバックを押しつけた。
「な、なんだよ、これ」
「パンの先払い代。こいつでしばらく作ってよ。袋はマジックバックになってて、防犯機能もついてるから——」
「えっ、こ、これ、どうしたんだ!」
「マジックバックのこと……? 作ったんだけど」
まあ、本来は僕の予備用だったのだが、この程度の出来で構わないならすぐ別のを作れるし、この人にはお世話になってきたのだから。
「作ったぁ!?」
おじさんは素っ頓狂な声を上げ、渡したそれを取り落としかけた。まあ、この人は三人と違って、僕がある程度戦えることも知らない以上、この反応も当然——。
「お、お前、なんてことしてんだ!」
いきなり肩を揺すられながら唾を飛ばす勢いで言われ、思わず動転する。
「あの、俺何かやっちゃいましたかね……?」
「これをどう作ったかはさて置いても、許可なく魔道具を作製し所持することは違法になってるんだよ!」
なっ……なんだってェー!!
「このことが知れたら、罰金で決して少なくない金を持ってかれるんだ」
「い、いやでも、この程度で違法とか言ってたら、そこら中で捕まってる人だらけでしょっ」
「だから今も、年寄りなんかがこっそり使ってたせいで、しょっ引かれたりしてるんだ。お前は孤児で子供だから知らなくても仕方ないかも知れねぇが、魔道具や魔法薬を売り捌きたい連中のゴリ押しでこの法ができたときなんか、それはもう偉いことになってたんだからな」
まさか、そこまで馬鹿げた悪法がまかり通る世の中になっていたなんて、そんな……そんっ……。
「ち、ちなみにこれ、容量はどれぐらいなんだ?」
「容量って……使った素材や魔石の質からして、精々数百キロ程度だけど……」
僕の言葉に、堪らずと言った様子でおじさんは目を見開きながら絶句した。
「……いいか? こんなもんは絶対人前で出すな。依頼で外に出たときにでも、適当な見つからない場所にでも埋めちまえっ。じゃねえと、いったいいくらブン取られるはめになるか……」
今のおじさんの言葉で、思わず背筋に冷たいものを感じてしまう。馬鹿な僕でも、ようやく事の重大さに気づいた。
「ど、どうしよう。これ、一緒に仕事してる仲間にもあげちゃったんだけど……」
「何人だ!」
「さ、三人……」
「この前俺のパンを買って不味そうな顔しやがった連中で合ってるな? 行くぞ!」
舌打ちのあと、おじさんは不格好な走り方で路地を飛び出した。
「もっと早く知ってれば……」
「そんなこと言ってる場合か! 無駄口叩いてる暇があったら、さっさとあいつら探しに行くぞ!」
後を追う僕に言いながら既に息が上がってるおじさんへ、こっそり治癒や身体強化の魔法を使ってやる。
「俺はこっち行くから、お前は向こうを探せ!」
「わかった! 店冷やかして回るって言ってたから、そっちはお願い!」
多少まともな足取りになったおじさんへ頷き、捜索がはじまる。もし三人に何か起きてしまっていたなら、僕が責任を取って弁済しなければならない。
こんなとき、かつてのように祖霊たちを召喚できたなら、今のように駆けずり回らずともすぐ見つけられるのに。そう歯噛みしながら走っている中、偶然ギルドで働く試験官と受付嬢に出会った。
「お、ショーティじゃないか」
「どうしたの? そんなに慌てて」
僕の姿を目にした途端、張り付くようだった二人の距離が自然な位置までスッと空く。やっぱりアベック……いや、今はそんなこと、どうでもいい。
「デイヴィたちを探してるんだけど、見ませんでした!?」
「あいつらなら、これから晩飯だって言ってたぞ」
「さっき会ったばかりだから、まだそこまで遠くには行ってないはずよ」
「ありがとうございます!」
礼を言って二人と別れてから、いくつか心当たりのある店を回っていると、ほどなくして少し値の張る店で三人を見つけることができた。
「みんなっ、大丈夫か!」
「ど、どうしたんだよショーティ」
「急に飛び込んできて、大丈夫かって……いったい何があったの?」
「実は……」
食事中の彼らは一様に、渡したマジックバックを下げてはいるものの、別段トラブルに巻き込まれたわけではなさそうだ。
説明しようとするも息が上がっていたため咳き込んでしまい、未熟な体に苛立つ僕へ、ソフィアがコップを差し出してくれる。
「これ、飲んで下さい。汗もこのタオルで」
「あ、ありがとう……」
何か柑橘系の果実を絞った、冷たく甘い飲み物を一息に飲み込む。それで一心地ついた気分になっていると、ハーティが空いた椅子に座らせてくれ、汗を拭いてくれた。デイヴィも手で扇いで、風を送ってくれている。
「で、そんなに血相変えて何があったんだ?」
「実は……」
声を潜めて先ほど聞いた話を伝えると、三人は一様に顔を引き吊らせ、青い顔をしていた。
「マジかよ……魔道具って、許可なく持っちゃ駄目だったのか……」
「みんな、本当にごめん。俺の確認不足で、とんでもないことになるとこだった」
謝る僕を責める声はない。むしろ気遣わしげに、元気出せよと励ましの言葉がかけられた。
「まあ、仕方ないでしょ。ショーティは少し前まで孤児だったんだし、私たちもそんなの知る機会なかったんだし」
「その、たしかな情報なんですか?」
「ああ。この前みんなでパンを買ったあのおじさん、元はこの街の下級役人だったらしいから」
「あー……あのパンの……」
「パンの出来はさておき、悪そうな人ではなかったしな」
みんな、意外と言っては失礼だけど、結構舌が肥えているのか? そこまで不味いものでもないだろうに……。
「まあ、そう言うことなら、こいつは残念だけど封印だな」
「そうね。きっとこれは、収納魔法の練習に打ち込めってことなのよ」
「ですが、どうしますか? 隠すにしても、私たちには持ち家がありませんし……」
おじさんは、外へ出たとき適当なところに埋めて来いって言ってたけど……あの口ぶりから察するに、おそらく今の時代においては、この程度のマジックバックでも一定の価値を持つのだろう。
おいそれと使用こそできないものの、捨ててしまうのも惜しい。幸い、この程度の魔道具であれば、収納魔法の中へ納めていても然したる影響はない。それに、万が一埋めている様子を見られた場合、トラブルに巻き込まれる可能性もある。
「勿体ないから、しばらくは俺の収納魔法に入れておこうかと思ってるんだけど、どうかな?」
「そいつがいい。せっかく作ったのに、勿体ないもんな」
あっさり了承を得られたので、三人から受け取ったマジックバックを預かることになった。また使う日まで、しばしの間、眠って貰おう。
そう安堵していたところ、いきなり後ろから平手で頭を叩かれた。驚きながら振り返ると、そこには大粒の汗を流しながら顔を真っ赤にしたおじさんが息を切らしている。
「お前! 人のこと散々駆けずり回らせといてこの!」
「あ……ごめん。すっかり忘れてた」
その後、僕らは四人で食事を楽しんだ。おじさんは最初のうちこそ、唇を尖らせいじけていたが、勝手に料理や酒を頼んで皿を押しつけると、仕方なさそうに席に着く。
帰りの勘定で目を剥くおじさんのお代は僕が払い、酔った彼を家まで送ってその日はお開きとなった。今回の騒動は、この人のおかげで大事にならずに済んだのだ。
「ありがとう、おじさん。おやすみ」
薄汚れた毛布をかけてやり、イビキをかく彼へそう告げて部屋を出る。明日からの狩りで金を貯め、もう少しマシそうな寝具でも用意してやろう。
◇
その後も、僕らは順調に依頼をこなし、ランクをEからDへと上げた。これは近年では最速と言っていい昇格記録らしい。
まあ、人生二周目というアドバンテージがあるからね。当然と言えば当然でしょう。そんな僕とは裏腹に、三人は嬉々とした様子で、新たに受けられる依頼の数々を眺めている。
「おい、見ろよ。さすがにDランクの依頼ともなると、凄く割がいいぞ」
「本当ね……この依頼なんて、Eランクだった頃と難易度的には変わらないのに、報酬がかなり割り増しになってるわ」
「さっきギルドに来ていた商人さんから勧められた依頼書なのですが、こちらは移動の馬車代から依頼中の魔法薬の無償提供、さらには装備の破損や負傷への補償まであります。至れり尽くせりですね……」
しかし僕は、顔を綻ばせる仲間たちと一緒に喜ぶことはできなかった。たしかにEランクの依頼よりはマシだが、それもこれまでが買い叩かれ過ぎていたからであり、Dランク依頼の報酬は決して高いものではない。
ソフィアが渡されたらしい依頼書など、単に買い叩かれるだけな二人の持つものと比べ話にもならない。回復薬も量やその質は見てみるまでわからないうえ、最悪安全性に問題がある場合もある。
装備などの補償も、よく見れば細かく払わずに済む、もしくは微々たる額で済ませるための但し書きが、執念とも言うべき強欲さを感じさせるほど、わかりにくくびっしりと書かれていた。
まだ幼さを残すうえ経験も浅く、読み書きが不得手なうえに昇格したばかりで浮かれたところを狙われたのだろう。こんな右も左もわかっていないような子供を騙すなんて、やはり商人には恥知らずが多い。
館内を見回し、おそらくソフィアが言っていた人物であろう、薄笑いを浮かべた身なりのよい男を睨み付ける。こちらの視線に気づいた彼は一瞬笑みを引きつらせたあと、足早にギルドから姿を消した。あとで信用できそうな職員に報告しておこう。
「なあショーティ、お前はどれがいいと思う?」
「ん? そうだな……これとこれ、それに、この辺りが無難なところじゃないか?」
僕が選んだ依頼書を見た三人は、一様に怪訝そうな顔を向けてくる。
「難易度以外は、これまでと大差のない依頼ばっかだな……こっちのほうがいいんじゃないか?」
「慣れた依頼を続けるのも悪くないと思うけど、私もそう思うわ。でも……」
「ショーティさんのことですから、何か理由があるんですよね?」
頷きながら、僕は三人にこの依頼を選んだ理由をかいつまんで説明する。
「なるほどな……素材の買い取り料までは、まだ調べてなかったよ」
「ショーティは魔物のことも詳しいわよね。戦ううえでの与し易さも考慮してるし」
「下のほうに書いてある文章にまで、気が回っていなくて……すいません。危うくみんなに不利益を被らせるところでした」
ソフィアが青い顔で謝るも、それは仕方のない話だ。前世の頃も、読み書きができない、または苦手な相手を文面で誤解させたり、手続きの際に不慣れな人間の落ち度になるような方法で不当な労働を強いる、そんな悪どい依頼主は大勢いた。
「人の妹になんて真似を……そいつ、絶対許せねぇ」
「ソフィア、気にすることないわよ。私たちもいい勉強になったわ」
「このあとギルド側にも報告しておくから大丈夫。この依頼書は、さすがに目に余るものがあるし」
みんなでソフィアを慰めながら、僕は時代の変化を思わずにはいられなかった。ギルドの中にはいくつかではあるが、僕らが悪質な依頼を受けなかったことに残念そうな顔をした者がいたのだ。
◇
別に前世の頃だって、冒険者が親切で人情味のある者ばかり、などと言うことはなかった。小さな諍いから刃傷沙汰なんてしょっちゅうだったし、今のように他人の不幸を喜ぶ者たちだって少なからず見受けられた。
それでも、ふざけた依頼を持ち込む者には、ならず者なりの警告。そしてそれでも改めなかった場合には、制裁が加えられていた。
自由には責任が伴うとは言え、それでも他に道なき者たちということもあってか、相互扶助の精神を持った者は多かった。
また、一人が受けた侮辱が、やがては冒険者全体への扱いの悪さに繋がる。そんな懸念もある程度は共有されており、暴力を肯定するわけではないが報復に打って出ることも多々あったものだ。
もっとも、Dランクにまで上がってもこんな報酬では、他人に構う余裕などとても持てないのかも知れない。一目で荒っぽい気性だとわかるような者も随分と減ってしまったこともあり、買い叩かれているとわかっても仕方なく依頼を受けてしまうのだろう。
また、冒険者を扱う側であるギルド職員たちの対応も、ほとんどは随分と素っ気ない。聞けば非正規なる上前を跳ねられるせいで芳しくない待遇を余儀なくされている者たちらしい。給金や雇用条件などで露骨に差を付けられていれば、その仕事へのやりがいや熱意だって当然失せていくのも当然だろう。
今より少し前、その傾向へ反発したギルド職員や冒険者たちが暴動を起こしたこともあったそうだ。しかしそれも鎮圧されてからは、より一層介入も強引になったのだと言う。トップが政商などと癒着し言いなりになっていることも、かつての狼藉や蛮行スレスレな有り様を知っているだけに信じられない思いだ。
また、街を見ても、近所付き合いのような中間共同体が破壊されてしまったように感じる。それはたしかに、ある種の息苦しさや束縛を伴うものではある。僕も度を越した介入は嫌いだし、故郷にいた頃はよく辟易させられたものだ。
『依頼主への感謝、そして仕事がある有り難さを忘れず、なにより自分自身を成長させるために今日も一日元気な笑顔で~』
そんな現支部長の文字が書かれた貼り紙を流し見て、溜め息を吐く。それでも、ここまで足元を見られ買い叩かれるぐらいなら、群れの中で多少の不自由を飲み込む生活のほうがマシなのではないだろうか。そう思わずにはいられない、今の世の中の現状であった。
◇
さて、記憶を取り戻す前まで浮浪児だった僕だが、その頃は生きていく手段として乞食をしていた。
他の子供たちと集まって座り、観光客などへ何かをくれと物乞いをしていると、一定数哀れを催した者が立ち止まって小銭を恵んでくれる。
無論集まった金は、その日の最後に元締めのヤクザ者が回収し、僕らには餓えを凌ぐ程度しか残らない。それでも、何の知恵も技術も持っていない子供たちにとっては、これが最も無難な生き延びる術であった。
そのうち体が大きくなると、荷運びなどで日銭を稼ぐようになるのだが、中には先が見えない苦しさから、道を外れてしまう者も現れる。具体的に言うと、窃盗、強盗、売春、美人局などだ。
観光客たちは異国ということもあり浮き足立っていて、このご時世でも他国へ遊びに行けるような懐に余裕のある層ということもあってか、警戒心の薄い者が多い。
この辺に住む人間にとってはカモ同然なうえ、ましてや子供相手に猥褻なことをしに来たともなれば、詰め所に駆け込まれる可能性も大幅に低くなる。
当然リスクは大きいが、そのぶん得られる金額は、上手くやれば真面目に汗をかくよりずっと大きい。となれば、手を染めてしまう人間がいるのも仕方ないことであった。
そんなある日のこと。依頼を終え、三人と別れ寝床へ向かう途中、僕は懐かしい声を耳にした。
「ショーティよねっ。ちょっといい?」
声の主へ視線を向け、その人物が誰であるかを思い出すまで、少し時間がかかった。彼女は僕が見知ったボロを纏う小汚ない姿と違い、派手だが丈が短く露出の多い服を着ていたからだ。
「えっ、ポーラ……?」
「来て欲しいの。ウィルが大変で」
酷い化粧をした彼女の様子に逼迫した状況を察した僕は、警戒しながらも即座に頷き、駆け出すポーラの後ろをついて走った。
「大変って、怪我や病気でもしたの?」
「その……美人局で引っ掛けようとした男に、刺されたの。凄く血が出て、早くしないと間に合わないっ」
二人は、僕がかつて物乞いをしていたときの顔見知りだった。別に仲がよかった、というわけでもなかったが、ときおり情報交換をしたり、人拐いや面白半分に僕らへ暴力を振るう連中から身を守るため、適度に近い距離感で過ごす程度の交流はあった。
「ウィル! まだ平気!?」
すえた臭気が立ち込める懐かしい路地裏へ向かうと、そこにはすっかり生気を失ったウィルが横たわっていた。
「ねえ、私よ、しっかりしてっ」
ポーラの呼び掛けにウィルは微かな反応を見せるが、しかしそれに応えるだけの余裕は既になかった。彼もまた、以前と違いまともな服を着ていたが、それも大量の血を吸って赤黒く台無しになっている。
「お願いショーティ、あとで必ず返すから、医者に見てもらうためのお金を貸して」
「その状態じゃ、連れていくまでとても持たないよ。ちょっとどいて」
「じゃあどうしろって言うのよ! 自分が冒険者として上手くいくようになったら、私たちの命なんてどうでもいいの!?」
「いいからどけっ、ちゃんと看せろ!」
乱心したポーラを脇に追いやり、僕は血溜まりに膝をついて治癒魔法を行使した。傷が深かく、また細菌でも既に入り込んでしまったのか、今の技量では一度で治しきれない。
以前から弱い魔物を倒し続けてきたソフィアを治したときと違い、ウィルは街から出たことすらないであろうことも理由のうちの一つだろう。
それでも、死ぬ寸前という事態からはやや遠ざかった。未だ出血を続けながらも目を開けた彼は、嗄れた声で僕の名を呼んだ。
「ショーティ……」
「これを飲め。回服薬だ」
まだ駆け出しの三人と違い、前世での経験がある僕はポーションを使う機会がない。それでも万が一に備え欠かさず持ってはいるのだが、あまりに長期間使わずにいると瓶へ入れていても劣化は免れない。
「ウソ……ショーティが魔法を……」
「ちょうどいい。これを傷口にゆっくりかけてやってくれ」
一本目を飲ませ終えた僕は、彼女へ収納魔法から出した瓶を一つ手渡すと、さらにもう一本を飲ませにかかった。ある程度は生命力が戻ってきたのだろう。飲み込むペースも多少は覚束ないものから生きる意思を感じさせる調子に変わりつつある。
容態が落ち着いたので、最後に浄化の呪術で体内に入ってしまった細菌と衣服や周囲に付着した血液を処理し、僕は一先ずの治療を終えた。
「すまん、ショーティ。助かった」
「ああ、うん。いいよ」
一命を取り止めたウィルからの礼は、どこかトーンの重いものだった。
「その、さっきはごめんなさい。私、ショーティが薬を持ってるなんて知らなくて……ちゃ、ちゃんと返すから——」
「いや、別に構わないよ。金ない人に借金させようとか思ってないから」
「でも……」
「あの、ショーティ。俺らもいいか?」
背後から聞こえてきた声に振り返れば、そこには他の子供たちが集まっていた。顔見知りは、半数程度だろうか。
「どっか悪いの?」
「俺は右目が、もうほとんど見えなくて……」
「私はその、お腹が……」
各々の訴えに合わせ、魔力や薬で対処していく。時折不穏な気配を醸すものには目で牽制を入れながら、一人一人へ対処していった。ドルイドは神官の法術と違い、基本的に欠損までは治してやれないが……それでも、何もしないよりはマシだろう。
その後一人一人へ食事代を渡して別れ、やはり跡をつけようとする誰かを労せず振り払ってから、僕は彼らについて考えていた。
悪事自体は決して肯定できないとは言え、そもそもまともに食っていく手段が現状ないのだ。二束三文の肉体労働でも、死亡事故や後遺症が残る怪我を負う例は数知れない。
中には、浮浪児からでも苦学して一廉の人物となる者もいるだろう。しかし、その極一握りが讃えられる中で、どれほどの人間が無惨な人生を送っているのかを思えば、到底基準にはなりえない成功例だ。
僕にしたって、前世では特権階級であるドルイドの家で生まれ育った。仮に乞食としての知識しかなかった場合、果たして今頃どうなっていただろうか。
盗みなどに手を染めずとも、上手くいかない人生の中で苛立ちを募らせ、やがては暴力へと走っていた可能性もゼロではない。つまり、他人事ではないのだ。
格差が拡大するほどに、力を持った者の社会的責任は強まり、それを果たさなければ世界は不安定化の一途を辿る。今の僕に、いったい何ができることだろう。
◇
「東地区の教会なら、力を貸してくれるかもな」
おじさんへ相談すると、少し考え込んだのち、そんな返答があった。
「あそこは街の中央教会と違って、小さいが貧困層の支援や職の斡旋なんかも、俺が役人の試験に受かる前から継続的に取り組んでる。もっとも、底が抜けちまった近年じゃ、炊き出しをするにも資金難に喘いでるって話だが……」
ということは、ある程度まとまった金を包めば、話もスムーズに進められそうだな。
「相談に乗ってくれてありがとう。助かったよ」
「いいけどよ……お前も立派になったなあ。食い意地張ってた痩せっぽっちのショーティが、仲間のために一肌脱ぐってんだから」
「相対的に上の力を持った人間が、それを全体のために使うのは本来当然のことだよ」
とくに考えもせず口から出た言葉だったが、おじさんは何か思うところがあったようで、短い沈黙ののち、誰に向けるでもない様子でこう呟いた。
「お前みたいな考えのまま大人になった奴が偉くなってりゃ、もう少しマシな世の中なんだろうがな」
それは買い被り過ぎだ。前世で知識層や富裕層を相手に、タカ派扱いで散々煙たがられた僕の姿を知られたなら、きっとおじさんも幻滅してしまうだろう。
状況にもよるのだろうが、本当に世の中をよい方向へ持っていけるのは、僕の妹のような本来の意味で中庸の精神を持った奴なのだと思う。僕のように粗忽な男では、役不足だ。
◇
僕がこの体で最初に仕止めた魔物、キンググリズリーは、現在Bランクに位置付けられた魔物である。
もっとも、その上にはAやAA、AAAと続き、果てにはSなんかもあるので、全体で見ればさして強い魔物でもないのだが……一般の冒険者にとっては間違いなくリスクの大きな獲物であり、討伐依頼を受けるにもそれなりのランクが求められる。
それでも、請け負う資格を満たさないDランクだろうと、素材を売るのは自由だ。そして今この辺りでは、魔素の流れや魔力災害のリスクも考えない伐採や魔道具の破棄などのせいで、キンググリズリーの出没数が随分と増えている。
あれから魔物を狩り続ける日々の中で僕も多少は強くなり、今なら金になる素材を痛めずに狩れるだろう。そして今日もみんなは予定があるらしく、時間を自由に使える。つまり——。
「キンググリズリー狩りだぜ」
握っているのは、初日に拾った短剣。持っている武器の中では、もっとも素材を痛めずに済みそうなそれを携えながらの宣言からはじまった狩猟は、まさしく快調そのものであった。
なにせ、目撃報告があった地点を中心に魔力反応を調べると、これがもう出るわ出るわ。開始一時間にして、なんと十頭に到達してしまったのだから。
こんなに数がいるのなら、本来出没しないはずのエリアにまで個体が流れてきてしまうのも当然というものである。他の冒険者や旅人、流通で日々馬車に揺られる人々の安全のため、狩り尽くすぐらいの気持ちで徹底的にやろう。
その後もペースは落ちることなく、キンググリズリーどもは次々と僕に殺され、その身をギルドでの加工によって素材と変えるまでの間、収納魔法のスペースへと放り込まれる。尊い命を頂いているのだ。余すことなく活用してやらねば、バチが当たるというものである。
途中、偶然にも他の冒険者グループとも遭遇してしまった。四人でパーティーを組んでいる彼らは、三匹のキンググリズリーを相手取っての応戦を繰り広げようとしていた。
「畜生っ、ふざけやがって! く、来るなら来い!」
「どうせ逃げられないなら、せめて一頭でも道連れにしてやる!」
移動しながらかつ、遠くからだったので声はよく聞こえなかったが、おそらく彼らもキンググリズリーを狙って狩りをしていたのだろう。
三匹のうちの一頭が、腹の底まで響くような唸り声を上げながら、鋭い爪を振り上げた。その無防備な背中側から、僕は魔力で強化した突きで心臓を刺し貫く。
「ぎ、ぎゃあああああッ——え……?」
急所に一撃を喰らい、絶命した巨体が地面を揺らしながら倒れると、目を丸くした四人の姿があらわになる。
このとき僕は、重大な失敗を犯してしまった。順調なペースで積み上がる猟果を前に調子に乗った結果、なんと迂闊なことにも、彼らの戦闘に乱入してしまったのだ。
彼らはみな一様に、それぞれ武器の構えも疎かにして、言葉を失いながら僕を凝視している。冒険者にとって、獲物の横取りはご法度。前世の知り合いには、手足の一本は落としてやらなければ気が済まないという者までいたほどだ。
どうしよう。僕だけならまだしも、下手をすると組んでいる三人にとばっちりが行く可能性まである。
とりあえず、非は完全に僕側にあるとして、まずは謝るためにもこの戦闘を終わらせなければならない。
「すいません。すぐ片付けますので」
小さく目礼したのち、僕は身を翻しながら残る二匹へ向かう。唐突に現れ、仲間のうちの一頭を屠った僕へ奴らは強い敵意を向けるが、しかし最初に四人を相手取っていたせいで位置取りが悪い。
挟撃を受けるどころか、ろくな反撃も許さないまま二頭を仕留め、そこに買い取りの際大きな値下げの原因になりかねない傷がないのを確認する。
そして問題がないことを確かめたのち、僕はそれを引き摺りつつ、待たせていた彼らへ近づいて行った。
「ひっ、ひぃっ!?」
「お待たせしました。これ、ほんの気持ちなのですが受け取って下さい」
「へ……?」
狩った獲物、もしくはそれに値する金品の譲渡。これはトラブルがあった際の手打ちとして、不手際を犯した側が最低限行わなければならないことである。他には……。
「あっ、ちょっと深い傷がありますね。少し見せて下さい」
前衛の冒険者の腕にある、肉が大きく抉れた痕を治癒魔法で治す。他にも、負傷が見当たり次第丁寧に治療していった。
「す、すげぇ。あれだけの傷が、一瞬で……」
「こ、この子、戦闘だけじゃなく回復まで桁外れなのか……」
少し驚きすぎな気がするが、たしかに前世の僕でも、少し前まで浮浪児だった少年が今僕のしていることを目の前で行って見せたなら感心することだろう。もっとも、実際には前世の記憶があるだけの話なのだが。
「では、俺はこれで」
彼らに怒っている様子がないことを確認し、僕は立ち去ることにした。
「あの、これ、本当にいいのか……?」
「はい。なんでしたら、もっと状態がいいものと交換でも……」
「い、いや、いいから! これで結構!」
「しゅ、収納魔法……しかもあんな馬鹿デカいキンググリズリーを、丸ごと一頭ぶち込んでるなんて……」
収納魔法から、これまで獲ったキンググリズリーを引き出したとき、相手が何故か慌てふためきながら強く固辞してきたので、礼を言って別れた。今の時代の冒険者たちが、穏和な人々で助かったなあ。
◇
「で、あのキンググリズリーの山はいったいどういうわけなんだ?」
ギルドに帰ったのち、キンググリズリーの素材を売っている際に、一頭目から館内の衆目を集めていたのが、二頭目も出したところから大騒ぎになり、しめて五十四頭を売り払った僕は副ギルド長から奥の部屋に呼び出しを食らった。
「その、どうしてもお金が必要で……」
この人にごまかしは通じない。そんな考えから正直に打ち明けると、彼は頭を抱えながら深く溜め息を吐いた。
「そんなことを聞いてるんじゃないんだがなあ……まあ、あれだけの数を単独討伐したともなれば、それは一先ず置いておくとして」
視線を上げた副ギルド長は、机の上に僕の方へ正面を向けた地図を広げる。
「狩ったのは、だいたいどの辺りだ」
「ええと……まず南西側のここと、ここ、それにもう一つ大きく出没しているところの三つから、奥へと進んで行きました」
僕が指差した場所を見て、彼は厳めしい顔をさらに強張らせる。
「他国の商会が伐採だの、大規模な魔道具の不法投棄をしていってる周辺だな。一度の戦闘から再遭遇まで、時間と距離の間隔は」
「割と頻繁だったので、かなり近いです。最初の一時間なんて、それだけで十頭も獲れました」
「そんなにもか。近いうちに、巻き狩りができればいいんだが……」
副ギルド長の表情からして、その実現には恐らく容易ではない問題があるのだろう。今この街にいる冒険者の力量、報酬などの必要経費。冒険者の命より目先の端金を選ぶあのギルド長が出すとは、とても思えなかった。
余所の街から呼ぶならさらに資金が必要なのだろうが、仮にも大都市のうちの一つであるこの街ですら層の薄さを感じずにはいられないのだ。果たして募集を出せたとしても、いったいどれだけの人数が集まることやら。
「あの、もしよかったら、俺がある程度減らしますけど……」
僕の提案に、しばし副ギルド長は渋い顔で沈黙する。
「……すまない。無理のない範囲で、頼めるか。俺も可能な限り、外に出てキンググリズリーを狩ろうと思う」
責任感の強い彼のことだ。まだほんの小さな子供の姿である僕に、まさしく断腸の思いなのだろう。僕は返事をする際、精一杯背筋を伸ばし表情を引き締めた。
「わかりました。精一杯努めさせていただきます」
◇
「おはよう、みんな」
「お、おう……おはよう、ショーティ」
翌日、いつものメンバーとギルドの待ち合わせ場所で会ったところ、どこかよそよそしい三人の態度が気になった。
「何かあったの?」
気まずい雰囲気に痺れを切らし、意を決して問いかけると、デイヴィは二人と目配せし合ったのち、消沈した様子でこう切り出してきた。
「あのさショーティ。昨日、一人でキンググリズリー狩りしてたんだよな?」
後ろの二人も、どこか心苦しそうな表情で顔を俯けている。
なるほど。たしかに僕らはパーティーを組んで仕事をしているのだし、分け前は等分というのも僕から言い出した話だ。それを僕が破ってしまったことに、当然三人とも思うところがあるのだろう。
金が貯まるのが遅くなってしまうが、決まりは決まりなのだから仕方がない。そう思いながら、収納魔法から昨日の報酬を取り出し三人へ分けようとしたとき、デイヴィたちは僕にとって思いも寄らぬことを口走った。
「ごめん。やっぱり俺ら、足手まといだったよな」
「へ……?」
「さっき他の冒険者から聞いたわ。昨日ショーティが、キンググリズリーを五十四頭も仕留めてきたって」
「わ、私たちがお世話になっていなければ、ショーティさんは本来多くの功績や報酬を得られていたんですよね」
沈鬱な雰囲気の中、デイヴィは必死に取り繕った笑みを讃えながら、無理に明るく宣言する。
「俺らのほうが年上なんだから、ショーティにおんぶに抱っこばかりじゃダメだよな。これからは気兼ねなく、思うままに力を発揮してくれ。俺らもショーティから教わったことを忘れず、自分たちで頑張っていくから」
「ちょ、ちょっと待って。違うから。昨日キンググリズリーを狩ったのは——」
◇
「そうだったのか……俺らてっきり、休みの日にショーティにとって本来適正な依頼を受けてたのかと……」
説明を終えると、デイヴィたちは深い溜め息を吐きながらも安堵の表情を浮かべる。
「ごめん。個人的な事情だったとは言え、相談もなしに……」
頭を下げる僕へ、三人は嫌な顔一つせず、むしろ賞賛の言葉まで送ってきた。
「謝ることなんてないわよ。昔の仲間のために支援をするなんて、立派なことじゃない」
こうも素直に受け取られると、分配の揉め事を予測してしまった自分が情けなくなってくる。子供たちって、素晴らしいなあ。そして大人になるということ は、汚ならしいことなのだなあ。
いや、同じ大人でも、おじさんや副ギルド長たちならこんな考えはしなかったかも知れないし、僕が汚れているだけなんだろうなあ。なんて自己嫌悪に陥っていると、さらにソフィアから予想だにもしていなかった提案を受けた。
「あの、ショーティさん。もしよろしければ、私たちにもお手伝いさせていただけませんか?」
「え?」
「そうだな。俺たちよりも小さな奴らまでそんな暮らしをしてるって言うのに、自分たちが食えるようになったからって知らん振りなんかできねぇよ」
「みんな……」
三人とも、実に気持ちのいい笑みを僕へ向けながら、実入りが減るというのに協力を申し出てくれる。どうやら僕は、相当友に恵まれたらしい。
「そうね。四人で力を合わせたほうが、早く資金も集まるわよ。さすがにショーティのように、キンググリズリーを倒すなんてことはできないけど」
「いや、もう三人とも、十分キンググリズリーを倒せると思うよ」
僕の返事に、なぜか三人は虚を突かれたような反応を見せる。
「へ……?」
「あ、あの、ショーティさん。今なんて……」
ああ、聞きそびれてしまったのか。それなら仕方ないな。たしかにギルド内は、早朝ということもあり今から依頼を受ける人たちでごった返している。
なぜか恐る恐ると言った様子で尋ね、そして固唾を飲んで答えを待つ三人へ、僕は晴れ晴れとした気持ちでこう返した。
「今日からは、キンググリズリー狩りの練習もはじめよう! 俺も手伝うから大丈夫! あんなの慣れてしまえば簡単だよ!」
◇
終始顔を引き吊らせ、無理だ危険よまだ無理ですと尻込みする三人を引き摺りながら、僕らはキンググリズリーの出没地点までやってきた。
「ほ、ほんとにやるのかよ……」
「その、もう少しランクを上げてからでも……私たちはまだ、Dランクになったばかりなんだし……」
「そ、そうですね。今キンググリズリーを狩っても、素材の買い取りしかして貰えないわけですから。なので、諦めて他の魔物を……」
「平気平気! ここは割と見晴らしがいいうえ他の魔物もあまり出てこないし、なにより迷い込んできた個体の目撃証言があっただけの場所だから」
ここに来るまでに何度も話した情報を改めて伝えたが、それでも三人の表情は青いままだ。
「こ、個体って言ったって、相手はあのキンググリズリーだろ?」
「たしかに弱すぎる魔物ではないけど、一定水準に達した冒険者がきちんと準備して臨めば、決して怖い相手じゃないよ」
「でもその、三人がかりとは言え私たちはまだDランクだし……これまで倒していた魔物だって、Eランク相応の魔物ばかりで」
「それは安全策以外にも動きを覚えるために選んでただけで、既にみんな、もっと強い魔物を倒せるだけの力は備わっていたんだよ」
「ま、またこの前のようにやられたらと思うと、正直足が震える思いなのですが……」
「あー……まあ、今回は俺がいるから、何か起きそうだったらすぐ割って入れるし。もし怪我しても、治癒魔法とか薬があるから大丈夫だよ」
まあ、最初は誰だって怖いものだ。僕とて前世でドルイドの修行を積んでいた際、小さな頃から棺にぶち込まれて埋められたり、粗末な小舟で海に放流されたときは酷く心細い思いをしたものだ。
一緒にドルイドを目指させられてた奴の中には、当然死んだ奴もいたし。あまりにも理不尽過ぎる体験だったなあ……。
まあ、僕の過去は置いておくとして、ともかく今必要なのは、意思に希望を宿すための成功体験。そして、それを可能にするための適切なステップだ。
「おっ、早速一頭目が来たみたいだぞ」
小さな呻き声とともに身構える三人のため、少し突出する形でキンググリズリーを待ち受ける。相手はすぐに僕を見つけ、まるで喜び勇んでいるかのようにこちらへかけて来た。
「顔を上げて! 俺を自分自身だと想像しながら、敵の動きをよく見てて!」
昨日狩り慣れたこともあり、敵の動きやその挙動は手に取るようにわかる。放たれる舌舐め擦りしながらの攻撃を、僕は全て捌き、避け続けていく。
「す、凄ぇ……あんな唸りを上げながら振り下ろされる爪を、掠ることもなく……」
「今は見るだけでいいから、このスピードに慣れること! まずは目と頭に刻み込むだけでいい!」
技術に任せ、あまり無茶な避け方をしてはならない。高すぎるハードルは挑む心を折ってしまう。自分でも練習すればできるかも知れない。そう思わせられないなら、手本を見せる意味がない。
時間が経つにつれ、いつしかキンググリズリーの動きは、疲労や攻撃が当たらない苛立ちから、目に見えて単調なものになっていく。
どれだけ大きく、力やスピードがあったとしても、所詮は同じ生き物。泣き所があれば、弱りもする。その様子を一通り見せ、恐怖心を和らげるのに役立って貰う。
そして僕は、仕上げに隙を見せたキンググリズリーの脇腹から、内部を深々と傷つける一突きを放った。苦しみながらの反撃も避け、さらに二度、三度と致命傷を与え、手足の間接や腱もそれぞれ破壊。目の前の個体は体を動かす機能を喪失し、戦う力も事実上失ってしまっている。
「じゃあ、止めといこうか。さあ、誰にする?」
「え、ショーティさんが最後までするんじゃないんですか?」
「もうこいつ、ほとんど動けないだろうからさ。斬ったり突いたりするとどんな感じなのか、体験したほうがいいと思うんだ」
さすがにそれは酷いと感じたのか、三人は尻込みしている。だが、少なくとも冒険者として狩りや、魔物が出没する地域での採取などをたつきの道として成り立たせていく以上、割り切る必要があることでもあった。
「死んでから試すのと違って、敵の反応や息遣いにも慣れるから好都合なんだ。さあ、早く楽にしてやろう」
「お、俺がやるよ……」
少し顔を引き吊らせながらも、デイヴィが前へ出る。強く緊張しながらもキンググリズリーへ近寄ると、かけ声とともに急所へ剣を突き立てた。
「やあっ!」
途端、キンググリズリーは痛みを逃さんばかりの断末魔を上げる。が、なかなか最期の時は訪れない。真に急所を貫けていないのだ。
「もっと力を込めて、普段通りに。いつも狩ってる魔物と違うのは強度だけだから」
再度突き立てられた剣により、ようやくキンググリズリーは動かなくなった。たった二突き繰り出しただけでも、汗だくで体を強張らせているデイヴィが目に見えて疲弊しているのがわかる。
「初めてなのに凄くよかったよ。二人が同じことを済ませるまでは、これでも飲んで休憩してて」
「あ、ああ……そうさせて貰うかな……」
少し覚束ない足取りで、デイヴィはやや離れた場所に腰を下ろす。仕方がない。これまで戦ったことがないようなレベルの相手と向き合うというのは、それだけでも強い抵抗や負荷、衝撃がかかってしまうものなのだ。
一撃目の突きだって、決してそこまで甘いものではなかった。普段相手にしている魔物であれば、十分絶命に至らせることが可能だったはずだ。
しかし、相手はそれより優に数段格上のキンググリズリー。毛皮は生半可な剣を弾き、しなやかな動きを実現させるその肉も、攻撃を通さないほどの硬さで内臓を守る。
実際、今ハーティやソフィアに気遣われている本人も、その差を痛感しているはずだ。無抵抗でほとんど死にかけの相手なのに、手間取ってしまった。これが実戦だったらと思えば、青くなるのも当然である。
しかし、以前と違い殺せない相手ではないということも理解できたはずだ。負傷者を背負い逃げるしか手がなかった当時と違い、日々の狩りで鍛えられているうえ、持っている得物も真っ当に武器と呼べるもの。顔を見れば、疲弊こそしていても消沈はしていない。名乗り出た際の、生堅くも腹を決めた瞳の意思は消えていない。
その後、現れるキンググリズリーを前に翻弄して見せては、最終的に弱らせたうえで三人に止めを刺させることを繰り返した。これは敵を知ることのみならず、魔物を倒した際に得られる力を少しでも多く得て貰うという意味もある。
ソフィアは一度殺されかけたことがあるからか、なかなか恐怖心が抜けない様子だったので、少し離れた場所に全員で移動してから、収納魔法の中の亡骸を解剖して見せた。
どう骨組みがあり、どう駆動する肉や筋が付き、それらの内側のどこに内臓があるのか。骨盤の大きさや前傾度、関節の可動域などを示しながら、具体的に長所と弱点がどう生み出されているのかを説明して以降、まだ手探りながらも剣を携え巨体へ向かって行けるようになりつつある。
状態を見ながらこれを五日間繰り返すと、三人とも緊張や疲労こそ見えるものの、見違えるほどキンググリズリーへの認識を変えてくれたのがわかる。今やかつての天敵は、トラウマではなく単なる獲物の一つと成り下がっていた。
◇
あとはもう時間もかからない。立ち回りを教え、少しずつ重傷度を弱めたキンググリズリーを倒させ続けて五日目。三人は万全な状態のキンググリズリーを、なんと自分たちの力だけで倒して見せたのだ。
「た、倒せた……」
「よく頑張った!」
そのまま、へたり込んでしまいそうな三人へ労いの言葉をかけて回る。
「き、キンググリズリーって、本当に私たちでもどうにかなるのね……」
「ちょっと危なかった気もしますけど……それに、三人がかりで結構時間もかかりましたし……」
「いや、初めてなのにかなりスムーズだったよ。連携が崩れて個々人の対応に迫られることなく、最後まで規律を持って戦えてたし」
正直、初めてなのだから失敗も考慮し、いつでも戦闘に加われるよう準備をしていたのだが、その警戒は全く無用。実に危なげないものであった。
「そりゃあ、既に練習のときから、緊張感が半端じゃなかったからな……」
たしかに、三人とも気を抜くことなく、互いに補完し合える位置取りを細かく修正しながら立ち回れていた。これができていたからこそ、ズレから生まれた穴をカバーするために後手へ回らず、単純な力で上回る相手へ攻めの姿勢を貫けたのだ。
「うん、よく集中できてた。この調子なら討伐までにかかる時間もどんどん短くなるし、一人で一頭倒せるようになる日も遠くないよ!」
「これを……一人で……」
なぜだろう。三人とも、目の焦点が合っていない……恐らく、少し疲れが溜まっているのだろう。キンググリズリーも倒せたことだし、何日か休みを与えリフレッシュしてもらうべきかも知れない。
それにしても、今回の三人の成長は大きい。キンググリズリーに対応できる戦力を少しでも増やしたい中で、僅か短期間で対象を仕止めるまでに至れたのだから。
◇
三人を街へ送り、幾許かの金とともに休みを勧めたあと、僕は狩りへと再出発する。これまでも消耗した彼らを帰したあとや、依頼を休む日などは単独で駆除を行っていた。
訓練に使っていたということもあり、三人に狩らせた亡骸は損壊も激しく、そこまでの金にはならない。
まだDランクで依頼の受注が叶わない僕らにとって、買い取りでしか収入にならない以上は状態のよい素材も確保する必要があった。また、危険で人が立ち入らないということもあり、割のよい薬草などが多く生えていたのも僕らの懐を潤してくれた。
幸いにも、副ギルド長のおかげでキンググリズリーの売価に関しては多少の色が付いている。出没スポットも、既に最も街道へ影響を及ぼしていたであろう場所を潰すところまできていた。これまで事実上一人でこなしていたことを考えれば、この小さな体にしては悪くないペースだろう。
あの若い三人も、恐怖心を克服し頑張って見せたのだ。ならば僕も、年上として彼ら以上に頑張らねば。そう意気込みながら、傷を少なく狩るための剣を握り仕上げを開始した。
一度森の奥まで行って大方狩り尽くし、あとは奴らにとっての難を逃れた、もしくは散り散りになった個体を始末すれば、この地点の駆除は完了だ。
かつてのように、祖霊たちを召喚できたなら索敵も容易に行えるのだが……残念ながら、この体になってからは未だに呼び出せていない。まだまだ力を取り戻す日は遠いのだろう。
あいつらがいたなら、探すどころか狩るところまで手伝ってくれたろうに。必要なときに力を借りられないなんて、人生とはままならないものである。
そんな思いで、逃げた痕跡や魔力反応を手がかりにキンググリズリーを仕留めていく途中、僕は魔物とは違う何かの存在を認知した。そして、それが人間の姿であることに泡を食った。
なぜここに人の姿が。今日のこの一帯は、狩りの仕上げをするので立ち入りを禁じて貰えるよう副ギルド長に頼んでいたのに。
そこへ、先ほど僕から逃れたことで荒れているキンググリズリーが向かう姿が見えた。気づいた冒険者は、思ったよりも落ち着いた様子で剣を構える。その姿は、いっそ無欲無心を通り越して、まるで既に半分あの世へ片足を踏み入れているかのようであった。
風を切って振り上げられた腕の下、がら空きとなった脇腹へ、死角から剣を突き入れる。上手く心臓を貫けたことで、敵の巨体は糸が切れたように大地を響かせながら倒れた。
そうしている間にも、闘争心の強い個体がいくつか現れる。僕は剣を引き抜き、下敷きになるのを避けつつ驚いた顔で僕を見る冒険者へ指示を出した。
「それは——」
「危ないから離れないで! 周囲を警戒しつつ異常があったら無理せず報告!」
返事も聞かず、やってきた新手へ向かう。無事始末を終え、付近にキンググリズリーがいないことを確認したのち、僕は待たせていた冒険者の元へ向かった。
「大丈夫ですか」
駆け寄り、様子を見てまずは一つ安堵する。幸いなことに、指示を守ってくれたのか無事のようだ。
しかし、目の前に虚ろな目で立つ冒険者は、返事をすることもなく佇んでいる。見れば、顔に目立つ傷痕のある彼女は酷く汚れた格好をしており、その体からも汗と脂が酸えた臭いが漂っている。
まるで精も根も尽き果てた幽鬼じみたその風体は、さながら負け戦の地獄から這う這うの体で帰還を果たした敗残兵のようであった。
「君のその剣……どこで手に入れたものだ……?」
冒険者が、不意に口を開く。敵意はあまり感じないが、どこか執心するような様子が窺える。
「おおよそ、このエリアで拾ったものですけど……」
収納魔法から地図を取り出し、おおよその位置を指し示す。覗き込んだ彼女は、しばしの沈黙のあと、やや生気が戻った表情を僕へ向けた。
「君が今持っているそれは、私の仲間の形見なんだ」
◇
「他の魔物の群れとの戦闘中に不意を突かれてしまい、気づけば運んでくれた仲間と街にいた」
彼女はエルシィというCランクの冒険者で、僕が冒険者になる少し前、キンググリズリーに襲われたのだそうだ。
「失ったのは、実の弟だった。私を背負った味方を逃がす時間を稼ぐために残り、そのまま行方知れずとなってしまったそうだ」
「そう、ですか……弟さん……」
動けるようになってすぐ、エルシィさんは残った仲間を探すため外へ出た。長引く捜索の打ち切りを提案された彼女は、仲間たちと別れ一人続行を選んだのだと言う。
「仲間たちの選択を咎めるつもりはない。だが、私は万に一つでも可能性が残っているなら、あの子の命を諦めたくなかった」
やがて彼女は、街へ帰還することもなく、昼夜問わず捜索に明け暮れた。正直、野営中に殺されなかっただけでも奇跡だろう。
「妄執と思うかい?」
自虐的に笑った顔の、歪みに合わせ形を変える傷が酷く痛々しいものと感じた。たしかに、冷静に考えれば一寸の余地も※なく愚行と切って捨てるものだろう。だが……。
「その……俺も妹いたんで。大切に想ってたんですよね」
僕への返事に、彼女は長い時間を要した。
「……ああ。優しい子だった。ともに取り潰された家を再興しようと、ずっと二人で励んで」
震えを抑えきれなくなった声はそのまま途切れ、僕は彼女の顔を見ないようにしながら手拭いを差し出す。聞き取れないほどの声で何かを口にしたあと、エルシィさんが受け取ったそれを目頭に押し付け肩を震わせた。
「……その剣を拾ったときの状況を、もう少し詳しく聞かせて貰えるだろうか」
しばらく経ち、落ち着いた様子の彼女に尋ねられた。言い澱んだ僕だったが、目の前の穏やか過ぎる表情を前にしては、重い口を開かざるを得なかった。
「拾った剣の周りには、人のものかはわかりませんが乾いた血の痕がありました。革鎧や衣類だったであろう破片も、いくつか散らばっていたと思います……」
「そうか」
エルシィさんの顔は柔和なままで、一瞬引き吊ることすらなかった。戦死者の身内の中には、こういった反応をする者も少なくなかった。深い心的外傷により心が麻痺してしまっているのかも知れない。
僕は黙って、形見の剣を差し出す。注視しながら見守ると、受け取った彼女は剣を抜き、その刀身を静かに眺める。
「……大切に使ってくれていたようだね。君のような子に使ってもらえて、弟もきっと喜んでいるよ」
「その、まだ小さい俺でも、凄く扱いやすかったです」
「あの子は、まだ剣の扱いに硬さがあったから……なるべく癖のないものをと思って、これを選んでやったんだ。筋自体は悪くなかったし、何より直向きだった」
力なく、エルシィさんは笑う。実に痛々しい口角の上げ方であった。
「まさか私自身の不注意で失うことになるとは。三つも下だったのに」
深い溜め息のあと、彼女の顔から表情が消える。虚無へ飲まれるエルシィさんへ、僕は静かに切り出した。
「今日はもう遅いので、俺も野営をしようと思います。手伝っていただけますか」
テントなどの道具自体は、Dランク昇格を機に既に用意していたものを使った。一応この辺りのキンググリズリーは大方倒せたものの、安心して火などを使えるよう、魔物避けの結界も張る。
「その年齢で、剣技だけでなく魔法にも長じているのか……しかし、これは見たことのない結界の張り方だな」
「こっちで言うところの、呪術ですからね。祖霊の力を借りて、外からこちらを認識できなくさせるんです」
魔王討伐の旅中、神官である○○も結界を張ることがあったが、そちらは法術という神の力を借り受け行使する……と、言われる類いのもので、そもそも根底にあるものが違うのだ。
彼女は異教徒である僕にも自然に接してくれたし、他のメンバーも行動をともにするうち、間にあった壁も自然と取り除かれた。
「そうなのか……こういった形のものは初めてだが、効果は同じようにあるようだな」
中には最後まで僕や異種族の仲間を異物として扱う者もいたが、エルシィさんらただ感心しながら頷くだけで、こういったものへの嫌悪感はないようだ。
「しかし、呪術に祖霊か。まるでかの英雄譚に登場する森呪使い、ゴヴァン・カークランドのようだな」
かつての名前が不意に飛び出し、僕は思わず熱さを確かめていたハーブティーを噴き出してしまった。
「ど、どうした。大丈夫か」
「い、いえ……変なところに入ってしまって。こちら、どうぞ」
カップを渡し、次に風呂の準備をする。こちらは魔道具によって湯を焚くもので、今生にて初めて目にした際には、技術の進歩に驚かされたものであった。
「そ、その。ゴヴァン・カークランドって有名なんですか?」
「もちろんだとも。棄民された民を捨て置けぬと身分を捨て出奔し、彼らを養いながら各地で賊徒の討伐に駆け回るのみならず、帰伏恭順までさせ彼らまで面倒を見た篤い義侠心。そして祖国に魔王の軍勢が侵攻すると知るや、一番に駆けつけ撃退に大きく貢献」
ほ、褒められ過ぎじゃないだろうか。前世の僕の評判と言えば、やれ不貞で生まれた忌子からはじまり、家名に泥を塗る粗忽者、ドルイドでありながら軍人の真似事をする恥晒し、役立たずな貧民の中で威張る居場所のない小物と散々な言われようだったのに……。
「その後討伐の決死隊に自ら名乗り出で、命と引き換えに魔王討伐の立役者となり、我々が生きる今の時代の礎となられたのだ。彼は異教徒かつ騎士でもないが、それでも我が家では勇者様たちと同様に賞賛されていたよ。彼が放浪時代、鍛え引き連れた私兵たちとともに賊から救った地域では、今でも大いに讃えられているそうだ」
まさか、騎士の家で英雄のような扱いをされるなんて……前世では全体で見れば折り合いが悪く、中には旅の妨害をしてくる奴らまでいたというのに。反乱の平定にしたって、余所者が出しゃばるなと決していい顔はされなかった。
もちろん、その土地にいる領民や降伏を選んでくれた賊からは、ささやかな感謝の言葉を受け取ることもあったし、彼らが大っぴらに僕や率いていた仲間たちを語り継いでくれることは非常にありがたい。
「あ、お風呂沸きましたよ」
「え、野営で風呂? その、入ってもいいのか……?」
「はい。一応着替えもありますので。これ、どうぞ」
エルシィさんはやや逡巡する様子を見せたものの、礼とともに簡単な幕の向こうへ移っていく。騎士たちの中にだって、心情はさておき協力的なグループもあり、さらにその一部には、僕の戦いに敬意を払ってくれる者たちもいた。
それでも、討伐隊に名乗り出た際に当初は難色を示され、全体的に見れば精々五分五分の評価でしかなかった僕がここまで英雄視されるなんて、あり得るだろうか?
考えるに、これは恐らく生還した仲間たちが、死んだ僕への手向けにと方々にて相当色をつけながら英雄譚に使えそうなエピソードを触れ回ってくれたのだろう。ほぼ気のいい奴らばかりだっただけに、これは十分考えられる話だ。
異教徒とは言え既に死んだ人間ということもあって、名誉自体を与えられたであろうことも想像がつく。絶望的な状況からの沸き立つ戦勝ムードに押されたのだろうということも、想像に難くない。
何より、あの理由は知らないが毎度のこと、死んだ人間が俗物や山師だろうと、さも十全な一廉の人物として扱い嘆き合う風潮が悪魔合体した結果が、この現代においての偉人化なのだろう。ゴヴァン・カークランドとしての生前微々たるものだった、この絶賛大好評の正体と見て違いない。
正直、そんなご立派な人間じゃないんだけどなあ。討伐隊入りだって、祖国防衛で大勢死んだ兵たちの弔い合戦というのが主な動機で、そもそも当初は生還も勝つことも考えられない状況だった。少人数で決死隊を組み敵の目を掻い潜って魔王のタマ取ってこい? 誰だよ計画立案した馬鹿は。そりゃ侵攻も許しますわ。
妹との約束も、結局果たせず仕舞いに終わってしまった。あいつ、僕の訃報を聞いたときに怒ってたかなあ。公私ともに、なんとも中途半端なものだよなあ……。
「その、すまない。何か拭くものはないだろうか……」
「え、あっ、すいません。忘れてました」
幕の向こうからの声で現実に引き戻され、決して内側を見ないように気をつけながら、そっと渡し損ねたタオルを差し入れる。そうして食事の用意に取り掛かっているうち、綿の衣類を身につけたエルシィさんが姿を見せた。
「お湯いただいたよ。ありがとう」
「い、いえ。あの、ご飯できたのでどうぞ」
一風呂浴び、さっぱりとした彼女から少し視線を反らしながら、鍋からスープをよそった椀を差し出す。パンも三つほど皿に乗せ、それも受け取ってもらった。
「世話になるね」
「いえ、お代わりもありますので」
僕も、自分の食事を用意して魔物の毛皮で作られた敷物に腰を下ろす。地面の冷たさを通さないそれは、横になればうっかり眠りこけてしまいそうな心地よさだ。
「眠いようなら、食べ終わったら先に休むといい。片付けぐらいは私でもできる」
「いえ、これぐらい大丈夫ですよ」
疲れでも溜まっているのだろうか。生まれ変われたことは幸運なのかも知れないが、めっきり体力が落ちてしまったな……。
「心配しなくていい。君の懸念は杞憂だよ」
綻ばせていた笑みを消し、硬くなった突き放すような口調は、果たして誰に向けたものか。黙って見ていると、エルシィさんは視線を外し重い溜め息を吐く。
「小さな子供のする目ではないな……本当だ。それは信じてくれ」
入浴と着替え、食事で気が緩んだのか、彼女の表情には色濃い疲労が浮かんでいる。それは少なくとも、最初に出会したあの虚無の顔や、澄み過ぎた微笑みよりは健全なものだろう。
「では、片付けたら休みましょう。何かあればわかるようにしてあるので、とりあえず今日は見張りも不要です」
精霊による認識阻害だけでなく、万が一に侵入者がやってきたとしても、魔道具が知らせてくれる二段構え。この辺りの魔物や賊がやってきても、対処自体は難しいものにはならないだろう。
「どうすれば、その年齢でそこまで強くなれるのやら」
尋ねられたわけでもないのだろうが、苦笑いで言われ言葉に詰まってしまった。何を隠そう、実は僕がゴヴァン・カークランドなんです! なんて言えるわけもない。
再び黙り込む僕に、エルシィさんは済まなそうな顔で笑いかけた。
「いや、聞かなかったことにしてくれ。冒険者同士詮索は無用だったな」
「そういうことにしてもらえると、助かります」
エルシィさんは鷹揚に頷く。それから僕らは、食事のあと簡単に武器を手入れし、後片付けのあとテントの中で床に就いた。
「俺たち、今浮浪児の世話のために金を集めてるんです」
「浮浪児と言うと、裏路地に住む孤児たちの?」
「はい。もともとは俺もそうで。協力してくれそうな教会も見つかりまして、それでもしよかったらなんですけど、僕らのパーティーに加わって、手伝っていただけませんか?」
報酬の分配は、パーティー全体でプールする額を抜いて山分け、武器や防具が破損した場合は補償有り。さらには、メンバーの大まかな情報や休みの頻度など、待遇の話を正直にしたのち、隣の寝袋に入っている彼女からの返答を待つ。
「……元のパーティーにも戻りづらいし、君のところへ行くのもいいかも知れないな。何より、君には大恩もある」
暗くて表情はよく見えないが、快活な調子でエルシィさんは口にした。
「既に拾った誰かに折られたり、最悪売られてしまったのではないかとも思っていただけに、弟の形見が、戻ってきた、だけ、でも」
途中から震えはじめた声は途切れ、何度か口を開いたのは見えたが、しかし音にはならないまま、テントの中に嗚咽が響きはじめる。
肩から上を寝袋から出して彼女の側へ寄り、胸を貸す。一瞬逡巡こそしたものの、エルシィさんは僕の首元へ額を押しつけるようにしながら、掠れ声で呟いた。
「すまない」
「気にしないで」
騎士という人種。取り分け、武人気質の高潔な者ほど、その内面に純粋さの裏返しとも言うべきデリケートな傷つきやすさを持っている。
前世でも、勇者として選ばれた○○や、ともに戦った騎士たち、地元の軍人の中の気骨がある奴らに、似た気質の者が多かったのを覚えている。
「あの子に常々、立派な騎士になりたいのなら人前で涙を見せるなと叱っておきながら」
「泣きたくなるだけの気持ちや出来事があったんだから、仕方ないですよ。責任を感じてしまって、辛いんですよね」
彼らはその自身を厳しく律する気高さ故に、しばしウェットな感情を引き摺り過ぎてしまい、中には廃人となってしまう者もいた。騎士の中の騎士と呼ぶべき者ほど、不器用なまでに頑なで、それ故に脆い。
「私が、家の名誉を一刻も早く取り戻そうと焦って、そのせいで大事な弟が、私を庇って死んで……っ」
もしかしたら、あのあと生還したみんなも、今のエルシィさんのような思いで余生を送る羽目になってしまったのだろうか。
もしそうだとすれば、あの状況では他に手段もなかったとは言え、随分申し訳ないことをしてしまったものだ。
「私が死ぬべきだった。不注意だった私が死ねばよかったのに。私が殺したのと同じだっ」
「それは違いますよ。常に集中し続けるなんて不可能ですし、不測の自体は常に起こり得ます」
「違う! 何も知らないくせに!」
「たしかに俺はそのときの状況を詳細に知っているわけではありませんが、どれだけ注意しようが全てのアクシデントを完全に防ぎきることは無理ですし、残酷にも偶然、エルシィさんがその当事者になってしまったというだけです」
僕の言葉に、エルシィさんは再び怒鳴り声で返すということもなく、荒い息を苦し気に繰り返す。途切れなく大粒の涙を溢し続けるその姿は、これまで抑圧され続けてきた本心が顕になったからなのだろう。
「ご自分を責める気持ちはわかります。俺も昔、自分の拙い判断のせいで信じて着いてきてくれた人たちを大勢死なせました。未だに自分を許す気になれていない。でも、後悔があるからこそ次に活かさなければならないんです。それは僕らにとっての責務です」
「責務……」
「今でも家名を背負っているあなたであれば、わかるはずです。自分を許せないのは当然だと思います。それは仕方がない。これから多少和らいだとしても、一生辛いままでしょう。でもその辛さを身をもって知るはめになったあなただからこそ、新たに誰かが同じ苦痛を感じることを防げるようになれるんです」
エルシィさんは困惑している様子だったが、それでも反感を買われたり、今言ったことを突っぱねられそうな気配はない。
「それで過去が変わるわけではないです。でも、それは間違いなく有意義なことです。弱き者を守るのが騎士道ですよね?」
少しの沈黙のあと、ぽつりぽつり、エルシィさんは語り出した。
「……私の家は長く領主に仕え、先の大戦でも多くの武勲を挙げた。しかし危機が去ると、強欲さに歯止めがかからなくなっていった豪商どもや、貴族、騎士として本来あるべき姿とは大きくかけ離れた連中が幅を効かせはじめた」
森の闇よりなお暗い瞳で、彼女の告発はその後も続いた。
「父も祖父も清廉で、野心など欠片もなかった。なのに連中は金や利権だけに留まらず、名声さえ得ようとし出した。そのために民からも慕われていた我々に、嘘八百の濡れ衣や不名誉な醜聞を過去に遡ってまで着せ、その扇動に煽られた者たちを抑えるためだと、我が家は実に呆気なく尻尾切りの憂き目に合った。武勇では負けなしだった父も、心ない中傷に堪えかね自害に追い込まれた」
「……家名を、教えていただいても」
「……○○家だ。今では真実を知るはずの者にさえ、仲間を見捨て逃げ出した卑怯者扱いだが」
もし記憶が正しければ、僕は彼女の祖父と会ったことがある。石頭ではあったが気骨という言葉をそのまま形にしたような男で、寡兵にも関わらず勇猛果敢に敵陣へ飛び込み活路を切り開くその姿は、まさに武人の鑑というべきものであった。そうか、この子はあの男のお孫さんなのか。
「△△の○○家で合ってますよね? あなた方が卑怯者ということはあり得ないと、俺が保証させていただきます」
起き上がり、姿勢を正して宣言する。じっと見つめてくる視線から目を逸らさずにいると、エルシィさんは溜め息のあと、どこか途方に暮れたような顔で言った。
「……不思議だな。会って一日の小さな子供の言葉だと言うのに、妙に心強い気持ちにさせられる。まるで、お祖父様と話していたときのようだ」
あまり話したことはなかったとは言え、人間としてのタイプは結構違ったように思えるけど……まあ、年代が近いせいなのだろう。
そう自分の中で納得しながら、僕は彼女へ右手を差し出した。
「明日の早朝に残りを狩り終えたら、街へ戻ります。そのとき仲間を紹介しますよ。これからよろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む。ところで、名前はなんだったかな」
僕のショーティーですという返事に一瞬怪訝そうな顔をしながらも、次の瞬間には莞爾と笑いながら握り返してくれた。頼りになりそうな人材が手に入ったな。
◇
街へ戻った僕は、エルシィさんへ当座の宿代や装備の買い換え、整備費用に生活費を渡した。
まだ三人から加入の了承を得ていないので、パーティー全体でプールしている金からは出せない。
当然僕のポケットマネーからであるが、その間エルシィさんは、基本的に自身の分け前の一割を返済に充てて貰う。もちろん、急に入り用となれば理由次第で猶予期間を設けることも考えている。
「別に、エルシィさんに夜逃げされるとかは思ってないですけどね。三人の了承が取れたなら、装備のお金もパーティーから出させて貰いますし」
「君たちが稼ぎの中から貯めた金だろう? まだ何の貢献もしていないうちは、自分で返すさ。借金も一割と言わず、すぐに完済して見せよう」
どうもこの人、無理をするのが当たり前みたいな悪癖があるみたいだな。昨日知り合ったばかりとは言え、理想を体現せねばと張り切り過ぎる子、おじさん心配である。
「いや、少しずつで構わないですよ。まずは再訓練期間なり休養なりを設けて、体を戻さないと」
「その日暮らしの冒険者は、普通再訓練などしないと思うが……」
「必要があるなら、そうするべきです。多少の余裕はありますので、気兼ねする必要はありません」
「心配症だな……まったく、その年齢で宥めるような口を利く」
半ば呆れ顔で笑うエルシィさんは、しかし僕の提案を受け入れ、数日間は骨を休めることに当てると約束する。そしてその間に、三人はエルシィさんの装備にパーティーの金を使うことを、快く了承してくれた。
「相談もなしだったのに、みんな本当にありがとう」
「もう気にするなよ。その人もこれから一人じゃ大変そうだし、困ったときはお互い様だ」
「ショーティが決めたことなら、誰も文句なんて言わないわよ。それに、元騎士の人なんて頼りになりそうだし」
「そうですよ。今日から一緒に依頼をこなすんですよね。どんなお方なのか、とっても楽しみです」
三人から返ってきたのは、実に気持ちのいい言葉だった。同じく理不尽に生業を続けられなくなった身でも、エルシィさんと違いどこか牧歌的な雰囲気が漂っている。
かつては彼らも仲間を失うはめに陥ったと語っていたが、この違いはなんだろう。それを考えはじめたとき、不意に僕らへ声がかけられた。
「すまない、待たせてしまった」
やってきたエルシィさんの姿に、ギルド内の半数以上の人間が目に見えた何かしらの反応を示す。今もまた、僕らのもとへ来るまでの間に、受付のお姉さんに声をかけられた。
「エルシィさん、帰ってきてくれたんですね! おかえりなさい!」
「ありがとう。随分心配をかけてしまったようだね。すまなかった」
「本当ですよ。でも、こうして無事な姿を見ることができて何よりです」
お姉さん、少し涙ぐんでいる。あれは単に仲良しというより、エルシィさんが女からもモテそうな、悠然としたスマートな雰囲気の美人というのも理由の一つだろう。
前世の頃も、飄々とした食えないタイプだったので少し違うのだが、エルフの仲間は女性人気が非常に高かった。僕の妹も怜悧という言葉がぴったりのクールビューティーさで黄色い声を浴びていたし、全体で見ればそういう傾向があるのだろう。
「遅れて申し訳ない。君たちがショーティ君のパーティーメンバーだろうか」
「は、はい。俺、デイヴィって言います。よろしくお願いします」
声をかけられ名乗ったデイヴィの声は、傍目にも上擦っているのがわかる。珍しく緊張している彼へ向け、エルシィさんは柔和な笑みを称えながら右手を差し出した。
「デイヴィ君か。ショーティ君から、剣の筋がいいと話を聞いているよ。これからよろしく頼む」
「は、はいっ、こちらこそ!」
なんとまあ……別に羨ましいなんて小指の爪の先ほども思っちゃいないけれども、普段から可愛い幼馴染みと妹の二人を侍らせ、街でも行き交う女の子から頻繁に好意的な眼差しを受けていやがるデイヴィが、まさか、こんなにも初な反応を見せるとは。
念入りに手を拭ったのち握手をするデイヴィの、顔に締まりのない様子に半ば呆気に取られていると、急に腕を引っ張られ僕は館内の角へと連行された。
「ちょ、ちょっとショーティ、あれどういうことよ!」
「そうですよショーティさん! きちんと説明して下さい!」
血相を変えた二人から、唾を飛ばさんばかりの勢いで詰問を受ける。
「い、いや。たぶん年上への羨望ってだけで、別に二人が危機感を覚えるようなことでは……」
実際、そういうことってよくあると思うのだ。僕とて幼少期に世話をしてくれた乳母の方や、家庭教師についてくれた優しいお姉さん、一緒にドルイドとしての修行をしたしっかり者の先輩へ、恋愛感情とは少し違う憧れに似た好意を抱いたものだし。
「なら私だって、デイヴィより三ヶ月年上だわ!」
「ちょっとハーティさん、抜け駆けはやめてください!」
しかし、頭に血がのぼった二人には、僕の言葉が半分しか耳に入らなかったようだ。
「あなたこの前、デイヴィのこと頼むって言ったじゃない!」
「あんなの今も生きてるんだからノーカウント! ノーカウントですよ!」
ああ、なんということだろう。和気藹々とやれていたパーティーが、ここまで崩壊してしまうなんて……。
完全に、僕のせいだよな。前世でも、パーティーを組む際男女が同数に近いトラブルが起きやすいとは聞いたことがあるけれど、女性陣が勇者絡みになると露骨にテンションが上下動する有り様を臓腑に刻まれるが如く網膜に写し続ける日々を送っていたのに、まさかこんな自体を引き起こしてしまうなんて。
「あ、あの、どうしてそんなところで掴み合いなど……なにも仲間同士で揉めなくともーー」
「ついさっきまで部外者だった人は黙ってて!」
「そうです! 今大事な話をしてるんです!」
「ええ……」
状況を理解できていないこともあるのだろうが、あまりの剣幕にエルシィさんもたじろいでいる。そんな彼女の前に、デイヴィが立ち塞がる。
「こらお前ら、エルシィさんに失礼だろ! すいません、こいつら普段は全然こんなじゃないんですけど……」
「誰のせいよォ!」「誰のせいですかァ!」
重なる二人の罵声。ほんと、どうしてこうなった……。
◇
「さっきは大変だった……」
「と、とりあえずお疲れ」
あのあと、本当にわかっているのかはさておき、二人へ平謝りすることで幸いにも怒りを静めてもらったデイヴィが、彼自身を除きパーティー唯一の男である僕へ、げっそりした表情を向ける。
「まったく、あいつら何を怒ってるんだよ。女って、意味わかんねぇよな……」
いや、そんなふうに同意を求められたって、意味わかんねぇのは僕のほうである。あれだけ普段から腕組んで歩いたり、寄りかかられたり、頬についた食べカスを戴きとばかりにひょいパクされてて、本当に無自覚なのか?
「いや、年頃だし、危機感を覚えたんでしょ」
「危機感って?」
本気でわかっていないような反応。少なくとも悪意はなさそうではあるが、それが僕にはより不可解だ。
前世で一緒に旅した勇者もそうだったけど、目に見えてモテモテの奴というのは、周囲に異性がいて当たり前と思っている節がある。
そして人がいいものだから、生来のスマートさから周りに親切にするうちに次々と好意を抱かれ、瞬く間にさながらハーレムのような空間を築き上げていく。そうして自分からガツガツせずとも、自然に異性に囲まれはじめる。
デイヴィも彼ほどではないが、本人が望むかはさておき、そういう体質なのだろう。恐らく故郷の村にいた頃から、熱い視線を釘付けにしていたはずだ。
別に僕は、ハーティやソフィアに横恋慕しているわけではない。ただ、前世の頃からこの種の人間的魅力を持つ者が、それも病んだ部分に母性をくすぐらせるタイプではなく、健康優良児的陽性のモテというものが羨ましくて仕方がなかった。
「しっかし、あんな綺麗な人とどこで知り合ったんだんだよ」
「まあ、ちょっとね」
別に秘密というわけでもないが、事情が事情だけに許可もなく話すことはできない。そう思いぼかした僕の言葉に、デイヴィは思わずと言った様子で息を飲む。
「ま、まさか、エルシィさんともう……」
「いや、年齢が違い過ぎるでしょ」
言葉を吐いたのち、一瞬とんでもない失言をしてしまったかとも思ったが、僕の内心とは裏腹にデイヴィは納得したような顔をする。
「まあ、普通に考えればそうか。ショーティから見たら、あの人十歳ぐらい年上だもんな」
「ああ、うん……そうだね」
「あれ、どうした?」
「いや……なんでもない……」
自分の感覚では、よほど小さくない限り子供は全員同じカテゴリーに入れていただけに、僕自身が彼らから見て一段下の年代層だと思われていることに若干落ち込んでしまう。
いつも三人は僕の世話を焼きたがるものなあ。うっかり疲れて寝てしまい目が覚めると、デイヴィの肩やハーティの膝に頭を乗せた状態で目が覚めたりするし。
精神の年齢的に最年少のソフィアなんて、この前僕の手を壊れ物でも扱うように優しく握りながら、お姉ちゃんだと思っていいですからね、なんて慈愛たっぷりに言い放ってきたからなあ。
もちろん、そうした労りには感じるものもあるが、しかし前世トータル三十過ぎのおっさんとして、純粋に頭を空っぽにして受け取れることはできないのだ。ごめんなあ。
「エルシィさんでしたか? さっきは初対面なのにすいませんでした」
「いや、何分急な加入だったから無理もないさ。気にしていないよ」
「元は立派な騎士さんの家系なんですよね。そんなお方が仲間になってくれるなんて、私たちも心強いです」
「ありがとう。しかし、君たちもキンググリズリーを仕留める実力があるそうじゃないか」
距離を取りながら探りを入れる元村娘の二人に対し、それを感じながらも卒なく社交をこなす元騎士の娘。
女性陣も、多少わだかまりが残っている様子こそあるものの、一先ずコミュニケーションを取れるぐらいには進展したようだ。
二人は本来なら気のいい奴らだし、エルシィさんも気負い過ぎる面こそあるものの優しい人なので、一先ず彼女たちに関しては様子を見ながらだろう。瓦解だけは避けたいところだ。
そうこうしているうちに、狩り場へ到着。今日からは別の出没ポイントを潰していくことになる。
そのためにも、加わった新メンバーとの連携を深めていくため、まずは互いの特徴の把握に努めていきたい。
エルシィさんのことだから、エゴイズムに走ったり、不用意に突出することなどはないだろう。それでも、どの程度の範囲をカバーでき、どれだけ敵を相手に戦えるのか。
大小強弱のみならず、思考やその方向まで含めその性質を把握したうえで、それらの特徴を戦術に組み込むための判断材料にするつもりだ。
個々人に完全な均質化など望むべくもなく、それぞれ得手不得手が厳然と存在する以上、補い合いながら個人ではなくパーティーとしての最大値を求めるのは指揮官として当然のことである。
逆に、もしトップが自分の理想に沿う人材の選別しかできないようでは、例え人や物資に恵まれていようと安定した強さを発揮するのは難しいだろう。それは古今東西、例え世界が違えどもこれは変わらないはずだ。
「初めての場所かつ、加わったメンバーもいることだし、様子見も兼ねつつ慣らしながらやっていこう」
こうして始まった、この地点でのキンググリズリー駆除。こっちへ来たのは初めてということもあり、ろくにアタリもつけず歩くうちから、チラホラとはぐれた個体に出くわすこととなった。
そして、倒した個体の足跡を辿るうち、いよいよ複数体を相手取る戦闘が始まる。
「あっちは抑えておくから、反対側はみんなに頼んだ!」
「任せろ!」
デイヴィたちが最大でも二頭以上を相手にせず済むよう、押し寄せる側へ強引に割って入り暴れることで、僕自身を壁とする。
その間に、彼ら自身も位置的に挟撃を避ける陣形を、木々に岩、窪みなどの遮蔽物を避けながら、常に微調整しつつキンググリズリーへ挑みかかった。
二頭それぞれの前衛を、デイヴィとハーティが受け持つ。斬撃による応戦で前進する圧力を削ぎながら立ち回り、ソフィアとエルシィさんが側方や背後を突くことで、致命傷を狙いつつ前衛の負担を軽減させる。
みんな強くなったとは言え、単純な破壊力だけならキンググリズリーは決して侮れない。だからこそ、仮に片方がハッタリだとしても二面からの攻撃が、敵の逃走や味方が挟撃を受けることを避けるためにも重要だ。
一つだけでは、そこへ人数や質を揃えられたとしても、敵との相性がよくない限り必ず対応され、遠からず手詰まりになってしまう。最初は押し切れたとしても、負担は大きく継戦能力を喪失する可能性が高い。
初めて組んでいるというのに、四人の連携は決して悪くない。多少慎重過ぎるキライはあるが、それも新加入のメンバーがいることや、二頭を同時に相手取っていること、経験不足を鑑みればそれで正解。エルシィさんも三人に卒なく絡めている。
未熟なパーティーは、初めての狩り場や天気、新品の装備と言ったほんの小さな要素、ディテールの違いでも、綻びとなり撤退に追い込まれてしまうことがある。
「こっちは、もうすぐ倒せそうだ! そっちは!?」
「もう少しかかるわ! 終わったら手伝って!」
そんな中、落ち着いて破綻なく戦える姿はキンググリズリー狩りの戦力として十分合格点を与えられるものだった。僅か短期間で、よくぞここまで腕を上げてくれたものだ。
「ふ、二人でも一頭を倒せました……でも、なんだか実感が湧きませんね……」
そうソフィアは言うが、言葉とは裏腹にさほど疲弊している様子はない。他の面々も同じで、既に体のほうは慣れつつあるのだろう。
「三人とも、前評判に違わぬ素晴らしい戦いぶりだったよ」
「うん。初めて二人で一頭を、それも同時進行での戦闘だったにも関わらず、全く危なげない立ち回りだった」
エルシィさんに便乗して讃えるも、僕のほうを向いた四人は、どこか白けた様子で、先ほど疲労を滲ませながらも感じていたであろう達成感を霧散させてしまった。
なんとなく、僕だけではなく漠然と後方の風景と合わせて見ている気がしたので、振り返って確かめてみる。するとそこには、僕が倒したキンググリズリーたちの亡骸があった。
「俺たちが二人がかりで苦労して倒した魔物を、あんなにバタバタと……」
「自分でも倒せるようになったからこそ、漠然と感じていた差を明確に実感せざるを得ないわね……」
「と言うかあれ、ほとんど一太刀で仕留めてますよ。たしかに売るときのことを考えると、そっちのほうがいいんでしょうけど……」
「ショーティ君は末恐ろしいというより、そもそも同じ人間なのか疑ってしまうな……」
「に、人間ですけど……」
こんなでも前世では、エルフやドワーフら亜人たちも含め、人の世のために戦った側のうちの一人だったし……そういう経験や知識もあるから、多少はね?
と言うか、農奴上がりの兵たちも訓練の末に頑張って倒せるようになってたし、君のお祖父さんなんて若い頃はこの程度朝飯前だったと思うよ? 遠からず、全員できるようになることなんだけどなあ。
◇
素材の回収ののち、僕らはさらに森の奥へと進んで行った。キンググリズリーと会敵する間隔は徐々に短くなっているが、とくに問題なく駆除は進んでいる。
「ハーティさん、一度役割を交換してみたいのだが、どうだろう?」
「私は構いませんよ」
恐らく、普段はここまでメインで前衛を務めているわけではないハーティの疲労を気にしての提案だろう。その申し出を素直に受け入れたハーティ含め、組織としての意志疎通も一応はできている。
そうして迎えた、ポジションを変更しての狩りは、これまでより効率の上がったものとなった。
エルシィさんは、どっしりと構え安定して正面から受けるデイヴィと違い、移動による駆け引きを用いている。
ときには二頭を相手取り、敢えて近い距離を素早く、それでいて細かく動くことで味方の負担を減らしながら、同時に敵の手も焼かせていた。
そうして、危なくなる頃には自身や味方の痛撃が加わっているうちに離脱。このタイミングがまた見事であり、最初のうちに圧力の薄い側方から、よく三人を観察していたのがはっきりと見て取れた。
今もまた、火力にこそ欠けるものの、エルシィさんの動きに気を取られた敵の隙を突き、状況判断に優れたソフィアの一撃が加えられる。
ハーティも、前衛から慣れてるサイドに移ったこともあり、得意の鋭い突きでガンガンと相手を削っていた。
デイヴィも、ほぼ目の前の一頭に集中できるようになったことで、受けて捌いてとタスク過多気味だった先ほどまでとは打って変わって、その力を存分に攻撃にも生かせている。こと個人の武勇という意味で言うなら、この中でもっとも伸び白を持っているのは彼だろう。
三人とも体を張って敵と戦えるだけでなく、それぞれ長所や見所となる特徴を持っている。それらを伸ばすうえで、戦況を見極められ、その中で攻守ともに引き出しの豊富なエルシィさんの加入は、このパーティーにとって大きなプラスとなるだろう。
単に戦術面でも、タイプの違う前衛が増えたことは大きい。もっとも、エルシィさんの場合は本職というより、万能型故にこなせるというのが正しいところなのだろうけど……まだ若いのに、たいしたものだ。○○家は伊達じゃないな。
「今日はなんだか調子がいいなあ!」
「ハーティさん、これで五頭目だね。素晴らしい縦への鋭さだ」
「い、いえ。攻撃しやすいようにエルシィさんが敵を誘導してくれてるので、そのおかげです」
「立ち回りを見ているだけでも、大変勉強になります。敵の注意を引きつけるにも、色んな方法があるんですね」
よかった。一時はどうなることかとも思ったが、無事に打ち解けられたようだ。もっとも、お互いのタイプ的にあまり心配はしていなかったけどーー。
「ショーティさんのは時限が違い過ぎてまるで参考にならないので、お手本になって下さる方に加わっていただけて嬉しいです!」
「あ、あはは……まあ、彼は規格外だから」
……まあ、パーティーの中で強すぎる奴がいるやりづらさは僕も前世で知ってるから、別にいいけどね。でもさ、もう少し言い方とかなかったかな。
たぶんこれが、子供の残酷さというものなのだろう。僕も年齢を取ったものだ。帰ったらおじさんにでも愚痴ろう。
◇
予想通り、エルシィさんが加わり自身に向いた役割、方向性などを生かした戦い方を続けるうち、パーティーとしての連携が深まっていっただけでなく、個々の力量の不安も解消。
いつしか三人は、日を追うごとに成長を遂げ、いつしか○ランクへ昇格。完全に駆け出しを卒業し、一端の冒険者となっていた。
四人が一つのユニットとして機能するようになったことから、ある程度は僕自身も自分の仕事に専念できるように。あれから短期間で出没スポットを二つも全滅させられた。
金も無事貯めることができ、満を持して教会への交渉に向かうこととなった。
「おはようございます。こちらの依頼を受けたいのですが」
受付のお姉さんに、壁から取ってきた依頼書を手渡す。長いこと放置されていたことで縒れくたびれた紙を受け取った彼女は、やや怪訝そうな顔を僕へ向ける。
「あの……この依頼を受けるんですか? 教会の雑用で、ランクを問わず受けられるものですけど……」
「もしかして、まずかったですか? どこかで急に新たなキンググリズリーの出没スポットが発見されてたりとか……」
心配に思って尋ねた僕に、お姉さんは笑みを返す。
「いえ、皆さんならもっと割のいい依頼も受けられるのに、どうしてかなって。間違いでないなら、気分転換にちょうどよいかも知れませんね」※口調あとで直す。
依頼は無事受理され、教会へいつまでに向かうのかの指示を受ける。すぐにでも向かったほうがよさそうだ。
◇
「司教の○○です。ギルドから派遣されてきた方々ですね」
向かった教会では、見るからに気難しそうな老女が、僕らを待ち構えるが如く立っていた。
「すっぽかしたり遅刻をせずに来て下さったのはよいのですが、仕事は手を抜くことのないよう」
深く皺の刻まれた顔に埋まっている、意志が強いを通り越して頑迷そうな瞳。眉は白くなってはいても未だに引き締まっており、対面する者へ容赦なく威圧感を与える。
前世の旅程で挨拶した領主や有力者の中には、こういう人たちもいたなあ。辺境伯など、国の要となる場所を治めている人ほど、こんな面構えをしていた。
それにしても厳ついなあ。好意的に見るなら、富裕層に流されず互助組織としての宗教の役割を全うしているだけはある、ということなのだろうけど。
ではこちらへ着いてきて下さい。愛想一つ感じない顔でそう言うと、彼女は踵を返し敷地の内側へと入っていく。後を追いながらも、僕らは顔を見合さざるを得なかった。
「なんか、感じの悪い司教様だな。金出す側だからって、あの態度はどうかと思うぜ。あれじゃ因縁つけてるのと変わらないよ」
「前に依頼を受けた冒険者が、適当な仕事でもしたんじゃない? もっとも報酬も安いし、本職を雇ってるわけじゃないんだから仕方ないと思うけど」
「仕事は仕事として頑張りますけれど、果たして交渉は上手くいくでしょうか……」
各々が不服や疑問、懸念を抱きながらも招かれたのは、教会の方々の居住スペースであった。
「ある程度人手も揃ったことですし、今日は老朽化もあって抜けてしまいそうな板を張り替えるつもりです。今日中にできる範囲はしっかりとお願いします。わからないことは彼に聞いて下さい」
やはり険のある言葉とともに紹介されたのは、どこか胡乱気な印象を受ける中年の男であった。
「まったく、せっかくここで暮らしているのですから、髭ぐらいきちんと剃って下さい。今日は床板の補強と張り替え、わかりましたね?」
まるで子供に言い聞かせるような口振り。ぼんやりとした顔のまま男は頷き、○○司教が去ると僕らに身振りで道具や木材の在りかなどを告げる指示を出す。
多少の怪しさこそあるが仕事は手慣れているようで、こちらは○○司教と違い、敵対的な雰囲気は感じない。
よく見ると瞳がどんよりと濁っていて、第一印象で感じた生気のなさはそれが原因なのだと気がつく。
おそらく、元は手に職を付けていたものの、なんらかの事情で身を持ち崩し薬物に手を出してしまい、現在この教会で世話をしてもらっている方なのだろう。
「なあ、あの人大丈夫か……?」
「路上生活してると、よく見るよ。さっきの司教様にあれだけチクチク言われても居着いてる方みたいだし、たぶん問題ないと思う」
「よく見るのね……私たちは農村育ちだから、最初は少し抵抗を感じてしまったけど……」
「国が民生を省みないと、負担を押し付けられた困窮者たちはヤクザか宗教に身を寄せるしかなくなるんだ。ここはまともな教会もあるだけマシなんだろうけど……」
前世の時代も、権威に拘り過ぎる貴族や目先を追い求める強欲な政商が跋扈した結果、魔族の侵攻前から世の中は悲惨なものだった。
魔王軍による被害が甚大なものとなったのも、元はと言えば彼らが民衆の足元を見るために貧困化させ過ぎた結果、軍事力も内需も棄損されてしまったことに原因がある。
実際、大国を除いてどうにか踏み留まった国の多くは、民や自国の産業を保護し地道に発展させ続けた場所ばかりだった。容易に育たない人を軽視して国の発展などない。
そういう意味では、我が祖国は恥ずかしながら失敗国家の謗りを免れないだろう。知識層にして特権階級であるドルイドを頂点とし、実家の太い者や替えの効かない一握りの才能を持つ者を除けば、軍に入りよほどの武勲でも立てない限り、農奴として酷使される人生しかない。
一般人でもドルイドの修行自体は受けられるが、多くはその厳しさに脱落を余儀なくされ、そこには単純な難易度以外の要素も含まれている。修行中事故死する者は、圧倒的にツテもコネもない人間が多数を占めているのだ。
僕の同期にも、優秀にも関わらず不審な死を遂げた者がいたが、遺体はすぐ灰にされてしまった。それでも時には有力者の家以外からドルイドが生まれたが、そういう者も結局は名のある誰かとの繋がりを感じるケースばかりであり、名家の人間以上に自己利益の拡大にしか関心がないものだった。
階層の固定化が人的資源の欠乏を招き、風通しの悪さにより硬直化して機能不全に陥った先達のドルイドたちは自身を省みることなく自己正当化を続け、さらなる寡占の促進と税率の引き上げを決定。
遂には視野狭窄の果てに食い詰めた者たちを棄民するまでに至ったのだから、同じ階層の人間として止められなかったことも含め、まさに身内の恥だ。僕が出奔し、国を追われる民を引き連れ祖国を離れた理由もそこにある。
もっとも、彼らがその後魔王軍に国を侵された際、自ら追い出した者たちに救われることになるとは努々想像もつかなかったことだろうが。
あのとき僕らが戻らなければ、亡国とまでは言わないが実質的な国体を維持しきれなくなっていた可能性もあった。民に希望を与えられない国の末路などそんなものだ。妹のパティのことがなかったら、見捨てていたかも知れない。
「そうだね。見ればここに身を寄せているのは、ある程度年配の、行き場に困る者が多そうだ。たしかにここは、民草の日々に寄り添うという目的で運営されているのだろう」
「でも、ここだけでは抱えきれませんよね。例え私たちが協力できても、まだまだ街には大勢の困った人がいますし……どうすればこんな状況じゃなくなるのでしょうか」
「国が市場を過信せず生活できるだけの仕事を作って、面倒を見てやるしかない。手段を選ばない反社会勢力や、血にまみれた狂信が跋扈するよりはよほどマシだ」
もっともその場合は、利益誘導に余念のない政商や、濡れ手に粟を当然と思い込んでいる富裕層と対峙することになる。当然抵抗も容易なものではなく、自身や身内に危機が迫ることも避け得ない。
結局、それを実行し続けられるだけの力を有しているかが問題なのだ。政策はいつだって、正しさで決まってくれるものではないのだから。
◇
「エルシィさん、どうされましたか?」
「その……すまない。また失敗してしまったようで……」
手を止め肩を落とす彼女を元気づけるよう、ソフィアは柔らかく微笑みかける。
「不甲斐ない……先ほど教えてもらったばかりだと言うのに」
「大丈夫ですよ。最初から上手くできる人ばかりではありませんから」
嫌な顔一つせず言いながら、ソフィアはエルシィさんのミスを手際よく修正する。目を皿にしてその様子を網膜に焼きつけるよう眺めていたエルシィさんは、意気込み新たに再び作業へ取り掛かった。
三人は開拓村出身ということもあってか、こういった作業には慣れているようだし、僕も前世の頃に出奔していた際、引き連れていた仲間から見様見真似で覚えている。
しかし、彼女は由緒正しき騎士の家の出だ。武芸の修練を積み勉学にも励んできたのだろうが、さすがに大工仕事までこなしている姿は想像しずらい。
そんな人間が、いきなり不慣れな仕事場へ放り込まれたとあっては、多少まごついてしまうのも仕方なしというものだ。
それでも、エルシィさんはへこたれることなく、ひたむきに作業へ取り組んでいた。騎士としての在り方が、幼少期より根っから染み着いているのだろう。
その姿勢は、美徳な反面心配事でもあったが……。
「エルシィさん、だいぶ慣れてきたんじゃないですか」
「ありがとう。だが、ようやく一つの行程を自分でこなせたばかりだ。早くみんなに追いつかなければ」
「何かあったら、すぐ私たちに聞いて下さい。手伝いますので」
「ああ、生憎もう一度今できたことをやれと言われても自信がない。遠慮なくそうさせてもらうよ」
気のいい三人が醸す和んだ雰囲気のおかげで、エルシィさんもそこまでナーバスにはなっていないようだ。自然に他人の緊張感を解き解せる人格は、勤勉さに並ぶ歴とした宝である。しばらくは余計な介入も不要そうだ。
◇
「あー、これ、やられてますね」
見せられたのは、光源として用いる魔道具の内部。そのイカヅチダケと呼ばれる、魔力を通すことで発光する部分に破損があるのを確認すると、教会のおじさんは顰めっ面で頷く。
「あー、歯形を見るに、こりゃあネズミだな」
「私たちの村には明かりを灯すための魔道具なんてなかったけど、たしかに齧られそうな形をしているわね」
「それにしても、わざわざこんなところへ入ってまで……せめて壊すにしても、他のものを齧ってもらいたいです」
それぞれ覗き込んで行くが、やはり同じ見解のようだ。
「どうしたものか……この様子では、新しく買い換える他なさそうに見えるが……」
「この程度の魔道具なら、ショーティが片手で作っちゃいそうだけどな。なあ?」
その通りなので頷く。今の僕程度でも、これよりずっと光量、燃費、寿命含めてマシなものを用意できるだろう。いたずらに寡占化を推進する政商と、その御用聞きと化した為政者が定めた法さえなければ。
「でも、この前のマジックバックのときと同じで駄目なのよね。勿体ないけど、捨てるしかないのかしら」
「バレたときに払わなければならない罰金を考えると、大人しくそうするべきですね。可哀想ですけど……」
最後の言葉は、未練の残る表情で魔道具を見つめる教会のおじさんへ向けてのものだろう。心身が薬に侵されたことで精力的に動けないのだろうが、それでも彼は彼なりに、この教会での務めを使命感を持ってこなしていたのだろう。
彼が自身の気持ちに諦めをつけ、溜め息とともに壊れた魔道具をゴミとして捨てかけたとき、僕は声を上げた。
「それ、直せるかも知れません」
教会のおじさんは驚いたのか、口を大きく開けて残り少ない数本の歯を覗かせる。僕は彼へ頷き、捨てられかけた魔道具を受け取った。
「しかしショーティ君、私の目にはイカヅチダケを取り付ける土台の部分から脆くなっているように見える。新しい部品と交換して修理するのかい?」
「いえ、これは古い規格の魔道具のようですし、作りもシンプルなはずです。自力でどうにかできるかと」
「えっ、部品も買わずにか?」
そもそも、ギルドや宿、利用する店などで使われている進歩したものと違い、こうした形式のものは僕の前世の時代でも使われていた。
もちろん、多少はあの頃より進んでいるのだろうが、それでも使われている素材や仕組み自体は変わらない。作成は駄目でも、修理なら文句は言われないだろう。
僕は魔力を流し込むことで土台となる金属部を修復し、僅かに残った傷だらけのイカヅチダケへ、ドルイドの呪術を行使した。
「『草木への呼び掛け』」
これは精霊への呼び掛けを媒介とし、木々や草花の力を借りるためのものである。前世では蔓植物などを用いて、戦闘時には相手の足止めに離脱時のロープ変わりにと、大いに活用させてもらった呪術のうちの一つだ。
本来ならば宿り木に使うのが最も効果を発揮してくれるのだが、この程度の大きさであれば、素材が竹であろうと今の僕でも作用させられるはずーー。
「す、凄い。土台だけじゃなく、イカヅチダケの部分まで……っ」
「こ、これ、直ったんですか!?」
息を飲んで見守っていたおじさんへ手渡すと、彼はその虚ろだった瞳に一抹の期待を滲ませながら、中に備えられた魔石の力を伝えてくれる台座へ魔道具を乗せる。
「おおっ、つ、点いた!」
「これは驚いた……故障が直っただけでなく、明らかに他の同じものより明るくなっている」
次の瞬間、そこには旧式特有の柔らかな明かりが灯っていた。エルシィさんの言葉通り、実質新品同然になったことで、その光量は他の同じ魔道具より多くなっている。
「これ、使う魔石の消費量は変わらないのよね?」
「うん。むしろ魔力の伝導率が新品同然になってるから、これまでより魔石の消費量を節約できるんじゃないかな」
「でしたら、他の魔道具も調整次第でそうなるかも知れませんね」
ソフィアの言葉を聞き、おじさんも是非にと頷く。別にたいした手間にはならないし、教会の人たちからの心証もよくなりそうで好都合だ。できそうなものは、全て点検し調整、修理させてもらおう。
◇
それからほどなくして、日用品としての魔道具の整備は終わった。調整の結果、無事に性能や魔石の消費を新品だった頃へ戻すことができた。
本当なら、もっと改良の余地もあったのだが、今後もし教会側が、魔道具を改造したと難癖をつけられ罰金を払わせられる事態になっては目も当てられない。
まったく、自由化だなんだと自分たちにとって一見都合の悪い規制は撤廃するくせ、その逆となると一転して法まで変えさせるのだから、政商どもの強欲さには呆れるばかりだ。※セリフでやる。
代わりと言ってはなんだが、建物全体に関しても、直せそうなところや補強できる部分は全て補修、強化しておいた。
有事の際、教会は民の避難所としても用いられる。こちらは魔道具とは関係のない手法なので、今できる目一杯の力でやらせてもらった。
「でも、せっかく直し終わったところでこんなことを言うのもなんだけど……ネズミ退治をしないままじゃ、また壊されちゃうのも時間の問題よね……」
ハーティの言うことももっともである。灯りにするため加工されたイカヅチタケというのは、連中にとって歯を削るために最適な形や強度を備えてしまっているのだ。
「そうだよな。また壊されるたび直しに来るってんじゃ、完全にイタチごっこだし」
「ショーティさん。何かよい方法はありませんか?」
「一応、あるにはあるよ」
さっき『草木への呼び掛け』を行使した際、当初の予想を上回る成果を出すことができた。冒険者として送っている日々が、今の僕の体を成長させてくれたのだろう。
まだまだ全盛期には遠く及ばないとは言え、このレベルの呪術を使えるまでに力が戻っているなら、ネズミの問題も対処できるかも知れない。
「『祖霊召還、フォレストキャット』」
唱えると、床に光るルーン文字が現れ、そこから一匹の魔物が現れた。
「わっ、猫ちゃんですっ」
「ん、猫ちゃん猫ちゃん!!」
場に居合わせた一同が驚きの声を上げる中、呼び出されたフォレストキャットは気に止める様子もなく前足の甲で顔を擦る。そうして僕の姿を見つけるや、足元へやって来て体を擦り付けはじめた。
前世では召還に成功しても使役できるようになるまで時間がかかったものだが、今回はやけに懐くのが早いな……柄のほうも、前世で使役したあいつにそっくりである。
「な、なんだこの可愛らしい猫は。床から出てきたように見えたけど……」
「呪術で使役するための祖霊を呼び出したんです。本来なら、もう少し大きいはずなんですけど……唸らなくていい。全員味方だから」
驚く一同へ説明し、周囲を警戒するフォレストキャットへ、彼らは仲間だと伝える。あっさり僕の言葉を信じたこいつは、威嚇をやめて静かに横になった。
「人懐っこくて、とってもかわいいです」
ソフィアに顎の下を撫でられ、フォレストキャットは心地よさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。この様子なら、僕以外の人間を無闇に傷つけることもなさそうだ。
「ふふ、とっても気持ちよさそうね。あとで私もしてあげようかしら」
「わっ、私も触って構わないだろうかっ」
「大丈夫ですよ。おじさんもどうです」
感じた視線に振り返り見上げると、おじさんは汚れを知らない子供のように破顔する。その後僕らは、見かねた教会の方に咳払いをされてしまうまでフォレストキャットを可愛がり続けてしまったのだった。
◇
「ネズミを狩ってきて欲しいんだ。できるか?」
僕の言葉に、フォレストキャットは見た目に違わぬ可愛らしい声でニャアと鳴いて見せた。
かつて修行の末に呼び寄せていたときは、目の前で低く唸れば敵もたじろぐ迫力があったものだが……ともに戦場を疾駆したあいつとは違い、大きさは精々普通の猫程度しかない。
おそらく、僕が実力を取り戻せていないことが原因なのだろう。短期間キンググリズリーごときを狩っただけなのだから当然とは言え、子猫のようなサイズを呼び出すのが精一杯だったというのは、正直情けない話である。昔の知り合いがこっちにいなくて本当によかった。
とは言え、今回ばかりはこの小さなサイズも好都合だ。なにせ戦う相手は、魔物や人間、ましてや魔族でもないのだから。
「じゃあ、行ってきてくれ。頼んだぞ」
さっきまで腹一杯撫でられて満足したこともあってか、フォレストキャットは僕の命令を遂行するため、素直に廊下の向こうへと姿を消した。
「大丈夫でしょうか、たった一匹で……」
「たしかにネズミ狩りと言えば猫だけど、放ったその日にすぐというのは無理があるわよね」
たしかに、普通の猫であれば数が揃っていても時間がかかる。気質も犬と違い自由気ままで、比較した場合お世辞にも猟に向いているとは言い難い。
しかし僕が呼び出したのは祖霊、それも使役するためのもの。力も知性もすこぶる高く、今の姿でも簡単な魔物程度なら容易に討ち取れるはずだ。
「仮にも祖霊だから大丈夫。あの姿でも、レッサーウルフぐらいなら狩って来れるはずだよ」
「れ、レッサーウルフを、あの猫ちゃんが……」
「信じられないが、ショーティ君が呼び出した子猫と考えれば……」
難しそうな顔で唸るみんなの中で、教会のおじさんが体を妙に痒がっていることに気づいた。見れば肌には蕁麻疹も浮いてきている。もしかすると、猫アレルギーなのかも知れない。
「治すので、ちょっと動かないで下さいね」
触りたがっていたので勧めてしまったが、悪いことをしてしまった。呪術『』で治療し、ついでに歯も治してやる。
教会のおじさんは驚愕したように口元へ手を伸ばしかけ、僕の指示で気をつけの姿勢に戻ったのち、終了後恐る恐る指先で触れてから、綺麗に生え揃った真っ白な歯列を僕らへ覗かせた。
「あっ、ショーティに治してもらったんですね。俺らもなんですよ、ほら」
気づいたデイヴィが、歯以上に目を輝かせた教会のおじさんへ、自身の歯を見せてやる。少し前に治療したばかりなので、同じように状態は良い。
三人とも、まともに医者にかかったことが皆無だったこともあり、当初はとても良好とは呼べないものだった。
多少の虫歯は仕方ないにせよ、馬車や大きな石に糸でくくりつけて行ったという抜歯の痕には目を疑った。最悪雑菌が入って死にかねないというのに、あまりにも雑すぎる。
三人の話によると、医者はおろか神官すら、法術を行使して貰う際の喜捨が高過ぎて頼れず、村の老人が作る薬草を煎じたものが唯一の薬だったらしい。
なんと言うか……僕の時代の地元と、まるで変わらぬ有り様だった。僕の祖国の農奴たちは、お世辞にも他国に比べ暮らしぶりが上だったとは言えない。そのレベルにまで、他国までもが落ちている。
世の中が荒れているのも当然だな。大きな都市だったこの街周辺ですら惨状を隠せていないなら、果たして妹が暮らしていた祖国などどうなっているものやら。
段々と、空恐ろしい気持ちが大きくなってくる。機能不全に陥った指導者層など知ったことではないが、それでも話せないこともない奴らもいたし、共に領土を出た棄民たちの生き残りもあそこには暮らしている。
共に使命を果たした仲間たちは、ほぼ全員が約束を違えるような奴らではなかったはずだが……僕がいなかった約八十年の間、魔族の侵攻をどうにか防いだはずの世界は混沌を深めてしまったようだ。まるで大戦前夜が如くーー。
「きゃあああ!?」
そのとき、絹を裂くような女性の悲鳴を耳にした僕たちは、教会のおじさんを残し瞬時に声の元へと駆け出していた。
敵襲か、それとも教会で面倒を見て貰っている者の中に、不届き者でもいたのか。目配せし合い、自然に僕とデイヴィが先行して突入、後続にハーティ、ソフィアが続き、エルシィさんがいつでも二人のカバーへ入れる形に移行する。
「大丈夫ですか!」
各々、適当に持ってきた角材や工具を手に乗り込むと、そこには死んだネズミが高々と積まれた山と、泡を吹いて倒れている院長が。
唖然とする僕らを他所に、脇で寝転んでいたフォレストキャットは得意気な顔で僕らを見上げるのだった。
◇
「ね、ネズミ退治に魔道具のメンテナンスまでして下さったことは感謝しますが、次からは必ず事前に報告してからにして下さい!」
「すいませんでした……」
倒れた際にできた院長さんのたん瘤を治療して寝かせ、ネズミの山も袋に詰めて処理し終え戻ってきた僕らは、顔を真っ赤にした彼女から雷を落とされていた。
「あなたもです! 冒険者の方々についておきながら、何をしていたのですか!」
あとから遅れてやってきた教会のおじさんも、烈火の如く詰められていた。大の大人が面罵されている姿を前に、申し訳なさが募っていく。巻き込んでしまってごめんなさい。
「まったく……ところで、彼の歯を治療したのはあなたのようですね。それに、私の頭の怪我も。とくに問題はないようですが、魔法と違う方法なのですか?」
「あ、はい。その……魔素を用いている点では魔法と大きくは変わらないのですが」
「植物由来の素材を修復したところなど、まるでドルイドの呪術を思わせますが……」
院長は怪訝そうな顔を僕へ向ける。魔道具など一般社会に普及して久しい魔法はともかく、ドルイドの呪術は技術体系が違う以前に、完全なる異教徒の象徴だ。
前世でも、国を出れば残酷な方法で生け贄を殺す怪しい奴、という目で見られたことは少なからずあった。
噂の大半は遠い昔に行われていた儀式に尾ひれがついたものだったが、他者にレッテルを貼る際に重要なのは事実かどうかではない。相手を異物と見なすに足る理由付けとして足るものかどうかなのだ。
個人的な感情はさておき、理屈としては納得できなくもない。他国や魔族、異民族に異種族の侵攻に晒され、さらには戦乱や反乱、賊徒の襲撃に領主からの重税、各種災害に疫病の蔓延。
挙げればキリのない苦難を乗り越える際、連帯感を高めようと思えば現実的な手段は国家や郷土、同じ民族という括りが望ましいだろう。
人と人との繋がりなど、恋人や親友同士であっても、長く続くことは稀なものだ。例え短期間でよいと仮定しても、個人個人での信頼関係など大きなグループを束ねる目的を到底果たせるものではない。
だからこそ、余所者や共同体のトップに服わぬ者、身内が不祥事を犯した者は排除される。そうして内と外を切り分け続けることで得た団結によって、機能不全を起こすまでの間は国や郷という家に住まう者の安全が確保される。
それがなければ、特別でない者、力のない者たちは奪われ虐げられるだけで、とても生きては行けない。だからこそ、そうした者たちからの歓迎はより手荒なものとなってしまう。
祖国にいた頃も、知識層の中にいた頃でもその線引きは常に存在した。人の世が終わったところで、次に世の支配者となる者たちが新たに繰り広げるだけの逃れられぬ理。だから、仕方がないのだ。
僕が味わった辛さなど、全体で見れば些末なものに過ぎなかった。無事成人を迎えられたし、出奔し棄民されてしまった者たちと諸国を巡った際も、彼らという共に同じ苦しみに耐える仲間がいた。
討伐隊でだって、最終的にはほぼ全員と蟠りはなくなっていたし、この体になってからも新たな仲間ができている。
ここで世話になっているであろう者たちの中にも、明らかに入信してなさそうな者たちの姿はあった。院長が内心どう思っていようが特別邪険にされるということはないはずだ。
とは言え、教会の敷地内で邪教の力を行使したとあっては、相手が平静でいられなくなる可能性もある。その結果、これから交渉に移る際に教会側の協力を得られなくなりかねない。
平和ボケしてしまったせいで、とんだ大失策を犯してしまった。どうしてもっと早く気づくことができなかったのだろう。こんなザマで何が知識層出身だ。
こうなったら、自力で動くしかない。路地の子供たちには悪いが、もう少し金を貯めてから面倒を見る態勢をーー。
「まあ、いいでしょう……。これから礼拝の時間です。あなた方も参加しますか?」
「いいんですか? 是非お願いします」
「ちゃんとした聖堂でお祈りとか初めてだけど、大丈夫かな」
「基本は村でしていたのと変わらないはずよ。違いがあったら、周りに合わせればいいんだし」
仲間たちが揃って参加を希望する中、司教の眼差しが僕を見据える。
「あなたはどうなさいますか?」
「……その、いいんでしょうか」
「問題ありません。教会の扉は全ての方々へ開かれています」
それだけ言うと、司教は聖堂のある方向へ向かってしまった。
「何をしているのですか! いつまでも猫と遊んでいないで、早く準備をしなさい!」
そんな言葉に追いたてられるよう、ばたばたと足音が響く中、こちらへ戻ってきたフォレストキャットが僕の顔を見上げる。開かれた大きな目には、正面にいる僕の顔が映っていた。
「さ、行こうか」
エルシィさんが、僕の肩へさりげなく温かな手を置く。促されるまま、四人と聖堂へ向かいながら、ふと前世でのことを思い出していた。
異種族でなくとも異教徒である僕へ、何かと便宜を図り気を回してくれたのは、僕を最も警戒する教会側から選ばれた神官の○○だったことを。
◇
前世の頃、異教徒ながら旅の道中波風を立たせぬ目的で礼拝に参加した経験自体はあった。なので今回も、取り立てて問題が起こることはなかった。
そもそも指導者側だったドルイド信仰自体すら、基本的には文化や社交の場としか思っていない。とは言え、今日の礼拝は心が伴わないなりに、せめて形には誠心誠意気を使った。
つつがなく全ての行程が終了すると、教会に集まった人々が帰り支度をはじめる。年配の方の姿が多く見られ、その中でもとくに表情の明るい老夫婦が、こんな言葉を口にし出した。
「それにしても、なんだか今日の教会は綺麗になってて、気分がいいなあ」
「そうよねぇ。中も明るいし、とくに木材の部分なんて新品に取り替えたみたいだわ」
ご婦人、そこは単純に新品と入れ換えるより凄いんですよ。自慢じゃありませんが、ここら一帯で最悪の規模を想定した魔力災害が起きたとしても、この教会に籠っていれば耐えられる優れもの。当方自慢のシェルターにございます。
などと馬鹿なことを内心呟きながら、他の参加者の顔も見渡す。当然全員なはずもないが、それでも幾人かは何かしらの変化に気づいている様子だ。
「今日はよく働いて下さったようですね。次にギルドへ依頼を出す際も、再びあなたたちに来ていただけたらと思うほどです」
司祭様の表情も、今日初めて出会った時に比べ随分柔らかい。僕らの今日の仕事に、満足してくれているようだ。
「依頼内容は教会内の修繕だったのですが、ここまでしていただいて。あまり色は付けられませんが……」
「ああ、いや。報酬はそのままでいいんです。それよりも、お願いしたいことがあるのですが……」
「なんでしょう。我々にも、できることに限りはありますが……」
そう話を聞く姿勢を示してくれた司祭様へ、僕はこう切り出した。
「街には高齢者から小さな子供まで含め、困窮者や浮浪者が溢れています。彼らへさらなる支援をお願いしたいのです。こちらは寄付金です」
どうぞ、お納め下さい。その言葉とともに袋を差し出す。受け取った司祭様は、中に詰まった白金貨の数に、思わずそれを床へ溢しかけた。
「し、失礼。これだけの額の寄付を受けるのは、この教会では初めてだったもので……」
「こちらでは、以前から貧困に喘ぐ方々のための活動を続けて来られたと窺っています。彼ら全体の世話をするとなると、たいした額にもならないでしょうが……」
実際、継続的に彼らの面倒を見るとなると、桁がいくつか違う額が必要なはずだったが、司祭様は直ちに首を横に振り、真剣な眼差しを僕へ向けた。
「いえ、炊き出しをするにも内容の変更を余儀なくされている状況だったので、助かりました。全額ひもじい思いをされている方のため、ありがたく使わせていただきます」
長年果たすべき使命を果たして来た者の、生真面目さが滲み出た言葉。最初はどうなることかとも思ったが、予想以上の好感触を得られたな。
◇
後日、キンググリズリー狩りの合間を縫って、僕らは再び教会を訪れた。
今日は祭日ということもあり、普段より規模の大きな炊き出しが行われるとのこと。その手伝いも兼ねてやってきたのだ。
「みんな、せっかくの休みなのに一緒に来てくれて、本当にありがとう」
僕の礼に、四人はあくまで気さくに応えてくれた。
「気にするなよ。昔の仲間のために一肌脱いだとなったら、当然今の仲間たる俺らも協力しなくっちゃな」
「立派なことじゃない。私たちだって、村に住んでいた頃の知り合いが苦しんでたら、何かしたいって思ったでしょうし」
「私たちにできそうなことであれば、なんだって協力させて下さい。お祭りも楽しみですし」
「礼には及ばないよ。あのあとどうしているのかも気になるからね」
改めて、今生でも仲間に恵まれたものだなあ。そんな感慨を胸に門を潜る。中に入る前から、教会の敷地内は集まった人たちの歓談する声で賑わっていた。
「あ、この前の冒険者さん。こんにちは」
挨拶をしてくれる、若い教会の方々。手には各々、猫じゃらしや肉の切れ端が乗った皿を持って、仕事を続けて貰うため教会へ残してきたフォレストキャットを囲んでいる。
我が物顔でサービスを享受する様子を見るに、すっかりこの教会のアイドルと化したようで何よりだ。今も僕の姿を見つけるや、よっとこさとばかりに起き上がり、こちらへゆっくりと歩いてくる。
「元気にしてたか」
僕の問いかけに、フォレストキャットは一見気のない感じで鳴き声を返してくれる。それにしても、大きさ以外は挙動や癖まで前世で使役していたフォレストキャットに本当にそっくりだ。
「その子、ご飯とか勝手にあげちゃっても大丈夫でしたか?」
「ああ、構いませんよ。丈夫な奴ですし、本人も喜ぶので」
まさかとは思うが、同じ祖霊なのだろうか? 与太話を除いても、類似する前例がないため見当もつかないが、いや……まさかね。
あくまでも可能性の話を一旦脳内から追い出し、教会の人たちへ挨拶のあと、肌を引っ掻いた痕のあるおじさんに用意してきた塗り薬を渡してやる。そのうちフォレストキャットは回収するつもりだが、あと少しぐらいはいいだろう。
「あっ、ショーティ」
不意に声がかかる。主を探せば、そこにはかつて同じ浮浪児だったウィルとポーラの姿があった。
「おう、調子はどう?」
「ここに住ませてもらって、何とかやってるよ。向こうにみんなもいるぜ。呼んでこようか?」
「ショーティのおかげなんでしょ? 何から何まで、本当にありがとう。助かったわ」
そう語る二人は、あのときと違い刃物も厚化粧もしていない。清潔な衣類に身を包んだ、実に子供らしい姿であった。
「俺だけじゃなく、手伝ってくれたみんなのおかげだよ。一緒にパーティーを組んで依頼をこなしてるんだ」
仲間たちを紹介すると、二人は彼らへ、それぞれ感謝の言葉を口にする。
中途半端なところで終わってすいません。まだここまでしか書き溜めできてないです。
あと三倍ぐらい最低でも書いてから連載で書く予定だったのですが、我慢しきれず投稿させていただきました。時間はかかると思いますが、なるべく早くでかしたいです。