なんて迷惑な台風さん
昔々あるところで、台風が起きました。
南の空を黒々と染め、雨風をこれでもかと巻き起こす台風を見上げて、人々は口々に叫びました。
「やあ、台風め!」
「なんて迷惑なやつなんだ」
「うちぁ、畑が丸々やられただ。これじゃあ飢え死にしちまうよぉ」
「三丁目のばあさんが、今度の台風で死んじまっただ。えれえこった、えれえこった……」
「台風なんて、なくなってしまえばいいのに」
人々は毎年台風にやられていたので、みんな台風のことが、大嫌いだったのです。
台風が近くにやってくると、全員慌てて家に帰り、しっかりと戸じまりをして隠れてしまいました。空の上から、それを見ていた台風は、悲しそうに「目」をうるませました。
「あぁ、なんてこと。私は生まれてこない方が良かったんだわ」
遠くの空で生まれて以来、台風はどこに行っても嫌われ者でした。それも仕方ないのかもしれません。台風は作物を荒らし、建物を壊し、ひどい時には人間を死にいたらしめる場合もあるのですから。
いっそのこと、この世から消え去ってしまいたい。
投げかけられる言葉を耳にするたびに、台風はそう思わずには入られませんでした。台風がなくなってしまうには、早く北上するしかありません。だけど右に行っても左に行っても、どちらに進んでも、台風はきっと誰かに迷惑をかけてしまうに違いありませんでした。
「私の居場所は、地球のどこにもないんだわ」
そう思うと、自然と台風の足取りも重くなってしまいます。台風がポロポロと大粒の涙を流すので、地上では大雨が降って、人々はますます台風を忌み嫌いました。
「早くあっちへ行け!」
「こっちへ来るな、ひどい台風め」
「二度とその顔を見せるんじゃない」
ある人なんかは怒って、台風に壊された壁のかけらを投げつけました。どこにも行けなくたって、ここに止まっているわけにも行きません。仕方がないので、台風はノロノロと、まず東の方へ進みました。
「ヤァ、台風だ!」
東に行くと、大きな川がありました。やってきた台風を見上げて、川に住んでいた魚たちがおどろいて声をあげました。
「あぁ、お魚さん、ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい……」
台風はボロボロ涙を流しながら、申し訳なさそうに川の上を進みました。
「何やってるんだい」
「早くこっちにもきてくれよ」
ところが魚たちは、飛ばされないように避難しながらも、台風に早く来るよう手招きしました。これには台風もびっくりして、思わず「しゃっくり」してしまいました。おかげで数匹の魚が巻き上げられて、岸に打ち上げられてしまいました。
「あぁ……ごめんなさい!」
「気をつけて!」
「でも、でもどうして? どうしてお魚さんたちは、私を嫌わないの?」
台風は不思議そうな顔をしてそう尋ねました。魚たちは、
「だって台風は、いつも川の中を掃除してくれるじゃないか」
「川が汚いままだと、僕たち、卵を産めないよ」
と口々にそう言いました。
「さぁ、早く川の上を通って」
「毎日毎日じゃ、たまんないけどね」
「お魚さん……」
思いの外優しい言葉をかけられて、台風は嬉しくなって、ボロボロと涙を流しました。おかげで川の中はかき混ぜられ、底に溜まっていた汚れも、きれいさっぱり吹き飛ばされてしまいました。
「じゃあね」
「たまにはこっちにも、顔を見せてくれよ」
台風が過ぎ去る時、魚たちはそう言って見送ってくれました。台風はちょっぴり元気を取り戻して、今度は西の方へと進みました。
「あら、台風よ!」
西に行くと、大きな山がありました。山には動物や鳥たちが住んでいて、台風がやってきたのを見て、雨に濡れないように急いで避難しました。
「すみません、すみません。私が台風ですみません。ちょっと通ります……」
ちぎれて吹き飛ばされる花びらを、悲しそうに見つめながら、台風は小さな声でそう言いました。
「どうしたの?」
「今年はなんだか、元気がないわね」
そんな台風の様子を見て、鳥たちは不思議そうに首をかしげました。
「ダメよ、落ち込んでばかりじゃ」
「そうそう。もっとじゃぶじゃぶ、雨を降らしてくれなきゃあ」
「え? どうして??」
さっきまでは、雨を降らすと怒られていたのに。不思議に思って、台風は鳥たちに尋ねました。鳥たちは、
「だって水がないと、私たち生きて行けないじゃない!」
「人間だって、ダムなんか作って、毎年あなたを頼りにしてるんだから」
と口々にそう言いました。
「もっと、泣きなさい」
「それとも私たちが、泣かせてあげようかしら」
「鳥さん……」
思いがけない言葉に、台風は再び、わあわあと泣き始めました。おかげで大きなダムは水でいっぱいになって、しんこくなみずぶそくだった木々にも、十分な水が行き渡りました。
「じゃあまた、来年よろしくね」
「泣いた後は、ちゃんと笑顔も見せないとダメよ」
台風が過ぎ去る時、鳥たちはそう言って見送ってくれました。台風は泣きながら笑って、とうとう北の方にたどり着きました。その頃には台風も、だいぶせいりょくもよわまって、一回り小さな体になっていました。
「おお、台風じゃ、台風じゃ」
北に行くと、ポツンと一軒家に、おじいさんが一人住んでいました。台風は、人間に嫌われていることを知っていたので、身をちじこまらせてそろそろとおじいさんのそばを通りました。
「ごめんなさい、ごめんなさい。もうすぐいなくなりますから。許してください……」
「はて。どうしてそんなに怖がっておるのじゃ」
ビクビクと怯えた様子の台風を見て、おじいさんは不思議そうにそう尋ねました。
「だって……だって私、どこに行っても迷惑ばっかりかけてるし」
「ほう。本当にそうじゃったかの?」
おじいさんはパイプをくわえたまま、優しい目で台風を見上げました。
「お前さん、本当に今まで、迷惑だけしか、かけてこなかったのかの?」
「…………」
台風はしばらく黙って、魚や、鳥たちに言われたことを思い出していました。それから人間に言われたことも。台風はおじいさんに尋ねました。
「おじいさんは、人間でしょう?」
「そりゃそうじゃ。わしが他に何に見える?」
「……おじいさんは、私が怖くないの?」
台風は恐る恐るおじいさんを見下ろしました。おじいさんは、
「そりゃもちろん怖いが。じゃけど、『雨降って地固まる』と言うじゃろう。それにお前さんは、いつも空気をかき混ぜてくれる。お前さんが元気を出さなきゃ、暑いところは暑いまんま、寒いところはずっと寒いまんまじゃ。この国に四季があるのは、お前さんのおかげじゃ」
じゃからわしは、お前さんが来るのを楽しみにしとるんじゃよ、と笑いました。
台風は嬉しくなって、涙が止まらなくなりました。おじいさんは傘をさしながら、台風が泣き止むまで、優しい目をしてそばにいてくれました。
それから台風が泣き止む頃には、風も大分おさまって、台風は爽やかな南風へと変わっていました。南風になった台風は、最期には咲き誇るコスモスの子供たちと一緒に、楽しそうに野原をかけ回っていましたとさ。おしまい。