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 ショッピングモールにはワンメーターほどで着いた。テナントのファーストフード店に入る。


 時間通り、男がやってきた。山下賢治の同僚である。会うことを嫌がられもしたが、謝礼をちらつかせ何とか話を付けて、やっとここにこぎつけた。彼の話によれば事件後、山下の家族はどこかに行ってしまって分からない。


 要は、だれも山下賢治に係わりたくないということだ。マスコミに追い回されたのもある。だが、どこにいったかは訊こうと思えば訊ける。この男は山下と家族ぐるみの仲だったはずなのだ。山下の妻が消えたのならその妻側の身内に訊けば分かるし、それこそ、噂に上がっていてもおかしくはない。だが、おれの訊きたいのはそれじゃない。


「山下さんは公金に手を付けていたのではないでしょうか?」


 男は、どうしてそのようなことを訊くのかって顔をした。そして、考え込んだ挙句、そういう事実があったのでしょうかと、逆におれに訊き返えしてくるしまつ。まぁ、その反応で十分か。


 おれの見解は、言うまでもなく山下は白であった。スピアガンを構えた時の山下の目。ここぞという瞬間に賭ける集中力には目を見張るものがあった。毎晩襲われていた悪夢は別として、『インディアナ号』での行動に限っていえばパニくる様子もなく山下は平常心であった。嵐の中では恐るべきことにパスワードを入れたとも言っていた。そんな人間が惰性に任せてだらだらと終わりの見えない横領なんてするのだろうか。


 実際、山下賢治は油断ならなかった。稲垣にハメられて精神がまいっているにもかかわらず、一刻も争うあの場面で、船を爆破してヘリに知らせようと言い出したのもそう。いつもその瞬間へ向けて用意をしているようなタイプの人間であった。じゃないとゴムボートで脱出しようとしたあの時、待ち受けていて泳いで来るおれをしとめる、なんてはかりごとは思い浮かばない。


 そういう人間は本心を絶対に他人に見せない。馬鹿にされようが、おだてられようが、それは関係ない。その点から言って山下は、四人の中で五百億のためには殺しをも辞さない、と思っていた唯一の人間だったのかもしれない。パスワードで爆弾を解除したとしてもおれ達がそのまま帰れるとは限らなかった。


 島田にした仕打ちだって分かりゃぁしない。いたぶっている時にはもうすでにパスワードの見当は付けていたんじゃないのか。あの嵐の中、おれがいない時を見計らってパスワードを入力した。ずっと入力するチャンスを見計らっていたんだ。もしあれで、爆弾が解除されればおれはメインキャビンに戻れなかったのかもしれない。


 稲垣はというと、それを見抜いていた。だからこそ、自殺トリックで山下を追い詰めた。


 その一方でおれには弁護士を使って、みんなを守れと焚きつけた。さらには、資料に無い嘘だ。そもそも資料を作ったという時点で稲垣は、『情報の共有化』を偽装した『情報の操作』をしようとしていた。精神的に追い詰められた山下はいうなれば破れかぶれ、ほっといたらやりたい放題。一見、無害で無欲な優良市民なのだ。公金を横領しているぐらいのことを言っとかないとおれは警戒しない。


 おれ達二人が対立する構図を作れば、あとはなりに動いていく。衝突は避けられないし、おれの人選はそれを想定してであって、もし山下におれがやらるとなれば話はそれまでで、逆におれが山下をやっつければ、パスワードはその時点で失われていた。山下はともかく、稲垣の計画では、おれはどっちに転んでも死ぬ運命にあったというわけだ。


 あるいは、可能性としてもう一つ。おれが単独でパスワードを解く。さらには、その可能性について稲垣は考慮に入れていたかどうか。


 正直、おれと山下の切った張ったは計画を練るうえで些細な事。条件さえ整えばほっといてもそうなる。問題はおれがパスワードを知る可能性があるかどうかであったし、おれにしても、稲垣がその点をどう考えていたかが知りたいところだった。


 夕暮れ、おれはホテルを出た。津駅で近鉄の急行に乗って久居に向かう。地元では花火大会を称する時、『サマーフェスタインひさい』より『ひさいの花火』の方が通じるようだった。車内は混雑して、『ひさいの花火』という単語がそこらかしこから聞こえてくる。


 おれの調べでは、この田舎町にはもう一個、花火大会が存在する。そちらは大正時代から続き、台船からの打上げや、疾走する船から海に投げ込むなど、様々な趣向が凝らされているという。『サマーフェスタインひさい』のようにグランドで開催かれるのとは訳が違い、どうやらそちらが本筋らしい。愛称といえば聞こえがいいが、それが“ひさい”の花火と言われる所以であった。


 揺られる車中でガキたちがはしゃいでいた。色とりどりの浴衣が目に付く。稲垣もそうだったのだろうか。通勤帰りの疲れたサラリーマンは座席から上目づかいでその子らを見ている。そんなことはかまっちゃいない。サラリーマンを尻目に弾けるような笑い声。車中だというのにスマホに向けて張り上げる声。


 電車を降りると、久居駅は大混雑だった。これも事前に調べたが、どうやらこの花火大会は知る人ぞ知るで、地元民以外からも多くの観客を集めているという。花火とは遠くから見てその美しさを楽しむもの。しかし、『ひさいの花火』はその固定概念をくつがえすものらしい。臨場感が全く違うというのだ。そして、もしそうであるならば、下手なテーマパークよりよっぽどまし。ガキにはたまらないだろう。


 そんなガキらが自衛隊久居駐屯地グランドに向けてぞろぞろと移動している。例によって固まってくっちゃべっているので、おれはというと、自分のペースで歩けない。ちゃんと歩けと注意したくなるのだが、今日のところは仕方なかろう。諦めて、おれはその流れに身を任せる。


 露店の数は百五十という。確かに壮観である。何にもないグラウンドに露店が並び、それと提灯電球の明かりで模擬商店街を作っている。そこに溢れんばかりの人、人。ローカルといっても馬鹿には出来ない。去年は六万人集めたらしい。


 まるで頭の上で花火が咲いているようだった。市街地のど真ん中で、まぎれもなく本格的な花火大会。観覧席から打ち上げの場所まではそう遠くないはず。そして案の定、燃えカスや火の粉が降り注いでくる。それに爆発の大音響。


 鼓膜を震わすどころか、体の芯まで震わす迫力におれは『インディアナ号』が爆発したのを連想した。そう、稲垣は言ったのだ。


「死ぬには時と方法を選びたい」 そして、「葬儀は派手な方がいい」


 稲垣が本当に死んだのは八月三日。一方、高校二年にこの『ひさいの花火』を見たのは八月の第一土曜日、二十九年前の八月三日。


 そうなのだ。同じ日付。山下が悪夢で見た場所をこの目で見たかった。それもあるが、おれがパスワードの答えを出すのは『ひさいの花火』の日以外、考えられなかった。


 露店が立ち並び、大勢の人が往き交う。頭の上で花火が大きく輪を広げている。そして、はしゃぐ十七八の男女のグループ。


 写真と同じだった。


 いつの時代も変わらないようだ。五人の写真を手に取る。「あーあ、友達だなんて言わなければよかったなぁ」 それは山下の言葉だ。こうも言っていた。


「花火大会の日に僕がみんなに言ったんだ。ずっと友達だって」


 おれの頭上で爆音とともに大輪の花が咲く。


 パスワードは“ともだち”だと山下は言った。主旨が違う。“ともだち”じゃぁなく、僕たちはずっと友達なって若き日の山下らはそう“やくそく”し合ったんだ。稲垣はその半生で、絶えずその言葉の意味を考えていた。山下らの、言っていることとやっていることがあまりにも違い過ぎたんだ。


 おれにしてみりゃぁ騙されたってだけだけど、稲垣陽一にとっては違う。“約束”という言葉の意味を考えたのだろう。やつはある意味狂っている。考えたと言ってもちょっとやそっとではない。思い込みや常識的なことを取り払って、感覚的でなく、人の経験を超え出た恒常的真理、“約束”という言葉の普遍性を追い求めたんだ。


 言葉の本質の考察とは、とりもなおさず人という存在がどういうものかを明らかにする作業でもある。やつは山下や島田や水谷や横山を信じていた。それで頭脳に支障をきたしたのだろう、まるで相反するコマンドを入力されたAIのようにやつは言葉から人間性を排除するに至った。


 結局一周廻ってシンプルに、言葉そのまんまを捉えることになった。誰と誰がくっついていようが別に構わなかった。「ずっと友達な」の言葉の中にあった山下らの人間性は失われ、“約束”という言葉だけが稲垣の中で生き続けた。やつはやつなりに疑うべくもなく自分自身の人間性までも取り払って、“ずっと友達な”をやり遂げたんだ。


 だが、それもこれも、全てはおれの推測である。無い頭を絞って稲垣陽一の頭の中がどうなっているかを想像しただけのことだ。理屈なんてどうとでも言えるし、もし稲垣陽一が生きていて動機を喋ったとしても、おれの頭脳では理解できるかどうかは分からない。言いたいことは、そう、真相は藪の中だということ。


 山下賢治は航海直前に稲垣と会っていた。その時、稲垣は山下に思いもよらない方法で、本人の意図と関係なく自殺を手伝わせた。実際、稲垣本人は死んでいないのだから、手伝わせたと見せかけただけなんだが、そのことによって稲垣は、山下に暗示を掛けることに成功した。山下としては相当こたえたろう。意図してなかったが、やったことは殺人である。しかも、そもそもが山下には罪悪感がある。稲垣はその気持ちにつけ込んだというわけだ。案の定、それで山下は毎晩、夢に悩まされ続けるはめとなる。


 つまり、山下を殺さず残したのはパスワードを打たせるため。


「やくそく。そう、それがパスワード。そうだろ? 稲垣」


 一年待ってよかったと思う。爆発の臨場感、そして、規則正しく放射状に飛び散る色とりどりの火。あちらこちらから、どよめきや歓声。


 ――― 花火。


 だが、おれはずっと勘違いをしていた。


 なにが「太陽がいっぱい」だ。人を小馬鹿にしやがって。現世のことわりから脱したお前は完全犯罪だの、誰かに罪をおっかぶさせるだの、そんなこたぁどうでもよかったんだ。お前はディスプレイに正しいパスワードを入れてもらいたかった。おれに匂わせぶりみたいなことを言って焚き付けておいて、お前はなんとかしてパスワードの謎をおれ達に解かせようとしていたんだ。


 製造時、爆弾はインディアナ号の行く末を見越して取り付けられた。それは船主のいなくなったインディアナ号を海に投棄するためのものだった。爆弾のカウントダウンスタートのパスワードと非常停止用のパスワード。この二つが設計に組み込まれた。稲垣陽一が出航まえに細工していたのはその既存コードの書き換え。


 “やくそく” とディスプレイにパスワードを打ったなら、インディアナ号はその瞬間に爆発していた。







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