表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/103

91


 カチッと鳴った。鍵が解除された音だ。扉を開けた。中には引き出しが縦に並んで七つある。それぞれに金のラベルが打ち付けられ、文字がこう刻まれてあった。


 Politics without Principle

 Wealth without Work

 Pleasure without Conscience

 Knowledge without Character

 Commerce without Morality

 Science without Humanity

 Worship without Sacrifice


 ウイズアウト? ウイズアウトってなんだろう。ウイズは一緒って意味だから、一緒じゃないってことなのだろう。だったら一番わかりそうな“Wealth without Work”だ。“Work”は分かる。仕事だ。


 つまり、仕事と一緒でないなんだか。あるいは仕事を含まないなんだか、とも取れる。それに引き出しの数。思い当たるのはそう、部屋の名前。資産家の間。


 労働もせずに儲けやがって、ということなのだろう。“Wealth without Work”と書かれた引き出しを引いた。


「ビンゴ!」


 睨んだとおりだった。金具のついたレザーの手帳や高級万年筆。ブランドの財布にスマホ。そして、ベンツのスマートキー。紛れもない。中小路雅彦《怠惰》の持ち物だった。


 別に中小路《怠惰》の財布が欲しかったわけではない。もちろん、資産家というだけあって誰よりもたらふく持っているのは想像に難くない。だが、案外、財布に一番現金を入れているのは大家敬一《貪欲》なのかもしれない。中小路《怠惰》なぞは現金を持たず、カードばかりが財布に並んでいる。


 かといって手帳も万年筆も必要なかった。用があるのは頑丈なベンツだけ。スマートキーを取る。ロケットランチャーのこともある。逃げるには盾になる車ともう一台車が必要だった。“Wealth without Work”のすぐ下の引き出しを引いてみた。


 おれの持ち物が入っていた。財布にガラケー、そして、アクアのスマートキー。


 運よく、二回とも一発でほしいものを引き当てた。大幅な時間の短縮になる。おれは自分の持ち物を全てズボンのポケットに押し込むとデスクの椅子を高々と担ぎ上げる。壁に掛かっているブレーカーボックスにその椅子を至近距離で、思いっきり投げつけてやった。そして、踵を返す。


 おれは田中《姦淫》の手を引いてロビーに走った。館内の電気が消えていた。カメラの制御は例の塔であろうとも、電源がそれぞれ別というならこの館の監視カメラは機能していない。それに玄関ドアは電気式のロック。


 やっぱり、というか、これも運よく、玄関ドアの電子ロックは開錠されていた。玄関ドアを突っ切るとアクアのキーを田中《姦淫》に渡す。上手い具合にアクアは、車寄せロータリーに並べられた車の一番先にある。切り替えし無しですぐにでも発進できる。


 問題はロケットランチャーだった。橋本稔《妬み》をここまで運んできた西田和義という男はそれで殺されている。


「おれが後ろを守る。さぁ、行け」


 その言葉を信用しようがしまいが、田中《姦淫》としては引き返せない状況にいた。近藤を襲撃し、洋館から出たからには制裁は免れられない。積雪の中を喘ぐように走っていた。


 田中《姦淫》がアクアに到達する頃、おれはベンツに乗り込んでいた。雪が積もったフロンド硝子から垣間見える洋館は何人もの黒覆面で右往左往としている。その内の一人が、おれ達に気が付いたようだ。慌てて玄関ドアに走るとノブに手を掛ける。


 だが、ドアは開かなかった。上手い具合に電気が復旧したようだ。非常用発電機か何らかのバックアップシステムがあるのだろう。田中《姦淫》はアクアを発進させている。おれもエンジンを掛け、強引にベンツを縦列駐車から引き出す。前の車にカマを掘り、バックで後ろの車を押しのける。


 白銀の中をまずアクアが走り、ベンツがその後を追う。平坦なところから下り傾斜に入り、二台は門を目指す。おれは絶えず後ろを警戒した。


 果たして、塔からロケット弾が発射された。白い煙を細く長く引いて、ぐんぐんと近づいてくる。門はもう目の前だった。『バットマン』に出てくるブルース・ウェインの屋敷のような門扉である。固く閉ざされ、おれ達の行く手を阻んでいた。


 もちろん強行突破である。アクセルを踏んだ。さらに速度を上げ、ビビって減速し始めたアクアのケツを馬のケツに鞭を入れるように突いてやった。


 前に弾かれ、急激に加速したアクアは鉄格子に向けて突っ込んだ。その衝撃で、門扉はひん曲がり、ヒンジが外れる。アクアはあの忌まわしい洋館の敷地を抜けた。それに続こうとおれはひん曲がった門扉をもう一度跳ね除けた、その瞬間、おれのベンツにロケット弾が着弾した。


 激しい衝撃と轟音。ところが、なぜかロケット弾は爆発しなかった。それでも、車の後部に当たった衝撃で力が掛かったのだろう、前タイヤが浮いたかと思うと着弾した勢いそのままに前を走るアクアの上におれのベンツが乗り上げた。


 ベンツにケツを押さえられた格好となったアクアは制御を失って蛇行し、だが、急傾斜の寸前、辛うじて九十度右に方向転換した。と、同時に、アクアはケツが振れて、おれのベンツを切り離す。アクアは急斜面を回避できたが、おれはというと、ベンツと共に急傾斜を転がり落ちて行く。


 不発弾? 


 斜面を転がるベンツの中でおれはそんなことを考えていた。マスターと呼ばれる男はロケット弾をどうやって入手したのか。どうせ紛争地でいかがわしいテロリストから不良品を掴まされたのだろう。とんだお笑い草だ。いい気味だ、と転がっている車の中でおれは笑いが込み上げてきた。


 ベンツは斜面を下りきって、腹を空に向けた状態で止まった。シートベルトを外そうにも逆さまになっているから外せない。不発弾といえども、燃料タンクが引火でもしたら終わりなのだ。バックルの抜けやすい位置を右に左に身をよじりつつ探る。シートベルトが外れた。慌てて車内から這出た。


 ロケット弾はトランクを突き抜け後部タイヤの軸に顔を出している。背筋に冷たいものが走った。もし車の座席部分に当たっていたなら、爆発するとか関係なくおれは死んでいた。


 果たしてベンツに火が付いた。ぱっと炎が広がり、瞬く間に燃え上がり、爆発した。


 不発弾は有難かったが、沖縄でのクルーザーの爆発といい、おれは結局、爆発の縁から抜け出してはいなかった。お願いだからもうこれでおしまいにしてほしい。


 もくもくと煙を上げるベンツは窪みにハマっていた。春になったら雪解け水が流れる沢跡なのだろう。


 遭難したら川筋を辿たどれという。爆炎を背に、枯れた沢を下っていった。これで脱出できる。車の爆発も時間稼ぎになるかもしれない。おれは死んだと敵が誤解してくれたならラッキーだった。心配なのは田中美樹《姦淫》だ。無事、逃げおおせたのだろうか。


 その時、空気を切り裂く轟音と共に、乱立する杉の大木の向こうで爆炎が上がった。アクアにロケット弾が命中したのか?


 方角から言って、洋館に沿って走る道上で爆発したに違いない。杉の森の稜線から青い空に向けて黒い煙がもくもくと上がっている。


 信じられない想いで眺めていた。あんまりだった。なぜおれのは不発弾で、田中《姦淫》のは正常なロケット弾なのか。天を仰ぎ見て、おれは膝をついた。





*    *    *



 夜明け、三人は死んだように寝ていた。海のうねりは多少残っているが、時間の経過とともにそれも収まって来るのだろう。おれ達は荒れ狂う波と風をなんとか乗り切ったのだ。


 疲労困憊し、今は何も考えずに眠るだけ眠る、といったところであろうか。が、しかし、全てが終わったわけではない。燃料メーターの針は赤い目盛のほんのちょっと手前のところで止まっていた。


 もう一回、台風はないとしても暴風雨が襲ってきたらどうなるだろう。それは言わずとも、山下らには知れる。昨夜、まだ台風の中にも関わらず、おれがエンジンを止めたからだ。運よくその時は嵐のピークは越えていた。あとは神か、守護天使か、お釈迦様か、自分の信仰か、とにかく命運を誰かに託すしかない。あの時はもう、助かる道は浮かばなかった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ