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「銃を二つ持っていたから、一方をトラップに使用したんだ」
「でも実際は、トラップは出来なかった。仕掛けを作っている最中に、後ろから頭をやられた。鈍器か、それこそ戦斧で」
「多分、トラップを造り始めたのは昨日、おれが縛られている時だろうな」
「あれは朝食後でしたから、首を切り落とされて随分と時間が経っていますね。音がしたのは翌午前二時でした。首を切ったのは戦斧で間違いない」
「夜になるのを待っていたんだ。他人の部屋に入れるのは、おれとあんた、それと黒田さんだから」
「なるほど。夜の音はフェイク。わたし達をおびき寄せるための罠。そう狩場さんは考えるのですね?」
「死亡時間が分かればなんのことはないが、おれの勘では昨夜、犯人は一人殺して満足していないはず。今頃、犯人は悔しがっているはずだ」
「で、この状況、どう思います、狩場さん。どう考えても犯人は橋本さんを待ち伏せしていたとしか思えませんね」
「大方、甲冑を着て突っ立っていたんだろ」
「そうとも知らずに橋本さんは、仕掛けを作るのに夢中だった。本人的にはいい考えだと思ったんでしょうけど、」 小西はほんの小さく嘲笑した。「その姿が目に浮かんでしまいます」
「結果的に、死体は死神を模してしまった。大鎌を壁から外そうと四苦八苦している時にやられた。犯人にとって好都合だから大鎌を持った状態で死体を残しておいたのだろう。ちょうど沼田さんの遺体に通じることこがあるし」
「そういうことか」 横で大家《貪欲》がハンカチで口を拭いていた。「ただの悪ふざけだったってわけか」
小西が言った。
「深読みは禁物ってことですね、狩場さん」
おれはうなずいた。大家《貪欲》が言った。
「まぁ、好都合っていやぁそうだな。ドアを開けてこの状態なら誰でも目はひん剥くし、動きも止まる。隙だらけっていやぁ、そうだな。どんなやつでもやられてしまう」
「ですが、」 小西が言った。「犯人にとって都合がいいのは分かります。が、死神を模したのは橋本さん殺害後のおまけ、偶然だったわけでしょ?」
おれは言った。
「ああ。犯人の狙いは違うところにあった。橋本さん殺害はあんた達をおびき寄せる罠でもあったんだ。夜、他人の部屋に入れるのは誰だ?」
「わたしと黒田さんです」
「そう。音を聞きつけ、もしあんたらがこの部屋に来たなら、小西さんは必ずこの部屋を調べる。黒田さんは大家さんが心配になって実業家の間に戻る可能性があるが、十中八九、この部屋に留まる。小西さんに腰抜けだと思われたくないからだ」
「なるほど。つまり、犯人の次の狙いは大家さんだった。犯人は、わたし達が科学者の間に入った隙に、大家さんを狙って実業家の間に押し入った」
黒田が言った。「残念だが、俺は社長から離れることはない」
「犯人は、あわよくば大家さんのガードを外したかった。あわよくばだ。で、結果は悔しがっている」
「でしたら、犯人が科学者の間のドアを出る音が聞こえて来てもよさそうなものですが、聞こえましたか? わたし達が科学者の間へすぐ来ることを想定していたら、犯人は橋本さんの首を切った途端、ドアへ向かわなければならない」
「ドアの音?」 黒田がニヤついた。「聞こえてきたのは狩場が馬鹿みたいに叫んでいたことかな」
別に助けてくれって叫んでいたわけでない。逆だ。おれは田中《姦淫》を助けに行きたかった。
「それは悪かったな。が、ドアの音がどれほど重要なのか? むしろ、聞こえたらまずかったんじゃないか。犯人は逃亡した、と思ってあんたらは部屋を出てしまう。そして、死んだのは誰かと探し回り、橋本さんを発見する。分かっているだろうが、時間的に部屋の出入り出来るのは小西さんと黒田さんだけ。それこそ犯人の思うつぼだ」
「屁理屈だな」 黒田は鼻で笑った。
「もし、もしもだ」 大家《貪欲》が言った。「犯人がマスター側の人間として、いや、マスターだとしてもいい。だとすれば、目的はなんだ。俺には全然分からない。七つの大罪とか、悔い改めとか、沼田のやつが言っていたが、俺には殺しを楽しんでいるとしか思えない。あっちこっちに隠しカメラを仕掛けて盗撮しているしな」
「スナッフビデオ」 小西が言った。「殺人ビデオの演出としてはこれ以上の状況はない」
「だったら、」 実際の殺人を撮影しているのは娯楽目的。「七つの大罪も演出だということになる」
大家《貪欲》が言った。
「どっちにしろ、橋本を殺したやつは科学者の間で橋本を待ち伏せしていたんだろ? 狩場君を縛った時、教育者の間にいたのはどいつとどいつだ」
「俺たちと、」 黒田が言った。「狩場、中小路、田中、橋本。で、橋本が追い払われた」
「全員じゃねぇか!」
小西が言った。「これは狩場さんの推理が当たってそうですね。詳しく聞かせてもらいませんか」
「沼田さんの件からだが、」 そう切り出す。「午後四時から皆がリビングルームに引き上げてくる間の数十分で、中井は沼田さんを殺した。それから一旦部屋に戻ってきておいて、夕食をやり過ごし、その夜、午後十時。通路で立っている大磯さんに、座りたいなら椅子でも持って来い、と言っておいて当の本人は、大磯さんがロビーに椅子を取りに行った隙を見て沼田さんの部屋に入った。この時、沼田さんの遺体からその首を切り落とした。当初から首は自分の部屋に持ち帰る手はずだった。中井は自分が死んだと見せかけなければならないから、沼田さんの首と血が必要だったんだ。午前三時、大磯さんがウトウトしているところを確認し、沼田さんの首をビニール袋に入れ、それとノコギリを持って通路に出た。ウールの絨毯だから足音は出ず、思惑通りまんまと大磯さんに気付かれることもなく自室のドアを開け、ノコギリと首を部屋に入れた。それから中井は、大磯さんの仕事ぶりを確認する風を装って部屋から出た。中井は自分以外に殺人を犯す者が出るかもしてれないと思っていた。寝ている大磯さんにしっかりと見張りをさせるよう叩き起こして本気で叱った。中井が政治家の間に戻ってまずやったことは、人相も分からないぐらいに沼田さんの顔を潰した。窓の格子から外に捨てた時、運悪く上を向く可能性だって有り得る。結果的には、井田さんが雪の中に見たのは血だけのようだったから上手く捨てることが出来たのだろう。頭は積雪にすっぽり埋まったようだ。因みに、バスタオルの血の匂いは首を運んだ時のビニール袋の血と、顔を潰した時に出た血を拭ったためだ。ビニール袋は暖炉で燃やしたのだろう。そして中井は午前六時前、小西さんが説明した氷と花瓶の仕掛けを作り、大磯さんをまんまと騙しおうせた。部屋を脱出し、自分が死んだと見せかけるのに成功したんだ。となれば、二日目から三日目にかけての井田の殺害は簡単だった。教育者の間に入ったのは午後七時。出たのは翌午前七時。中井はノーマークなのだし、井田さんはというと、縛られている。まんまと金槌か何かで井田さんを撲殺し、悠々とバラバラにして窓から投げ捨てた」
大家《貪欲》が言った。
「クソッ。中井の野郎か!」
「その推理に問題があるとすれば、」 小西が言った。「大磯さんがなぜ見せしめとなったのか。それとルール。なぜ中井は他の部屋に入れたか。推理は完璧じゃなかった。だから、我々に話しづらかったというわけですか、狩場さん。この二つの疑問には答えられない」
「マスターとやらはおれ達をいつでも殺すことが出来る。小西さんが言った通りそれをしないということは多分、ルールは守られているということなのだろう。おれの考えではマスターは身代金すら要求してない。なぜか分からないが、面倒なゲームにこだわっている。そして、中井はというと、どういう手を使っているのか分からないが、それを逆手に取って行動している」
「だが、それだと、」 大家《貪欲》が言った。「中井はマスター側の人間ではないような気もしてくるな」
小西が言った。
「マスターが課したゲームを本心から、プレイヤーとして楽しんでいる、とでも。果たしてそうでしょうか。だとしても、彼はすでにルールを破っている」
「いずれにしてもおれ達は今日を持ちこたえるしかない。国家に係わる人間が二人も消えたんだ。捜索は全国規模で始まっているはず」
「狩場さんの言う通り、もし、中井が犯人だとすると、思った以上にこれは厄介なのかもしれませんね。狩場さんは犯人が犯行を急いでいるみたいなことをおっしゃっていましたが、中井さんの犯行時間、言い換えればこの洋館での拘束時間は、いずれも夜間。わたしたちは外の情報から遮断されているんです。もしかして中井は、昼間は何食わぬ顔で公職に付いているんじゃぁないですか?」
大家《貪欲》が言った。「助けは来ないって訳か」
ここに来て四日も経っている。吹雪も昨日収まった。捜索隊が姿を見せてもいいはずだった。そもそも幹線道路には防犯カメラが設置されている。中井《高慢》の捜索ともなればそれらは調べられ、どの辺りで中井《高慢》の車が消えたかを把握出来ているはず。ただ、ここが私有地だから踏み込めないだけかもしれない。
もし、事を荒立てたくなければ、下っ端の警官でもいい、何か理由を設えて何食わぬ顔で、なんか変わったことがありませんか、とこの洋館に顔を出させたらいい。そして、警官は何事もなかったように去っていく。だがその実、中井《高慢》の車が車寄せロータリーにあることをちゃんとチェックしている。と、そんなことになってもよさそうなものだが、その気配さえない。
窓の外は山、山、山で一面、雪景色だった。ふと、親子のニホンカモシカが洋館のたもとを歩いているのに気付く。ここに来た時におれは鉄格子の塀を見た。延々と続いていたことから洋館は鉄格子で囲まれているに違いない。ニホンカモシカはどこから入って来たのだろうかと考える。ずんぐりした体に短かくて太い脚。それが二匹共、のっそりのっそり歩いている。ユーモラスにも思えたが、その、まったくの無警戒ぶりに、改めて自分たちが置かれている状況を思い知らされた。ここら辺りには人っ子一人いない。
そうなのだ。間違っても誰も助けには来ない。
犯人は衆議院議員、中井博信《高慢》なのだ。小西が言うように、もしかしてやつが情報を操作しているのかもしれない。
だが、と思う。犯人は変貌したのだ。それは紛れもない事実。それに橋本稔《妬み》。中井《高慢》がいかに権力の中枢に食い込んでいたとしても、そう長くは嘘をつき通せないだろう。何しろ橋本《妬み》は日本原子力開発機構理事長で、国家の要人なのだ。
小西は言った。「中井を捕まえて尋問するか、最悪、脱出することも考えなければなりませんね」
このゲームは大家《貪欲》が言うように犯人当てではない。少なくとも中井《高慢》を捕縛して、動きを封じなければならないのだ。だが、やつがどこに潜んでいるのか、が問題だった。つきとめるもなにも、居所は一つところしか思い浮かばない。例のあの塔。ロケットランチャーを発射したあの塔。そう、やつはそこにいる。