77
ハメられた感がある。今現在、ここにはいつも通り、小西はいない。それで昨日の夕食も、小西がリビングルームにいたと思い込んでいたのであろう。にしても、ダイニングルームを覗いた時、確認しなかった自分が悪い。
大家《貪欲》が言った。「と、いうことは、夕食が終わるまでの間、教育者の間に入れたのは、この中でダイニングルームに来なかった色ガキ(田中)と君だけだということになる。そして、全ての場面において井田殺害を可能とするのは君をおいてほかに居ない。この意味が分かるよな」
分かるものか。おれが犯人でない以上、この中に犯人がいるというならば、逆に井田《怒り》は殺されているはずがない。とはいえ、おれはこの中に犯人がいない可能性も考えている。が、それは今言えることではない。仕方なかった。
「なら、疑われるのはしょうがないな。おれは通路に居たんだ」
「よろしい」
おれの言葉に満足する大家《貪欲》だったが、中小路《怠惰》が気怠く言った。
「もし井田さんが生きていたら?」
黒田が言った。
「もし井田が生きていたなら、おそらくは井田が中井さんと沼田を殺したんだろうな。殺人が一時的にでも止まったんだ。どんなトリックを使ったかはしれないが、そんなことはどうでもいい。殺人が止まったという事実が俺たちにとってもっとも重要なんだ」
「あるいは狩場君が通路の番をしてくれていたからかもな。犯人が怖気ついた可能性もなくはない」 大家《貪欲》は中小路《怠惰》からおれへ視線を向けた。「だとしたら悪いが、今日も通路の番をしてもらう」
「わたしも大家さんの意見に賛成だ」 橋本《妬み》は満面の笑みだ。「しかし大家さんの論だと、もし狩場さんが犯人だとして、彼はマスターだと言うことになる。マスターを拘束するなり危害を加えたなりすれば、彼らが黙っているとは思えんが」
全員が近藤に視線を送った。
近藤が言った。
「裏ルールとして、マスターが死んでしまった場合、ゲームは終了致します」
衝撃的な発言だった。思いがけないところから大変な事実にぶつかってしまったと思った。これでは殺し合いに拍車が掛かってしまう。どんどん殺して行けばいい。最後の一人と言わずともマスターが死んだ時点でゲームは終わるのだ。しかし、それこそが罠だとしたならばどうだろう。生き残った者とその従者が助かるというルールがより強化された格好になってしまう。
それは、誰にでも理解できたようだ。戸惑いを隠せないのがうかがい知れる。テーブルで対面する大家らとおれ達は互いに目を合わすことが出来ない。各々視線を、己の手から近藤へ、そして、燭台へとせわしなく移動させたり、あるいは相手の目を見据えているようで実は口のあたりに焦点を合わせていたり、ってことになっている。この状態ではこれまでの協調性というか、協力関係は成り立たない。それどころか、もう誰も信用出来ないだろう。あるいはそれ以上で、互いに騙しにかかるだろう。
それなのに、能天気にも橋本稔《妬み》が言った。
「では、もう一つ」 重要な事実を近藤から引き出したとあって誇らしげである。
「例えば、近藤さんらが言う従者っていう人のうち誰かが、ま、仮に狩場さんだとしてもいい。それがマスターだとして、それは皆に伏せられている。なんらかの方法でわたしら『主人』に気付かれないよう従者となって潜り込んだというわけだ。それでだ。『主人』が死んだ場合、近藤さんらは、従者となって我々の中に潜り込んだマスターを大磯孝則と同じように処刑出来るのか?」
近藤が冷たく笑った。
「さすが橋本様、意地が悪い。自分の頭脳ではひとかどの研究者になれないと早い内から踏ん切りを付け、官僚になっただけはあります。そうすれば、世界有数の頭脳を生かすことも殺すこともあなた次第。橋本様、いいでしょう。答えるとして言うことは一つ。イエス」
おれを殺すのは困難でも、ガキの方を殺すのは簡単だ。つまりこれで、田中《姦淫》の身も危なくなってしまった。田中《姦淫》は中小路《怠惰》に寄り添っていた。脅えきっていて中小路《怠惰》の腕の中で肩をすぼめている。詰まらないことを言いやがってこのオヤジは、とおれは苦虫を噛んだ。
「とするなら、」 橋本《妬み》の舌は滑らかだった。「マスターは二重の危険に自らを晒すことになる。具体的に言うと、従者となったなら、自らの危険と主人の危険の両方を請け負わなければならなくなるということだ。そんなこと考えられるだろうか。このゲームの設定をしたのは誰でもない、マスターなんだ。つまり、マスターが従者というのはあり得ない」
橋本《妬み》が言うのはもっともだった。さらに続けた。「犯人はこの際おいとくとして、マスターが誰かと言えば、わたくし、井田さん、大家さん、中小路さん、田中さんの五人となる。そして、マスターだったら間違いなく従者を置く。おかしいとは思わなかったか? なぜ不公平なルールをマスターが作ったのか。フェアーフェアーと声高らかに謳えば謳うほど、こっちは怪しく思うし、実際従者がいない者はフェアーとは言えない。その事実を考えてみたまえ。つまり、マスターはもっとも優位な立場にいる者ということになる」
大家《貪欲》が笑った。
「橋本さんには従者がいたでしょ。それをあなたが手放した」
「なるほど、そうかもしれない。が、それならば、わたしはマスターではない。それにルール。わたしは夕食から十時間、他人の持ち部屋には入れない」
面白くもない橋本《妬み》の弁舌であったが、ここで風向きが変わった。おれを責めていたはずの大家《貪欲》が危機に瀕している。悔しがって舌打ちをしたが、そこは大家敬一《貪欲》。ちゃんと切り返した。
「橋本さん、あんたの目的は違うところにあるとみた。マスターにかこつけて、実は俺の影響力を削ぎにかかっている。あんたは自分が有利に立とうとしているんだ、銃弾も獲得したしな」
「話をすり替えないでくれ。見苦しいぞ」
「じゃぁなにか?」 黒田が凄む。「もし井田が死んでいて、俺たちがやったというのか? 話をすり替えているのはてめぇだろ」
いずれにせよ、話はそこに戻って来るのだ。確かめもせずに、ああじゃないこうじゃないと論じたってしょうがない。まずは行動。全員で井田勇《怒り》の安否を確かめないといけない。
ここに来る前に、なぜそれを誰一人確認しなかったかと不思議に思うぐらい、そんなことは疾うに分かっていたはずだった。マスターの意図がおぼろげながら見えたのはいいとして、それが井田《怒り》の安否と絡んできて、事態がよけい複雑となった感はいなめないのだが。
長い沈黙がダイニングルームに居座った。誰も席を立とうとしないし、それどころか井田《怒り》の話題にさえ誰もが触れたくないようだった。勇猛果敢の策士、大家敬一《貪欲》でさえ、自分の指をいじくって一人遊びをする始末。
その様子からなんとなく想像できる。おれがダイニングルームに入ったなり、ぐだぐだと絡んで来たのも、井田《怒り》が死んでいるんじゃないかという不吉な予感を信じ、怯えていたから。そして、指をいじくっているのは安否を確認するに際して、尻込みしている結果なのだろう。
まぁ、威勢のいい奴に限っていざとなると、っていうのは世の常だ。
「気持ちはよく分かった。色々と考えてしまうのも結構だが、おれ達は現実を見ないといけない」