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「ゲームだもんな」


「はい、ご自身でご確認なされば」


「いや、いい。一晩ここにいたからな」

「存じております」


 近藤が向きを変えた。軍人がする、左向け左、のようなキレのある動きだった。通路を雇人専用の階段へ向けて歩み始める。


「もう一つ、質問をいいか?」


 ピタッと止まった近藤はゆっくりと振り向いた。その表情は微笑が漏れていた。


「はい。何なりと」


 マスターだけじゃなく、この男もゲームを楽しんでいる。だとしたらこの笑いは、おれの質問がつまらないか、つまらなくないか、おれを試して楽しんでいる。だが、こう見えてもおれは今までのやり取りから、近藤が答えられる質問か、そうじゃないかはちゃんと把握している。


「一昨日の午後九時、中井さんにウイスキーとアイスペールセットを運んで来たよな」


 近藤はスタスタ近付いてきて、おれの鼻先で言った。「はい」


「なんと注文を受けた?」


「カフェモルトか、響12年か、マッカランがご所望のようでして、どれがあるのか? と」


「いや、マッカランは現場で確認したから分かっている。その他にはなんと?」


「そうですねぇ」 近藤はおれから視線を逸らし、上へと向けた。それがまたおれへと戻って来る。


「確か、一席五千円のスナックで出すアイスペールセットで持って来るなよ、おれが欲しいのは水で五千円を取るクラブのアイスペールセットだ、とおっしゃってました」


 銀座? 自分の金で飲んだことないくせによく言う。まぁ、それはおいとくとして。


「アイスペールは見た。実際、氷はどれくらいもつんだ?」


「はい。蓋を閉めれば一晩は」


 やはり。花瓶のトリックは中井博信《高慢》が仕掛けた。


「質問はそれでよろしいですかな」


「ありがとう。いい話が聞けた」


 微笑をたたえたまま近藤は、一礼して去っていった。おれは快楽趣向家の部屋に入り、寝室をノックした。


「朝食の時間だ」






 寝室から一歩も出ない田中《姦淫》が朝食に行くと言った。おれは田中《姦淫》を守ることが第一なわけだけど彼女に振り回されるのは苦痛だった。中井博信《高慢》が犯人だとは言い切れない。それは単なるおれの想像だ。推理なんておこがましい。


 それにしても田中《姦淫》は遅い。朝食にダイニングルームへ行くと言ったが本当に行く気があるのだろうか。田中《姦淫》にしても、近藤に頼めば朝食を持って来るのは十分承知なはずだ。また気が変わって、行かないと言い出すんじゃないか。


 行かなければ行かないでいい。ダイニングルームに行くなんて意味がないし、それよりかはここにいる方がよっぽど身になる。行かないなら、行かないと言ってほしい。だが、田中《姦淫》は寝室から現れた。


 おれ達がまごまごしている間に、ダイニングルームにはすでに全員揃っていた。生き残っていて、拘束されていない面々だ。近藤の給仕で食事は進められていく。


 昨日は大家《貪欲》と黒田だけが、昼晩ちゃんとダイニングルームで食事をした。橋本《妬み》と中小路《怠惰》は昼飯も部屋に籠りっきりで、夕食まで外に出なかった。田中《姦淫》なぞは昼飯を食わなかったうえ、おれに夕食をダイニングルームまで取りに行けと命じた。


 誰も試してなかったが、夕食を自室で食えないことはないと思った。小西はリビングルームでしか飯を食っていなかったし、死んだ中井《高慢》だってウイスキーを運ばせていた。そもそも食事はダイニングルームでしか取れないとは、おれはここへ来てから一度も聞いたことがない。


 そうとはいえ、通路を見張ってなければならないのを知りつつこの仕打ちだ。いくら説明したってガキだから道理が通じない。近藤にしてもダイニングルームで給仕をしているのだろう、呼んでも来ないし、おれが行くしかなかった。


 道中、年甲斐もなく馬鹿みたいに慌てた。よっぽどだったんであろう、近藤はおれの様子を見て、二つ返事で田中《姦淫》の食事の件を了承し、あとはお任せを、と言ってくれた。そしてその通り、食事はおれが運んで行くまでもなく、近藤が給仕の合間に部屋へ持って来てくれた。


 それに味を占めたわけでもないのだが、夕食以降、おれは近藤にコーヒーやら茶請けを盛って来させた。近藤は呼ぶとすぐ来る、二十四時間営業だっていうのはそういうことだった。


 井田勇《怒り》の騒動から一夜明け、皆は落ち着いたのだろう、ダイニングルームに入ると田中《姦淫》は、中小路《怠惰》の横に座った。おれもいつものごとくそこから一つ席を空けて椅子についた。


 ほぼ正面には大家《貪欲》と黒田が雪景色をバックに、トーストに噛り付いている。小西は相変わらずリビングルームで食事をしているのだろう。中小路《怠惰》がいる限り、ダイニングルームの椅子には座らないつもりなのだ。


「来たなり申し訳ないんだが、狩場君」 大家《貪欲》がナプキンで口をふいた。「教えてくれないか?」


 目の前に置かれていくトーストやらスープやらを尻目におれは言った。


「おれに教えられる新情報はなにも持っていないが?」


 大家《貪欲》が笑った。


「いやいや、死んだ中井さんらのことではない。あんたのことだ」


 嫌な感じだ。おれはこいつらを相手にしないことに決めた。ベーコンを乗せたトーストを二つ折りにし、口に運んだ。言いたいことも大体は分かる。案の定、大家《貪欲》が言った。


「週刊誌で読んだんだがね、去年の夏だったかな。クルーザーで海に出かけた五人が遭難した。そこで殺人が起こった。君はそれに乗っていたんだろ?」


 黒田が言った。


「森つばさって、どうだった? いい女だったか?」


 森つばさ。おれはその名を心の中で反芻はんすうした。


 いい女だったさ。ソバージュの髪を三つ編みに束ねて、ブルーにオレンジ、それに白の、三色ストライプの水着を着て、腰にパレオを巻いていた。その女がおれの目の前でくるりと回る。パレオが花のようにフワッと開き、三つ編みが円を描く。青い空に似合った活発さと文化人らしい小生意気さの、かわいらしい女だった。


 大家《貪欲》が言った。「黒田、野暮はよせ。いい女だったって狩場君の顔に書いてある」


 黒田は手を叩いて笑った。「社長、俺には未練たらたらって顔に見えますがね」


 小馬鹿にされると腹が立つが、どちらかというと黒田の方が当たっていると思った。週刊誌では淫乱とか、売女とか、好きなことを書いてあったが、彼女はそんな女ではない。妻を持った男を愛したが、ある意味それは自己犠牲だったとも言える。そして、献身は愛でいうなら最上級なんだ。彼女の心には、やましいところはない。誰が何と言おうと彼女の生き様には、まさしく正義があったし、おれはというと、そういう人が好きだった。


「まぁいいじゃないか。それより山下賢治だ。狩場君、あんたはやつを出し抜いたんだろ? 生き残った者には五百億与えられるというデスゲーム。いや、山下賢治こそが遺産分与の場をデスゲームに変えてしまった張本人だったようだが結局は、そのデスゲーム。勝者はいなかった。それでも、あんたは生き残った。何が決め手だったんだ?」


 それが訊きたかったのかよ。言った。


「運」


 黒田が机を叩いた。「真面目に答えろ、狩場!」


 真面目も真面目、大真面目だと思った。台風が来なかったら、その台風を乗り切れなかったら、そして海がうねってなかったら。


「なぁ、狩場君」 大家《貪欲》はテーブルに両の肘を付くと額の前で手と手を組んだ。


「実はな、俺たちはこの中にマスターがいると睨んでいる。あんたが沖縄の海で出くわした事と状況はそのまんま同じだ」


 言っている意味が分からない。


 大家《貪欲》が言った。


「あんたは生き残った。理由があるはずだ。つまり、俺たちが言いたいのは、山下賢治は犯人ではなかった。どうかね?」


 週刊誌の記者も事件の真相を知りたがっていた。


「話すことはない」


 黒田が言った。「狩場、社長が今言ったろ。この中にマスターが潜んでいるって」


「それと山下のどこが繋がる?」


 黒田の目は暗く濁っていた。「真犯人は他にいる」


 おれは言った。


「つまり、沖縄の事件はこのおれが犯人だった、と黒田さんはいうわけだな」

「図星だろ?」


 大家《貪欲》が言った。「まぁ、待て。俺はそこまでは言っていない。ただ、俺たちは沖縄であったことを詳しく知りたいんだ。それによっては、あんたを勘弁してやってもいい」


 勘弁? 食事の手を止めた。


 大家《貪欲》が続けた。「狩場君、今、君の立場は厳しいところにある。さっきも言ったろ? 君がマスターだと言う者もいる」


 言う者? 黒田じゃないのか。


 さらに言う。「君は、君自身の潔白を証明しなくてはならない」


 本当に、馬鹿げている。あれは人に話すものではない。おれの問題でもあったが、そもそも稲垣ら五人の問題なんだ。誰にも口出ししてもらいたくない。


「言わないって面だな。だったら俺たちにも考えがある。例えば、井田が死んでいたらどうする? 狩場君は通路で見張り番をしていたんだろ?」


 こいつら、井田さんを餌に使うつもりだ。「あんたら、やり方が酷くないか?」


「銃も奪われ、君も俺のところに来ないという。こっちはあれだけのことをしたのに何の実入りもない。当然のことだろ?」


『貪欲』と冠するだけはある。行動の結果、それに見合う何かをどうしても手に入れたいらしい。しかも、ただのおねだり屋と違ってちゃんと考えられている。褒めてやろう。だが、残念だったな。


「死んでいるはずがない。おれが席を外したのは、トイレに行く時と夕食を持ってくるよう近藤に言いに行った時くらいだ。ダイニングルームに顔を出しただろ。ドアからちょっとだけだが、」


「顔を出した程度な」 大家《貪欲》が不敵に笑った。「それは皆が知っている」


「ものの五、六分ぐらいか。その時間を除けば、おれの知る限り井田さんの部屋には、確かに誰も入っていかなかった」


「もし井田が死んでいたとするならば、近藤のところに来ていた間に、誰かが井田の部屋に入ったというわけだな」


「それは保障出来ないが、トイレは不定期だ。他の誰かがおれを見張っていたならまだしも、近藤のところに行った時は皆、食事中だったろ?」


「うちの小西はリビングルームだ。小西を疑うか?」


 ダイニングルームには雇人専用の階段を使用した。リビングルームからロビーに出て広い階段を上がる導線とはかち合わない。例え小西がロビーを階段に向けて歩いていたとして、ばったろ出くわすことはないのだ。


「近藤に夕食を頼みに行った以外、おれは通路にいたんだ。もし井田さんが死んでいたらそうかもな」


「残念だったな」 大家は不敵に笑った。「昨日、ダイニングルームをちゃんと覗いてなかったのか? 小西も俺たちと一緒だったんだ。事情が事情だからな、さすがに小西も断れなかったようだ」








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