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 横山が死んで、もう殺人は起きないと言い切れるだろうか。山下と島田のいずれかが死ねば残った人間が真犯人で、それがわざわざ自分の正体を分からせるような愚を犯すはずがない。もし、もしもだ。それでもいずれかがまた殺人を犯すとして警察をあざむくならどうするだろう。考え得るのは犯人以外皆死んで、たった一人が残ることだ。死人に口なし。つまり海難事故を装うしかない。


 とすれば、マリーナの隣の船主、佐藤が見た幽霊が何を意味するか。当然それは人影で、この船に何かを仕掛けていた。爆弾は言い過ぎかもしれない。あるいは、おれ達の位置を示す発信機のようなものでもいい。


 例えば武内忍なぞは大金持ちの望月望がパトロンである。船の一つや二つ持っていよう。それが武装してこっちに来る。おれ達としてはこの大海原で襲われたらひとたまりもない。全員行方不明。それこそ海難事故で片付けられる。


 いや、そんなことを言っているのではない。この船にいる誰かが、さらに犯行に及ぶか及ばないかをおれは言っている。つまり、船だけを沈めて己ひとりが助かるってことが可能なのか。言い換えれば、船無しで、この大海原から己一人が無事に脱出出来るかということ。


 無理だと思う。ライバルを減らすのはこれが限界。真犯人としては誰かを犯人に仕立て上げる。方法としてはそう、友達を殺してしまい罪悪感にさいなまれて犯人は自殺したっていうのはどうだろうか。つまり、真犯人は誰かを殺し、そいつの自殺を偽装する。犯行はまだ終わってない。


 あるいは、二人が共謀しているとか。一方が犯人役を買って出て、罪を一身に受ける。だがそれはない。片っぽは公金横領だし、片っぽは慢性アルコール中毒なのだ。人に助けを求めても、誰かのために己を犠牲にするような殊勝な心掛けがあるとは思えない。


 航海はというと、すでに五日目。七月三十一日に出航して、今は八月四日の午前七時。半分の行程をほぼ終え、あと五日間を残す折り返し地点である。状況は人が二人死んで、船は陸地からもっとも遠い。それでこれから殺人ではなく、自殺者が出る。結果、真犯人はのうのうと金を手に入れ、おれはそいつの雇われ社長。そいつはおれの上司を気取る。それこそ完全犯罪。皆藤真殺しなんてまったく目じゃない。


「たまったもんじゃない。おれは帰る。一番近い港へ一直線にな」


 横山の遺体は水谷の横に寝かせていた。死因は毒死。青酸カリだろう。ブランデー、レミー・マルタン ルイ十三世に微かにアーモンド臭がした。小説においてその匂いが青酸カリというならその通りだし、日本初の青酸カリ事件で言うなら、まさに紅茶が絡んでいた。やはり甘い香りがしたというし、殺された校長は教員らの給料を区役所から受け取ったのち、喫茶店で紅茶を飲み、大金を奪われた。


 横山が紅茶にブランデーを入れるのは皆承知していた。アフ岩に資料を捨てに行った航海三日目(八月二日)の朝、だれもが目撃している。


 その横山はというと、水谷が死んだ四日目(八月三日)はショックでそれどころではなく、ブランデー紅茶を飲まなかったようだ。つまり、三日目の朝食後から五日目の朝までに誰かがブランデーに青酸カリを入れた。横山は決まって朝に紅茶を飲む。ことによっては航海四日目の朝に横山は死んでいたのかもしれない。


 その間、武内らも来訪していたのだが、武内らには毒を入れるなんて不可能だったし、それを考えること自体、ナンセンスだといえる。おれ達は大海原にいる。こそこそする必要がないのだ。武内らがやるならハリウッド映画なみにガツンとかましてくるだろう。一人殺し、二人殺し、なんて御苦労なことを、何度も危ない橋を渡ってするはずがない。


「おれが操舵している間、トイレとシャワー以外は二人ともメインキャビンに居てもらう。勝手は許さない」


 山下が言った。「それは命令か?」


「おれには命令されたくないか?」


「いいや、君はこの船のキャプテンだ。従うよ」 そう言って山下は島田を見た。


 島田はうなずいた。


 この二人といえども、もう金のことを言うまい。稲垣との約束は果たされたし、とっとと帰る。操舵席に着いた。


 エンジンを掛けた。するとどういうわけか、インパネが鋭い警告音を発する。立ち上がってきたディスプレイはというと、赤一色で、鳴り響いていた警告音が途絶えたと思うとそれが言葉を発した。


『この船は乗っ取られました』 


 デジタルで作った音声。それが三回繰り返された。


 言っている意味がよく分からない。「山下! これはどういうことなんだ」


 山下はすでに操舵席のシートに手を掛けディスプレイを覗き込んでいた。


「わからん。とにかく連絡だ」


 無線を取った。が、プーともザーとも言わない。おれ達は顔を見交わした。言葉が出ない。沈黙と共にメインキャビンの中に重たい空気が押し寄せてきた。脳裏によぎったのは、船内の電気は全てだめになった。


 背筋に冷たいものが走った。無線の表示も消えている。空調の音も途絶えた。無駄だと分かっているはずなのに無線のマイクを手に取ってその電源を何度も入り切りした。その一方で、混乱するおれ達をせせら笑うかのようにディスプレイが変化する。赤の画面に換わって黒一色になった。そして、ディスプレイは白の文字を浮かび上がらせた。


 ディスプレイの下半分にはひらがなの五十音が並んでいた。上半分はパスワード。四文字。まるで本屋で本を調べる機械のディスプレイのようだ。そして、右下に時間。どんどん秒の数が減っていっている。カウントダウン。


 スタートは百二十時間だったのであろう。それから換算するとゼロになるのはおそらく、八月九日の午前七時。


 はっとした。燃料メーターの目盛の意味。エンジンはいつの間にか正常に作動していた。電源も復旧している。無線を取った。これは依然として生きていない。というか、機械自体が壊れているようだった。液晶の表示は相変わらず死んでいるし、過電圧が掛かったのかそれ自体、焦げ臭い。


 固唾を呑む。そういうことか。


 操舵席を立つと同時に山下をぶん殴った。山下は吹っ飛んでメインキャビンの中央に転がった。おれは急いでアフトデッキに出た。ロープを手にし、戻って来ると転がっている山下を有無も言わさず両手を後ろで、それと両足も、縛り上げた。


「島田! 山下を見張っておけ」

 

 そう言うとスタッフキャビンに向かった。海図。デスクに丸めてあったそれを手に取ると階段を上ってメインキャビンに戻った。


 縛り上げた山下を足元に、ダイニングテーブルの上で海図を広げた。今日までのコースを指で追う。


「間違いない」


 山下が言った。「これはなんのつもりだ? 狩場さん。もしかして昨日殴った仕返しか?」


「あんた、このパスワードが解けるだろ。今すぐ解いてくれ」


「意味が分からない。分かるように説明してくれよ」


「ああ、してやるよ。やはりこの船には仕掛けがあった。おれの考えでは燃料メーターの赤い目盛に針が指すとこの船は爆発する。昨日、水谷が死んだ時点で港に帰れば、二十ノット走行をしたとして本島に三.六海里足らずに、つまり六.八キロほど届かずに、海上で爆発する。それはあんたしか知らない。慌てて帰っているところで爆発直前、あんたはゴムボートに乗り換える。陸地はもう目の前。船は爆発、あんただけは助かるって寸法だ。で、先に進もうってパターンになったら、つまり今の状況だ、ここから折り返すとしよう。二十ノットで約二時間十九分走行、四十六.三海里、つまりここから八十五.八キロの時点で爆発する。本島まで百九十二キロも足りない。で、このディスプレイだ。折り返し地点に達し、エンジンを回したら時限爆弾が作動するよう、あんたは仕掛けておいた。おそらくは、パスワードを入れれば手動に切り替わるのだろう。走行するも沈めるもあんたは自由自在。ぼくら全員を殺して良い頃加減のところで船を沈める気だったんだ」


「ぼくが? 冗談じゃない」

「あんたしか出来ないんだよ。時間的にも技術的にも」


「ぼくの趣味か? 誤解してるよ。君のいうそれはプログラム。僕のはPCの組み立て」


「いつまでそう言っていられるかな。パスワードを教えなければおれはあんたに何をするか分からない」


「ちょっと待て。よく考えてみろ。犯人が自分自身を追い詰めるようなことをするか? いいかい。ぼくはハメられたんだ」







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