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しかし、どこから手を付けようか。呆然と部屋を眺めていると違和感を覚えた。なんだろう。六月に来た時と何かが違う。
その場に突っ立っていてもさっぱり分からない。このまま眺めていても埒が明かないし、おれは諦めざるを得なかった。なんたって雲をつかむような話なのだ。部屋には横山や水谷が持ち込んだ物が溢れている。
帰港しなければならない。殺人事件が起こったのだ。あるいは、海上保安庁に連絡するか。皆藤真の死体は諦めざるを得ない。残念だが沖縄に戻って警察が入れば十中八九、人の目に晒される。
その点で、何から何まで燃やしてしまった稲垣に感謝? しなければならない。警察はおれに対して皆藤真との関連性を見いだせないだろう。稲垣の方は緒方の線から調べられて足は付くだろうが。
ともかく、おれが犯人と横山に疑われたら、とぼけ通す。なにしろ彼女はおれにだけ行動パターンを教えたのだから。
山下に、上がろうと声を掛けメインキャビンに戻った。
「殺人が起こった以上、このゲームは終了だ」
山下ら三人の前でそう宣言した。異論が出るはずもないと高を括っていたが、誰にも相談せず、いきなり言ったのは失敗だった。横山が異論を唱えた。
「賢治には権利を渡さないし、武内にもそう。わたしは期間内に犯人を捕まえる。それで会社はわたしのものにする」
横山が言うには昨日、四人は合意した。山下賢治を代表とする。それで会社の現金二百億を、水谷と島田に等分し引き渡す。横山は一銭も取らないということで皆に納得させたらしい。あとは、決まったこのことを、会社の株式三割五分持つおれに納得させるのみで、承諾すれば念書を書き、そこにサインと拇印。以降、トラブルがないようにする手はずだった。
それがこのざまである。横山は我慢ならなかった。
「高校一年の時からわたしと正人はつき合っていたわ。賢治はわたしと正人のクラスメイトで、特に正人と仲が良かった。正人は同好会の関係でクラスは違うけど陽一君を知っていて、陽一君はというと同じクラスの恵美と仲が良かった。賢治はことあるごとにわたしたちにくっ付いてきた。なんで? ってその時は思ったわ。邪魔しないでって普通思うでしょ。理由は正人が陽一君と友達だったから。それで賢治は正人を介して陽一君と知り合い、恵美とも仲良くなった。あんたは最低よ。恵美も」
横山は長年腹に抑えていたことをぶちまけたようだ。それで二人に稲垣の金を貰える立場でないことを示したらしい。何も言い返さない山下と島田を見れば分かる。だが、横山も二人を責めることが出来ようか。五人は集い、そして最後には、稲垣が爪弾きになってしまった。花火大会の写真、あれはこの五人が最初に揃って出かけた一番いい時を写したもの。
「山下も、島田も悪いだろうが、横山と水谷、あんたらも同罪だ。皆、金を貰う資格はない」
そう言って、おれは操舵席に向かった。一刻も早く帰るんだ。
「待ちなさい」 横山が言った。「狩場さん。あなたは自分が犯人じゃないって風だけど、あなただって容疑者よ。だってわたしの行動を知っているのはあなただけだし、鍵だって持っているかもしれない。それにわたしたちは話がついていた。あとはあなただけ」
「ちょっと待てよ。おれがやったとでも?」 聞捨てならなかった。
「そうじゃないとは言い切れない。あなたにも動機もある」 横山ら四人が不在の時に武内と接触した。そして、おれはこの四人に稲垣の金を渡したくなかった。
「ばかな。冗談にもほどがある」 操舵席に背を向け、船尾側にいる横山へと向かった。が、意識が飛んだ。山下がワインの壜でおれの後頭部を殴ったからだ。
朦朧として体が言うことを聞かない。おれは山下のなすがままだった。床にうつ伏せされ、後ろ手にロープで縛られていた。横山の声が聞こえる。「さぁ、話し合いましょ、誰が会社を貰うかを」
山下は縛り終えておれを眺めていた。表情にあったのは満面の笑みだ。「こいつは犯罪者だ。会社の権利はもうないってことでいいんだろ?」
横山が笑った。だが、おれを捕らえて満足したっていう笑いではない。明らかに、人を馬鹿にするような下品な笑いだった。
山下は唖然と横山を見ていた。戸惑うのも無理もない。やつとしては、どこも間違ってはいない、横山の望んだ通りのことをやったまでだった。
さっきまで笑っていたのが嘘のように、横山は冷たい表情に変わっていた。おれたちを見据えるとこっちに向かって来る。内心、怒りに打ち震えているはずだ。が、妙に落ち着いているようだった。足取りも普段と変わらず、しかも、真っ直ぐこっちには向かって来ない。横に逸れ、キッチンに入った。
その理由は至極簡単だった。山下の横にしゃがみ、おれを見下げる横山の手には包丁が握られていた。山下が静かに言った。
「かたき討ちかよ。やっぱ、そうなるか」
「そう見えるわよね」 横山は山下に包丁を向けた。「賢治、下がって。恵美のところまで」
面食らって、山下はすごすごと離れて行った。「いったい、どういうつもりだ。さっきは狩場を犯人だと言っていたじゃないか」
「あんた、狩場さんに罪を擦り付けて自分が全部貰う気でいるんでしょ。それとも二人でってこと? 恵美」
「わたし、やってないわ!」
「さぁ、どうだか」 横山は、おれを縛っているロープに包丁を入れた。だが、まだ切らない。
山下が慌てる。「やめろ!」
「近付かないで!」 横山は包丁を山下に向けた。そして、おれの耳元で言う。「もう帰るとは言わない?」
二対一。そのうえ向こうには男がついている。形成が悪いってわけか。「ああ、約束しよう」
横山はおれのロープを切った。
「言っとくけど、わたしは狩場さんが犯人じゃないと思ってる。それに誰が船を動かすの? わたしは狩場さんが帰るって言ったからこらしめただけ」
「こらしめたのはおれなんだがな。加奈子は黙認しただけ」
やはりおれはボディーガードってわけか。痛みが残る頭を振った。「ひと暴れしたいところだが、で、どうするんだ? あんたら」
山下が言った。
「だれが犯人か、捜すしかないだろ?」
「いいのか? そんな口、叩いて」
「いいもなにも、少なくともそれで一人が脱落する」
島田が言った。
「勝手にして、わたしはやってないし」
ワインセラーから壜を取ると島田はキッチンでグラスに注ぐ。先ず一杯は一気に飲み干す。それから二杯目にかかる。
呆れた山下は、無視を決め込んだ。「まずは持ち物検査だな。鍵を見つける」
「良い考えだ。なら全員一緒だ。裏工作の間を与えたくない」
横山が言った。「賛成ね」
島田はまだワインを飲んでいる。山下が言った。「恵美!」
「勝手にやって。わたしはここにいる」
山下はお手上げのようだった。「どうする?」
横山が言った。
「アフトデッキにでも出ていてもらおうか」
山下はうなずいた。「恵美! ついて来ないなら外に出ていてくれ」
島田は駄々をこねなかった。鍵探しが嫌とかじゃなくて、どうしても酒が飲みたい気分だったのだろう。分かったわ、と気だるそうに言った。そして、アフトデッキに出る。手にはワインの壜とグラス。山下がキャビンドアの内側から鍵を掛ける。これで島田は何も出来ない。
「恵美。俺たちのうちの誰かがおまえのバックに鍵を入れるかもしれんぞ」
さすがにキャビンドアもリーバ製だった。山下の声は外へは届いていないようだった。島田は放心状態で水面を眺めている。
「どうでもいいってよ。さぁ、始めるか」
とはいえ結局は、鍵は見つからなかった。あるいは、犯人がもう海に捨ててしまったのか。正直、納得が行くまで探せたと思う。無いのなら、仕方がない。他になにか考えなければならないだろう。
その晩、夕食は各人がばらばらでおこなった。横山はVIPキャビンを離れなかった。死体を腐らせないように冷房をガンガンに入れているはずで、凍えるような寒さに違いない。
マスターキャビンに移ったはずの山下はというと、ゲストキャビンに戻っていた。横山が言った五人のグループの成り立ち秘話に、島田が殊の外反応したようだった。山下を追い出してマスターキャビンでずっとワインを飲み続けている。
おれはというと、スタッフキャビンで午前零時を待っていた。最終目的地点、緯度二十三度四十九分、経度百二十七度五十四分に向かわなくてはならない。そして、速やかに皆藤真の死体を海に投棄する。