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 小説家としては面と向かってネタ元をばらされることほど恥ずかしいものはない、らしい。横山の顔は真っ赤になる。それを島田が見逃さない。


「加奈子、熱でもありそうね。お医者さんに診てもらったら?」


 水谷が言った。「ご心配なく。昨日、診察しました。健康体です」 


 今夜の横山は分が悪い。皆にからかわれているようだ。しかし彼女のおかげで四人はすぐに昔に戻りえた、と言っていい。


 それから四人の話題はコロコロ転がった。昔話から最近のことまでなんの脈略もなく続く。水谷が言う。


「ところで家族にはどう言った? スマホ、電池切れだろ? 外洋に出るまでは連絡できるって言った手前、なんか勘ぐられても嫌だし、ぼくはみんな喧々ガクガクで言葉さえ交わしてくれないって言っておいたよ。それとこの船、ヨーロッパ製だって話をした。だから充電できないって。ところがそんなこたぁ、どうでもいいみたい。嫁も娘も大喜びでさぁ。電池切れる前に船や景色の写真送ったよ。そしたら今度は一緒に来たいって」


「ぼくんところも同じさ」 山下が言った。「息子なんかはさぁ、僕を心配してくれて友達は大事だ、仲良しろよって。恵美んところは?」


「わたしなんかよりこの船の方に興味あるみたい。今度行くときは大学の友達連れてっていいかって」


 家族持ちの三人は顔を見合わせて笑った。山下は男の子が一人。十七歳になるという。水谷は女の子と男の子。十五と十歳。島田も二人。両方とも女の子で二十歳と十八。当然だが、横山は子供がいなかった。三人の話が延々と続くのに置いてけぼりであったが、ふんふん、という横山の相槌が聞こえてきた。一生懸命聞いているのである。特に島田の娘の話には興味が引かれるようだ。なんたって自分の小説を一番買ってくれる年齢層で性別なのだ。安心して、おれはその辺りから本に集中するようにした。


 小説も終わりに差し掛かろうとしたころ、島田の泣き出す声におれは本をテーブルに伏せた。


 一体何が起きた? 覗いてみると島田は小さな子供のように泣いている。大声を上げたかと思うとヒックヒックとしゃっくりをする。泥酔。あまりにもぐでんぐでんで、らしくはなかった。


 ダイニングの方に背を向けた。じろじろ見るのもよくない。誰しも酔って発散したいことはある。実家の会社がつぶれたなら尚更だ。さらにそれが全員の知るところであるというのもよくない。家庭の話を楽しそうにしてもそれが強がりだと見破られているのだ。人を見下してきたとは言わないが、恵まれてきた人間には耐えられないことだろう。


 島田が言うには、今まで吐露する相手がいなかったそうだ。吐き出したかったが吐き出せなかったのだ。それはもちろん稲垣のことだ。ある日電話が掛ってきて会う約束をした。東京に出てきて二年目のことである。新宿駅一番ホームの池袋よりで落ち合うことになったが、いざその時になったら島田は行けなくなった。用があったわけではない。気持ちの問題なのだ。部屋を出る前、稲垣に電話をした。風邪をひいたと嘘をつこうとしたけれど、掛けても掛けても稲垣側は取らない。当然である。今みたいに携帯がなかったのだ。稲垣は川崎に住んでいた。東中野に住んでいる島田より先に家を出る。そんなこんなしている間に一時間程稲垣を待たしてしまった。遅れてきた理由を島田は尤もらしく話したが、風邪をうつすかもしれないという言葉に稲垣が察したのだろう。ごめん、じゃぁまた、と言うとちょうどホームに滑り込んできた山手線内回りの車内に姿を消した。


 あの呼び出しはどういうことだったのだろうか。もう少し一緒にいて、それこそ昼食だけでも一緒にして稲垣の話を聞いても良かったんじゃないか。あんなによそよそしくする、いや、おどおどする必要はなかったんじゃないか。


 このごろ、島田はそれをよく考えるという。子供もほとんど巣立ったようなものだ。家で一人になる時間が島田の生活にどっと押し寄せてきた。あの時の稲垣の気持ちが知りたかった。


 当然、他の三人は稲垣が島田に好意を持っていたのは知っていた。それからしてみても、稲垣は島田を忘れられなくて電話を掛けたのは間違いなく、しかし、そのころはもう島田と山下は付き合っていた、仕方なかったんだというのは他の三人の意見で、稲垣の焼身自殺があったからこそ、罪悪感にさいなまれているのだと慰めた。


 それでも島田が立ち直れない。意を決したのか水谷は言った。三か月ほど前、稲垣の診断を行っている。その時、病状を稲垣に口止めされていた。皆に言わなかったのはぼくの落ち度だった。山下も言う。稲垣が死ぬというので必死に止めた、ぼくの力が至らなかったと。


 いいや、やっぱぼくが一番悪いと水谷がそれに返し、大学四年の終わりにあった出来事を語った。


 大学を卒業し、山下が帰郷するからと言って飲み会をした時のことだ。驚くことに高校を卒業して五人が顔をそろえるのはそれが初めてで、二時間ほど経ち、明日帰郷する山下が朝早いからといって一次会だけで解散することになった。靖国通りを渡ったところで水谷はなぜか稲垣と二人きりになってしまった。一緒に帰るはずの山下も島田も横山もいない。水谷は四人で稲垣を送ってから別のところで再度四人落ち合うのだと勘違いしていた。


 水谷は慌てた。靖国通りを見渡す。横断歩道を渡る人たち。だが山下も島田も、それこそ横山もいない。もし、まかり間違って稲垣がもう一軒いこうかと言い出さないだろうか。困り果てたその様子に、稲垣は察したのだろう。じゃ、僕はここで、と独り足早に駅へ向かって行った。その背中がなんと寂しく見えたことか。


 本来は、店で一旦分かれて、四人は山下と島田の行き付けの店に向かうことになっていた。この界隈は二人のテリトリーだし、ダブルデートみたく水谷も横山も合わせてこの辺を四人でぶらついたものだった。


 果たして四人落ち合ったとき、水谷はそんな話は微塵もしなかった。しくじったのは非常にまずい。四人がいつもつるんでいたのはそれこそ賢い稲垣だ、想像しないはずはない。店の一角で四人雁首を揃えたが、水谷はそれを言い出せなかった。言っても稲垣の気持ちはどうなるものでもないし、ここにいる山下や島田、横山の方まで嫌な気持ちになる。特に山下は明日、故郷に帰ってしまうのだ。東京での最後の夜をぶち壊したくない。


 ぼくはいつもこうなのだと水谷は島田にいう。稲垣とはこの四人の中では一番長い付き合いだったし、診断に来たのもそうだ。稲垣は最後の最後までぼくを信用してくれたし、診断結果を皆に打ち明けていれさえすれば誰もこんな気持ちにならなくて済んだ。ぼくが一番悪い。


 水谷はやさしいのだと山下も横山も、島田も言った。皆の嫌な気持ちを一身に被ろうとしている。


 が、島田の気持ちは一向に治まらなかった。いや、かえって苦しみは深まったのだろう、島田はすべてをさらけ出した。泣きながら言うのである。


 稲垣にわたしを想う気持ちがあったこと。多分、そうだとは思っていたが、稲垣の口からきいたわけではない。むしろおかしいのは皆の方だ。稲垣の気持ちなんて、いまの今まで皆は口にしてくれなかった。分かっていたはずなのだ。だけど、自分が聞いたのは山下が私を好きだということばかりだった。







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