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 ロアーデッキから上がって来ると寝起きが悪いのか、はたまた船酔いなのか、きびきびしない水谷正人は横山加奈子に引き摺られるようにアフトデッキに連れて行かれた。風にでもあたってなさいと水谷はそこに置いて行かれ、横山はというと、キッチンに入った。


 ティーポットに紅茶を入れる傍ら、横山は棚からブランデーを取り出す。そして、二つ置いたカップの一方に紅茶を注ぎ、そこにブランデーを入れた。


「狩場さんもどう? いけるわよ」


 そう言われてはっとした。おれはずっと横山を見ていたのだ。「い、いいや」


 横山の顔にうっすらと笑みがあった。


「なら、いいわ」と、横山はキッチンの正面、ダイニングセットへティーポットとカップ二つを運んだ。ブランデーは棚に戻す。


「わたしがさっき入れたブランデーはレミー・マルタン ルイ十三世。だいたい二十万円弱」


「高いんだな。あんた、そういうのばっかりいつも飲んでるのか?」


 横山が棚に有った中からそれを選んだ。上等な酒を飲む。それが小説家に対するおれのイメージでもあった。


「いいえ。紅茶に入れるぐらい。むしろ私の飲んでる紅茶の方が高いわ。でも、陽一君もすごいのよ。これ見て」 


 棚の中がおれに見えるよう、横山は体を入れ替えた。「みんな高いブンランデー」


 横山が見せたがっている。関心はあまりなかったが、付き合いってものがある。おれはビールを口に運びつつ、横山のそばに向かう。見るとどれも高そうである。びんの凝りよう。まるで香水のびんみたいで、まんまるいのから逆Uの字のもの、涙滴の形まである。確かに、見せたいだけはある。


「値段とか、色々知ってるんだな」 


「飲むとしたらブランデー。アルコールが好きというより、壜が好きなの。で、値段知っているのは職業柄」


「へぇ。アルコール、好きじゃないんだ。普段どんな生活してるんだ?」


「午前中だけ小説を書く。昼からはフリーで色々なことをするわ。朝が一番いいの、頭がすっきりしてて。その繰り返し。毎日、毎日変わり映えなく時間通りにきちっとしてるし、それは変えたくないの」


「小説家は皆そうなのか?」


「一慨には言えないけど、皆そんなもんよ」 


 横山は水谷を呼びに行った。おれはというと、ビール片手にソファーに腰を落とす。


 ダイニングテーブルに横山と水谷は並んで座った。隠しもせず、いい雰囲気で紅茶を飲みながら会話を楽しんでいる。そんな様子におれは思うのである。二人は昨夜、一緒だったのであろうか、寄り添って眠たのだろうかと。


 幽霊は生きている誰か。おれは朝、横山加奈子にそう言った。彼らに警戒してもらうためであったが、よけいなお節介だったのかもしれない。現に二人は空港から一緒にいた。そして、帰りの空港までずっと一緒にいるのだろう。夜も昼も。多分、それは変わりない。


 二人の楽しげな会話に居心地がすこぶる悪かった。席を外そうと立った。が、きりっと横山に睨まれる。どういう意味か? おそらくは、ここに居ろということなのだろう。おれは横山らのボディーガートに成り下がってしまった。今更ながら幽霊は生きている誰かと言ったことに後悔をした。


 立った手前、移動しなくてはならない。横山の気性から、水谷はまだ事情を知らないでいるはずだ。不自然な行動は相手の不安をあおる。何食わぬ感じでキッチンに入り、ビールを手に取る。


 ふと、二人の会話が山下賢治に移ったのに気付く。水谷正人が言うには、山下は悪夢にうなされていた。朝、ゲストキャビンを覗いてみたらいなかったことからして、独りが怖くなって島田の部屋に潜り込んだのだろう、とも言う。


 とするならば、とおれは考えた。やはり横山と水谷は昨夜一緒で、山下賢治と島田恵美もいつからか、こっちはこっちで二人一緒だったということになる。


「あの分ならまだ起きてこられないよ、賢治」


 水谷が言うあの分とはどの分だろうか。船に出る幽霊が怖くて夜は眠れず朝寝したってことか。あるいは島田と一晩湿気込ひとばんしけこんで起きられないということなのか。ま、そんな余談はともかく、間違いなく山下賢治はまだ稲垣の夢を見ている。


「よっぽど幽霊が怖いのね。イメージ狂うなぁ」


 横山は笑っていた。山下はスポーツマンで肩幅が広く、背も高い。百八十二、三はあろう。それが幽霊を怖がるのだ。横山でなくとも違和感はある。


「賢治君もばかねぇ。陽一君は怒ってないって。ねぇ、狩場さん」


 ぎりぎりセーフだが、あまり幽霊の話題は触れてもらいたくない。おれがなんのために幽霊がこの船にいると言ったのか横山を除いて誰も知らないのだ。ややもするとおれが考えている通り、幽霊は生きた誰かなのでは、と山下らが騒ぎ出すかもしれない。航海はもう始まっている。パニックに陥らせたくはなかった。


 おれはわざわざ不機嫌な声を作った。「そうだ」


 素直にこえぇと思ってくれたのだろう水谷は、君子危うきに近付かずとばかりに話を変えた。


「加奈子、景色見た? 離れ小島が目の前にあるんだ。行ってみないか?」


「行ってみないかって、どうやって行くの」

「泳いでだよ」


「行けるはずがないじゃない」

「行けるさ」


「でも、わたしたちふたりではねぇ」

「大丈夫さ、行こうよ」


「それじゃぁ、狩場さんに頼んでみる。狩場さんもついて来て。わたしが溺れても正人は助けられない」


 不機嫌を装うおれに横山は平然と声を掛けてくる。やばいぞって思ったのだろう水谷は、表情で制止のサインを横山に送っている。


 おれはというと、やっぱボディーガードってわけだ。だが、船を離れるわけには行かない。


「大丈夫。リアハッチの奥にゴムボートがある。二人で行きな。おれは船の面倒がある」


 水谷のほっとした顔。「ボートがあるってよ。せっかくの沖縄じゃないか。行こ!」


「そうね。せっかくの沖縄だもんね」


 そうと決めたら横山の行動は早い。カップの片付けを終えるとロアーデッキに下がっていって水着に着替えてきた。


 淡いブルー、オレンジ、白の三色ストライプ。セットアップ水着で、フリルのついたパレオを、ビキニの腰に巻いている。髪は後ろで三つ編みに束ね肩口から垂らし、メインキャビンに居た時はうっすらと化粧していたのだろうが、いまはちょっと派手目に代わっている。濡れても大丈夫なやつなのだろう。クルっとその場で回り、腰に手を置く。わたしも捨てたもんじゃないでしょってポーズか。


 思わず笑ってしまった。馬鹿にしたのではない。飽きない女だと思った。水谷と二人ではしゃいでるそばでおれはアフトデッキの床にはめ込まれたハッチを開ける。中にシュノーケルやマスク、フィン(足ひれ)が入っていた。それを二人に手渡していく。すると何に興味を持ったのか、横から横山がハッチの中を覗き込んできた。


「あ、それ、持っていく」


 スピアガンである。二丁、それに斧が一つ。これの方がお似合いだと、おれはとぼけて斧の方を手に取った。


「銃の方!」


 水谷が笑った。「狩場さん、ナイス」


 水谷もそう思っていた。


「あんたまで」


「だってぇ、こっちの方が似合うでしょ」 言った瞬間に水谷の後頭部が張り倒される。


「なんでよ。どっちにしろ、必要ないでしょ、こんなの」


「サメが出たらどうするの? あんたが助けてくれるわけ?」

「助けるさ」

「助けるにしてもいるでしょ、銃ぅ」

「じゃぁ、しかたない。狩場さん」 水谷が手を出した。








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