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井田《怒り》が言った。
「そりゃ、犯行後は窓から投げたんだろ。沼田の場合、鉄格子に血やら皮膚やらこびり付いていた。あいつ、太っていたからな。無理くり押し込まれたんだろ?」
それについてはおれも反省している。大磯さんを危うく凍傷にさせるところだった。おれは井田《怒り》の言葉に付け加えた。
「バスタオルが生臭かった。ある程度は床に流れた血をふき取ったんだろう。あるいはシャワーを浴びたのかもしれない。あれだけの作業だ。血も浴びるだろう。だから、裸で解体作業を行って、お湯で体を流した。それなら服に一切血が付かないだろ?」
大家《貪欲》が言った。「それは中井さんにも言えるんだろうな」
小西が言った。
「だが、その作業はちょっとやそっとの時間ではない。それは皆さん、ご承知して頂けるでしょう。さて、中井さんと沼田さんの死亡推定時刻です。ご意見は?」
高橋《妬み》が言った。
「ノコギリから言って、沼田さんの方が先だろうな」
誰も異論がなかった。小西が言った。
「順を追っていきましょう。田中さんと狩場さんがこの館へ来たのは昨日の午後三時頃。それから全員で部屋を見た後、沼田さんと別れてリビングルームに入ったのは午後三時四十五分。間違いありませんか?」
全員が頷いた。小西が続ける。「それから各人部屋に戻ったのは何時ですか?」
井田《怒り》が言った。「僕と大磯さんが最後でした。大体、午後四時四十分前頃ですかね」
「午後四時四十分前頃から午後七時の夕食まで、ここにおいでの皆さんは部屋にいた。間違っていますか?」
間違っていないと全員が首を縦に振った。
「だとして、その夕食に沼田さんが来なかった。さらには翌日の、今日ですが、朝食にも来なかった」
橋本《妬み》が言った。「昨日の夕食、つまり七時までに沼田さんは殺されていた。四時四十分から七時までは皆、部屋にいた。つまり」
「そうなりますね。ですが、首を切って、悪魔像を並べ、自分の身支度を整えるとなると、どうです?」
井田《怒り》が言った。
「出来るかどうかって。判断は難しいな。あえて言うなら、出来るやつは出来るし、出来ないやつは出来ないっていう微妙な時間だろうな」
黒田が言った。
「ちょい待て。皆が午後四時四十分から午後七時の間、部屋に居たって確証がどこにある。帰ると見せかけて違う部屋に入ったかもしれないぜ。例えば最後に部屋に戻った大磯とか」
小西が言った。
「皆が部屋にいたっていう確証はありませんが、まぁ、そう言うには理由があります。それはちょっと横においといて、沼田さんと中井さんを解体したノコギリ。犯行に使われたのはこれ一本きり。これをどう説明します?」
「最後に戻った大磯が犯人だというのなら、大磯は沼田だけでなく中井を殺したってことになるのか」 そう言って黒田は舌打ちした。「んな訳ねぇな。自分も死ぬんだもんな」
「では、唐突ですが、沼田さんが殺害された時間を午後四時から午後四時四十分の間の数十分と仮定します。あくまで仮定なんですが、そう言うには理由があります。それは後で話題に上って来るでしょう。さて、死体の処理は別として、それで皆さんにおうかがいしたい。どの順番で部屋に戻られたのです。狩場さんからお願いします」
「田中とおれが最初に引き上げた」 はっとした。「いや、中井さんがキレて部屋に戻って行った。大家さんのあの、従者の勧誘が終わった後だ。おれらが部屋に戻ったのは午後四時十五分ぐらい、中井さんが部屋に帰ったのは午後四時前後。で、当然だが、おれらは、おれらより後に戻ってきた者らの順番は知らない」
「井田さんなら分かりますよね。大磯さんと最後だったのですから」
井田《怒り》が言った。
「狩場さんの後は確か、中小路さんと橋本さん。ほとんど時間差は無かったように思える。五分後ぐらいか、もっと短かったかもしれない。それから大家さんら三人。十五分後ぐらいか。最後にいっしょに戻った大磯さんはかわいそうに、部屋に入れてもらえなかった。彼は大家さんの勧誘を断ったんです。普通なら褒められる場面なのに、逆に中井はけちょんけちょんですよ」
知らなかった。大磯孝則は四時四十分から見張り番をさせられていたんだ。ならば犯行時刻は小西の過程通り四時から四時四十分の仮説は成り立つ。
小西が言った。
「わたしは夕食に行く時、そのことについて大磯さんから散々愚痴られました。さて、さらに絞り込みましょう。ご意見は?」
大家《貪欲》が言った。
「それぞれ帰って行った時間の間隔だな。撲殺なんて一瞬で出来るからな」
「十分間は否定なさるんですね。それじゃぁ、皆さんが殺せたってことになりますが?」
橋本《妬み》が言った。「二人連れ以上で部屋に戻ったんだから互いが互いにアリバイを証明できるんじゃないのか?」
「そうでしょうか? 各々の部屋に分かれた後にでも、犯行は可能です。何しろ撲殺は一瞬ですから」
大家《貪欲》が言った。「小西、なぜお前はそっちに引っ掛かる。おれが言いたいのは時間の間隔が重要だってことで、撲殺は一瞬だ、てぇのは例えだよ、例え」
「申し訳ありません。で、どうです? 井田さん。間隔はどれくらいだったか思い出せますか?」
「どうですって言われても、ニ十分から三十分の間隔に四組でしょ。組それぞれ六、七分間隔ってとこじゃないの」
小西が言った。
「井田さんは確かさっき、狩場さんと田中さん、中小路さんと橋本さんはほとんど同時だと言ったじゃないですか。だとしたら中小路さんと橋本さんの組と、わたくしども(大家ら)との時間間隔は大きくひらく。因みにわたくしどもと、井田さん、大磯さんの間隔はほとんどない。居住区画のドアのところから彼らが階段を上がって来るのが見えましたから。仮に、中小路さんと橋本さんを四時ニ十分としましょう。わたくしどもが部屋に戻ったのは四時三十五分ですから十五分の間だあった。撲殺して戻って来るには十分に時間がある」
「バカ言え!」と、怒鳴ると橋本《妬み》が続けた。「わたしは潔白だ」
中小路《怠惰》が言った。
「とすると、ノコギリの件もある。僕たち二人のうち、どちらかが中井さんも含めて沼田さんを殺した、とおっしゃりたいわけですね」
「ちょうどその話題に触れたところで中井さんもいつ殺されたかを検証してみましょうか。井田さん、ご意見は?」
井田《怒り》が言った。
「午後九時、通路から話し声とドアの閉まる音を聞いた。中井さんの部屋に近藤が飲み物を運んできたようで、それを大磯さんが受け取って、近藤は帰り、大磯さんはそれを持って部屋に入って、しばらくして出た。それから一時間後、午後十時にまた通路で声がした。大磯さんは足が痛くなったようで座って見張りをしていいかと中井さんに尋ねていた。それに対して中井さんはというと、おれは国会を動かす大政治家だぞ、とえらい剣幕だったんだが、大磯さんはなんとか椅子に座ることを許された。それでもやはり部屋には入れてもらえず、リビングルームに椅子を取りに行ったようです。実際、中井さんの部屋の前に置かれていた椅子はここの椅子と同じだった。午前三時にはまた、大磯さんは寝ていたところを見つかって中井さんに叱られている」
小西が言った。
「大きな声でしたよね。実はわたしもその会話を聞いています。井田さんのおっしゃる通りだと思います。時間も相違はありません。他の方はどうです? この他に何か気付いたことはありませんか?」
井田《怒り》が言った。
「俺は聞いていないが、足音の方はどうだった? 通路を歩くやつがいたとか」
橋本《妬み》が言った。
「あんな上等な絨毯が通路に敷かれてたんじゃぁ足音を聞くなんて無理だな。それに風音が酷かった」
皆が頷いた。