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「ですから、皆様が納得できるまで、犯人が特定されるまで、徹底的に議論を戦わせるのです。考えてもみてください。ここにいる皆は部外者ではない。全員容疑者で、その中から真犯人を見つけようとしているのです。小説や映画の刑事や探偵のように、事件の途中で突然現れて、権力や権限を使って事情聴取するなんてこと、我々が出来っこないのです。だから、誰もが言いたくないのなら言わないし、嘘をつくならそうする。わたしは出来得る限り、皆様の証言に揚げ足を取りに行きます。もちろんそれは嫌がらせでなく嘘を見抜くためで、それが嫌ならば黙秘をしてほしいとわたしは言っているのです。推理の混乱は時間の無駄ですし、嘘がバレた時のその人の立場は相当不利になるのですから」
大家敬一《貪欲》が言った。
「揚げ足取りか。そういう役目はお前がやらなくても、ちゃんとやってくれるやつがいる」
全員の視線が科学者の橋本稔《妬み》に移った。
橋本《妬み》は言った。
「わたしは間違っていると思うから間違っていると言うんだ。誤解しないでほしい」
小西が言った。
「犯人と特定されたら拘束します。その人物には危害を加えない。これは全員守ってもらいます。裁きは当局が法律に照らし合わせて行う。決して我々の手で行わない。そんなことをすれば、それこそリンチです。この約束が出来ないというのであれば、話はここで終わりとします。いかがか?」
誰も異論はなかった。別に親兄弟を殺されたわけではない。ただ、一人だけ生き残ろうとするバカを止めたいだけで、殺したいほど犯人が憎いという訳ではない。皆もそういう顔をしていた。ところが、中小路雅彦《怠惰》だけは違っていた。いつものごとく、ぼーっと、けだるそうに座っている。それが言った。
「もし、マスターと呼ばれる男が犯人だったら?」
皆の視線は一斉に執事の近藤に向けられた。近藤は部屋の隅で目立たないようにたたずんでいた。用を言いつけられるのを待っているのだ。それが言った。
「だったらどうします?」 冷たい視線を巡らせた。「皆様力合わせてマスターに刃向うとでも? よろしいでしょう。ではまず、わたしがお相手致しましょう」
近藤の雰囲気が変わった。この男はただの執事ではあるまい。背中の広さといい、胸の厚さといい、軍人を連想してしまう。実際、殺気をビンビン放っている。マスターのためならなんだってしかねないっていうのがありありだ。
「とりあえず、マスターと言う男のことは考えないでおきましょう」 小西は近藤の言葉をさらっと流すと続けた。「さて、議論ですが、三つ。一つは他殺か自殺か。一つは死因と死体の状況。そしてもう一つ。死亡時刻、犯行時刻と言い換えてもいいでしょう」
大家敬一《貪欲》が言った。
「アリバイってことか」
「そうです。もし他殺だとしたら、この中の誰にそれが可能だったのか。それを、方法的にも、時間的にも、問いたいと思います。その前に、狩場さん、そして、井田さんとわたしが見てきたことを話すとしましょう」
小西は推測を交えず、政治家の間と宗教家の間の様子を語った。皆の頭にはその光景がくっきりと浮かんだに違いない。中井博信《高慢》が失踪した跡は皆で覗いたし、元々どの部屋も同じ飾り付けなのだ。それにあの気味の悪い悪魔の像。各部屋に、己の象徴だとして置かれていた。その姿を忘れるはずもない。橋本稔《妬み》は顔を引きつっていた。大家《貪欲》は眉間に皺を寄せて目を強く閉じていた。中小路《怠惰》は天井を仰ぎ見て、田中《姦淫》はその中小路《怠惰》の手を強く握っていた。
「これはメッセージなんだ」 井田《怒り》が言った。「皆このようになるぞと、沼田を囲んで悪魔がせせら笑っているような図を何者かが作ったんだ」
小西が言った。
「井田さん、まずは他殺か自殺かです。わき道に逸れたら迷ってしまってどこにも到達出来ません」
「小西君の言う通りだ」 橋本《妬み》が言った。「しかし、これは大事なことなんじゃないかな。それがメッセージだとしたら、悪魔は全員を殺してしまおうって話だろ? この狂ったゲームにかこつけて殺人を楽しもうというやつがこの中にいるんだ。そして、犯人自身は最後に自殺する、自分の魂を悪魔に捧げて」
「分かりました。沼田さんは他殺として、」 小西が言う。「では中井さんはどうです? 彼は自殺か他殺か、それともどこかにいるのか?」
橋本稔《妬み》が言った。
「自殺? 死人が自分で自分の死体を片付けるのか? 殺されたに決まっている」
「窓の下を見たんだ」と、言うと井田《怒り》が続けた。「あれは血だった。それにいくつもの足跡。黒覆面のやつらが中井さんの遺体を回収したんだ」
小西が言った。
「逃げてマスターから制裁を受けた。それで大磯さんも殺された、はどうです」
大家《貪欲》が言った。
「その可能性はあるな」
橋本《妬み》が言った。「確かにな。中井さんが沼田を殺し、怖くなって逃げた。そんな想像は出来るが、しかし、現実的でない。なにしろあの鉄格子は抜けられん。抜け道があるか、それこそバラバラにならなくてはな。それに沼田の殺され方から考えると犯人はわたしたちをパニックに陥らせようとする意図も見受けられる。基本、犯人は悪魔信仰者なんだ。わたしたちを全員悪魔に捧げる。その犯人が中井さんでそれが逃げたとなると辻褄が合わない」
小西が言った。
「沼田さんの死体の状況から、少なくとも犯人に何らかの意図があると、そうおっしゃるのですね。ですがそのアプローチの仕方で行くと、主観を交えて判断せざるを得なくなります。例えば辻褄が合わなくなったりしたのを心情で穴埋めするとか。悪魔信仰者かとがそれに当たります。もちろん論理的にその主観を証明出来るかもしれません。ですが、多分、その解を得るには全て分かった後に、ってことになりかねないとわたしは思います。それでは遅いのです。ですから、そう言ったものをなるべくなら排除しつつ犯人をつきとめたいのです。わたしたちがやろうとしているのは、一歩間違えればリンチです。それは避けたい。皆様方もわたしのその気持はご承知下さいましたはず。とはいえ、沼田さんの遺体の場合、悪魔信仰云々は議論の上で避けては通れないものだとも分かっております。その辺は今から検討する死因と死体の状況で検証しましょう。ただし、何かおかしいと思ったら議論は後退させます。何も急ぐ必要はありません。時間ならいくらでもあります。わたしから皆様にお願いしたいことは、先走りを抑えること。さて、死因ですが、狩場さんはどう思います」
「分からない」
「とおっしゃいますと?」
「沼田さんは頭がない。中井さんは全部まったくない」