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去っていく近藤を茫然と見送った。そして、互いに顔を見合わせ、宗教家の間に入るか、それともリビングルームに戻るかを目で確認し合った。悪魔の儀式。首のない死体。せっかく閉ざした魔界へのドアを今また開けるのかと考えたら、震えが止まらない。喉もカラカラだし、頭もズキズキする。宗教家の間に入っていく勇気がおれにあるのか。
その問いに、おれを含めた三人はほとんど同時に答えた。互いに頷き合った。が、それは間違いなく、使命感ではない。好奇心でもないだろう。
「コケにされている」
そう口にしたのは、やはり井田勇《怒り》だった。小西明も同感なのだろう、また頷いた。言うまでもなく、その気持ちはおれも同じだった。
絶対に白黒つけてやる。
三人は同時に部屋に入った。互いに何も言うことはない。井田《怒り》は銃を探すだろうし、小西とおれは犯人の手掛かりだ。
監視カメラは冷たい光を発していた。三人が壁に張り付いたり、床に這いつくばったりしているのを冷ややかにレンズが捉えている。おれは監視カメラの前に立った。その向こうでマスターはせせら笑っているのだろうと思うと激情に駆られる。許せない。
「止めるんだ」
即座に、小西に諌められた。
「今、僕たちのやらなくてはならないのは、そっちじゃない」
確かにそうだった。そういう意味でいうと、井田《怒り》の方が目的に忠実だった。銃の捜索に一心不乱なのだ。『怒り』の称号はおれが与えられるべきだったな、とおれは自分で自分を皮肉った。
悪魔の儀式。リビングに横たわるそれを避けつつ、おれ達三人は部屋を探しまわった。まずは隠し部屋や通路を探した。例によってそんなものはなかった。次に死体から首を切り離した凶器だ。それはすぐに分かった。宗教家の間には壁にかかっているはずのノコギリが無い。
次に窓の外だ。鉄格子には血痕があり、皮膚が張り付いていた。誰かが沼田光《貪食》の頭を強引にねじ込んだのだろう。だが、それでも、確認はしないといけない。井田《怒り》が下を覗いた。
「足跡も、何もかも雪でかき消されている」
中井博信《高慢》の場合は多少であるが、雪の上に痕跡が残されていた。さらには浴室。これも窓の下同様、中井博信《高慢》の時とは違った。静かだったし、強換気のボタンのランプは付いていなかった。おそらくは時間で切れるようにセットしていたのであろう。にしても、それは想像なのだが。
現にバスタオルは生臭かった。乾いていたがふわふわ感がなく、手触りにカビカビ感があった。犯人は裸で儀式を行い、シャワーを浴びたに違いない。そして、体を拭き、そのバスタオルについた血を洗った。そういう想像がついた。
寝室は使われた形跡がない。沼田光《貪食》は夕食に来なかったのだ。殺害日は推して知るべしである。
「銃は?」
井田勇《怒り》が答えた。「無い」
ま、致し方ないであろう。それでも収穫はあるにはあった。
後は死体だった。だが、悪魔の儀式である。調べるには悪魔像で作られた円の中に入らないといけない。ただの脅しに過ぎないとは思う。思うけど、だれがまず入るのか。
おれ達三人が三人とも尻込みした。少なくとも、死体から得たい情報は銃痕の有無だ。それと沼田《貪食》自身が銃を持っているかどうかである。素人が正確な死亡推定時刻なんて特定できるはずもない。
悪魔像の視線全てが、口生意気なイラストレーター沼田光《貪食》に向けられていた。グリフォン、ライオン、孔雀が混ざったルシファーや蛇と犬のレヴィアタンはまだいい。豚と蠅のベルゼブブは気色が悪い。取り合わせが悪いのだ。昆虫と哺乳類。グロテスクを通り越していて、背筋に悪寒が走る。
それにカビカビの血糊。床をどす黒く染めている。その上を歩くとなれば、血が靴の裏に付くのを覚悟しなければならない。脅しと分かっていても、尻込みするのは当然である。
が、しかたない。おれは一応、探偵だ。
「おれが調べる」
一旦監視カメラを睨み、そして悪魔像の円の中に入っていく。首のない死体を手でまさぐり、プルオーバーのセーターの腹をひん剥く。
「銃痕はないし、銃もない」
次に死体をひっくり返す。また、体をまさぐり、セーターの背中をひん剥く。
「こっちもない」
悪魔のサークルから出た。
小西明が言った。
「助かりました。これでこの部屋にはもう来なくていいですね」
おれも井田《怒り》も、大きくうなずいた。
おれ達は揃って宗教家の間を出た。足早にリビングルームへ向かう。政治家の間の前に、大磯孝則が座っていた椅子がまだあった。はたと気付く。椅子には文庫本が置いてあったのだ。
『仮面山荘殺人事件』。
東野圭吾の小説であった。それを手に取った。大磯孝則が夜中寝ていたのを叩き起こし、中井博信《高慢》が手渡したのはこれ?
不謹慎だが、ちょっと面白いと思った。代議士もこのような本を読むのか、それもあの中井《高慢》が?
実用本を想像していた。それがミステリなのだ。しかも東野圭吾の初期の名作。『高慢』の称号に反し、なかなか品がいいではないか。
「狩場さん、なにをやっているんですか」
小西明である。おれの方に向かって来ていた。井田《怒り》も小西も、リビングルームに向かう途中に立ち止まったおれに気付かなかったのだ。ロビーの階段半ばまで行って、おれがいないことに驚いた。それで小西明が慌てて戻ってきたというわけだ。
小西が言った。
「さぁ、はやく。皆さんがお待ちだ」
この洋館に入ってすでに四人が死んだ。ロケット弾で爆死した西田和義や、銃弾に倒れた大磯孝則はともかく、中井博信《高慢》と沼田光《貪食》はリビングルームに集うこの八人のうち誰かに殺害された。
救援を待つまでもなく、残されたおれ達は自らの死に直面している。だからこそ、おれ達はもめていた。一致協力するか否かで。
といっても、それは情報交換で、だ。中井《高慢》と沼田《貪食》の件は最初にそうすることを取り決めていた。それを守って行うべきだし、現に代表者三人を選出し、情報収集にあたらせた。だが、これからはどうするのか。
実業家の大家敬一《貪欲》が言った。
「今回はともかく、俺たちは独自に行動する。協力するのは今回までだ」