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「間違いない。あれは罰が執行されたってことですね」と肩口から小西明の声。
何とか平常心を取り戻したのだろう、小西だけが傍にいた。
リビングルームはパニック状態に陥っていた。まるで、死体から生き返ったゾンビたちが暴れているようである。教育者の井田《怒り》は誰かれ関係なく吠えまくっているし、実業家の大家《貪欲》らはどういう意味があるのか、テーブルや椅子を次々蹴り倒している。その他の者はまだ茫然自失である。暴れる井田《怒り》や大家《貪欲》らをよそに、彼らは窓際に固まって虚ろに突っ立っていた。
この状況だと、何を言っても誰も聞いちゃくれなさそうだし、冷静な判断からはほど遠い。おれと小西は混乱が自然に収まるのを待つことにした。とはいえ、当分は収拾がつくまい。
「やっぱり、中井さんは死んだんだ」
図らずも、芸能人田中美樹《姦淫》のこの一言がゾンビたちには効果てきめんだった。混乱は止み、その場は水を打った。そして、彼らの視線はおれや小西へと注がれた。
どういう意味で視線を投げかけてきているのか、と思った。そんなの分かり切っていることじゃないのか。それなのにどうして彼らはおれらの言葉を待っているんだ。誰がどう言おうと、衆議院議員中井博信《高慢》は死んだんだ。それも死体をバラバラにされ無残に窓から捨てられて。
声を発せないおれらの代わりに、大家敬一《貪欲》が言った。
「犯人はこの中にいる」
聞きたくない言葉だった。場に緊張感が走る。互いが互いを見合った。中小路《怠惰》、大家《貪欲》、黒田、田中《姦淫》の四人にしてみれば、政治家の間を見ていないので詳しい話は分からない。だが、あの中井《高慢》のことだ。死んだと決まったなら、自殺はあり得ない。あるいは隠し部屋があったとして、それで逃亡したというのも想像し難い。大磯孝則が廊下に残されていたのだ。
衆議院議員、中井博信《高慢》は誰かに殺された。それは大磯の死で証明された、と誰もが理解出来た。だが、そうと分かっていても、「犯人はこの中にいる」という言葉は呪いにも似て、決して口に出してはいけない言葉だった。必要以上に恐怖や猜疑心を煽ってしまう。
状況は悪い方に転がり始めている。マスターと呼ばれる男の思う壺だった。何とかこの場を取り繕わなければ、とおれは思考のエンジンを急ピッチに回転させた。
だが、それも水の泡と消える。蚊の鳴くような声で中小路雅彦《怠惰》が言ったのだ。
「昨日から沼田君を見ていない」
この言葉は、爆弾だった。冗談のようであるが、誰彼関係なく精神に影響を与えたという点から言えば、それぐらいの威力はあった。皆、恐怖の表情をさらし、体は凍り付き、身動きさえ出来ない。
確かに、イラストレーターの沼田光《貪食》は七つの大罪の講釈をたれた時点から後、まるっきり姿を現さなかった。沼田光《貪食》は自分が『貪食の罪だ』といい気になっていたが、それならばそのキャラクターに沿って夕食はがっつりいかなければいけないし、さっきの朝食だって、人が死んでようがいまいが、構わずおかわりを連発しなければならない。
おかしいと思っていたのだ。それで色々と彼のことを考えた。マスターの人選が間違っているとか間違っていないとかのあれだ。だが、そんなのは論外だった。彼がそのキャラクターを発揮する前に殺されていたとするならば。
その想像はおれだけでなく、リビングルームにいる他の者の頭にもあったに違いない。殺されたのは中井博信《高慢》が初めてではない。つまり、昨日の夕食前にイラストレーター沼田光《貪食》は殺されていた。
だが、誰が。
いや、まだ殺されたと決まったわけではいない。しかし、それが不安を掻き立てる。やくざ風の実業家、大家敬一《貪欲》が言った呪いの言葉、『この中に犯人がいる』が今ここで十分効果を発揮している。
外は相も変わらず、吹雪いていた。十二月の大雪が珍しいにもかかわらず、その勢いは留まらず二日目を迎えている。おれはただ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。脱出するにしろ、この天候では勝算はない。
とにかく、沼田光《貪食》の安否を確かめなければならない。それが先決だと思った。逃げるにしろ、一枚岩でなかったら自ら墓穴を掘ることになる。浮足立った今の状態では到底それは考えられない。
「沼田さんの部屋に行く」
小西明が言った。「僕も行きます。皆さんも行かれるのでしょ」
他は誰も動かなかった。恐れているのだ。それは当然だろう。嫌なものから目を背けたいというのは人情というもの。それは十分理解している。だからおれは、見に行こうではなく、見に行く、と言ったのだ。誰も誘っていない。が、誰かの賛同を得られるとは意外だった。小西明。この男は何を考えている? 確か自己紹介の折、言っていた。僕はミステリ小説が好きだと。
「俺のチームは小西が行くからいいとして、他はどうした? 行かないのか?」
そう言って大家敬一《貪欲》は見渡す。誰も返事をしないのを想定しての発言だろう。
「だらしなぇな」
始めからこれを言いたかったのだ。強気に見せといて、実際は自分の弱みを見せたくなかったに違いない。大家敬一《貪欲》の心の内は見え透いていた。
といっても、大家《貪欲》が言っているのも一理あった。これはデスゲームなのだ。情報は間違いなく武器となる。他人より多くそれを握っておけばそれだけ生存確率は上がるのだ。
大家敬一《貪欲》と田中美樹《姦淫》のところは小西とおれが行くので情報争奪戦という点から言えば、おれ達は断然有利となる。それに田中美樹《姦淫》と資産家中小路雅彦《怠惰》はいい感じの仲だ。今回も中小路《怠惰》は田中《姦淫》のおこぼれに与かるのだろう。問題は科学者の橋本稔《妬み》と教育者の井田勇《怒り》だ。
橋本《妬み》が言った。
「私はここに残る」
中井博信《高慢》が消えた時のように、本当は行かなければならない。それを自ら拒否るとはどういう了見か? ま、ヘタレなのは間違いなかろうが、ここはその気持ちを押してでも宗教者の間、沼田光《貪食》の部屋に行かなければならない。
と、言っても本人の意思だから致し方ない。ほっとけばいいし、ゲームなのだ。対戦相手でもある他の者にしてみれば、それは大歓迎である。実際、大家《貪欲》・黒田コンビなぞは笑みを漏らしている。
かしこ馬鹿とはこのことをいうのだろう、とでも思っているのではないだろうか。小馬鹿にするような二人の笑みからおれはそう想像したが、もしこの二人が本当に橋本稔《妬み》をかしこ馬鹿と思っているならおれもその意見に大賛成で、橋本稔《妬み》自身も、己がそうであることを論証するかのように、なぜ行かないのか言い訳を言うのも忘れなかった。
「君たちの目的は真実を知ることだ。そして、君たちはきっとわたし達の面前でそれを明らかにするだろう。ここにはたった八人しかいないのだ。真実の追及はそんなに難しいことではないし、このわたしの出る幕はない。だがもし、もしだ。それが出来なければこの私が知恵を貸そう。私が後ろにいると思って、君たちは思う存分やりたまえ」