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アタッシュケースから発するデジタル音声の説明で、アタッシュケースが監視機能付きなのも、田中美樹はその時初めて知った。しかも、遠隔操作で爆破出来る。位置も特定でき、起爆ボタンの電波が届く範囲で付かず離れず尾行しているとも、音声の主は言った。そのうえで、群馬大津の交差点へ行けと指示を出した。それも、望月望と田中美樹の二人で来いという。当然のことながら音声の主は、仕掛け人である田中美樹の手に手錠が掛っているのも知っている。
どうしても望月を自分のもとに呼びたいようだった。手錠がハマっている訳でもなく別に無視して良かったが、その時点でボンってのはかなわない。そういう計算が働いたようだ。望月は、相手を怒らせるでもなく、失望させるでもなく、言葉巧みに狩場大輔の名も使って自分が抜けるという状況を作りだした。
「となると、犯人の目的がよくわからない。始めの計画を簡単に捨て去ったからな。一方で、その代替え案が望月望一人ではなく、おれたちってことになる。おれたちが、犯人にとってそんなに魅力的か? 望月望と天秤にかけて?」
とすれば、爆弾なんて嘘っぱちかもしれない。いや、もしかして、とおれはその考えを即座に否定した。愉快犯と爆弾は小説でも映画でも黄金コンビなのだ。考え得るに『ダイ・ハード3』みたいに犯人は、自分たちをブルース・ウィルスみたいにあっちこっち引き回す。こちらとしてもブルース・ウィルスみたく、犯人の要求をクリアする度に事件解決のヒントを掴み、最後は反撃に出る。そんな展開になればいいがな、と夢みたいなことを考えてしまった。
とにかく、爆弾魔の要求を聞かなければならない。アクアを動かした。電波信号で爆弾を起爆出来る範囲内に犯人は必ずいる。長時間停まっていてはその犯人の不信を買う。
群馬大津までは北軽井沢の交差点からそう遠くない。青い逆三角形の標識に国道146号線とある。観光路線として設定された上田市から日光市までからなる日本ロマンチック街道の一部である。だが、天候のせいか、後続車もないし、すれ違う車もいない。キャンピングカーは不法に停めているのだろう、だだっ広い空き地にちらほらと寂しげにあるだけであった。
それにしても、と思う。田中美樹という女は一体何者なのだろうか? アイドルと言っていた。にもかかわらず、腹が据わっているというか、阿漕というか、一日に百万円を稼ごうとしていた。総じて芸能人とはそういうものだろうか。
自分の立ち位置がよく分からなくなってきた。爆弾魔と対峙した時、大胆な行動に出れるのは逆に、彼女の方ではないだろうか。
目の前に群馬大津の交差点が見えてきた。田中美樹が言っていたようにアタッシュケースがデジタル音声を発した。
『そこを左折しなさい』
それに従った。さらにデジタル音声が続けた。『一キロほど進んだら右折しなさい』
アクアは勾配を道なりにうねりながら登っていく。標高の関係だろう、天候が急激に変わり、吹雪に見舞われた。積雪も北軽井沢の比ではない。東北か、どこかの雪国。木々や山の斜面は雪で真っ白だった。道路はというと、確かその下には温水管が通っていたはずだ。白銀の中でアスファルトだけはむき出しだった。
指示通り、一キロほど走ると右手に、車が一台すれ違えるかどうかの道を見つけた。果たしてデジタル音声は、そこに入れと命じる。対向車線に車が来ないことを確認し、ハンドルを切った。本道と違い、支道には温水管が走っていない。タイヤが雪の轍にがっちりはめ込まれ、ハンドルの自由はほとんどない。それに慌てることなく、アクアを線路を走る電車ように、轍に逆らわず走らせた。
左手には延々と連なる鉄格子の塀があり、道はそれと並走している。十五分ほど経ったか、塀越しに洋館が姿を現した。ずっと離れた丘の上にあり、姿はL字型のように見える。円柱の塔も並んであった。おそらくは上空、洋館の真上から見たとしたなら洋館の全体像は『L。』と目に映るだろう。『L』と『。』は二階あたりの高さで設けられた渡廊で結ばれている。
洋館を眺めつつおれ達を乗せたアクアは、ブルース・ウェインの屋敷のような馬鹿デカい鉄格子の門扉にたどり着く。それが遠隔操作だろう、誰もいないのに開いた。
アタッシュケースが入れと命じる。
車を一度停め、後部座席の田中に、入るぞと目配せした。田中が小さくうなずいた。おれはアクアを左折させ、洋館の敷地内に入っていった。
吹雪と丘の上にある赤茶けたL字の洋館。距離にしてまだ一、二キロは先だった。敷地内の木々は綺麗に刈り取られているから、向こうからはこちらの様子が手に取るように分かる。となれば当然、敵はアンテナが付いた起爆装置を手に持ち、窓から覗いている。そして、アクアがのこのこ向かって来るのを見て、ゲラゲラと笑っているはず。
緩やかな登りを経て、平坦な敷地にアクアは入った。洋館の前に、赤子を抱いた女の像があった。おそらくは、マリア像だろう。道は雪で埋まってよく分からない。右手に並ぶ車が丸く縦列駐車しているところから、マリア像を中心に車寄せロータリーがあるのだろう。いくつものタイヤの跡がマリア像の周りに円を描いている。
そのタイヤの跡をガイドに、大きく円を描いて洋館の玄関の前にアクアを横付けさせた。ゴルフ場の要領である。一方で、洋館側からもゴルフ場スタッフのようにアクアに向かって走って来た。黒覆面の男が二人である。
さっとアクアの横に付き、まるで貴人貴婦人に仕える召使のように、前と後ろのドアを開けた。車内は暖房が効いていて少し汗ばむ状態であった。そこにどっと押し寄せる冷気と粉雪の渦。ぎょっとした顔を田中美樹が一瞬見せた。それが意を決したのか、きりっと顔を引き締め、吹雪の中に飛び込んでいく。横殴りの風に髪の毛は乱れて、短めの、白のニットのスカートは捲り上がろうとしていた。
必死に、両手でスカートを押さえつつ走るのだが、片っぽの手にはアタッシュケースがあり、足元はというと、ヒールのあるブーツである。バランスを取るのに手こずっていた。おれも飛び出し、田中の後を追った。洋館の玄関ドアは、まるで教会か、西洋の古城にあるような彫刻が施された木製のドアであった。そこにおれ達はほとんど同時にたどり着き、二人一緒にドアを押した。