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「そうではないのですが、下がどうなっているのか見たいのです」

「わかった。見るよ」


 小西の注文で井田《怒り》は鉄格子に触れないよう、鉄棒と鉄棒との間に頭を通した。「足跡がいっぱいだ」


「他に何か気付くことはありませんか?」


「ないね。いや! 雪の上に赤く見えるところがいくつもある」そう言って井田《怒り》は頭を抜く。その表情は青ざめていた。やっと状況が掴めたようだ。


 大磯も、井田《怒り》の表情を見て、瞬く間に顔色は青ざめ、さらには土色に変化した。そして、まるで悲鳴が喉で凍り付いたかのように口をあんぐり開けて硬直している。


 部屋を与えられた者の従者はどうなるのだろうか? それが問題だった。そして、最悪の事態になった時、おれ達はどう対処するのか? おれ達は互いに相手の目の奥を覗き込んだ。


 しらんぷりを決め込む。たいがいの人はそうするだろう。おれはどうだ? ヒーロータイプの人間ではないし、大磯一人を助けるために死ぬなんてごめんだ。と、思っているわけでもなさそうだ。自分に問いただしてみる。五分五分、そう、その時になってみないと分からない。


 救いなのは、マスター側にまだ動きがないことだ。希望的観測に過ぎないが、時間的にまだ考える余裕はあるように思えた。その間に、皆の目的が一致するかもしれない。話合いをし、力を合わせてマスターを打倒する。


 時計を確認した。ちょうどいい。もうすぐ七時である。


「話は朝飯を食ってからの方がいい。気持ちが落ち着けば、今起こっていることにどう対処したらいいか妙案が浮かぶかもしれない」


 それに小西明は同意した。二人して先に部屋を出ると、呼びに来るはずの執事の近藤を待たずして小西が、ダイニングルームに向かおう、と皆にうながした。


 部屋を出たおれ達五人の表情があまりに暗かったのだろう、ダイニングルームに行くという意見に、部屋に入らず待機していた誰もが逆らわなかった。それもそのはず、これから起こりそうなことを考えると、このまま通路でボサっとしているわけにはいかない。おれと小西が先頭に立ってダイニングルームに向かう。大磯はというと、まるで亡霊かのようだった。うつむき加減に皆の後ろをとぼとぼ付いてくる。


 居住区画を出て、玄関ロビーに入った。正面には例の塔への渡廊がある。黒覆面の一人が鉄格子の扉の前で渡郎への出入りを監視していた。あの先に塔があり、マスターがいる。一階に降りる階段の手前で、皆一旦立ち止まり、渡廊を遠目で覗く。何も見えないのは分かっていた。しかしそうせずにはいられなかった。大磯孝則はどうなるのだろうか? 誰ともなく階段を降り始めるとまるで紐で繋がっているかのように皆はずらずらと連なって階段を降りて行く。


 朝食はトーストとゆで卵、ベーコンにサラダ、そして、スープであった。昨日の晩餐のように舌鼓をうつ代物でないにしろ、上等な品なのは見てとれる。ベーコンはカリカリ表面に肉汁が滲み出ているし、スープは澄んだ黄金色だった。


 十分味を楽しめそうだが残念なことに、いまいち味が分からない。代議士中井博信《高慢》の異変もあったが、その第一秘書大磯を思うと気持ちが澱んでしまう。彼とて職業柄、大勢の前で緊張もせずに話せる胆力が備わっているはずだ。それがかわいそうに見る影もない。カチカチと小刻みに、普段なら絶対出せなさそうな音をフォークと皿でかなでている。


 それは致し方ないことだと思える。大磯の身になって考えればいい。この館にはルールというものが存在する。そして、その罰は死なのだ。実際昨日、まざまざと見せつけられたのだ。日本原子力開発機構理事長橋本稔《妬み》の部下、西田和義はこともあろうかロケット弾で爆死した。


 疲れはあった。どうしようもない疲れだ。睡眠も十分とれていないうえに、緊張状態は続いている。見渡すと黙々と食べる者、ぽつぽつと食べる者、全く手をつけない者とそれぞれだった。


 小西明だけは相も変わらず、リビングルームで食事をしていた。それがわざわざダイニングルームに顔を出し、朝食が済んだらリビングルームに集まるように、と皆に念を押した。当然、誰もがそのつもりだった。完食した者、途中で切り上げた者、それぞれが自分のタイミングでリビングルームに移って行った。


 資産家の中小路雅彦《怠惰》と芸能人田中美樹《姦淫》が最後だった。リビングルームにすでに移った面々がいら立っていた。ピリピリした雰囲気に包まれていたそのリビングルームに何食わぬ顔の二人が姿を現すと、待ってましたとばかりに小西明が言った。


「今から政治家の間で見た事実だけをお話しします。まず、わたしから」


 とこの時、黒覆面が一人、リビングルームに姿を現した。つかつかっとテーブルを縫っていくと大磯孝則の前に立ち、何を言うでもなく拳銃を発砲した。


 可能性として考えてなかった訳ではない。いや、皆はずっとそのことだけを考えていたはずだった。食事中も血の気を失っている大磯孝則の様子から言って、本人も十中八九こうなるとは思っていたのだろう。だが、タイミングだ。朝食を済ませて、ダイニングルームからリビングルームに移ったそのタイミングでは何もおこらなかった。衆議院議員中井博信《高慢》は生きているのではないかとおれも、それこそ大磯本人も、そう思うようになっていた。その隙を突かれた。


 驚く間のなく、大磯孝則は胸を撃ち抜かれ、椅子にだらりと崩れた。この事実を、誰もが唖然と見送るしかなかった。マフィア映画か、ヤクザ映画か、スクリーンに映し出される光景が目の前で繰り広げられたのだ。


 だが、こともあろうかこのおれは、無意識のうちに身を躍らせていた。テーブルもなにも関係ない。押しのけ、乗り越え、一直線に黒覆面に向う。


 すでに発砲済みの黒覆面は銃をしまい、構えをとっていた。そこへ飛び込む。大磯に危険が迫ったならどうするかと自分に問いただしたのは記憶に新しい。結論的にはこうなった。別にヒーローを気取ったわけではない。理由をつけるならコケにされたということ。敵はたった一人で来て、公然と衆議院議員中井博信の第一秘書、大磯孝則を殺したのだ。


 黒覆面を許せない。テーブルを踏み台に勢いよく体をぶつけに行った。ところが、絶妙な、いや、最悪なタイミングで宙に浮いているところを蹴り落された。床に叩きつけられ、二度三度転がってテーブルを押し倒し、最後は横になっていたテーブルの天板を背に預けていた。そこから再度、戦いを挑もうとするも、体がどうにも言うことをきいてくれない。手は床をひっかくのがやっとで、足も踏ん張ろうとするのだが、どうも足裏が床をとらえきれない。まるで氷上を素足で立とうとするような感じで、イラただしくも虚ろな視界の中で黒覆面が、死んだ大磯孝則を担ぎ、リビングルームを出て行こうとするのを指をくわえて見ているほかなかった。


「狩場さん、大丈夫か!」 それは小西明の声である。


 二度三度、頭を振って、やっと体の神経がつながったのか、おれはなんとか立つことが出来た。


「大丈夫だ」


 相手は正真正銘のプロだった。手際が良すぎるし、何より人を殺すという異常を自然にやってのけた。教育者の井田勇《怒り》も、ヤクザを気取った黒田洋平も、それこそ大親分の大家敬一《貪欲》さえも黒覆面の恐ろしさを目の当たりにして度肝を抜かれたのだろう、茫然自失、身動き一つ出来ず、息するのも忘れているのではなかろうかという有様だった。辛うじて小西明だけが立っていたが、なさけないことに初めに立っていたその位置から全く動けていない。


 誰かに頼みたかったが、諦めた。よろよろと、まだ完全に己のコントロール下におけていない足腰でリビングルームのドアに向かった。黒覆面が死体をどこに持っていくのか知りたかった。当然、例の塔なのは分かっていた。それでも確認しないではいられなかった。


 ロビーは吹き抜けの大空間である。リビングルームのドアの位置からでも黒覆面の姿を追える。やはりロビーの階段を昇ると右に折れた。そして、渡廊の格子ドアの前に立つと鍵を取り出し、ドアを開けた。黒覆面は、死体を担いだまま渡廊の中に消えて行った。







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