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 中井博信《高慢》が己の足でどこかに行ってしまったとしたら、それはそれでいい。だが、忽然と消えてしまったのだ。こんなことが世の中にあるのだろうか。集ったどの表情にも恐れというか、不安というか、複雑な心境が見て取れた。いわばここは悪魔の館なのだ。馬鹿な想像が頭によぎる。中井博信《高慢》は魔界に引きずり込まれてしまったとか、冗談には聞こえない。


 誰もが不安と恐怖に駆り立てられ、それでも実業家の大家《貪欲》とその相棒黒田洋平は気丈であった。そんなものは鼻っから信用していない、そんな風であった。黒田が言った。


「隠し部屋か、隠し通路があるんじゃないか。それで逃げたとか」


 小西明が言った。「逃げられっこない。この天候です。ですが、可能性はない訳ではない。黒田さんの意見は確かめる必要があります。なにしろここにいる者にとってそれは死活問題ですからね、隠し部屋の有無は。皆にはっきりさせないといけません」


 そんなのがあれば、隣り合った部屋の行き来は自由だ。海外ミステリ小説の傑作と言われる作品でもそういうのがあった。そして、もしそんなのがあったとしたら、風呂に入るどころかおちおち寝ていられない。


「おれも小西さんに賛成だ」


 狙う側、狙われる側。隠し通路があれば、そしてその存在を知っていれば、その者は木の上のクロヒョウが如くである。我々は木の下で草をむ鹿のようなもので、殺されたとしても、何がどうしたかあの世に行っても理解できないかもしれない。当然、全員一致で探すこととなった。


 小西明が言った。


「ただし、なるべくなら、物を動かさないでください。もし中井さんが逃亡したのではなく、何か事件に巻き込まれたとしたなら、犯人を捜すヒントを失ってしまいます」


 実業家の大家敬一《貪欲》が言った。


「じゃぁ、大勢はダメだな。人数を絞ろう。代表者以外は廊下で待機ってことでいいな」


 その意見に皆が賛同した。代表は科学者の橋本稔《妬み》、教育者の井田勇《怒り》、大磯孝則、小西明に、おれとなった。各部屋の主が公平になるような処置だ。ただし、資産家の部屋が与えられた中小路正彦《怠惰》は例外となった。本人にやる気はなさそうだし、芸能人田中美樹《姦淫》がおれからの情報を教えるということで隠し部屋探しから抜けた。


 結論から言って、そんなものはなかった。暖炉に潜ったり、壁を叩いたり、家具をどかしてみたり、カーッペットを剥ぐってみたりした。天井からの出入りはどうかと開口部を探してもみたが、やはり無かった。


 が、そうはいっても、他に色々と発見があった。まず、寝室に注目した。部屋の角に丸テーブルがある。その上にウイスキーとアイスペールセット、そして、聖書が置いてあった。


 聖書は同じく寝室にある本棚から持って来たものだろう。それが丸テーブルの中央にある。酒を飲みながら神に祈っていたのだろうか。いや、まさか。いの一番に『悔い改め』を始めたのが衆議院議員中井博信《高慢》だったとは到底思えない。何か別に理由があって聖書を必要としたのであろう。丸テーブルの大きさはというと直径五十センチぐらいか。


 中井博信《高慢》が悔い改めたかは措いとくとして、一見して、不可解だと思ったのはたった一つある椅子の位置である。水差しやアイスペールの方に位置しているのだ。本来ならそれらは椅子から一番遠い位置にあってしかるべきなのだ。


 立ってウイスキーを造って、ベットに腰を下ろしたとも考えられる。では、テーブルにある聖書はどう説明するべきか。もし『悔い改め』をしていたなら、その時はウイスキーは飲まないし、百歩譲ってそうしていたとしても聖書のあるべき場所はベットの上か、床に落ちているはずだ。


 それにテーブルに残った水滴。それが椅子から一番遠いところにある。それを不自然と言えないとすれば、中井《高慢》は邪魔なアイスペール越しにウイスキーや本を手に取ったり置いたりしていたということになる。


 アイスペールは二重構造の蓋付ステンレス製。氷を解かさず長い間保っていられる。さらには床だ。割れた花瓶の傍に金属製の盆が転がっていた。


 次に浴室。室内はウンウン唸っていた。換気の操作スイッチを確認すると強換気の表示にランプが付いていた。そして、バスタオルだ。タオル掛けに掛かってはいるが、洗濯したあとのように湿っている。匂いを嗅いだ。洗剤の匂いはしない。むしろ、生臭かった。


 嫌な想像が頭を過った。犯人は風呂場で裸になって死体を解体した。血を服に付けないためだ。同然、バラバラにしたなら鉄格子があったとしても死体は窓から捨てられる。


「ちょっと来てくれないか、大磯さん」


 一番頭がでかそうな大磯を窓の傍に呼んだ。そして、窓を開けて下を見てくれないかと注文を付けた。大磯の頭が通れれば誰の頭もそこを通せる。


「無理ですよ」


 そうは言いつつ、大磯はスライド式の窓を上にスライドさせた。風がどっと吹き込み、カーテンが跳ね上がった。雪が粉塵舞ふんじんまうかのように部屋に広がる。


 あまりの寒さにおれは大磯に、はやくと催促した。サブいんですけど、ってな表情を大磯が一度は見せたが踏ん切りをつけたのか、鉄格子を掴もうと手を伸ばす。


「待った!」 小西明である。「凍傷になるかもしれません」


 そうだった、おれとしたことが。浴室を見て、のぼせたに違いない。正常な判断を失っていた。


「悪かった。すまん」


 大磯は言った。「いえいえ、でも実際、下が気になりますよね」


 小西が言った。「大磯さんは無理ですよ。多分、耳がつっかえます」


 もし素手で鉄格子に触ってなかったとしても、耳がやられていたかもしれない。改めて、小西が止めてくれてよかったと思った。


「でも、その必要はありますよね」 ミステリ小説好きの小西が続けた。「わたしも下を確認したいとは思ってました」


 窓の外はL字館の内角に当たり、吹き溜まりとなっている。この天候だ。雪は他より高く積もっているだろう。小西が言う。


「因みに壁に掛かった農具や大工道具も動かされているかどうか調べてみましたが、動かされたかどうかは見た目では判断がつきませんね。ほこり一つない部屋ですからね。指紋でも調べられればいいのですが」


 もし死体をバラバラにするのなら、ノコギリが一番だと考えていた。動かされた形跡が掴めないとなると、やはり残すは窓の下ってことになる。


「くっちゃべってないで早く窓を閉めてくれ」


 教育者の井田勇《怒り》だった。彼は彼で何かを探しているようだった。ソファーの下を覗いている。おそらくは、銃を探しているのだろう。さっきからベットの下を覗いたり、マットレスをひっくり返したりしていた。


 小西が言った。


「井田さんなら、窓の下を見れますよね」


 この中で一番頭が小さいのは井田《怒り》だった。「下になにかあるのか?」


「それを見てもらいたいのです」


「中井がそんな狭い格子を抜けて逃げて行ったとでもいうのか? あり得ない」






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