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 おれは立ち止まって考えた。すごすごスタッフキャビンに引っ込んだのなら、負い目があるかのように見られる。さて、どうしたものか。


 悩んだ挙句おれは自分の中で、横山加奈子はそこに存在しないってことにしてメインキャビンに入ることにした。一筋にキッチンに向かうと冷蔵庫から食パンの袋とレタス、そして、マヨネーズを取り出した。


 棚からは缶詰類を物色し、コーンビーフを取ると開ける。パンにバターを塗り、レタスの葉二枚と、フォークですくったコーンビーフ一固まりをそこに載せる。缶に残ったコーンビーフは皿にあけ、そこにマヨネーズをかける。その流れで、パンに盛った方にもマヨネーズをかけ、新たに取り出した食パン一枚をその上に被せる。上からぎゅうぎゅう押しつぶし、平たくなってコーンビーフサンドの出来あがり。


 冷蔵庫からビールを取り出し、コーンビーフサンドとコーンビーフの皿を持ち、ソファーセットの角に座る。ぜったいに横山加奈子を見ない。


「狩場さん」


 ぜったいに横山を見ない。


「狩場さん」


 ぜったいに見ない。


「分かったわ。じゃぁ、今から言うこと独り言ね」 そう前置きして横山加奈子は続けた。


「昨日は狩場さんに悪いことしたわ。わたし謝らなくっちゃ。ごめんなさい。あの武内忍と狩場さんは無関係だったんだわ。よくよく考えればおかしいもの。武内は純粋に資金活動したのだし、狩場さんは縁起でもないこの船に、わたしたちを乗せたくなかっただけ。それを一緒くたに考えて、わたしたちどうかしちゃってたわ。結託していたなら武内は出てこない方がよかったのだもの。武内にしたってわたしたちに因縁ふっ掛けられずに済むし、当然よね。でも、分かったこともあるの。間違いなく狩場さんはわたしたちを好きではない。というか嫌いなのよね。陽一君からなにか聞いた? わたしたちにはこの船がふさわしくないと思っているわけでしょ。わたしは知りたいわ。だってあの資料。それに遺書。どう見ても、陽一君がわたしたちに嫌がらせをしているんじゃないかって思ってしまう。もし、幽霊がいたとしてわたしはなにをしたらいい? 知っているんだったら聞かせて、狩場さん」


 話の最中、おれはコーンビーフサンドとビールと交互に口に運んでいた。困ったな、と正直思った。相手の出方を覗うつもりだったし、それが思いもよらず簡単に白旗を上げてくれたはいいとして、横山加奈子に対しておれの見る目が変わってしまった。ちょっとヒステリーなだけで馬鹿ではない。おそらくは、女なのだ。こういう風にしおらしくやって来られると、どうもぐらっと来てしまう。


 だが、心を許せるほどまだ、こいつのことをおれは知らない。


「分かっていたのなら、沖縄に来なかった方がよかったんじゃないのか」


「そうよね。でも、来ないわけにはいかなかった」

「金か?」

「そう。お金」


 違う。こいつは女であり、母なんだ。言葉に迷いがない。大学卒業後二年も水谷正人の面倒をみたかと思うと医者になった水谷正人を突き放した。それも水谷のためだったし、この船に乗ったのも水谷を助けるため。横山が言った。


「狩場さんはお金じゃないみたいね」


「おれも金さ」


 横山はクスッと笑った。「うそね。でも、そういう男の人ってぐっとくるわ」


「まじめに話せ」


 横山はまた笑った。「ごめん」


 まぁ、仕方がないか。「さっきの質問だが、あんたらはなにもしなくていい。稲垣は誰も悪く言っていない。一言足りとも」


「うそ。そういうのは嫌い」

「あんたに好かれても仕方がないし、どう思われようともどおってことない。話はそれだけだ」 


 立ち上がった。すでにビールもコーンビーフサンドも終わっていた。


「まって!」 

「もうおれには話すことなんてないが?」


「じゃぁ、聞くだけでいいわ」

  

 横山加奈子の大きな瞳が潤んでいた。それで大事な話をしようとしているのがおれには分かった。おそらくは、稲垣のことだろう。おれはゆっくりと腰を下ろした。


「わたしたち皆、小説が好きなの。それは陽一君の影響で、わたしなんかそれまでは少女漫画にしか興味がなかったわ。自分は将来、漫画家になるんだと信じていたほどね。でも、陽一君は色々小説読んでいて、それについてよく話したり、それこそ自分が気に入った本を貸してくれたりしたわ。わたしたちって進学校でしょ。小説なんてテストの問題ぐらいにしか考えてなくて、エンタメなんか存在することすら知らなかった。鮎川哲也、泡坂妻夫、島田荘司、連城三紀彦、ほんと、ショッキングだったわ。実はわたし、本当はミステリが好きなの。小説家目指した時も、始めはそんなのばっかり書いていたんだ。ってごめんなさい。わたしの話はいいわ。陽一君ね。彼はというと、ミステリの他にも藤沢周平の『暗殺の年輪』とか『一茶』とか読んでいたわ。どちらかというとそっちの方が好きだったみたい。読むだけでなく書くこともしてたわ。高三の時、陽一君の作品を読んでなぜか思ったわ。わたしにも小説書けるって、小説家になろうって。陽一君の小説がわたしの出発点。そして、目標」


「目標。そうか。そんなに面白かったか、稲垣の小説」


「実はね、いつも思っているの。本当は陽一君、小説家になりたかったんじゃないかって」


「なるほどね。あんたは稲垣の夢を横からかっさらったんじゃないかって心配しているんだな」


 横山は小さくうなずいた。


「心配いらない。稲垣が小説家になりたかったのならなってるさ、あんた以上のな」


「そうね。きっとそう。頭、すっごく良かったし」

「だろ?」


「だから負けたくないのかも。もっといいの書こうと思えるのかも」

「だからさぁ、それがだめなんだ。やつはやつだ。あんたはあんた。それにやつはあんたの小説なんて歯牙にもかけてない」


「そうなの? 読んでくれてなかったの?」

「やつからあんたの話を聞いたのはついこの間だし、それまで話題すら出なかった。それにロアーデッキの本棚見たか? あんたのなんて一冊も置いてない」


「ほんと? がっかりだわ」


「あんたの小説は面白くないんだ」


「いうのね」

「あの五人での写真。まるでその、『それぞれの翼シリーズ』じゃないか」


「読んでくれたわけ?」

「つい最近な」


「花火大会には正人が行こうっていいだしたの。それで賢治君らがくっ付いてきちゃって。まぁ、ことの成行きは想像出来る。正人が賢治君に言ったからなんでしょうけど、賢治君と陽一君は恵美が狙いなわけよね。花火も、皆が一緒にいるのは初めだけで、どうせばらばらになるって高を括っていたんだけど、正人も賢治君らと一緒になって恵美に構うもんだからわたしは最悪。正人とは初花火だったんだよ。男の子ってそういうの分かんないじゃない。でも、無理もないかなぁ。恵美は奇麗だったし、ピンクの浴衣で女の子って感じで。それに、なんであの子はあんなのまで似合ってしまうのかって。リンゴ飴。浴衣のピンクにあざやかな赤。華やかで、いいなぁって。それでわたし、諦めたの。正人のことはおいといて楽しむことに決めたんだ。小さい頃にやったっきりの金魚すくいを何年もぶりにやってみたり、焼きそばを豪快にズズズッて。いま考えると青臭くて笑っちゃう」


「自分の小説を分かってるんだな」

「そう。これがわたしの持ち味」


 持ち味か。そういやぁ、ミステリ作家を目指していたって言ってたな。だが、断念した。


「偉そうなことを言ってしまった。わりぃ、忘れてくれ」


「どうしたの、急にしおらしくなっちゃって」


「素人がプロに語るもんじゃない」

「へぇ、恥ずかしくなったんだ」


「いや、別に」

「いいんじゃないの。素人だから言えるってこともあるわ」


 考え込んでしまった。横山加奈子は金が欲しいのではない。水谷正人のためにここに来たんだ。あるいは、この航海を止めてくれるかもしれない。






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