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 そう、まるでこれはゲームなのだ。戦うのは四人。と見せかけて武内忍を含めた五人、いや、六人。進行役ともいえるおれがそこに加わっている。つまり、水谷正人と横山加奈子(森つばさ)、山下賢治と島田恵美(中川恵美)、武内忍とおれ、二人一組の三つ巴の戦い。


 だが、山下賢治と島田恵美はいずれ分裂する運命にあるだろうし、武内忍とおれはこれから先も意志疎通しえないだろう。武内忍の肩を持つのはおれの一方的な想いだけなんだ。しかもおれには皆藤真なる男の死体という足枷がある。当然、航海を始めれば日程を順調に消化させなければならない。その責務は日が増すたびに重圧となっておれに圧し掛かってくるだろう。まかり間違っても、山下ら四人に死体の存在を悟られてはいけない。


 人の悪い、えげつないゲーム。今更ながら稲垣陽一の人間性を問いたい。一体全体、やつはおれたちに何を競わそうとしているんだ。


 釈然としなかったが一つ、考えがあった。山下ら四人が揃ったところで問うのだ。稲垣の贈与を放棄しませんかと。 


 それが彼らに聞き入れられたとしたならば心配事は一挙に解消できる。航海なんてものはどうでもいい。皆藤の死体は後日、タイミングを見て処理すればいいのだ。稲垣は海流統計図七月から九月のを参考にしたと言っていた。決められた地点に九月までに投棄さえすれば、いつ捨てるかは問題ではない。


 だが、気が重い。山下ら四人に納得してもらえるだろうか。無理だ。どう考えても納得はしまい。やはりこの航海が危険だというところを強調しなくては。


 とはいえ、有るのか無いのか分からない爆弾を理由にはできないし、あるいはいっそのこと、稲垣の幽霊が出ると四人に言おうか。


 いずれにしても説得力に欠ける。おれはホテルの駐車場を出、真っ赤なBМW・М6カブリオレをホテルのエントランスに向けて転がす。山下賢治との約束があった。できれば涼しい顔で初対面を果たしたい。


 ポーカーフェイス。これから否が応でも腹の探り合いとなる。頭の中にある雑多諸々を追い出して、エントランスの前に車をつけた。


 ちょうど午後一時。エントランスの影から男が進み出る。夏祭りの写真。そこにあった黒縁メガネが、写真とほぼ変わらず目の前にいた。性格や考えていることが人相に滲み出るとよくいうが、これまでの人生は可もなく不可もなく。風貌に影響を与えるほどの出来事はまだ山下には起こってないということか。


 ま、苦労が人を育てるって時代でもあるまいし、お役所勤めを選んだのではしょうがない。いや、皮肉はよそう。実際、先見の明がある。だが、好感はもてない。こいつはおれなんかとは違う。よほど目先の利く男なのだ。


「さぁ、乗って下さい。荷物は後部座席に」


「すいません。マリーナはすぐそこなのに」

 

 スーツケースのキャスターで皮張りのシートを傷付けたくないというのもあったのだろう。だがそれ以上に稲垣の件が心に尾を引いているように見える。スーツケースを横にやったり、ずらしたり、荷物をただ置くだけなのに山下賢治の動きはきびきびとしない。動きに迷いだらけなのだ。助手席に着き、ぎこちなくシートベルトを着装すると山下賢治は一変、おれに笑顔を見せた。


「いい車ですね」


「稲垣の遺品です」


 山下賢治の顔に笑顔が消えた。「あんなことをするなんて。ぼ、僕は止めたんです。それを、なんでだ」


「あなたのせいではありません。ぼくも止めました」


「そうでしたか。誰でもそうしますよね」

「車、出しますよ」


 山下賢治がうなずくのを待って、それから車を走らせた。道はホテルの敷地を回り込んで宜野湾ぎのわんバイパスにぶつかる。ヘリコプターが離発着出来そうな交差点を右に折れ、一つ目の交差点、これも同様にだだっ広かった。左に折れる。が、ウインカーを出したところで信号が赤に変わってしまった。車を止める。停止線をボンネット分、はみ出してしまった。


 山下賢治が言った。


「真っ黒だったんです。不謹慎なのかもしれないが、死体は焼き立てのハンバーグとかのいい匂いで、かえって気味が悪くなったというか、吐いてしまいました。その場で」


 信号が青になった。左に曲がり、マリーナの敷地に入っていく。


「大丈夫ですか?」


「肉、ですよ。あそこにあったのは」

「まぁ、否定はしませんが、あまり考えない方がいいんじゃないですかね。そこは」


「無理ですよ」


「着きましたよ」


 マリーナを見渡せる駐車場。海側に車の頭を向けて車を止めた。


「あれは陽一だったんですかね?」


「肉、っていうことですか?」

 

「よく分からないんです。だって真っ黒だったんですよ。そりゃ、久しぶりに会った時にはびっくりしましたよ。見る影もなく歯も抜けて、肌はかりかりで、頬も目もこけていたけど、そこにいたのは間違いなく陽一でした。それが、それが、真っ黒だったんですよ。誰かって聞かれてもそんなの分かるはずがない」


「その気持ち、分かります」

 

「でしょ。でも確かにあれは陽一だって。焼け跡を調べてみて、結局、警察がそう言いました。あんなに家が焼けていたのにプロが調べれば分かるもんなんですね。部屋の内側から鍵がかかっていたそうです。窓もそう。陽一意外、だれも出入りした形跡はなかったそうです。そのうえあの遺書。決定打でした」


 未だに稲垣の死が受け入れられないってことか。まぁ、それは『残された者』って印象付ける常套句みたいなもんだからな。


「お気を確かに。あなたたちは後のことを託されたんですよ、稲垣に」

「じゃぁ、あれは肉だった」


 やれやれ、せっかく励ましたのにまたそれか。「それを考えると落ち込むばかりですよ」


「あれはだだの肉で、稲垣の霊魂はまだ、そこいら辺に漂っているって僕は言っているんです」


「つまりあなたはこう言いたいわけだ。本当の稲垣は今、肉体にはいない。残ったのは抜け殻」


「抜け殻! そう! それです。それが言いたかったんです」


「見たんですか? 霊魂」


「いいえ。だけど、夢で」


 まじかよ。こうなってくるとまた幽霊が気になってくる。というか、山下賢治という人間がより一層気になってしまう。






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