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朝、目が覚めても、おれの心境としては、稲垣の船に幽霊がいたと素直に受け止めるまでには至らなかった。それどころか逆に、幽霊ならどんなにいいかとさえ思っている。
昨夜、『爆弾』という言葉が考えるより先に口から出ていた。不可解だった。武内忍を否定した時点で、その発想が出るのはおかしい。幽霊が本当にいるのかという疑問以上に、予知などの第六感なるものが人に備わっているかの方が気にかかってしまう。
三十二年前、ソ連(現在ウクライナ)のチェルノブイリ原発が爆発した。その事故の記事を見て面白いことを知った。作業者インタビューであったが、彼らは事故の二日も前から落ち着かないことを自覚していたそうだ。まさに『嫌な予感』である。機械の動く音、空気の匂い、あるいは体調。それらからいつもと違う何かを感じ取る。第六感は無意識下での感覚なのだ。
まさしく、と思う。何かいつもと違うという感覚には素直でありたい。そして、そのお陰で危険と隣り合わせで働いていたおれは指がちゃんと十本あるし、足だって二本ある。そう言った意味でなら、確かにずっと胸騒ぎはしている。だが、それはお金が絡んだ人間関係だったり、死体を海に捨てるという異常性に対してじゃぁない。
幽霊か爆弾か、比較すればどちらが恐ろしいか。考えるまでもない。サロンクルーザーの点検、点検、また点検。働いていた鉄工所でも口うるさく言われるし、言ったりもする。
トーストをかじり、コーヒーをすすりながら資料に目を通す。バルコニーの窓に掛かるカーテンが風に押されて風船のように膨らんだかと思うと跳ねあがる。
一挙に広がる青い空と海。が、そこにある南国の風景になんの感慨も起こらない。ただ、あそこを行くんだと思うと今更もって信じがたい。カーテンの裾がふわりと着地して外の風景を遮った。危険なのかもしれない。だが、そうではないのかもしれない。
取り越し苦労に終わってほしい。そんな想いで資料を一枚一枚捲っていく。自分の性格上、ファイルを一生懸命見るこの姿を、贈与を争うあの四人には見せたくなかった。
五百億円に必至な男。資料からターゲットを選んでそいつを陥れる。晴れて会社はおれのもの。
そう見られるのは耐えがたい。今のうちに、資料の細部に至るまで頭に叩き込む必要がある。一枚、一枚と資料を確認していく。ふと、旧姓島田恵美の家族構成のところで目がとまる。弟の隆志。阪大卒、帰郷して地元の造船メーカに勤務。
あるいは! と思った。姉の島田恵美が知らぬところで隆志なる人物が動いている。姉から今回の航海をいち早く耳にしていたとして、姉もろとも船を吹っ飛ばすなんてあるのだろうか。いや、それはない。一銭も懐に入ってこないのは分かり切っている。
だが、待てよ、と思い直す。保険金を掛けていたとするならば。
いやいや、ありえない。そんなことをしても、いいとこ高々一億の話。保険金殺人が成功したとして、姉の恵美が贈与で得るだろう金額に、遠く及ばない。あるいは恵美と隆志が共謀しているとか。それも考えられるが、ならば船ごと吹っ飛ばすなんてしない。船に細工をするならもっと別の方法を取る。今は何とも言えないが、少なくとも爆弾は杞憂に過ぎない。
ともかく、航海に際して生命保険を掛けてきたか、四人に確かめる必要がある。バルコニーに出た。何度も言うが南国の風景に感慨を抱いたわけではない。天気が気になったのだ。気象庁、米軍とも週間予報では八月六日までは快晴であった。航海は期限が区切られている。それがもし、今日七月三十一日が暴風雨だったらどうだったろうかと想像してみる。
ごたごたは起こっただろうが間違いなくいえるのはその分、時間が削られた。そしてその結果、緯度二十三度四十九分、経度百二十七度五十四分の地点までの行程は強行軍となっていた。今日の天気。雲一つない青い空、凪いだ真っ青な海。
昔の漁師は沖合に白波が立つのをウサギが跳ねているといったらしい。そんな時は漁に出るのをやめたというが、情緒のある表現でなかなかいいじゃないか。どこを探しても沖縄の海にはウサギなぞ全く見えない。
幸運といえよう。その想いは、逝ってしまった稲垣陽一も同じだったに違いない。予定では目的地に到達するのは五日目の八月四日。天気予報と死体投棄を考えたら十分安全圏内だが、だからこそ、思う。
稲垣は天気予報を見て、安心して自殺したのかもしれない。計画の最も重要な要素たる天候。一日も海に出られない場合も想定していたに違いない。迷惑なことだが、そうなったら自動的に皆藤真なる男の死体処分の日時はおれに一任されたのであろう。
稲垣が最後に見ただろう天気予報は七月二十七日から八月二日までで、それは全て晴れ。強運だと思ったのであろうが、よくよく考えれば滑稽ではないか。死のうとしている人間が明日の天気が気にかかる。そしてその心境は? 残念ながら凡人には想像すらできない。
とにもかく、天気には恵まれた。とするならば当然、現時点予報が出ている六日以降が気に掛かる。あるいはそれまでに決着するか。いや、だめだ。稲垣がどう考えていたのかはこの際どうでもいい。もう全ては託されたのだ。山下ら四人はそれぞれやりたいようにやればいいし、おれはそれを咎めるつもりは毛頭ない。誰が勝者となるのか。だが、彼らには眼中にないんだろ? おれも参加者なんだ。
胸糞悪い山下ら四人には絶対に金を渡さない。その観点から言えば二三日暴風雨で出航出来ない方がよかったのかもしれない。いや、二三日では少なすぎる。もっと多くてもいい。
死体を投棄する目的地点までは、津堅島を経由しなければ八から九時間ほどで到達できる。最悪一日で、行って来いが可能だ。とするならば断然有利はおれだったが、結果、そうはならなかった。結局、天候が味方したのは山下ら四人だったというわけだ。
だが、やつらにとってもそう甘くはない。誰が稲垣から贈与を得るか。八月一日からだが、おれが持つ株が三割五分。残りの株は四人のうち誰かの物になって、その誰かが会社を自由にする。おれとしては、その誰かが旅の道程で決まったとしても期限いっぱいまで航海を引っ張るつもりだし、その十日間、悪天候が一度もないとは考えられない。あるいは荒天に弱音を吐いて何も決まらないまま四人はギブアップ、港に戻ろうってことになるかもしれない。
となれば、おれが持つ株を武内忍が買い取って、会社はというと処分され、公益法人国際子供救援基金に全額寄付される。
あとは船がイカレないかということ。無事帰ってこられなかったら元も子もない。
それと人影。稲垣の船に誰かがいたのは間違いないだろう。もうゲームは始まっている。