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七つの大罪と言えばもっともらしく聞こえるが、何か腑に落ちない。
どうも訳が分からなくなってきた。おれ達にとって、七つの大罪なんてそんなに重要視しなくてもいいのではないだろうか。
だとして、マスターの狙いはなんなのか。『悔い改め』を望んでいないとしたらどうなのか。マスターが決めたルールとそれがどう関係してくるというのか。
一つ、最後に残った一人だけを助ける。その従者も同様とする。
一つ、凶器になり得る、この館の外から持ち込んだものは没収。
一つ、部屋の持ち主は夕食から十時間、他人の部屋に入ってはいけない。
さっぱりだ。まったく分からない。このルールから一つ言えるのはマスターと呼ばれる男はおれ達に殺し合いをさせたいってことらしい。それこそ七つの大罪なんてどうでもいい。誰かが殺し合いをおっぱじめ、皆にその恐怖が蔓延し、最後は地獄絵図となる。
一見ゴシックホラーだが、その実これはサイコサスペンスなのかもしれない。七つの大罪自体に意味はないとして、殺し合いという点から言うと七つの大罪こそ、その呼び水なのではなかろうか。現にそういう意味合いで、この館は演出されている。マリア像、キリストのステンドグラス、中世の農村部を思い起こすような部屋の飾りつけ。殺し合いが必ず起こるように。
だとしたら、沼田光《貪食》は一役買ったことになる。実際、誰もが沼田光《貪食》に辱められたのだ。殺しても構わない人間。救えない人間。悪魔のような人間。そう言われた本人の気持ちはともかく、互いに相手をそう思ったらどうなるか。
あるいは、イラストレーター沼田光《貪食》の人選はそれが狙いだったのではないだろうか。沼田《貪食》は信仰心なぞまったくなく、仏や天使や悪魔をキャラとして楽しんでいる。悪魔の経歴、個性、そして与えられた職分。彼はそれを誰よりも知り尽くしている。だから、良いイラストが描けるし、彼自身としても、悪魔をまったくの架空と決め込むことが出来る。マスターは、そういう沼田《貪食》を利用し、沼田《貪食》は沼田《貪食》でその役目をきっちりと果たした。今となっては文字通りお役御免、お払い箱になっているのかもしれない。
一方で、平静を保っているかのようなおれ達もマスターの罠に嵌りつつある。高慢にならない人間なんていなし、嫉妬しない人間なんていない。つまりは人の弱いところをついた心理的罠。近藤に七つの大罪について問うた時の彼の無表情。あれは本心からくる笑いを隠すために、あえて作った無表情ではないだろうか。きっと、おれたちが自滅していくのを想像してほくそ笑んでいるに違いない。
普段は、笑みで感情を隠している。だが、笑みは笑みで隠せない。本当の表情は作ったのと微妙に違うのだ。よくよく考えれば、あの無表情はそうとも取れる。
時刻は午後九時になっていた。ドアの外から近藤と大磯孝則の声が聞こえた。通路で話をしているのだろう。どうやら近藤が注文された飲み物を運んできたようだ。それを大磯が受け取り、近藤はというと、帰って行った。飲み物を手にした大磯は政治家の間に入って、しばらくして出たようだ。当然、見たわけではない。ドアの前に置いたソファーにおれはひっくり返って、聞き耳を立てていた。
それから一時間。大磯は限界なのだろう。時刻は午後十時。大磯は、足が痛くなったとか、めまいがするとか、中井《高慢》に訴えている。要は、座って見張りをしていいかということだ。部屋に入れてくれと言わないところがいじらしい。ところが、政治家の間でくつろいでいるだろう中井《高慢》はえらい剣幕だった。おれは国会を動かす大政治家だぞと吼えている。
それでも大磯は引き下がらなかった。泣きべそ声で一生懸命頼んでいる。それには流石の中井《高慢》も根負けしたようだ。大磯は椅子に座ることを許される。だが、許されただけであった。無情にもドアの閉まる音が吹雪く音に混じって洋館に響く。政治家の間から椅子を持ってこられず、大磯は自分でリビングルームにとりに行く羽目になった。
それに引き換え、このおれはまだましだった。がちがちのアンティークソファー、といえども有れば横になることが出来る。基本、おれは田中美樹《姦淫》に嫌われている。その理由も分かっていた。衆議院議員中井《高慢》がその第一秘書大磯にする仕打ちを、おれが田中《姦淫》にされてもおかしくはなかった。
それにさっき、近藤の部屋に行った時だが、ドアを固く閉ざしておれを閉め出すことが彼女には出来たはずだ。消灯はないとはいえ、そうなれば今頃おれは、大磯孝則と二人でこの薄気味悪い洋館の廊下で一晩過ごさなくてはならなかった。
それを言うなら、腹立たしいのは望月望だ。今頃のうのうと、それこそ銀座か六本木かを闊歩している。両手に女を抱いて、雪の中を、これはホワイトクリスマス間違いなしだなぁ、なんて言ったり、クリスマスの夜を過ごすのは誰がいいかな、って女の子らに指を差して、どれにしようかな、なんてことをやっているのかもしれない。こっちはデスゲームの真っ最中だというのに。
だが、それならば、まだいい。一人でチビチビ酒を飲み、思い出し笑いをする。今日はうまく言い逃れをした。馬鹿なのは狩場だ。何も知らないで草津まで行って、ひどい目にあっている。もしかして、危ない連中に囲まれてボコボコにされているのかもしれない。それとも、若頭かなんかにコツキ回されながら自分が入る穴を掘らされているかもしれない。
あるいは、いや、そんなことはなかろうが、逆に、警察に連絡してくれているのかもしれない。そう言えば、不法に他人のパソコンを遠隔操作したとの疑いを掛けられた男がテレビを使って真犯人に語り掛けていた。僕が真犯人でないことを警察に言ってほしいと。そして、こうも言っていた。
あなたが僕のために証言してくれる確率は九十九.九パーセントないと思う。が、僕はその0.一パーセントに掛けている。
何か滑稽に思えるのだが、真犯人がどこの誰か分からない分、男は逆に希望が持てるってもんだ。おれの場合、望月は知る仲だから、百パー言える。助けは呼ばない。だったら今頃、この洋館は無数の赤い回転灯に囲まれている。
くそっと思わず、声が出てしまう。なんとか生き延び、望月の鼻に拳をぶち込んでやりたい。やつが鼻を押さえてうずくまっているところをおもっきり腹を蹴り上げてやりたい。
思えば思うほど無性に腹が立ってきた。目がさえてきて、寝付くところか、満月を喜ぶオオカミのように雄たけびを上げたい気分だった。大磯には悪いが今夜殺人は起こらないだろう。彼が通路で人の出入りを見張っている。その効果は大きい。そして中井《高慢》はというと、それを考慮に入れ敢えて立たしているのではないだろうか。大磯が廊下にいるだけで、誰も変な気は起こさないのだから。
あるいは、大磯が狙われるか。それは本人も考えていることだろう。雰囲気満点の洋館である。悪魔に乗り移られ、狂った誰かが後先考えず大磯を襲撃する。
いや、よそう。悪魔なんてはったりだ。心理的トリックに踊らされてはいけない。この洋館全てがその仕掛けなのだ。