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部屋を抜け出した。廊下に立っている大磯孝則に挨拶する。大磯はどこいくのって顔をした。ちょっと下の階へって指で床を指した。通じているかどうかは分からないが、おれは雇人専用の階段を降り、執事の待機室の前に立った。
「話をしたいんだが、いいか?」
返事が聞こえてドアが開く。近藤が出てきて、おれを中に招き入れた。
ぐるりと見渡した。想像していたのとは違った。テレビが幾つもあるセキュリテー室みたいなのではなく、大きなデスクがあって、ソファーセットがある。会社幹部の個室のような感じだった。それから言って、この棟の制御はここではないのは明らかだった。セキュリテー室はロケットランチャーを発射された例の塔で間違いない。だが、それでもブレーカーボックスらしきものはデスクの向うの壁にあった。
電源自体は、この棟は単独なのだろう。そして、もう一つ。この部屋のドアも鍵穴がなかった。鍵を閉めればニョキッと出る金属、デッドボルト(かんぬき)の穴もドアには見当たらなかった。近藤もこのデスゲームのプレイヤーということなのか。
鍵穴と言えば、大きなデスクの向こうにアンティークの棚がある。片開きで、まるで棺桶のようだ。ドラキュラが眠る長細い六角形タイプではない。例えるなら和式ののっぺらとした長方形のやつだが、この部屋、いや、この洋館全てひっくるめ、今まで見た中でその棚の扉だけに鍵穴があった。
近藤が言った。
「して、ご用件は?」
「ここに集まった者がどういう人達か知りたいと言ったら、教えてくれるか?」
「問題御座いません。誰を知りたいのですか」
「いいのか?」
「ええ。これは裏ルールです」
「裏ルールか。そんなのがあったとはな。他にもあるのか?」
「お答えできません」
「そう言うと思った。話題を戻すが、その裏ルールとやらで井田さんのことを教えてくれ」
腑に落ちなかったのだ。衆議院議員の中井博信《高慢》、日本原子力開発機構理事長の橋本稔《妬み》、大金持ちの中小路雅彦《怠惰》、阿漕な会社経営者大家敬一《貪欲》、ネットでは有名なイラストレーター沼田光《貪食》、芸能人の田中美樹《姦淫》。彼らはどこにでもいるという人間ではない。良いか悪かは別として世間から注目を得ている。教育者の間を与えられた井田勇《怒り》はどうだろうか。本人は県大会に六回出たとか自慢していた。だが、そんなやつはどこにでもいる。やつはなにをしてその名が知れ渡った? それが知りたかった。
近藤が言った。
「なかなか優秀な教師ですよ。ソフトボールの顧問で、県大会に六回、全国大会には五回出場しています。ですが残念なことに、2006年に部員が自殺未遂をしています。2011年には部員が同じクラスの友人をナイフで刺しました。軽傷でしたが、両方ともその部員の担任が責任を取っています。井田さん自体の暴力の噂は後を絶たず、憂慮した県は一旦、特別支援学校へ移動させました。幸いなことにこの春には一般校へ移動出来るそうです」
「教師としてはいいが、教育者としては失格というわけか」
「次はどなたをお知りになりたいのですか?」
「沼田さんは?」
教師井田勇《怒り》と違う理由で、沼田光《貪食》も腑に落ちなかった。
近藤が言った。
「イラストレーターです。仏や天使、悪魔などを題材にして、ご自分のブログで発表しています。なかなか好評なのですが、節操がないとか、神の名を借りた売名行為だとか、献身的でないとか。絵自体がいいので余計に印象を悪くしたんでしょう、誹謗中傷が後を絶ちません。こんなところでしょうか。次の方は?」
「いや、もういい」
人物の上っ面しか答えてない。部屋に引き上げようかと思った。が、やはり聞いておきたいことがある。
「やっぱりもう一つ。七つの大罪についてだが、あなたは沼田さんが講釈していた時、その場にいたろ。どう思う?」
「そういった質問は、残念ながらお答えできません」
そう言うだろうなと思った。ルールが絶対だとしたら、誰かが生き残ることになる。となれば、そいつは生き証人だ。だから、マスターは姿を現さない。
ところが、その生き残った誰かに近藤がマスターに繋がる重要なヒントを与えていたならどうなる。普段から感情を微笑で隠している近藤であったが、この時は殊の外、無表情であった。この質問に対してあらかじめ用意していた表情だったに違いない。
作った無表情。それをどうとればいいのだろうか。あるいはマスターを恐れているのか。しかし、七つの大罪はどうにも解せない。
吹雪は止みそうになかった。それどころか時間が経つにつれ、激しさを増していく。唸りというか、悲鳴というか、風の音が館の中に響き渡って、強化ガラスにもかかわらず、窓が震えているようにも感じる。
近藤の部屋に向かう時は雇人専用の階段を使った。帰りもそのはずだったのに、考え事をしていたらロビーの階段を昇っていた。気付いた時には圧し掛かってくるようなキリストのステンドガラス。その存在感に圧倒され、恐る恐る重い足取りで階段を踏む。
やはり、代議士中井《高慢》の第一秘書、大磯孝則は政治家の間の前で立っていた。軽く挨拶を交わし、おれは小声で「執事の部屋を見せてもらいました」と言った。大磯も小声で言う。
「ご要望があればって言ってましたものね、あの執事。で、どうでした」
「なにも。普通の執事室でした」
大磯は笑い顔を見せた。おれは快楽趣向家の間をノックする。
部屋の中からソファーの擦る音が聞こえた。それから暫く待って、部屋に入った。おれは、寝室に向う田中美樹《姦淫》の背中と、だらしなく斜めに置かれたソファーとを交互に見る。
寝室のドアが閉まると、おれはソファーをドアに寄せ、その上に転がった。ソファーの重さだけでは心もとないが、自分の体重を乗せればバリケードとしての機能を十分果たすだろう。それにこの状態は警報装置いらずである。もしドアが動けば、寝ていたとしてもソファーの揺れですぐさま気付くことが出来る。だが、開けたら即、おれの頭があるのは上手くない。拳銃をぶっ放されたら終わりだ。当然、ドアの取っ手の方に足を向ける。
寝心地はあまりよくない。ソファーは三人掛けのようだが肘掛が木製で、布を張っているタイプのものだ。背もたれにしても、淵にブドウの木の彫刻が施してある。高級感はあった。だが、寝るのを想定していない。当たり前だ。アンティークなのである。一般的に、ソファーにひっくりがって寝るヨーロッパの貴族というイメージはない。アメリカ人なら金持ちでもありなのだろう。
勝手な想像だがともかく、肘掛がごつごつして頭が痛いし、伸ばした足のふくらはぎも角に当たる。なかなか寝るのにいい態勢を作れない。結局、冬空に犬小屋で寝る犬っころのように縮こまって丸まるしか無かった。
目を閉じると頭に浮かぶのは、七つの大罪。イラストレーター沼田光《貪食》が講釈をたれたが、やはり腑に落ちない。やつは『貪食』の罪人だ。体型は文字通り“貪食”である。それが夕食には現れなかった。
だが、それについても、『貪食』という言葉に惑わされているように思えてならない。当然、沼田《貪食》以上の肥満は世間に大勢いる。いや、沼田《貪食》なんてものは、そいつらと比べればかわいいものだろう。マスターは人選を間違ったのではなかろうか。第一、近藤の紹介では沼田《貪食》に対して、『貪食』なんてイメージさせる言葉は一個も使っていない。それでもまだ七つの大罪というならば、教師の井田勇《怒り》の方がましだ。暴力とか、『怒り』に通じそうな経歴だった。
気に入らない生徒がいると殴ったりする。あるいは、そいつにいじめを誘導したりする。井田勇《怒り》は放課後部活で人気者となっているがその実、独裁者であり、精神の殺人者でもある。近藤が話す経歴からそんなイメージを得ることができたが、それでも近藤の口ぶりは教育者として失格だ、と単に言っているだけのようだった。確かに教師としては実績がある。だが、人としてどうか。人格者かどうか。近藤が言うのはそんなところだ。