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国際子供救援基金の案内に写真が掲載されている。灰色の岩と茶色の砂ばかりのはげ山をバックに、レンガに泥化粧の建屋が建っている。そして、その前で集合する多くの浅黒い子供達とその中央にヒジャブ姿の東洋人。みんな笑顔で、学校が出来たのを喜んでいるってな画。場所はパキスタン。写真中央は代表者の武内忍。
この写真通り彼女が学校を秘境に造ったというならば、まじめに活動をやっているってことか。ならば、武内忍はこの写真の学校だけでなく、他にも建てたいに違いなく、当然金は喉から手が出るくらいほしがっている。もし水谷正人が大株主に決まったとしても不倫をネタに、やつは武内忍に強請られるかもしれない。パキスタンで命を張っているんだ。平和ボケした日本人を脅すなんてこと、ちょろいもんだろう。
水谷正人が断然有利とは限らない。おれにとって山下賢治が一番いいパートナーになりうるかもしれないってわけか。
緒方に礼を言って、携帯の通話を切った。
「いいや、山下賢治も危険だ。いっそ株を買い取ってもらって、やつらと縁を切るのが一番なのかもしれない」
日が経つにつれ、おれは稲垣と山下ら四人に、疑問とともに怒りを覚えるようになっていた。稲垣の会社が清算され、その金が国際子供救援基金に流れる。資料にもある通りそこは公益法人にも認定されている。内閣府が認めるのだからいかがわしい団体ではなく、稲垣の金は正しく使われるだろうし、その方が稲垣の最も望むところだと思える。
ならばなぜ! 稲垣は国際子供救援基金に始めっから寄付すればよかったのだ。しかも、山下ら四人が決裂したとして、寄付するにあたってはこの四人の連名だと遺言にある。馬鹿じゃないか!
月明かりの下、宜野湾港マリーナの桟橋を歩いていた。漂うようにギターのメロディーと笑い声が風に流れてきて、耳を撫でていく。どこかの船でクルージング仲間が集まっているのだろう。鬱憤晴らしの笑いでもなければ、我を忘れた奇声もない。そして、指先に任せるままの気負わないギターの響き。満天の星の下、語り明かそうかっていうようなノリだった。
友達とはいいものだなと思いつつ、一方でそういう自分を鼻で笑ってもいた。おれにとって友達とは、メリーゴーランドが一周するのを柵の外で待つようなものである。ぐるっと回ってきた相手に手を振られる、笑顔を投げかけられる。こちらも手を振って笑顔で答える。それが次々にやって来て通り過ぎていく。こちらの振った手の一個一個は、いやー来たかという意味からすぐにサヨナラの意味へと変わる。疾うに自分は、柵の外からそんな風に手を振るのを止めた人間になったと思っていた。ポケットに手を突っ込んでメリーゴーランドの前をうつむき加減に通り過ぎていく。稲垣もそういう人間だと思っていた。が、結局なところ、そうでなかった。残念ながら稲垣は、自分を忘れないでいてほしいと懇願でもするように同級生四人にすり寄った。それが肩すかしをくらったようでもあり、腹立だしくもあった。
左に延びる桟橋の最初の枝に差し掛かると、おれは自分の足音に気を配った。確か稲垣の隣の船には男が住んでいたはず。ここに来たのを誰にも知られたくなかった。稲垣のクルーザーには皆藤真なる男の死体がある。四人が集まってくる前にそれがあるかを確認しなければならない。チャンスは今晩だけしかなかった。
死体は無かった。そんなことを想像してみた。もしそうならばどんなにうれしいか。心配事が一つ減るし、何より稲垣は罪を犯していない。
ともかくも死体を確認する。そうしなければ何も始まらないと思っていた。そして、初っ端の、この場面でつまずくなんてことを当然ながらおれは殊のほか嫌った。誰にも見られてはならない。
隣の船に住む麦わら帽子風テンガロンハットの酔っ払い。誰かに誘われて違う船でワインでも飲んでいる、ってそんなことになっているのを願ってやまない。だが悲しいかな、世の中はそう上手くは出来ていない。
テンガロンハットの男の船には明かりがついていた。サイドウィンドウのガラスは、稲垣の船の場合、プライバシーガラスとなっているがテンガロンの方はスケスケで中身が丸見えだ。息を殺して船影から覗いてみると幸運なことにテンガロンの姿はない。稲垣に悪態をついていたことからキャビンに空調を利かせる余裕はないのだと、容易に想像は出来た。どうせアフトデッキで酔っ払って、いい心持で寝入っているのだろう。
とはいえ、船をこうして所有しているからには、貧乏人といえるのかどうか。ま、そうではないのだろうが、金を持っていそうには見えなかった。色あせたアロハシャツ。その男が、あの時は一言二言憎まれ口を発して姿を消した。きっと稲垣がまぶしくて仕方ないのだろう。男は独り身のようで女っけもなく、生涯を海にささげた風を気取ってはいたが、寂しくてしょうがないって感じだった。もしよければと稲垣から誘いがかかる、一緒に行きませんかと。そして、女性たちとクルージングに出かける。そういうシチュエーションを想像して、桟橋を歩いて来る稲垣の姿を見るといちいち顔を出して、稲垣に声を掛けていたに違いない。
身を低くして近付くとテンガロンの船の中を覗いてみた。アフトデッキには男の姿はない。空調も利かせていないはずだのに、おかしなやつだ。
それにしてもあの稲垣に女の影か、と今更ながら考えてしまう。「あこがれの女とだけ言っておこう」 それは稲垣の言葉。ならば即座に二人の名前が頭に浮かぶ。初恋の旧姓島田恵美である。そしてもう一人、武内忍。
稲垣の計画の意図は、はからずも垣間見える。たぶん一緒にクルージングしていた女は武内忍の方。それであこがれとは生き方をいい、死恐怖症におびえていた稲垣は彼女の生き方自体に支えられていた。一方、初恋の人島田恵美は論外だ。助けたいならどうぞ的なことを稲垣はおれに言っていた。
筋書きはこうだ。四人は話がまとまらない。最終的には会社は清算され国際子供救援基金に全額が流れる。十日間のクルージングは皆藤真の死体投棄のカモフラージュ。
だが、一体それだけ手の込んだことをする必要が稲垣陽一にあったのだろうか。皆藤なんてものは殺してから沖縄への帰り道、どこかに捨ててしまったら良かったのだろうに。ワイヤーの網に入れ、おもりと一緒に海に沈める。十日やそこいらで魚が全て食べてくれて後には何も残らない。それで済むんじゃないのか。
いや、おれへの足枷なのかもしれない。必ず指定された場所、緯度二十三度四十九分、経度百二十七度五十四分におれを行かせる。その間、会社の権利を奪い合う四人は喧々ガクガクとなる。悪いことは続くもので目指す地点は大海原である。嵐にもなろうし、最悪、海賊と出くわすかもしれない。結果、四人は稲垣を一生憎む。そして、そこが稲垣の狙い。言い換えれば、四人の心の中でこれからもずっと生き続けられるということ。
それにもまして稲垣陽一は、あの四人に何らかのペナルティーを科したいようだ。そう思えてならない。
おれは背を丸め、そおっと稲垣の船に乗る。足音に気を配りながらキッチンまで歩を進めた。
あるいは、これから始まるクルージングは稲垣の四人に向けた何かのメッセージなのかもしれない。よくある物語に、死人から送られたメッセージがテーマとなっているものがある。その物語の結末は、主人公の死にかかわった誰もが改心し、主人公自身の誤解も解かれる。ああいった趣向がこのクルージングにはあるのかもしれない。