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貧乏人が金持ちのどら息子を殺してそいつと入れ替わるってストーリーだった。アラン・ドロンは貧乏人の役で、警察の追求をかいくぐり、アクシデントを乗り越え、ついには完全犯罪を達成する。この時、浜辺のデッキチアで寝そべり眩しそうな視線を空に向けてつぶやく。太陽がいっぱいと。そして、それが映画の題名であり、テーマを示していた。あれは確か、日の目を見ないだろう青年が完全犯罪を成就し、己一身に日の光が当っている、と確信するに至り発した言葉だ。
だが、果たしてこれが稲垣の、やつの状況にマッチするのであろうか。稲垣は自分のやろうとしていることを完全犯罪だという。おかしいと言わざるを得ない。ならば犯人は罪を問われず、何食わぬ顔でのおのおと生きていかなければならなく、稲垣のやろうとしているそれは反則だと言う他ない。作中のアラン・ドロンが目指したものとはまるっきり違う。
あるいは心情だけを言ったか。死が近づいてくる恐怖、いつやってくるかもしれない死神の影から今やっと解放されたということなのだろうか。OA機器によって人を遠ざけていた人生。それが一転、南国の自然にいだかれる。だが、稲垣の精神を解放したのは青い空でもなければ青い海でもなく、もちろん南国に降り注ぐ太陽でもない。死の宣告だ。
どこかの小説で読んだ。死恐怖症というものがある。他の恐怖症より深く心を蝕んでいくと言われるが、この症状に侵される条件として三つが挙げられる。一つにはその日の糧に心配がないこと。王侯貴族などがそれに合致する。一つには考えすぎること。作家や哲学者などが陥る。一つには科学に対しての無条件な信頼。当然、学者などが当てはまる。物語では、株の取引をする男がそれに陥っていた。
ところがこの死恐怖症は、学会では精神障害の範疇とされず鬱病として扱われるという。恐怖の対象が死であるならば、誰しも怖いのは同じだという訳だ。
沖縄で再会した稲垣の、何かふっきれたというか、清々しさに違和感を覚えた。そして、その感じは間違いではなかった。確かに稲垣は川崎の時の稲垣ではなかった。秘密主義者ではなく、何もかも、それこそ殺人計画さえも話してくれる。殻に閉じこもっていたのが突き破って姿を現した、と言っても過言ではない。太陽がいっぱい。そういう意味で言えば生まれたばかりの爬虫類か鳥類か、はたまたサナギから羽化した蝶か、初めて日の光を全身に浴びたっていうことになろうか。
船を降りた後もそうだった。ホテルには弁護士の緒方が待っていた。時刻は夕刻で、飯にしようということになり、ホテルのレストランに入った。稲垣は良く喋った。身振り手振りというが、時にはタクトを振るようにフォークとナイフを振った。話はというと、どういう内容だったのかほとんど覚えていない。ただ、稲垣の上機嫌ぶりにあっけにとられ、見とれていたというか、ほとんど聞き流していたのであろう。―――本当はこんなに陽気なやつだったんだ。
二時間もそのレストランにいた。さすがに稲垣の話をまるっきり聞いていないわけでなく、おれの記憶にあるそのどれもが緒方の武勇伝であり、その緒方について言えば、タクトを振るう稲垣の所作よりもずっと強い印象を与えられた。そして、その極めつけはレストランを出た時に発した緒方の、あの言葉だった。
そもそも緒方とはどういう人物なのか。稲垣曰く、十二年前の株急落の時、青年実業家らが首を吊らなくても済んだのは緒方の力だ。凄い人だ、と稲垣が何度も言うのに当の緒方はニヤリともせず、眉間に皺を寄せた難しい表情のままその話を聞いていた。いい話だし、緒方の男気も好感を持てる。だから、だからこそあの時、思ったのかもしれない。―――この人は稲垣がやろうとしていることを分かっている。
ずっと稲垣らと付き合いがあったのなら当然、皆藤真なる人物も知っていよう。そして、あの遺書。緒方は稲垣が褒めるだけの人物なのだ。打ち明けられていないにしても、察しない方がおかしいというもの。
そんな想いが頭に駆け巡ると、全身から血の気が引いていった。それは今でもそうだ。もし緒方が察しているというのであれば、おれが何のために稲垣に呼ばれたかを知らないはずがない。食事をする緒方の鋭い目を思い起こす。何を考えているのだろうか、目の色に変化が無さ過ぎた。おそらくは、見て見ぬふりをする。
だからこそ、緒方が帰り際、レストランを出た時に、おれに言った言葉が引っ掛かる。
「彼らを守ってやりなさい」
これは一体、どういう意味なのだろうか。ホテルの、渡り廊下のようなエントランスで先を歩いていた稲垣も、少し離れていたがその言葉を聞いていたはずだ。微かではあるがその口元に笑みがあった。
それから推測するに、全てを察しているだろう緒方、そして、その言葉。沖縄空港から飛行機で飛び立ってもその言葉は頭から離れない。―――それがおれに与えられた本当の仕事?
考えてみれば金に係わる四人の方が、ある意味危険極まりない。それに比べ、船に積んだ死体を人知れず捨てるなんてこと、造作もない。だからと言って、緒方が心配するほどのことが起こり得るだろうか。極端かもしれないが、四人で殺し合いとか。
いや、それはない、と己の考えを否定した。警察沙汰になれば五百億が不意になる。そんなの出来っこない。ふと、乱雑に重なる読みさしの文庫本、その隙間に、淡い青色が眼に入った。あの資料、稲垣に手渡されたファイルである。乱暴に文庫本を払いのけ、ファイルを手に取る。
だが、そう言い切れるものであろうか。自身に問い質した。あるいは、その可能性は捨てきれない。ファイルを開く。そして、電球色の安っぽい明かりの下で資料と写真を一枚一枚確認していく。
大金が必要なのは島田恵美と水谷正人。一方、山下賢治は、当座の間に合わせで利く。だが、金額の大小係わらず横領は罪が問われ、その時点で、人生の全てが清算される。生涯賃金を考えるとその重みは他の二人となんら変わらない。そして重要なのは山下賢治の、金の使い道。まず、頭に浮かんだのは女だった。もしそれが同僚だったならと想像した。毎日が冷や汗たらたらであろう。
横山加奈子を除き、誰もが同等に金が欲しい。その彼らが五百億を巡って争いになったらどうなるだろうか。横山と水谷が組む。一方で、山下と島田が手を結ぶ。人間関係から言ってまず間違いないし、あのサロンクルーザーからしてそれを促すようなものである。ラブホテルのような部屋が二つあるのだ。もしそれで横山ら二人が争奪戦に勝ったとしたならばことは簡単だ。横山は金が要らないからな。
だが、山下ら二人が勝ったら十中八九、山下も島田も互いに譲るということはしないであろう。それに加え、負けた側の横山らが山下と島田のどちらかにつく、しかも二人一緒に。
例えば、多数決にするというのはどうだろうか。ならば、二対二で割れないよう決しなければならない。横山ら二人が折れて誰かにつくか、あるいは、山下と島田のどちらかが折れて横山らにつくかだ。
おれが島田恵美に肩入れするって方法もある。おれは八月一日から社長なんだ。INAGAKIが融資すると約束すれば島田恵美は上げた手を下ろすだろう。と、するならば水谷正人が勝利し、山下賢治一人負けとなる。
あるいはおれが、山下の横領した五百万を埋めてやるって手もある。安あがりだし、一千万円手元にあるからすぐにでも片がつく。それにしても勝利者は、相変わらず水谷正人である。