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 思っていた通り、沖縄の海は青かった。ブーゲンビレア、プルメリア、ホウオウボク、真っ赤な花が沖縄にはよく似合う。


 それにしても、なんて青さだ。空も海も呆れ返るほどで、それで誰もが空の青が海に映っていると思うらしい。つまりは空気が綺麗。思いっ切り呼吸したい気持ちにもなるし、そう思うと解放感も覚える。パラダイス満喫っていう感じじゃぁないか。


 が、しかし、海が青いのはそれなりの理由があるらしい。どうも人というのは期待したものを見たい傾向があると思う。例えば死んだお母さんが枕元に現れたとか、死んだ息子がまだ家にいるとか。本人は大まじめだが、他人はだいたい眉唾でその話を聞いている。テレビの幽霊ショーだって、自分には関係ない話とたかを括っているから面白おかしく見れるし、リビングルームという安全地帯に己の身をおいているのもある。毎年の、夏の恒例行事っていうのもあるかもしれない。


 とにかく、誰もが自分にとってのマイナス環境からの開放、つまりは綺麗な空気、綺麗な水を求めて南国にやってくる。だがら、何もかも青いのは“汚れてないから”という理由でなくてはならない。


 そんなひねくれた考えを持つおれは当然テンションも上がらず、川崎にいる気持ちのまんま宜野湾港ぎのわんこうマリーナの桟橋を歩いていた。


 真っ青な空と真っ青な海。そして、群れをなした魚影が澄んだ海中で戯れている。そう、水が奇麗なのも、もちろんある。光が深みまで届くからだ。その点で言えば空気が綺麗だっていうのも条件に入ろうか。だが、なぜ海が青いのかと問われたならば、答えはプランクトンの量だと言う他ない。親潮と比較すると何十分の一の量。


 この数字の差が沖縄の海の色を決めている。プランクトンは光合成によって赤と青の光を吸収し、緑とオレンジの光を反射する。その数が多ければ多いほど赤と青の光は失われていくという理屈なのだから、必然沖縄の海の何十倍ものプランクトンが生息している親潮は、緑っぽい茶色に見える。そして、プランクトンが少ないために青いというのであればこの海は陸に例えるとカラっからの砂漠か、コンクリートジャングルの都会か、栄養分がとても乏しい海なんだ。優雅に泳いているようだがこの魚影の本人は、いや、本魚と言った方が良いのだろうか、食べ物を求めてあくせく働いているに違いない。


「ウミガメ?」


 足もと、桟橋の下から大きな丸い影が現れた。滑るように海中を進んでいく。不意に横から稲垣陽一が現れ、海を覗き込む。


「おお、この湾に住んでるやつだ。と、言ってもなかなか見れるもんじゃない」


「多摩川のアザラシみないなもんか」


「ちょっと違うな。ここでは潜ればあっちこっちの海で見られるし、意外と人気あるんだ。イルカよりこっちの方がいいって沖縄に来る観光客もいるほどだ」


「ふーん」とは言いつつ、何の感慨を持たずにおれは進んだ。稲垣も、もう前を歩いている。


 幅広い桟橋から枝に分かれた細い桟橋に折れる。それからいくつものクルーザーを見、その突端に到達する。


「これが僕の船さ」


 係留けいりゅうしている船の中で一番目立つ。五十フィート級か、六十フィート級か。サメの頭のようなスポーツフィッシングタイプではなくどっしりとした構え。それでいて流麗な曲線。


 船上に上がってみると目を見張る。船首に向けて整列するチーク板のフローリングに、高い屋根の広々とした空間、そこに木目調の家具が並んでいる。左舷船尾から船首にかけて並ぶソファーセットとダイニングセット。右舷の船尾からはワインセラーをはめ込んだ飲物の棚、L型のキッチンセットと並び、その先に操舵席がある。


 まさしくサロンクルーザーだった。


「すげーな。二、三千万ではきかないのじゃないか? いったい幾らしたんだ」


「よぉ! にぃーちゃん!」


 桟橋の向こう、並ぶ横のクルーザーから声を掛けられた。「珍しいな。今日は男連れか?」


 サイドウィンドウから覗くと隣のクルーザーのアフトデッキに、男が立っていた。頭には麦わら帽子風テンガロンハット、手にはワインとグラスがある。稲垣は外に出て、言った。


「会社の船だからね! だれでも乗せるよ!」


「経費は会社持ちってか。いい御身分だねぇ。こちとら家を買ったつもりなのに」


「つもりじゃなく、住んでるんでしょ!」


 男は笑いながら引っ込んで行った。「奥さんによろしくな」 


「面白い男だろ? 僕の隣人だ。いつ見ても酔っ払っている」


「あんた、結婚していたのか?」


「いいや。配偶者もいないし、親兄弟も死んだ。どうも癌の家系のようだな」


 稲垣はフローリングを船首に向けて進んだ。その先には並んだ計器とステアリングホイールがある。そこで立ち止った稲垣は、振り返ったかと思うと手を広げて言った。


「僕のホイールハウスにようこそ」


 ぷっと、吹き出してしまった。前にも聞いたことがある。


「念願かなったというわけか」


「まぁな」 恥ずかしいのだろう、それを誤魔化すかのように船の説明をし出した。「これ、何だか分かるか」

 

 稲垣が指した先にジョイステックがある。


「さぁ?」


「昔は切り返し切り返しで桟橋から船を出したり横付けさせていただろ?」


「ああ」 確かにあれは面倒だ。


「エンジンが二機搭載されている」 アニメの宇宙戦艦もので発進とかいって動かすレバーとそっくりなのが、ステアリングホイールの右手にある。リモコンレバーと言ってエンジンが二つある場合は取っ手の真ん中が離れている。片方だけでも回転数が変えられるし、真ん中を握ったら両方同じようにペラが回転する。稲垣が指差したジョイスティックはというと、それの並びにある。


「左舷のペラの出力を右舷前方に向け、右舷の出力を右舷後方に向ける。それぞれ微妙な匙加減でペラを回し、それで船を横滑りさせる」


「まさか、ファミコンのこれがそれをやってくれるのか?」


「ファミコンか。また古い例えだが、まぁいい」


 稲垣は、ステアリングホイールを挟んで両側に一個ずつある鍵穴にそれぞれキーを差し込む。左のキー、右のキーと、順にキーを回した。インパネの表示が点灯し、それが消灯するとまた左、右とキーを回す。エンジンがかかり、インパネの左側の端にあるディスプレイがぱっと海図を映し出す。


「GPSだ。そして、タッチパネル」


 稲垣は親指と人指し指で海図を拡大したり縮小したりする。それだけでない。レーダーに早変わりしたと思ったら今度は魚群探知表示になる。おれが驚いているのを尻目に、稲垣はジョイスティックを操作した。船はゆっくりと横滑りする。


「タコメーター、アワーメーター、スピードメーター。あっと、このスピードメーターもGPS。海図とにらめっこしてめんどくさい計算はしたくないだろ?」


 やはりおれが乗ったことのある二十五年前とは違う。驚きを隠せない。


 にやりと、稲垣は自慢げな笑いを見せ、リモコンレバーを倒した。船が一気に加速する。


「二十ノットだ」








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