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02


 一月前、おれは偶然事件を解決している。迷い犬を探していたら、世間で言う『川崎愛人殺害事件』の真犯人らをつきとめてしまっていた。迷い犬と殺された女は全く関連性はない。この二つを結んでいたのは十五人の小学生だった。おれは迷い犬の訊き込みで偶然、十五人のアリバイ崩しを成し遂げてしまっていた。それでおれは命を狙われた。子供十人にホームから落とされそうになったんだ。主犯格の一人、その少女の父が、殺された愛人の相手だった。因みにおれは殺されかけたことを警察には言っていない。


 望月望もちづきのぞみは言う。「外が戦争でドンパチやっているのにお前だけ核シェルターか? そこに籠って自分だけ助かった気でいるのか? 罪から逃れたと思ってるのか? お前はずっと泥まるけだったんだ。去年の夏、沖縄の事件もそう。一体、弱い者ってなんなんだ。お前は弱い者だったのか?」さらに言う。


「狩場大輔。お前と稲垣陽一はよく似ている。なにが似てるかって? お前、おやっさん嫌いなんだってな。工場の経営者だったからか? いや、不正、平たく言えば脱税をするから? だったら、言うなればお前は潔癖なんだ。稲垣の場合はお前と違ってドンパチの中へ自ら飛び込んでいった。ま、目的があったのだろうが、相当無理をしたんだろうよ。それで自殺。身を焼いてな。お前だってこれから先は分からりゃぁしない。お前は奇麗事が多いからな。で、探偵? やっていけるのか? 稲垣と同様、相当無理をしている。夢にうなされているんだろ? お前もいつかは稲垣陽一みたいに自分を殺してしまうぜ。だが、お前をまともにする方法を僕は知っているね。聞きたいか? デビット・フィンチャーを知っているか? そう、映画監督の。幾つかあるが『ゲーム』っていう作品を見たか? その手を使うんだ。作中のマイケル・ダグラスはこのままいけば父のように自殺を遂げる。そう心配した弟役のショーン・ペンが策を講じる。仮想自殺だな。追い詰めて追い詰めて、挙句、自殺をリアルに体験してもらおうってわけ。まぁ、映画の解釈はそれぞれだが、これはいけると僕は思うよ。お前も焼身自殺しろ。そうすれば悪夢なんて一挙にふっとんでしまうさ」


 第二京浜の流れは心なしか緩やかに思えた。雪が降るからであろう。その空気感からか時間がゆっくり進んでいるように感じるのだが、言わずもがな実際はそうでもない。第二京浜の交通量は何も変わらない。雪を恐れるのは自分だけ。都会の者は意外と無頓着なんだ。だから雪が降った時に立ち往生やスリップを起こして渋滞をつくる。


 天気予報通り、メーターパネルの時計が十時になろうとする頃、雪が降り始めた。フロントガラスには雪が幾つも落ちてきていて、小さいにじみをあちこちに作る。しかし、まだ本降りには程遠く、風に流されて来たような雪だった。このまま本降りになったら、と考えた。固唾を呑む。自分も稲垣陽一と同じような結末を迎えるのだろうか。いや、きっと稲垣陽一がそれを望んでいる。


 ふざけるな!

 

 何もかもお前の思い通りになると思うなよ、稲垣。フロントガラス越しに空を見上げた。どうやら本降りになったようだ。ひらひらと翼を広げたごとく牡丹雪が舞っていた。


 どれくらいったか。時間にしてどうだろう、一、二分ぐらいか。随分と長い間、空を見上げていたように思える。なぜだか今日は、この前のように死体袋は落ちて来そうもなかった。雪の日に仕事なんてと思っていたが、なんのことはない。安心して、ホワイトクリスマスになればいいのに、とおれは思わずつぶやいていた。


 タイヤが水を潰す音。クラクションがどこか遠くで二度鳴っていた。そうだ、そろそろクリスマスだ。ふと、川崎駅西口ラゾーナ川崎プラザのクリスマスイルミネーションをまだ見ていないのに気付く。今年のはどうだろう。去年のを考えるとある意味、期待を持てた。今年のは流石にまともになっているだろう。去年のは、ありゃぁやり過ぎだ。大きな円錐の中に幾つもスイッチがあり、触れ方を変えることで、イルミネーションのパターンが変化した。ラゾーナにとって、クリスマスはもう関係ないらしい。『2001年宇宙の旅』か、アイザック・アシモフでしかなかった。


 ドン! 


 アクアを叩く音。そして、車体の揺れ。まさに目の前、ボンネットの上に死体袋が横たわっていた。


 降って来た?


 ついにおれは行ってはならないところに行ってしまった。手が小刻みに震えている。


「待たせたな」


 後部座席に女と望月望もちづきのぞみが座っていた。一方で、ボンネットの死体袋は消えていた。車を叩いた音はドアを閉めた音。車が揺れたのは二人が乗り込んできた揺れ。ほっとしたおれは額の汗を手で拭った。


「驚かすなよ!」


「なんだ、ご機嫌斜めだね」そう言いつつも、おれの気持ちなんて気にしてはいない。望月は、おれの言葉を待たずして話を続けた。


「で、仕事なんだが、彼女を、」 隣の女を見た。「あ、田中美樹って知っているか? お前は世間に疎いんで知らないだろ。アイドルだ」


「それで?」 振り向きもしなかった。


「あ、やっぱりィ? ま、いいか。彼女を草津温泉への登り口、群馬大津の交差点まで送ってくれ。それから先は彼女が道案内する」 


 望月はアクアから出た。そのまま行ってしまうかと思ったが、ドアを閉めずに頭だけ後部座席に戻し、言った。


「例によって、この仕事の料金は後な」

 

 ドアを閉めると望月は、雪をよけるように手で頭を覆い、背を丸め、後方へと走っていった。アクアのすぐ後ろにはシルバーのポルシェが止まっていた。


 重厚感のあるドアの閉まる音がしたかと思うと野獣の咆哮のようなエンジン音。望月のポルシェはおれのアクアを置き去りに、第二京浜の流れの中に消えて行った。


 後部座席に残された女、田中美樹をバックミラーで覗く。そこには表情の無い、車の流れを眺めている横顔が映っていた。実際、女は怒ってるでもなく、悲しんでもいない。が、しっかりとした眼差しがそこにはあった。この状況を受け入れているとしか言いようがない。この女はどういった理由で草津に行くというのか。


 草津と言えば思い出す。過去に一か月ほど草津町クリーンセンタの改装の仕事をしていた。その時に通った店は確かトンボという名だったか、そのスナックは置屋が経営していたと思う。草津の各宿に飛んだコンパニオンは時間が遅くなるにつれ順次お払い箱になっていく。帰る先はトンボ。だからこの店は十二時を越えたら大変だ。客より女の方が多くなり、客と店員の力関係が逆転する。だが、楽しかった。友達と酒を酌み交わしているかのようだった。彼女らはほとんどが事情を抱えた女たちや流れ者であったが、細かいことを気にしないあっけらかんとした明るさがあった。


 バックミラーに映る田中美樹という女は、草津のコンパニオンとはどう見ても遠くかけ離れている。人の良さを感じられない。人を踏み台にしようというある意味、草津のコンパニオンとは違った力強さをその目に宿していたし、本人も自分の美しさがどれだけ希有けうかを自覚している。当然その使い道も熟知しているといえよう。つまりはお高くとまっている。おれなんかと口を利きたくないようだった。無言で窓の外を眺めていた。






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