表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/103

14


「大家さん、おまちどおさま。いよいよ僕の番だ。僕はベルゼブブ。光栄だね。地獄の君主と言われてる。通り名は蠅の王。追放された偉大な王とも、魂を支配する者とも言われている。ベルゼブブはサタンと並ぶ地位であり、ルシファーの側近でもある。七つの大罪では《貪食》。『カンタベリー物語』ではこう。〝この罪は、アダムとイブの罪によく示されているように、全世界を堕落させたのです。また聖パウロが貪食について言っていることを見られるがよろしい。【わたしがあなたがたにしばしば言ったし、また今も涙を流しながら言うのだが、キリストの十字架の敵である多くの人たちが生きている。その行きつくところは死である。そして彼らの腹こそが彼らの神であり、彼らの栄光は、この世のものをさもうまそうに貪り食っている彼らの恥じずべき行為のうちにあるのだ】と聖パウロは言っています〟」


 実業家の大家敬一が言った。


「なんだ、名前だけで大したことはないな」


「キリストの敵とまで謳われています。そして《貪食》はその者たちの神なのです」


「暴食がか?」


「また僕の見た目かよ」と、呆れた顔を沼田光は見せた。


「じゃなくて、《貪食》が、です。暴食は別に分類されています。暴食はかいつまんで言うと、罪を引き寄せる『悪魔の五本指』だそうです。ですが、《貪食》はそれ自体が罪なのです。酒乱とか、朝起きたら何にも覚えてないとか。または食べ物を行儀正しく食べない。節度を持たない。食べ過ぎて健康を害するとか」


「それは俺たちがいつもやっていることだ。っていうか、だれでもやっていることなんじゃないか」


 大家敬一はそう言って、また黒田と一緒に笑った。


「要は理性を失う、知恵の慎重な働きを失うってことです」


 大家敬一が言った。


「どっちにしても、大したことはない。次を続けろ、デブ」


「心外だなぁ。では、最後です。田中さんはアスモデウス。復讐公子、剣の王、地獄の王などと異称を持ちます。魚の腸が苦手で、天使ラファエルが天敵です。ですが、ソロモン王にあがなえた唯一の悪魔でもあります。七つの大罪でいうと《姦淫》」


 どうせそんなこったろうと思った。「ちょっと待った。ここではっきりとさせたい。彼女は望月望もちづきのぞみという男の身代わりになったんだ。どこでどう間違ったか、彼女の腕に手錠がはまってしまった」


「どこでどう間違った?」 沼田光はおれの言葉を繰り返して言って、笑った。大家敬一も笑っている。橋本稔は目を伏していた。中井博信は天井を見上げている。


 沼田光が言った。


「この娘は仕掛け人の方でしょ。事情が分からないままやっていたんだね、やっぱり」


 この言葉で分かった。望月は偶然逃げられたが、こいつら全員、色仕掛けに引っ掛かったんだ。


「ははぁん、そういうことか、それで男ばっかりがここにあつまったんだな」


 その言葉で井田勇は慌てた。一人だけ取り乱しているので不信に思ったのだろう、ほとんどの者が井田を見た。


「俺は違う。生徒だ。生徒が面白がって俺に手錠をはめたんだ!」


 資産家の中小路雅彦だけはもう飽きているようだった。眠気が襲ってきたのか、立ったままうとうとしている。


 沼田光が言った。


「だったら、《姦淫》と言う点でいえばその望月望だろうと田中美樹だろうと変わらないってことです。因みにその望月って男にはこの言葉を贈りましょう。例によって『カンタベリー物語』からです。〝神様は御存じですが、この罪は神にとって非常に不愉快な罪です。神は自ら【姦淫することなかれ】と言われました〟 次にこうです。〝聖マタイが福音書で述べていることを見なさい。【誰でも女を淫らな欲望で見るものはその心において彼女と姦淫を行ったのである】〟 さらにはこう言います。〝彼らは自由であり、何のくびきもないと思っています。牧草地で気に入ったどんな牝牛でも自分のものにする放し飼いの牡牛のように。彼らはそのように女性に対してもやっているのです〟」


 相も変わらず、大家敬一は笑っていた。


「で、このガキの場合は?」


「そうですね。僕らは色気に騙されました。とっておきの言葉を送りましょう。『カンタベリー物語』からです。〝われわれはまたあの淫売という恐ろしい罪を生計の具とし、女たちに彼女らの肉体淫売の収入あがりを自分たちに強制的に貢がしているような、また時には淫売屋がやっているように、自分自身の妻や子供を使ってそれをやらしているような女衒ぜげんのことを何と言ったらよいのでしょうか。確かに、これらは呪われた罪であります〟」


 沼田光は得意げだった。そして田中美樹の表情を伺った。ところが、田中は眉ひとつ動かしていない。それが相当悔しかったのか、沼田は語気を強めた。


「僕が言いたいのは、もしマスターが望月という男に代って君を選んだのなら、つまり、あんたはアイドルと称して淫売を生業としているのみならず、友達を売ってピンハネもしているってことだ。その所業を『カンタベリー物語』の言葉になぞらせ、僕は遠まわしに言ってやったんだ!」


 根も葉もないことだ。思いつきで言ったことなのだろう。だが、腹にその言葉はずしんと響いた。あるいは、そうかもしれない。望月望は悪いやつだ。実際、その悪行もいくつか目の当たりにした。その望月望に匹敵する行い。つまり、マスターと呼ばれる者は人ではなく、『行い』をこの場に集めたのではなかろうか。だから、望月望と田中美樹が入れ替われたんだ。


 だが、敢えて言った。「その言葉、取り消してくれないか」







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ