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「方法は無いではないですが、まずは聞いて下さい」
沼田光はマスターと呼ばれる者への対処法を心得ているようだ。さっきまでの能天気はそれが理由なのであろう。悠々としている。沼田光は続ける。
「橋本さんはレヴィアタン。地獄の海軍提督で、サタン、ベルゼブブに次ぐ第三の地位を持つ強力な悪魔。人に憑りつくことが出来、悪魔祓いも非常に困難とされます。七つの大罪でいうと《妬み》。チョーサーの『カンタベリー物語』から引用すると、こうです。〝この醜い罪は全く聖霊に背くものです。すべての罪が聖霊に反するものであるといっても、それにもかかわらず、善き心というのは、まさに聖霊に属しており、妬みの心は悪意から生じるものであるのだから、それはまさに聖霊に反するものであります〟さらにはこう言います。〝それは他のすべての罪と異なるのです。というのは、いかなる罪もそれ自体幾分かの喜びをもたないものはないが、ただ妬みの心はいつも本来の苦悩と悲しみがあるだけだからです〟 さて、僕の見解ですが、中世の坊さんはなんとか人心をコントロールしようとしていたのでしょうね。レヴィアタンは中世以降組み込まれた悪魔であるし、女の人に憑りついたり、その姿があまりにデカかったり、嫉妬と言う感情をそのまんま再現したような悪魔じゃないですか。逆を言えば、中世の人の品位が分かるというものです」
日本原子力開発機構理事長、橋本稔は暗に品性をなじられた。しかも、デブとそしられた後である。堅く結んだ口元が震えている。
「次は井田さんです。あなたはサタン。先ほど紹介したように最悪の悪魔です。魔王といってよいでしょう。さて、七つの大罪でいうと《怒り》です。例によってチョーサーの『カンタベリー物語』から引用します。〝隣人に妬みを抱いている人はその人に対して、その人の言葉の中にも、行為の中にも、怒りの因になるものを、しばしば見出すでしょう。そして怒りは妬みから生じるのと同じように、高慢からも生じるのです。というのは本当に、高慢な、あるいは妬み深い人は怒りやすいからです。この怒りの罪は、聖オーガスティンの述べているところに従うと、言葉や、あるいは行為によって復讐しようという邪な願望であります〟 『カンタベリー物語』はさらに言います。〝この怒りの呪われた罪から殺人が起こります〟 もう一つ付け加えると、こうです。〝ある種類の殺人行為は精神的なそれであり、またある種類のものは肉体的なそれです〟 サタンはルシファーと同一視されます。それはこの『カンタベリー物語』から何となく納得できるでしょう」
怒りは殺人者。教育者の部屋を与えられた井田勇は皆の注目を集めた。殺人を始めるのはきっとこいつだという目なのだ。井田は顔を真っ赤に染めていた。彼は怒っているのだ。沼田光が言った。
「あのぉ、止めますか? 皆さん」
七つの大罪全てを知らなくては意味がない。「続けてくれ」
「では、中小路さんです。悪魔はベルフェゴール。その名は人間嫌いを示します。占星術では性愛を司る金星の悪魔とも見なされます。さて、七つの大罪では《怠惰》です。例によってチョーサーの『カンタベリー物語』です。〝妬みと怒りは心のうちに苦みをつくります。この苦しみが怠惰を生む母であります。そしてその人からあらゆる良きものを愛する心を奪うのです。このように怠惰は攪乱した心から生じた苦悶なのです。聖オーガスティンは言っています、【それは善きものに対する不快の念であり、害悪に対する喜びの念である】と〟 さらにはこうです。〝彼はだらけて眠たげになり、すぐにも怒るようになり、憎悪や妬みに傾きやすい人になります〟 で、こうです。〝トリスティアとよばれる、この世の悲しみの罪があります。これは、聖パウロも言うように、人を殺すものです〟」
沼田光の言葉の中にまた、殺人という言葉が出てきた。あなたは殺人者。そう言われたようなものだが、中小路雅彦は、へーってな感心顔をしている。一方で、他の皆の挙動がおかしい。悠長に話していていいものかどうかと、そういった雰囲気が周りに漂い始めていた。きょろきょろと目線を動かしているのだが、それにもかかわらず、誰も目を合わせたがらない。
「大家さん、あなたはマンモンです。ミルトンの『失楽園』によると、堕天使となったルシファーが開いた会議ではこのマンモンが徹底抗戦を訴えています。ちなみに階級は悪魔九階級で最も下位に位置します。物欲はかわいいものとでもいうのでしょうか。七つの大罪では《貪欲》です。『カンタベリー物語』を引用します。〝聖オーガスティンの記述に従うと、この世のものを得ようとする、心の中の欲望にはかないません。ほかのある人たちは言っています、【貪欲は多くのこの世のものを買い求め、本当に必要としている人たちに何もあたえないことである】と〟 またはこうです。〝偶像崇拝者と貪欲な人との間には、偶像崇拝者がおそらくは一つか二つの偶像しかもたないのに対して、貪欲な人は多くの偶像を持っているという以外に、どんな相違があるでしょうか。というのは確かに、金櫃の中の一枚一枚の金貨が彼の偶像であるからです。そして確かに、偶像崇拝の罪は、神が十戒の中で禁じた第一のことです〟」
と、そこまで言って沼田光は皆の顔を見渡した。
「物欲はかわいいといいましたが、《貪欲》は大変な罪ですよ」
大家敬一は、「で?」っていう開き直りに似た、人を小馬鹿にする顔を見せた。沼田としては望んだ反応が欲しかったのであろう。それがなかった上に、挑戦的な態度を見せた大家が許せなかった。明らかに、『カンタベリー物語』の引用を大家用に選んで言った。
「さらに『カンタベリー物語』では言います。〝貪欲からも、また嘘、盗み、偽証、偽誓が生じます。これらが大きな罪であり、わたしが述べたように、神の命令に明らかに反する因であることをあなたがたは理解しなければなりません。偽証は、言葉にも、また行いにもあります。言葉において問うのは、あなたの隣人から偽証によって良い評判を奪ったり、あなたの偽証によって人からその財産や遺産を奪うような場合です〟 またはこうです。〝盗みの罪もまた明らかに神の命令に背くものです。しかも二つの方法において、つまり物質にかかわる方法と神にかかわる方法で背いているのです。物質的にかかわる方法は、それは力づくであったり、奸計を使ったりであったり、量をごまかすことによってであったり、偽りの告発をして彼に対して盗みをはたらいたり、決して返す意図なしに隣人の財産を借りたり、そのようなことを行うことによってです。神にかかわる盗みというのは聖物冒涜のことであります〟」
大家敬一が笑った。
「俺らは、盗人か詐欺師扱いだ」
「確かに」 と相棒の黒田洋平が言うと二人一緒に笑った。それがなんとも悪魔じみていて、その場が凍り付いてしまう。
大家敬一が言った。
「殺人者に、今度は盗人か。で、お前はなんだ。さぁ、デブ、続けろ」
そう来なっくっちゃという顔を見せて、沼田光は言った。