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 そこにあった横顔は、初めて車で見た時の、そう、バックミラーに映っていた時の横顔といっしょだった。あの時の田中美樹は怒ってもなく、悲しんでもない。だが、窓の外を眺める視線はしっかりとした力強さがあった。


 感情を爆発させて己の欲求を満足させるのもいいだろう。気持ちはすっきりするし、なめられなくて済む。だがそれは、得策とは言えまい。恨みを買うことだってあるし、後で何かの攻撃材料にされかねない。彼女は取り乱さなかった。言いたい奴には言わせておこうってことだろう。今、おれがとやかくいうべきではない。ここは彼女に任せる。


 とはいえ、釈然としない。沼田光というガキは、おしおきが必要だ。今は我慢して、機会が来たら一発食らわせてやる。四十を超えたおれが言うのもなんだが、こういうのを大人の対応というのだろう。


『沖縄沖遭難殺人事件』から自分の中で何かが変わったと自覚していた。激情に駆られる度合いが減った。それを証拠に、『川崎愛人殺人事件』では悩みに悩んだ末、やられたらやり返すの信条のもと、同情心や切なさを押し切り、警察に『相談』したというのがことの真相だ。


 だが、そうだろうか。性格はそう変わるようなものではない。残念ながら、この年になってやっと大人の仲間入りをしたっていうことか。


 近藤の、部屋の紹介は続く。次に入った部屋は、資産家の部屋だった。快楽趣向家の部屋から通路を挟んで真向いにある。そこはL字洋館の角にあたり、窓の面が他の部屋より多く取れるはずだった。が、マスターはあくまでも公正を期したいのであろう。二面に作れる窓はリビングの一面にしかなかった。


 資産家の部屋の並びは、そこから奥に向かって、実業家の部屋、科学者の部屋、教育者の部屋と続く。どれもまったく同じ内装で、浴室、寝室など同じ部屋割りだった。ただ、宗教家、政治家の部屋と、資本家、実業家、科学者、教育者の部屋は窓の位置の関係から鏡に映したように対称であった。快楽趣向家の部屋だけは飛び地みたいになっていて、しかも他の部屋と窓の面も違い、床面積の割り当てが少ないこともあってか、寝室やらリビングやら部屋一個一個の大きさが明らかに小さく、部屋割りもどの部屋とも違っていた。


 能天気なのは宗教家と呼ばれた沼田光ぬまたひかりだった。部屋に入るたびに暖炉の上の置物をくれと言ってその部屋の主にせがみ、当然、誰もがそれどころではないので声を掛けられると沼田のやりたいようにやらせていた。


 どれも奇妙な像だった。クマとロバの合体だったり、狐と針鼠のそれだったり、蠍と山羊だったり。像それぞれに意味があるに違いない。例えば、大黒様の使いは鼠だというし、摩利支天の乗り物は猪だというし。


 部屋を全て見終わり、皆が通路の中央に集まった。おれは沼田光に尋ねた。


「あれはなんの像か、教えてもらいたい」


「返せとは言いませんか?」


 おれだけでなく、ここにいる何人かがうなずいた。資産家の部屋を与えられた中小路の執事である小西明もおれと同じような疑問を持っていたのだろう。


「ぜひともお教えいただきたい」


 沼田光は得意になった。「グリフォン、ライオン、孔雀はルシファーを意味するし、蛇、犬はレヴィアタン。ユニコーン、ドラゴン、狼はサタンで、くま、ロバはベルフェゴール。狐、針鼠はマンモンで、豚、蝿はベルゼブブ。そして蠍、山羊はアスモデウスを示しています。つまり、全てが悪魔像なんですね。それもとびっきり強力なやつ。例えばルシファー。ミルトンの『失楽園』によると、こいつは堕天使の長とか、王とか、言われています。それでもって、こいつ自らイブを陥れ、そのために人類は楽園を追放されたとある。誰でも知っているあのリンゴを齧ったって話です。ベルゼブブなんかはルシファーの片腕で、重要な役目を果たしています。例えば、戦いに敗れた堕天使たちの今後をおもんぱかったルシファーが、代表者を集めて会議を開く。ま、実はその会議、平たく言えば敗戦のガス抜き、愚痴大会だったんだけど、再戦を主張するものの中にあってベルゼブブは、ルシファーの意向を自分の意見として主張し、皆を納得させてしまう。すなわち、人類を堕落させ、神をがっかりさせよ。稚拙ちせつな仕返しだけれども、それで人類は悪魔に付きまとわれるはめになったのだから、人類にとっては笑い事ではない。で、『失楽園』の物語は、アダムとイブの話、さらには神の御子キリストの話になっていくんだけど、まぁ、細かいことは置いといて、僕が言いたいのはこれが各部屋に置いてあったということは、マスターとやらはこう言いたいんじゃないかな。お前達は『七つの大罪』を侵したと」


 中小路の執事小西明が言った。


「七つの大罪?」


「そう!」 沼田は言った。「でも、キリスト教に詳しくなかったら知らないか。じゃぁ、デビット・フィンチャー監督の映画『セブン』と言ったらピンと来るかな?」


 国会議員の中井博信が言った。


「デブとか、金持ちとか、次々に殺されていくやつか」


「デブって僕を見て言うなよ。原子力の橋本さんだって十分デブだ」


 日本原子力開発機構理事長の橋本稔は相手にしない。腕を組んだだけだった。ありがたい。ここで一悶着あったら話が先に進まない。中井博信がさらに言う。


「つまり、マスターは『セブン』のように俺らに罰を与えようとしているのか?」


「待ってよ、結論は。せっかく話しているのに最後まで言わせてよ」 そう沼田光が言うと話を続けた。


「となれば、あなた、中井さんはルシファーですよ。《高慢》の象徴。チョーサーの『カンタベリー物語』から引用すると、こうです。〝さて、何が七つの大罪であるか、これすなわち、罪の首領は何であるかを話すのが必要であります。それらすべて、犬のように一つの皮紐につながって走っていますが、その走り方はさまざまです。さて、これらは首領と呼ばれています。なぜなら、それらが他のすべての罪の主犯であり源でありますから。これら七つの罪の根源には、すべての害毒の共通の源である高慢がまずあります〟で、さらにはこう言っています。〝召使たちの悪行に力を貸している場合には、地獄の悪魔に主権を売っていることになるのです〟 大磯さん、あなたは第一秘書だから中井さんと同罪ってことになりますよ」


 国会議員中井博信は意に介してないようだった。その顔は、せせら笑っている。一方で、大磯孝則おおいそたかのりは分かりやすい。自分にも罪があるといわれてしまい大きな目をさらに丸くし、極度の緊張なのだろう、そのカサカサ唇で言った。


「ど、どうしたらいいんです? 僕らは」







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