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執事近藤はリビングルームのドアを出た。正面は天井の高い大きな玄関ロビーで、すぐ左手は通路だった。進む方向はL字の縦の画に当たり、通路の右壁は外壁で、窓がいくつも並んでいた。雪の降り様が一方向ではなく、上からも下からも吹いているのが見える。L字建物という構造上、内側の角は風や雪はせき止められて行き場を失う。それで渦を巻いているのだろう。
通路の左手にドアがある。中に入るとそこはダイニングルームで、大きなダイニングテーブルがあった。真っ白なテーブルクロスが掛かっており、ネプチューンの槍のような燭台がその上に四つ乗っていた。テーブル自体はクロスから出たその足から、重厚な造りであることは一目瞭然。もちろん彫刻が施されており、アンティークであるのが分かる。
長手方向は片方八人掛けで、短い辺には椅子が置かれていない。お誕生席は想定していないようだ。天井は高く、やはりシャンデリアがぶら下がっている。ドアのある方の壁には絵画が並び、外壁側に面した壁は窓が並んでいた。入って来たドアから見て奥の壁には隣の部屋に通じるドアもある。
そして、目を引くのがカメラだ。確認出来るので六つ。天井と壁の角に設置されている。たぶんシャンデリアの中にも仕込まれているのだろう。リビングルームでは次々に起きる出来事についていけず、カメラなどそういったことに気が回らなかった。思い返せば、執事の近藤も絶えず監視していると言っていた。
「食事は午前七時と正午、そして、午後七時です」 執事近藤がそう言ってダイニングルームを出た。「次はお部屋をご案内いたします」
通路に出る。今出てきたダイニングルームのドアからさらに奥方向に、ドアが二つ並んであった。そして、その先はどん詰まりであり、そこには階段があり、勝手口もあった。
近藤が言った。
「奥の階段は我々雇人専用の階段で御座います。あれは二階の皆様方のお部屋に通じております。因みに手前のドアは厨房で、その奥は執事の待機室でして、といっても今はご案内しかねますが、ご希望とあれば後ほどご案内さしあげます」
近藤は折り返し、ロビーに戻った。やはり通路にもカメラが設置されていた。想像するにこのカメラは罠なのだろう。あまりにもこれ見よがしで、壊せと誘っているように思える。もちろん作動はしているだろうが、ちゃんと隠しカメラも仕込んであって、妙な動きをしようものなら制裁を加える。カメラをどうのこうのして、脱出の機会を図るのは諦めた方がいい。
ロビーの階段、組閣の記念写真に使われるような幅広の階段には赤いフェルトの絨毯が敷かれていた。近藤を先頭に昇っていく。正面のステンドグラスは圧巻だった。一段一段階段を踏む度に迫って来るので、恐れ、と言うか、身が引き締まると言うか、妙な気分になってくる。まるで最後の審判。世界の終わりに救いを求めキリストに臨むかのようである。
他の者たちはどうであろうか。気になった。グレー系のスーツ、代議士の中井博信はともかく、ほとんどの者が皆、おれと大して変わらない気分のようだった。ステンドグラスを見つめながら、硬い表情のうえ、足取りは重い。
二階に上がると右手に鉄柵のドアがある。輪っかの取っ手と大きな鍵穴があり、まるで古い刑務所を思わせる。その先は想像していた通り渡廊で、ロケットランチャーが発射された塔に繋がっている。それについては、近藤は何も言わなかった。背を向けて進んだ。目前には木製の両開きのドアがあり、それに手を掛けた。
「ここから先が皆様方の居住区画で御座います」
ドアから通路は丁字路になっていて突き当りまで進み、近藤が言う居住区をぐるりと見渡す。草津の山々が見渡せるであろう外壁に面した四部屋。通路を挟んで、風が堰き止められるほうの外壁側、L字の内角面にあたる側だが、部屋は並んで二部屋。そして、おれがロビーから入って来た両開きのドアの広いスペース。さらにはどことも接しない一部屋があった。
通路の絨毯はフェルトではなくウールに変わっていた。裸足で歩いてもいいぐらいふかふかで、近藤を含め十二人の足音は全く聞こえない。そして、通路のどん詰まりの奥には階段がある。下の階で近藤が説明した雇人専用の階段であろう。
通路を歩く近藤が立ち止まった。
「これから色々と問題が起こるでしょう。公正を期したいと思いますので、今から全てのお部屋に皆様が入って頂きます。全部見終わったらまたここに戻ってきて解散と致しますが、疲れもあるでしょう。もしよければリビングルームにてお飲物を提供させて頂きますが」
国会議員中井博信が言った。
「そんなことより早く部屋を見せろ」
「これは申し訳ありません、差し出がましいことを申しまして」
雇人専用の階段がすぐそこにある。通路から落下を防止する手すりに、奥の外壁にはガイド手すりが設置されている。そのガイド手すりの勾配から、おそらくは折り返し階段なのであろう。
「宗教家の部屋で御座います」
そう言って近藤は、通路を挟んで両サイドにあるドアの右手側、つまり、L字建物の内角側にあたる部屋の一番奥、そのドアを開けた。
宗教家? 皆が、えって顔をしていた。そして、誰の部屋だろうと互いに互いを見合った。誰も名乗りを上げない。中井博信がしびれを切らした。
「だれだ! 宗教家は」
誰一人答えない。じれったそうに中井が言った。
「近藤! 周りっくどい。誰の部屋か、名前で呼べ」
「この中で、宗教家と呼べるとしたらおそらくは、沼田光様ではないでしょうか」
皆の視線が一斉に沼田光に向かった。大体の日本人は宗教家というと二つを想像する。一つは、自称目に見えないものが見える人、あるいは聞こえない声を聞ける人。もう一つはカルトである。目の前にいるのは冴えない肥満の男だった。体型からのイメージではどちらとも取れる。服装から金が無いのは分かり切っているので前者の方だろうか。その沼田光が言った。
「宗教家というのは止めてくれないかな。ぼくはニートで、趣味で仏像フィギアを集めたり、天使やら悪魔やらのイラストをブログに乗せたりしている暇人なんだ。そんな大層な呼ばれ方をすると、むずかゆくなってくる」
霊能力者でもなく、ましては詐欺師でもなかった。
近藤が言った。
「なにをおっしゃいますやら。世間では大変な評価を受けてらっしゃる。わたしもよく拝見させてもらっていますよ。仏の絵もいいですが、特に悪魔の絵。貴方様の絵は聖書に忠実と言うか、あれは真に迫ってなかなかのもんです」
「大人の人に分かってもらえるなんて、それがこんなところで、」 そう言って沼田光は鼻で笑った。「皮肉と言うか、われながら泣けてくるね」