第一節 転移生
そよそよと優しい風が吹いている。
それに乗って草花の青い匂いが運ばれてくる。
なんて気持ちがいいんだろう。
床もふかふかしてとても心地良い。
まるで原っぱに寝転んでいるみたいだな。
ていうかこれって...
そしてはっと目が覚めた。
目を開くとそこには一面の青空が広がっていた。
「うっ...いてて...」
どれだけ眠っていたのか知らないが、体を起こすと肩と背中のあたりに痛みが走った。
辺りを見渡すとそこには地平線の彼方まで緑の草原が広がっていた。
遠くの方にちらほらと家が見える
あまり見たことない感じの家だった。
例えばヨーロッパの古い町並みに立っていそうな感じだ。
「なんだここ。ていうかここ、どこだ?」
いくら見渡せども信号もなければ標識もない。
それ以前に道路がない。
ここにはあまりにも見慣れない光景が広がっていた。
病院のベッドの上でもなければ知らない天井でもない。
そもそも草原に寝転んでるなんておかしいだろ。
やっぱり夢なのだろうか...それとも...。
わけもわからないことが起こりすぎて全く考えの整理がつかない。
うーん...と少しの間悩んでいると、ドッドッと軽い地鳴りが聞こえていることに気がついた。
この音は一体なんだろう?
そう思い後ろを振り返ってみると、1人の(おそらく)少年が馬に乗ってこちらに向かって来ていた。
その少し後ろの方にもう一人こっちに向かって来ているのも見える。
もちろんその人も馬に乗って。
おいおい馬ってお前ら...
まさかタイムスリップでもしちまったのかな。
現代の日本で馬を乗り回してる人なんか見たことない。
いたとしてもよっぽどの変人だ。
関わりたくないってそんなの。
そしてその少年は僕のもとに辿りついた。
馬がヒヒンといって僕の前で立ち止まった。
馬に跨っているのはとてもきれいな金髪の少年だった。
西洋風の顔つきでかなりの美形。
男の僕から見てもかなりカッコいい。
そしてかなり驚いているようだった。
「黒髪...まさか...」
うーん黒髪がそんなに珍しいのだろうか。
ていうか言葉が通じるとは思わなかったな。
やっぱりここは日本なのだろうか。
それにしてもかなりのイケボだな。うらやましい。
「あの...すいません。僕は多結蒼人っていう者なんですけど、ここって...どこなんでしょうか?」
聞きたいことがたくさんありすぎて何から聞くか迷うところだが、まずはこうだろう。
「ああ、これは失礼した。俺の名前はエレン。ここは王都から東に少し出たイルム草原だよ。
君はどこから来たんだい?」
オート?イルム草原?
聞いたことないぞそんな地名?
「僕は日本の東京に住んでいるんですけど、ここって日本じゃないんですか?」
「そうか...君、やっぱり...」
エレンが何か言いかけたところで後から走ってきた人が追い付いてきた。
「全く、勝手に行かれては困りますぞエレン王子!こういう場合は歩兵団に任せればよいのです。
それに剣も持たないままとは何たることですか!」
と、すごい剣幕で捲くし立てるのは40歳くらいの茶髪の男だった。
この男も西洋風の顔つきで、口ひげがとても立派である。
目付きも鋭く、どこか威厳がある。
それに馬が小さく見えるほどにゴツい体格である。身長もかなりありそうだ。
ん?それよりも今もしかして王子って言った?
「悪い悪い、許せギルフォード。次はちゃんと気を付けるからさ。」
エレンは笑みを浮かべてそう答えた。
うーん笑った顔もとてもイケメンである。
「全く...それよりも貴様、王子の眼前であるぞ!控えないか!」
ついでに僕も怒鳴られてしまった。とんでもなく恐ろしい。
これを笑って返せるエレンはすごいな...
「すっ、すいません...。」
とりあえず謝っておこう。
「うん?黒髪とは...貴様何者だ?」
フィリップと呼ばれた男もまた僕の黒髪に驚いているようだった。
そんなに黒髪が珍しいのだろうか。
「あの僕は多結蒼人という者なんですけれども、気が付いたらここに居てですね。
全く何が何やら...ここはいったい何処なんでしょうか。」
「なるほどな、貴様がそうか。貴様の住んでた世界はなんというのだ?」
住んでた世界って...これでいのか?
「えっと地球ですけど...。」
「やはり、な。この世界の名はミラディルフィア。チキュウなどという名は我らは知らぬ。」
知らないってなんだ、知らないのか?
タイムスリップでもしたのか僕は。
アニメの世界じゃあるまいし。
「じゃあ今は何年ですか・」
「今年はエヴァンズ32年だ。」
うん、こんなこと聞いても意味がないことはわかっていたが、やはり何もわからなかった。
「さっき突然ここの真上だけ真っ黒な雲が広がってね。空に魔方陣が浮かびあがったんだ。
何者かが召喚魔術を使ったって一目でわかったよ。」
おいおい、魔術って...まじか。
「それでここに確かめにきたんだ。そうしたら君がいたんだ。」
なるほどね。全然わからないけど。
ていうか僕はそんなもんで呼び出されたってことか。
どうしてなんだろう。
また聞きたいことが増えてしまった。
「あの、魔術ってどんなものですか?」
「魔術は魔力を使って行うものでね。基本となる地水火風の魔術に特殊な光と闇の魔術があるんだ。君の世界にはそういうものはなかったのかい?」
「なんというかおとぎ話の類ではありましたけど実際に使える人は...」
魔術なんてアニメや漫画の世界での話だろ。
まあ、魔術と同じくらい不思議な物がいっぱいあったけどさ。
「そっか...さっき言った召喚魔術ってのは禁術でね。実際に見たことはないけど君は何者かに召喚されたと見て間違いないだろう。」
...僕はどうやら本当に異世界に召喚されたのかもしれない。
そう考えると気を失う前にみたあの不思議な状況も説明がつく。
でも...
「...なんで僕なんでしょうか。」
思わず出たのはこの一言だった。
訳も分からず別の世界に飛ばされたなんて冗談じゃない。
「.....」
2人は険しい顔をして黙ってしまった。
わかってるさ。こんなこと聞いてもしょうがないくらい。
無駄に2人を困らせるだけだ。
でも言わずにはいられなかった。
会話が止まり聞こえるのは風の音と草の揺れる音だけ、ではなかった。
いつの間にか遠くからドドドという地鳴りが聞こえてる。
辺りを見渡すと30人くらいの騎馬隊がこちらに向かって来ていた。
「お、来たな。ずいぶん早かったな。」
ギルフォードが久しぶりに口を開いた。
やや満足そうである。
「あれは...?」
「あれは王都歩兵団だ。まあ、今回は騎馬隊だがな。」
フンと鼻で笑いつつ答えた。
「歩兵団は王都近辺を、騎士団は遠方の秩序を守るのが役目だ。」
「なるほど。軍隊が2つに分かれているんですね。」
アメリカもレンジャーやらマリーンズやら色々あるからな。
日本も昔は陸軍と海軍で分かれてたし。
「いや、3つだよ。歩兵団に騎士団、それに魔術師団だ。」
魔術師団とはこれまた厨二くさい。
でも少しだけカッコいいと思っている自分がいた。
「へえ~。魔術師団は何をする人達なんですか?」
「やつらの役目は魔術を研究することだ。魔術に関してはまだまだ分からないことだらけなのでな。」
なるほどね。じゃあ魔術は誰でも使えるってわけでもなさそうだ。
普段は魔術の研究に勤しんで有事にはおそらく戦いに出向くのだろう。
そんなことを話しているうちに騎馬隊が僕らの元に辿り着いた。
一番先頭の騎馬の男はギルフォードに負けず劣らずの大男である。
それに甲冑を着ているのでかなりゴツイことになっている。
歳は割と若そうだ。20代半ばくらいだろうか。
体つきはゴツイがかなりの男前である。
彼はエレンを見るなりすぐに下馬し、姿勢を正し右手を胸に当てた。
心臓をささげよとは少し違う。
腕が地面と平行になるようにしているからだろう。
あれがこの世界での敬礼のようだ。
ほかの兵達も同じように一斉に下馬し、敬礼をした。
敬礼のタイミング、乱れのない隊列からもよく統率が取れているのがわかる。
「やあ、ウィル。ずいぶん早かったじゃないか。さすがだな。」
エレンが微笑み、先頭の大男に挨拶をした。
それにしてもずいぶん緩い感じだな。
「はっ。本日は演習をする予定だったのでこちらの近くまで来ていたのですが、
まさか先にエレン王子と父上がいらっしゃるとは...。
あ、あと人前ではウィリアムとお呼びください。」
ウィルと呼ばれた男は本名はウィリアムと言うらしい。
略称で呼ぶくらいだから本当はかなり仲が良いのだろう。
ていうかふぇりっぷとウィリアムはどうやら親子らしい。
確かに口髭を生やして少し老けたら似ているかもしれない。
「どうしてこちらに?それにこの少年は...」
ウィリアムは僕を見て顔をしかめた。
「エレン王子の剣術と魔術の修行を兼ねて仮に来ていたんだが、突然空に魔方陣が浮かびあがってな。
それを見るなり王子が飛んで行ってしまったのだ。無論私は先に王都に報告したかったのだがな。」
ギルフォードはむっとした顔つきでエレンを睨みつけた。
それに対しエレンはハ八ハと笑って誤魔化そうとしている。
うん。まったく反省しているように見えないな。
フィリップもそう感じたのだろう、やれやれと深いため息をついた。
この王子の世話役は心労が絶えないだろうな。
ていうかそもそもギルフォードは付き人にしては随分威厳があるというか高貴な感じがする。
「なるほど。それでここに来てみるとこの少年が居たと。」
「そういうことだ。この少年の名はアオト。どうやらミラディルフィアとは別の世界からこの世界に召喚されたようだ。言葉は通じるがこの世界のことはなにもわからないらしい。話を聞く限りな。」
まあ、疑われますよね。当然だと思うけど
異世界から来たなんてそりゃ誰だって信じられないさ。
「それにしても...黒髪とは...。」
「ああ、このことは皆に箝口令を引いてくれ。決して口外しないようにとな。」
「はい、わかっております。父上。」
やはり黒髪に何かあるのだろうか。
箝口令を引くなんてよほどのことがあるとしか思えない。
なんだか不安になってきた。
まさかひどいこととかされないよな。
するとウィリアムが僕の方を向き、目があった。
「俺の名前はウィリアム。王都歩兵団の団長を務めている。まだ状況を呑み込めてないかもしれないが、とりあえず王都まで一緒に来てもらいたい。そこで詳しい話を伺おう。」
どうやら選択の余地はないようだ。
ここは大人しくついて行こう。
そして、はいわかりました、と言おうとしたその時だった。
「悪いが、ちょっと待ってくれないか?」
その声に振り向くとそこには照れ笑いを浮かべているエレンがいた。
ウィリアムが訝しげな顔でエレンに問いかけた。
「いかがしましたエレン王子。」
「無理を承知で言うが、彼のことはおれに任せてもらえないか?」
「...いかに王子の頼みと言えどそれは無理でございますな。私の役目は王都の秩序を守ること。
少しでもそれを脅かす可能性のある者を放っておくことはできません。それが私の責務であるますので。」
ウィリアムが強い口調で答えた。
その様から彼がとても正義感と責任感の強い誠実な人物であることが伺える。
まあ、そもそも歩兵団の団長なんてなれるくらいなんだしな
それなりの人物であることは間違いない。
それにしても王子相手でもずいぶんハッキリと物を言うもんだな。
父親ほどではないかもしれないが。
「まあ、ウィル聞いてくれ。もし彼が本当に異世界から召喚されたのだとしたら、
召喚した人物がいるだろう。それもかなり魔術に精通した人物が。」
「それを確かめるためにもまずは彼から詳しく話を聞きたいのですが。」
でも特に話すこともないんだけどね。
なんか気味悪いおっさんの声が聞こえたことぐらいしか。
「話を聞くのはもちろんだが、歩兵団が彼を連行すればその噂は瞬く間に王都中に広がる。
そうなれば王都は少なからず混乱するだろう。それにもしかしたら彼の身にも危険が迫るかもしれない。」
「それは、そうかもしれませんが...」
ウィリアムは顔をしかめている。
確かにエレンの言うことは一理あるだろう。
だからといって王子に丸投げできることじゃないもんな。
さっき召喚魔術は禁術って言ってたし僕が今ここにいるのはこの世界の人達にとっても
やはり大変なことなんだろう。
でも僕の身に危険が迫るかもしれなってのは正直怖い話だな。
そうすると今まで黙って聞いていたフィリップが口を開いた。
「仕方がない。ではこの少年は私が責任を持って預かりましょう。
ウィリアムもそれで納得してくれるか?」
あまりにも予想外だったのか、エレンが驚きの表情を隠せずにいた。
「はあ...わかりました。何も見つからなかったと、報告しておきますので。
くれぐれもよろしくお願いしますよ。」
ウィリアムも父の想いを感じ取ったのだろう。
ため息を吐きつつも気持ち表情が柔らかくなった気がする。
「二人とも...ありがとう。」
「勘違いなされるな。私もそうするのが一番いいと思ったまでのこと。
決して王子のわがままを聞くわけではござらん。」
フィリップは相変わらず厳しい表情だったが、気のせいかどこか嬉しそうだ。
この2人の関係もただの王子と付き人というわけでもないのかもしれないな。
「ああ、わかってる。」
ただそれだけの言葉ではあったが、そこには感謝の気持ちが溢れていた。
「ふう、皆にはしっかり口止めしておきますので。では我々はこれにて失礼致します。」
ウィリアムはそう言って敬礼をする。
それに合わせてほかの兵達も一斉に敬礼をし、騎乗し去って行った。
その統率の取れた様は見ていてとても気持ちの良いものだった。
普段から厳しい訓練をしているに違いない。
「よし、まあそういうわけだ。改めて自己紹介をしよう。おれの名前はエレン・ミランディ。
このミラディル王国の王子だ。これからよろしく頼む。」
エレンは微笑みながらそう言うと、ほらと言ってギルフォードに視線を送った。
「...ギルフォードだ。エレン王子の教育係を務めている。先ほどの通り貴様の身を預かることになった。面倒はおこすなよ?」
ぶっきらぼうな言い方ではあったが、この男は根は優しい面倒見の良い人物なのだろう。
とりあえずこの御仁が僕の保護者となるのか。
「はい、正直まだ何が何だかわかっていませんが、どうかよろしくお願いします。」
僕は深々と頭を下げた。
この世界ではどんな意味があるのか知らないが、それだけが今僕にできることだった。
実際こんなわけのわからない状況で独りぼっちだったらどれだけ心細かったことか。
この2人に出会えたことは僕にってとても幸運なことだったもしれない。
これから先のことへの不安とこの出会いへの感謝を込めた今までの人生で1番感情を込めたお辞儀だった。




