第三十四話 切望の先で待つ
軽く速い敵機と、重く速い大剣が向かってくる。
空を割るように振り下ろされた一撃を、幹斗は直前で躱す。
風を切る轟音が、右から聞こえた。
その音が通った場所を、短刀が進む。
敵機の、頭部に向けてだ。
その頭部は、微動だにしない。
短刀が胸部へと向きを変え始めた時、ようやく体ごと右に離れて行った。
幹斗は、大剣が戻ってくる前に、距離を取る。
《……お前は本当に、死にたいんだな》
これまで、この星で戦った者たちは、剣先が頭部に向かうと、何らかの反応を見せた。
フェイントを見破る実力を持つ者たちでも、同様だった。
それは、本能だからだ。
生存を求める本能が、技量を、理性を、上回り、突き動かす。
《そうだ》
《……なぜ死にたいんだ?》
《俺にはかつて、百の仲間がいた。だが、彼らは『決闘』が行われる度に、減っていった》
二機は、再び距離を詰めていく。
《皆、必死で、仲間同士傷つけあった。敗者は、自爆用の戦奴にされるのだと、知っていたからだ》
《そうやって、戦奴に仕立て上げられるのか……》
《最後まで残ったのは、五人だった。俺たちに、所有者は言った『機械に乗って、殺し合え』と『残った一人は、長く生かす』と》
声とともに、重く、速い一撃が来ている。
《俺たちに与えられたのは、破棄寸前まで痛んだ機体だった。俺は言った『これに乗って、みんなで逃げよう』と》
幹斗はその一撃を、逆ブーストの始動によって避けた。
《だが、同意する者はいなかった。一瞬の自由より、囚われ続ける生を選んだ》
次いで突き出された大剣の切っ先を、短刀が反らす。
そのまま火柱を上げながら進んだ短刀は、しかし空を切った。
《俺は、一人と三人が戦うのを、ただ見ていた。頭部が破壊される度、声が聞こえた。『お前なら、こいつを倒せる』と、『仇を討ってくれ』と》
背後から迫った大剣に、幹斗は下降することで対応した。
頭上を、重い音が通る。
《三人の仲間が死んだ時、俺はようやく剣を握った。細身の片手剣だった》
敵機は、空中に立つように、こちらを見下ろしている。
《俺の攻撃は、一度も当たっていなかった。奴の攻撃は、俺の機体の右腕部と、ブースター以外の機能を停止させていた》
幹斗は、ゆっくりと上昇し、高度を合わせる。
《俺はもう、生きるのを諦めていた。だから、愚直に、突きを繰り出した。奴の振るう大剣の方が、速く、そして長かった》
大剣が、向かってくる。
《奴の大剣は、俺を殺す直前で止まった。代わりに、俺の片手剣が、奴を貫いた》
幹斗は、後退することで、大剣から遠ざかった。
男の話を最後まで聞きたかったからだ。
《理由を問う俺に、奴は言った『最初から決めていた』と『お前は、仲間の中で一番目が良い』と。そして『その目なら、外の世界で、俺たちが生きた意味を見つけられる』と》
《……その人は、正しいよ》
《奴も、お前も、間違っている。外の世界に、意味などなかった》
《そうかもしれない。そうだったのかもしれない。でも、お前は目が良い。それは確かだ》
《だが、間違っている。俺がこの目で見たのは、見てきたのは、破壊と、絶望と、死だけだ》
《それだけじゃない。もっと違うものが、この星にだってある》
《……何度も、終わりにしようと思った。操縦桿を握る手を緩めれば、ペダルを踏む足を離せば、いつだって死ぬことが出来た》
《だったら、お前は生きたかったんじゃないのか?》
《違う。囚われていただけだ。そうしようとする度、仲間たちの声が、望みが、俺を縛り付け、この世界に繋ぎ止める》
《お前は、その人たちのために、戦って来たんだな》
《違う。呪われていただけだ。だから、待っていた》
《待っていた?》
《光なき、静かな昼を越えて。赤い、死に満ちた夜の中で、俺はお前を待っていた》
敵機は、さらに速度を増す。
《俺を縛る鎖ごと、この命を断ち切ってくれるお前を、ずっと、待っていたんだ》
左から振られた大剣を、幹斗は飛び越えるように避けた。
その瞬間、胸部ではなく、頭部であれば、短刀が届いていたはずだった。
しかし幹斗は、そうしなかった。
そうしたくなかった。
幹斗がほんの一瞬前にいた場所を、振り上げられた大剣が通る。
もし、短刀が頭部を貫いていたら、大剣が幹斗を両断していたかもしれない。
《……それは、俺じゃない》
言って幹斗は、逆ブーストを全開にして後退する。
敵機は、それを追うように加速してくる。
《その速さなら、出来るはずだ。だからお前は、間違っている。死ぬのは俺だ》
《俺は死ねない。でも、お前も死なせない》
《敗者を待つのは、死だけだ。戦えば、どちらかか、あるいは両方が死ねる。その結末は、決して揺らぐことはない》
《違う。お前は知らないんだ。機械は、もっと楽しいものだってことを。殺し合うために、創られたわけじゃないってことを》
《お前は、間違っている》
幹斗は、逆ブーストを切ると同時に、ブーストを始動させる。
共に無装甲の頭部を持つ二機が、一気に近づいていく。
真っ直ぐに幹斗自身へと向かってくる大剣を、正面に見据え続けながら躱した。
そのまま振り返るように回転する。
《お前はいつだって、相打ちを選ぶ。それは、お前なりの優しさなんだろうな》
――だから、見なくても、その大剣がどう動くか分かるよ。
二回転した先で、大剣は幹斗を待っていた。
しかし、幹斗が振るう短刀もまた、大剣を待っていた。
短刀の柄の底が、大剣の刃の根本を打つ。
古びた大剣は、折れて、砕けて、飛び散って、持ち手だけを残して、地へと降っていった。
バランスを欠いた敵機は、左脚部側に重心を移したまま、ゆっくりと下降していく。
幹斗は、速度と高度を合わせて、ついて行った。
――自分の実力で、世界大会を勝ち進める。間違いなく、SSランク級の技量だった。
地へと降り立った敵機は、一本しかない足を折り、腰を下ろす。
失われた右脚部側へと傾いた体を、大剣の柄を握ったままの右手部が支えている。
《俺を殺し、お前の義務を果たせ》
《俺は、お前を殺さない》
男は初めて、声を荒らげる。
《お前は、俺から、死を奪うのか!?》
《命を、奪いたくないんだ》
《違う! お前は、俺がようやく手にした、唯一の希望を、奪おうとしているだけだ!》
《死は、希望なんかじゃない。希望は、もっと別の場所にあるんだ。だから、一緒に探しに行こう》
《お前は、間違っている。この世界に、死以外の希望はない!》
《そんなことない。俺が保証する。お前は目が良いから、きっと見つかるよ》
《……お前が、それを言うのか!? この鎖を断ち切るはずのお前までもが、俺を縛り付けるというのか?》
《そう言った人は、縛ろうとしたわけじゃないと思う。その逆で、きっとお前に逃げ出して欲しかったんだ。お前になら、それが出来ると思ったんだ》
《……お前は、間違っている》
《俺には、戦奴だった仲間がいるんだ》
《戦奴……だった……?》
《うん。俺はその子と一緒に、瓦礫になってしまったあの街の牢を逃げ出したんだ》
《逃げ切れたのか……?》
《機械に乗る前に捕まった。でも、そのおかげで、その子は市民権を貰って、戦奴じゃなくなったんだ》
《そんなことが、本当に……》
《この国なら、出来るんだよ。俺がなんとかするから、一緒に行こう》
《……俺には、無理だ》
《その子は……シュメルは、いつも何かに怯えてた。でも今は、俺がいないところでも、別の仲間と話したり出来るんだ》
《別の、仲間……?》
《一人は、クールに見えて、実は感情豊かで、優しいんだ。もう一人は、色々抱えてて、ひねくれたように見えて、本当は真っ直ぐな奴なんだ》
《……俺にもかつて、そんな仲間がいた……》
《だったらきっと、気が合うと思う。……シュメルはさ、座りながら寝てたり、こっそりクッキー食べてたり、結構無邪気なんだ。あと、笑うんだよ》
《笑う……?》
《うん。あんなに怯えてた子が、今は笑顔を見せてくれるんだ》
《戦奴が……戦奴だった者が、笑うのか?》
《そうだ。お前もきっと、いつか笑えるよ。だから一緒に行こう》
《……俺は、もう飛べない。この大剣がなければ、姿勢を保つことは出来ない》
《大丈夫。俺が支えるよ》
幹斗は、機体の右手を差し出す。
《俺に、お前の鎖を断ち切ってやることは出来ない。でも、一緒にここから、逃げ出すことは出来る》
《……無理だ。お前も、見たはずだ。あの軍勢を》
《大丈夫。俺とお前なら、たとえ二千機に追われても、逃げ切れるよ。俺たちの速さについて来れる奴が、いるはずないんだから》
《……だが、俺はこれまで……》
《なにも心配いらない。だから、一緒に行こう。俺たち二人の、仲間のところへ》
無装甲の右手が、大剣を手放す。
躊躇いがちに伸びてきた無装甲の右手を、真っ直ぐ伸びた無装甲の右手が掴んだ。
《俺はもう――》
男が言い掛けた、その瞬間。




