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第三十話 理想的な意地汚さ

 幹斗は、ネイダー大佐と二人で、地下に至る螺旋の階段を下っている。

「……約束は守ってくれよ」


 前を進むネイダー大佐が、ゆっくりと振り返った。

 虎のように鋭い目で、こちらを見据えている。

「二言はない。だが、二度と私を脅すな。……二度は言わんぞ」


 幹斗は、この基地に帰還後、すぐに機体を降りなかった。

 その代わりに、通信でネイダー大佐を呼び出して伝えた。

 『拷問する気なら、この場で捕虜を全員殺す』と。


 それは、幹斗にとって賭けだった。

 殺すにしても、殺さないにしても、誰かに苦痛を与えることになる。


 結果として、幹斗はその賭けに勝ったといえる。

 その脅迫じみた要求を、ネイダー大佐が承諾したからだ。


「分かった」

 幹斗がそう返答すると、ネイダー大佐は再び下層へと向かっていく。


 鉄の扉が開かれると、こちらを睨むように見つめる目と、絶望を表すような虚ろな目が待っていた。

 ――そりゃ、恨まれるよな。ドルト……いや、ルフォードが、あんだけボロボロだったら。


 ネイダー大佐は、ゆっくりとした足取りで、金髪の少年がいる牢の前へと向かった。

「自己紹介から始めようか。私はアリス・ネイダー。この基地と、貴様らの命を預かっている。名は?」

「名乗る名など無い」


 短く言い切った少年に向け、ネイダー大佐は拳銃を向ける。

「どうやら人付き合いが苦手らしいな。これで少しは話しやすかろう?」


 向けられた銃口を見ることもなく、少年は答える。

「無いと言ったはずだ」


 撃鉄を引く重い音が、静かなその空間に響いた。

「傭兵の矜持(きょうじ)か。それも良いだろう。あと二十人も控えている。一人くらい命が惜しい者もいるはずだ」


 少年の体の中心あたりへと向かっていた射線が、金髪へと方向を変える。

 引き金に掛かった指を見て、幹斗は口を開きかけた。

 それを予期していたかのように、虎のような目がこちらを制す。


 ――今、何か言ったら、ルフォードを殺される。

 なんの根拠もない、しかし確信めいた予想が、幹斗を静止させた。


「その方のお名前は、ソラル・エスミニスです」

 曲がり始めた指先を止めたのは、かすれた声だった。


 ルフォードを一瞬だけ見たネイダー大佐は、再び少年に向けて言う。

「大層な偽名だな」


 俯いたまま答えない少年の代わりに、ルフォードが再度答える。

「偽名ではありません。その方はユイブ王国第三王子にして、唯一の正当なる王位継承者、ソラル・エスミニス様です」


 ネイダー大佐の向ける銃口は、いまだ少年の頭部を指し示している。

「……証拠は?」


「ソラル様の機体の座席に、王家秘宝の奇石があるはずです」

「仮にその石ころが出てきたとしよう。それを悪名高き傭兵団が金で買ったか、あるいは盗み出したわけではないと、どうして言い切れる?」


「十年ほど前、貴国の王宮に、国王陛下とソラル様が滞在されたことがあったはずです」

「そんな記録、少し調べれば出てくるだろう。何の証拠にもならない」


「それでは、王子が王宮にあった美しい花瓶を、割ってしまった記録ではいかがでしょうか?」

「それも同じだ。調べれば出て来るような記録では、証拠には成り得ない」


「それでしたら、公式の記録ではなく、人の記憶であれば?」

「ほう?」


「花瓶を割ったのは、王子ではなく、帯同していた奴隷でした。王子は、他国で粗相を犯した奴隷の命を救うために、自ら名乗り出たのです」

 ルフォードが服を引いて首元を覗かせると、シュメルの首元にあるものと似た焼印が見えた。

「当時、四十歳程度の女性の方でした。貴国のどなたにも報告しないで下さったはずです。なぜなら、私はまだ生きている。それが、その方が王子である証です」


「なるほど。裏付けを取る手間をかけてやってもいい。だが、その前に自己紹介の続きだ。雇い主は誰だ?」

 何かを諦めたように、しかし躊躇いがちに、ソラルはゆっくりと口を開く。

「……ライア帝国だ」


 ネイダー大佐は、口と鼻だけで笑う。

「ライア帝国だと? これまでの話が全て真実なら、王宮にいる小男より道化じみた筋書きだ」

「……事実だ」


「自国を滅ぼした宿敵に、いくらで雇われたんだ? 亡国の王子様」

「……爵位と、辺境の小さな村」


「かつては、我が王国に比肩する勢力を誇っていた国の王子が、村一つで宿敵に(かしず)くか。大した矜持だ」

「矜持などいらない。最初は辺境の村一つでも、奴らの内部に入り込み、力をつけ、いずれあの皇帝の寝首をかき、あるいは背後を襲い、国を取り戻すつもりだった」


 そう言ったソラルの目は、憎しみが篭っていた。

 あるいは、怨念と言ってもいいかもしれない。


「なるほどなるほど。無謀過ぎる野望だ。だが、その意地汚さ、悪くないぞ。賞賛してやってもいい」

 ネイダー大佐は、撃鉄を静かに戻すと、言葉を続けた。

「石ころと記憶、両方が出てきたなら、それを担保に、貴様らの命を貸してやる」


 拳銃を収めたネイダー大佐は、二人の命をいまだその手で握っている。

「利子は変動制、返済期限は未定。だが、少なくとも、今日ではない。悪くない条件だろう?」


 獲物を見つけた虎のような目は、少しも緩むことはない。

「傭兵団ごと、私の配下になれ。お前たちの宿敵を、打ち倒す手伝いをさせてやる」


* * * * * * * * * * * * * * * *


 幹斗は、牢の前でネイダー大佐と別れて、屋外を一人で歩いている。

 ――全員死なせずに済んだ。結果だけ見たら、これで良かったのかな。


 背後から幹斗を追い抜いた兵士が、ソラルの機体に向けて走っていく。

 おそらく、ネイダー大佐の命令を受けて、『秘宝の奇石』を探しに行ったのだろう。


 その様子を眺めていた幹斗に、左から声が掛かる。

 そちらに視線を移すと、男四人と、女が一人立っていた。


D(デルタ)小隊の隊長だよな?」

 そう言ったのは、三十手前程度の男だった。

「そうだ。その声は、C(チャーリー)小隊の……」


「ああ。救援の礼を言いに来た」

「いいよそんなの。全員無事だったなら、それで十分だ」


「そういうわけにはいかない」

 C(チャーリー)小隊の隊長が頭を下げると、他の四人も続く。

「あんたは、俺たちの命の恩人だ」


「ほんと、いいって。大したことはしてない」

 男は顔を上げると、目を丸くしながら口を開く。

「あれは、『大したこと』どころじゃない。たった一回の戦闘で、うちの小隊全員の通算成績を超える撃破数だ」


「しかも、あのシームルグ傭兵団相手に! 私、絶対死んだって思いましたもん」

 そう言ったのは、二十代前半程度の女の兵士だった。


「俺も俺も! 隊長が救援断ったの聞いて、確実に死ぬんだなって思ったよ」

「俺の判断は、普通なら正しかった。でも、あんたは、普通じゃなかった」


「無装甲にすると、あれだけ速度が出るんだ」

「あんな速度で飛ぶ機体を見たのは初めてだ。それに『精鋭中の精鋭』を見たのも初めてだったよ」


「見つかったぞ!」

 水色の頭部から出てきた兵士は、握った手を掲げている。


 その手の中にある石は、赤から緑へ、緑から青へと角度によって放つ色を変えた。

 シームルグ、この星の伝説によると、赤と緑の羽を持つ、青い鳥らしい。


 その不死とも言われる鳥が、再びこの空に上がることを、幹斗は願っている。

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