第二十七話 痛み
幹斗はノックすることも、声を掛けることもしないまま、木製の立派な扉を押し開けた。
椅子に深く腰掛けたネイダー大佐は、一瞬だけこちらを見たあと、すぐに手に持った紙へと視線を戻す。
「……何か用か? 少尉」
幹斗は詰め寄るように五歩ほど進む。
「ドルトのいる牢に行こうとした」
ネイダー大佐は紙を裏返して机の上に置くと、赤く鋭い目を向けてくる。
「それで、警備の者は『義務』を果たしたか?」
「ああ。『大佐の指示で』俺のことは通せないと言われたよ。何故だ?」
「知る必要のないことを、見せないためだ」
「……ドルトに、拷問してるのか?」
「どうやら、知る必要のないことを、見ることなく知ったらしいな」
幹斗は両手に力を込める。
赤黒く腫れた右の拳が痛んだ。
「今すぐやめさせろ!」
「心配せずとも、もう終わった」
「……殺し……たのか?」
「今日の午後の予定だ。お前の元部下は大したものだよ。尋問だけで大尉にまでなった男が、何の情報も引き出せず、さじを投げるのを初めて見た」
「殺さないでくれ……」
「また『殺すな』か。戦奴だった二等兵の時と同じだな。それで、今度のお前は何を差し出す?」
「……給料はもういらない。だから、ドルトを殺さないでくれ」
「なるほど、金で奴の命を買うか。それが奴隷の売り買いと、どう違う?」
「違わない……かもしれない……。それでも俺は、あいつを死なせたくない」
「ほう、興味深くはあるが、奴隷の値段としては安すぎるな。来月には、お前はもう戦死しているかもしれない」
「死なないように気をつける……だから――」
「お前も私も、ローンの審査が通らないほど、不安定な職に就いているのだよ。来たりし者」
「……だったら、どうすればいい?」
「情報を聞き出せ。有益な内容があれば、処刑を中止してやる。ただし、もし出来なければ、受け入れろ」
「……分かった。絶対に聞き出してくる」
* * * * * * * * * * * * * * * *
「だから、大佐の許可は得たって言ってんだろ!」
「ですから、ネイダー大佐の直接の命令がなければ、少尉をお通しすることは出来ません!」
幹斗は石造りの建物を守る兵士に吐き捨てる。
「……呼んで来いってことか!? 分かったよ!」
言って幹斗が振り返ると、以前シュメルの世話係をしていた伍長が駆け寄ってきていた。
「はぁ、はぁ……あの、ネイダー大佐からの……命令書です!」
「ああ、わざわざ悪い。ありがとう伍長」
「いえ、お気になさらず! それでは、私はこれで!」
幹斗は、受け取った命令書を兵士へと突き出す。
「……命令を確認しました。どうぞお通りください、少尉」
姿勢を正して行われた敬礼に、幹斗は手の動きだけを返す。
「……ご苦労、軍曹」
幹斗は、屋内に控えていた兵士の案内で、石造りの階段を下り、その場所にたどり着いた。
鉄の扉を開くと、兵士は敬礼する。
「上でお待ちしております」
「ああ。案内どうも」
扉の横を通り抜け、そして閉めた。
五つある牢のうち、唯一、人影のある最奥を目指す。
「お前の言葉の意味、こういうことだったんだな……」
ドルトは腫れた左目を僅かに開くと、虚ろな瞳で、こちらを見てきた。
「お久し……ぶり……です。隊長」
水を何日も口にしていないような、がらがらとした声だ。
「こんなことになるなんて、思わなかったんだ。本当にごめん……」
弱々しい動作で起き上がるドルトの背が見えた。
ぼろぼろの服は、肩から腰にかけて、ヒビの入ったガラスのように、多数の線で裂かれている。
「……気に、しないでください。悪いのは、裏切った、俺です、から。それより……隊長が来たってことは、もう終わりですか?」
「ああ。……もう拷問はさせない」
「それは……良い知らせです。……もし、希望が通るなら……銃殺が良いな」
幹斗は、ドルトの姿から目を背けるように、石の床を見る。
あの日、幹斗は、死を選ぼうとしたドルトを生かした。
だが、もし今日ドルトが死ぬのなら、結果として苦痛だけを与えたことになる。
――そんな結果は、認めない。
「今日は、聞きたいことがあって来たんだ」
「なん……ですか?」
「みんなでラーメン食べた日、お前がクシリナ准尉の機体と衝突したのは、わざとだったんだよな?」
「……はい」
「俺はずっと『准尉の狙撃から仲間を庇った』んだと思ってた。でも本当は『仲間からの狙撃から、准尉を庇った』んじゃないのか?」
「……どう、でしょうね」
否定しなかったドルトに、手応えを感じて、幹斗は話を進める。
「俺はさ、七キロ先から狙撃出来るような腕のやつを、一人知ってるんだ」
「……そうですか。でも、熟練者であることは、間違いないにしても、それほど珍しくもない。……大きな戦場であれば、数人は、いますよ」
「そうなのか。でも、あの日俺は、砂埃で見えなくなる寸前、水色の塗装を見たんだ」
「……それも、珍しく、ないです」
「そうかな、水色の塗装で、七キロ先から狙撃出来るスナイパーなんて、『シームルグ傭兵団』くらいにしか、いないんじゃないか?」
「……どうでしょう。シームルグっていう、名前くらいしか、聞いたことがないので……」
「そんなに冷たく言うなよ。お前の仲間なんだろ?」
「……違い、ますよ」
「そっか。なら殺しても問題ないかな」
ドルトの肩が、ぴくりと動く。
「殺す……?」
「大佐から、命令を受けたんだ。『シームルグ傭兵団を皆殺しにしろ』って」
「……でも、隊長は、殺しなんて出来ない、ですよね……」
「命令だから仕方ない。こっちも命がかかってる」
「いいえ、あなたには……出来ないはずだ」
幹斗は右の拳を握る。
痛みが、骨を砕いた時の音を呼び起こさせた。
「やるよ」
ドルトは、もともと細く、まぶたが腫れ上がった目を、限界まで見開いて、こちらを見た。
格子の外側に立つ幹斗に、這うように近づいてくると、足を掴む。
一枚の爪もない、血塗られた手は、力弱く、痛々しかった。
「どうか、あの方を、あの人たちを……殺さないで、ください」
「……お前の、仲間なのか?」
「そうです。だからどうか……!」
ドルトは幹斗にすがりつくように、立ち上がる。
「あなたを殺さなかったことを、後悔させないでください……!」
幹斗はドルトの訴えかけるような目から、視線をそらす。
「……安心しろ。そんな命令は受けてないんだ。だから、殺さない」
崩れ落ちるように膝をおったドルトは、一瞬安堵の表情を浮かべ、何かに気がついたように見上げてきた。
「……俺に、自白させるために嘘を……」
「そうだ」
ドルトは、哀れみとも、悲しみともつかない目で、幹斗を見た。
「……あなたは、変わりましたね。俺が抜けた後、何か……あったんですか?」
「……うん、色々あった」
幹斗は腫れた右の拳を、左手で押さえた。
鋭い痛みが走る。
「お前がまだ、隊にいたら、こんな時どう乗り越えれば良いのか、聞きたかった」
答えないドルトに、幹斗は背を向ける。
「……また、近いうちに来るよ」
幹斗が少しだけ開いた鉄の扉を開ききると、赤い目が待っていた。
扉を完全に閉め、そして口を開く。
「来てたのか。大佐」
ネイダー大佐は頷く。
「少し前にな」
「……ドルトの仲間、シームルグ傭兵団だってさ」
「聞こえていた」
「……そっか。全然気が付かなかったよ」
「……何故だ?」
「こういうの慣れてないから、必死だったんだよ」
「そうではない。何故、奴に、『命を救ってやった』と言わなかった?」
「……だって、ドルトがそれを知ったら、あいつは自分を責めるだろ」
ネイダー大佐の虎のような目が、一瞬だけ緩んだように見えた。
「……お前は、慈愛だけ過剰な無知な男だな」
「そうかもしれない。この星に来てから、わけ分からないことだらけだよ」
「その代わり、お前は私が持っていないものを持っている。それは、得難いものだ」
「そりゃどうも。……これで、ドルトの処刑は中止してくれるんだよな?」
「中止ではなく延期だな」
「おい、話が違うぞ……!」
「まだ、『有益な内容』になっていないだろう。だから――」
虎のような赤い目をした女は、不敵に笑う。
「悪名高きシームルグ傭兵団の首領を、この場に連れてこい」




