第ニ話 変わる視界
――大会終わっちゃったな……。マキオンのサービス終了まであと五時間か。
最盛期には全世界で数百万人のプレイヤーがいた大人気VRロボットゲームも、一年ほど前から急激にプレイ人口が減った。
そのせいで、現在日本で稼働しているのはこの店舗だけだ。
それも、今日の二十時のサービス終了で完全に停止する。
――時間もったいないけど、少しだけ外の空気でも吸いに行くか。現実の空とか何日も見てないし。
もう二度と出来ないと考えると、居ても立ってもいられず、三日前からこのVRゲームセンターにこもっている。
夏休み期間中で良かったと、幹斗は心から思う。
もっとも、その前提がなかったとしても、今と同じ行動を取っている気もするが。
「なんだこれ」
店を出た直後、幹斗は思わず声を上げた。
大勢の人間が、十メートルほどの幅の道を完全に埋め尽くしている。
人々はプラカードを掲げながら、そこに書かれた内容を叫んでいた。
『ワームホール生成実験反対!』『宇宙でやれ!』『過去と今、そして未来を守ろう!』
――ワームホール生成実験……そういやCMでやってたな。
実験の安全性と共に、ワームホールの有用性をアピールする内容のCMは、あらゆる媒体で流れていた。
そして、そのCMの最後には必ず一文が表示される。
『あなたの思い出の品を宇宙の果てに届けよう! 詳しくはこちら』と。
「ごめんなさい、通していただけませんか……?」
この騒音がなくても消え入りそうな、か細い声は、しかし正確に幹斗へと届いた。
「ここに署名してくれたら、通しますよ」
痩せた男の向こう側から、か細い声が返ってくる。
「あの、でも……私ワームホールにはあんまり反対じゃないというか……。少し賛成というか……」
「ワームホールの危険性を知らないんですか!?」
まくし立てるように怒鳴る男の背中を、幹斗は押す。
目の前に現れたのは、艷やかな黒い髪の毛先を、下がった肩に乗せた小柄な少女だった。
「やっぱ瑞乃か」
黒いフレームのメガネ越しに、瑞乃沙菜が見上げてくる。
目があった瞬間に視線を外すのは、おそらく瑞乃の癖だ。
「あっ……紀州……くん」
「君、この子の友達? なら一緒に説得してくださいよ。ワームホールがどれだけ危険な技術か」
「俺は賛成でも反対でもない」
「君も分かってないの!? もし現代科学が過去の地球に送られたら、歴史が変わってしまうかもしれないんですよ!?」
「いや、『ワームホールで送れるのは遠くの宇宙の、少し未来か物凄く未来にだけ』だろ」
と、いうのは、二週間ほど前に科学の教師が言っていた言葉だ。
「そ、それ以外にも危険性は沢山あってだね!」
「実験はたしか今日だろ。今更抗議したって何も変わらねえよ。瑞乃、行くぞ」
幹斗はそう言って瑞乃の手を引く。
「君たち高校生でしょ!? 君らの未来のために我々は抗議してるんだぞ!」
「勝手に押し付けんな」
吐き捨てるように言ったあとも、背後から怒声が響き続けている。
その音を消し去るために、幹斗は瑞乃と共にVRゲームセンターへと入った。
「あの……ありがとう」
「俺がむかついただけだ。気にしなくていい」
「紀州くん……いつもそう言って助けてくれる」
「そうだっけ?」
「うん……。この前の日直の時もそうだし、春休みの時も……。最初に助けてくれたのは、小学校に入学したての時……」
考えてみると瑞乃とは十年以上同じ学校に通っている。
それなのに、どんなクラスでも馴染めていないこと以外、彼女のことをほとんど知らない。
「あー、なんかむかついたのだけ思い出してきた」
その他に浮かぶのは一つ、瑞乃の涙をためた表情だ。
「……いつもありがとう」
不健康に見えるほど色白の頬は、僅かに紅味を帯びているようにも見える。
「ほんと気にすんな。っていうか急いでたんじゃないのか? 駅ぐらいまでなら送ってくぞ」
あの人だかりでは、駅への往復だけでもかなりの時間を取られるかもしれない。
残り五時間弱を使うのは惜しいが、仕方がない。
「えっと、大丈夫……。ここが目的地だから」
「え、瑞乃ってVRゲームとかやんのか?」
「うん……少しだけ。マキオンの大会、もう終わっちゃった?」
「あーあれならさっき。……ってマキオンやってたのか!? もっと早く言ってくれよ! 言ってくれれば一緒に遊べたのに!」
「……ごめんなさい」
「いやこっちこそ、でかい声出して悪い! 時間あるよな!? サービス終了まで一緒にやろうぜ!」
小さく頷いた瑞乃を連れて、幹斗は機械仕掛けの神オンラインのコーナーへと向かう。
ほとんどが空席となっている中から、右端の二席を確保して隣り合わせに座った。
「いやー知り合いとやるの久しぶりだ! 大会一緒に出た仲間もみんな引退しちゃったし、今日絶対来るって言ってた奴まで来ねえし」
「……多分、ここまで来られなかったんじゃないかな……。三つ隣の駅まで降りられないくらい混んでたから……」
「あーなるほどなー。ってかさ、瑞乃は機体どんなの使ってるんだ?」
「えっと……」
「いや、ごめん待ってくれ! やっぱ自分の目で見たい! 真面目そうだし手堅く中距離バランスタイプか? 近接タイプだったらイメージとのギャップ凄いな! 楽しみだ!」
そう言って幹斗は、太いコードに繋がれたヘルメット型の機器を被った。
数えきれないほど見てきたタイトル画面が表示される。
この画面を今後見ることが出来る回数が、数えられるだろうことが切なかった。
「紀州くん……あの……」
瑞乃の細い声を聞き逃さないように集中した瞬間、画面が乱れる。
『機械仕掛けの神』の文字がねじれるように歪むと、目前は完全に暗転した。
「おいおい、このタイミングでサーバー落ちとか勘弁してくれよ?」
急激に視界が明るくなって、幹斗は眩しさのあまり目を閉じる。
数秒後、ゆっくりと目を開けると、現実より強い日差しが写った。
思わず足元に視線を移すと、砂埃が舞う地面が見える。
「VRMMOかなんかの宣伝か?」
機械仕掛けの神オンラインでは、コクピットから降りることが出来ない。
だから、こうして自分の足で立っている以上、この風景は、幹斗が起動したはずのゲームのものでないことは、明らかだった。
「ってか、なんか暑いな。空調壊れてんのか? 最終日にトラブル起きすぎだろ」
幹斗は深くため息をついて、終了メニューを表示するために、片目を閉じながら右を見た。
すると、石造りの平屋の建造物が並んだ先に、圧倒的な存在感を放つものがある。
八階建てのビルほどの高さのそれを目指して、幹斗は走り始めた。
「凄い」
巨大な人型のそれは、骨格標本のように細く、前面は刃物のように尖っている。
メタリックな表面は、吸い込まれそうなほど深い黒色だ。
膝と肘で二本に枝分かれした骨組みは、それぞれ手首、足首で合流している。
背部には、うねったパイプがむき出しの動力部と、そこに直結されたブースターが見えた。
顔は、目の部分が球体ではなく、直線で出来た窪みのあるガイコツのような形をしている。
「間違いないな。これ、続編の予告だ! 瑞乃、そっちもこれ見れてるか?」
呼びかけに対する返事はない。
代わりに聞こえたのは、危機感を煽る機械音だった。
続けて肉声ではありえないほど大きな声が響く。
「南南西より所属不明機接近! 王国の旗および紋章確認できません」
「やばい、イベント始まったか!? どう考えてもこれに乗れってことだよな」
幹斗は機体の足元から上を仰ぎ見た。
コクピットのある頭部はあまりに遠く高い。
機体の頭部から垂れ下がった金属で出来たハシゴは、段がいくつあるのか想像したくもない。
「VRゲームで筋肉痛になったら笑えるな」
苦笑いしながらハシゴへと掛けた手は、驚くほど簡単に体を引っ張りあげていく。
「ああ、そういえば地球より、重力が低い設定だったっけ」
幹斗は数段ずつ飛ばしながらハシゴを一気に上がりきると、コクピットへと入った。
これまで一度も使うことのなかったボタンを押すと、空間が密閉された。
肉眼で見るよりも広い視界が、前方のディスプレイに映しだされて、ボタンや機器が青く光る。
「バックライトの色変わったのかー! やばい、ワクワクしてきた!」
〈おい、その無装甲機体に乗ってる奴、返事しろ!〉
「ん、通信か?」
〈どうせここらのガキだろ!? 今すぐ降りないと死ぬぞ!〉
「これ、もしかしてストーリーモードとかあんのか? 機体から降りられたしRPG要素も追加とか? マジやばい!」
〈おいガキ! とっとと返事しろ! 所属不明機が、すぐそこまで来てんぞ!〉
〈了解。撃破する〉
〈何言ってんだお前! さっさと降りろ!〉
幹斗は警告を無視して操縦桿を握る。
機体が上昇を始めると、大きな振動が伝わってきた。
「ちょっと操作感変わったな。ブーストの初速が前より若干早い」
〈おい、もう街の入り口まで来てる! 多少でも操縦できるんなら逃げろ!〉
「はいはい、分かってますって」
そう言って、機体の腰に取り付けられた短刀を握る。
さらに頭部を前方へ向けると、ブーストペダルを踏み込んだ。
伸ばした右腕部は、街の中へと入り込んだ灰色の機体の胸を指し示している。
数秒で胸部へと到達した短刀は、金属片を撒き散らしながら食い込んでいった。
「破戒エフェクト進化したなー!」
幹斗が称賛の声を上げると同時に、短刀と機体の間から緑色の液体が噴き出す。
「いやーこれはマジで期待できる! 瑞乃の方はどうだ?」
しばらく待ってみたが、か細い声が返ってくることはない。
「おいおい、さっきから返事ないけど、もしかして俺よりハマってるんじゃないか?」
幹斗が頭に被った機器を外すと、視界がわずかに明るくなった。
しかし、見えるのは相変わらずスクリーン越しの灰色の機体だ。
目を見開きながら手元を見ると、ヘルメット型の機器に千切れた太いコードが垂れ下がっている。
「VRじゃ……ない?」