第十九話 似た境遇
大柄な男は、木製の床を軋ませながら、こちらへと歩み寄ってくる。
「死んだらしいって噂を聞いたから、てっきりそうだと思ってた。結局軍人になったのか」
おそらく、幹斗が身に着けている軍服でそう判断したのだろう。
「色々あったんだ。出来ればそのまま死んだことにしといてくれ」
大柄な男は何かを察するように頷く。
「おう、おまかせとけ。お前には世話になったからな」
「いやこっちこそ。あんたには……そういや名前まだ聞いてなかったな」
「俺はガロだ。名字なんて洒落たものはない、ただのガロだ」
「ガロだな。了解。俺は紀州幹斗だ」
「紀州の方が名字で、幹斗の方が名前だな」
「お、よく分かるな」
「採掘で本見つけると、真っ先に読んでたからなー」
「あ、そっか。地球から送られてくるもの調べてたんだもんな。……って、ここ飯屋だよな?」
「最近転職したんだ」
「……もしかして、俺を逃がそうとしたせいか?」
「丁度良かったんだよ。飯屋やってみたかったし、この街には良い医者がいるから」
「医者?」
幹斗の問いかけをかき消すように、ドアが勢いよく開く。
「隊長ー! どうしたんですか、急に走り出して!」
「ああ、ドルト、悪い悪い」
「いえいえ! っていうか隊長、ものすごい足速いですね。見失いかけました」
「一等兵、後ろがつかえている」
「すいません、准尉」
ドルトの後ろから、クシリナたちが店内へと入ってくる。
「ガロ、紹介するよ。俺の小隊の仲間だ」
「もう隊長にまでなってるのか。すごい出世だな。よし、今日は俺のおごりだ! みんな好きなだけ食べてってくれ」
幹斗はガロに促されて、店の一番奥のテーブルへと進んだ。
他の三人と対面する形で、シュメルの隣に座る。
「これがメニューだ。遠慮せず注文してくれ!」
そう言ってガロが机の上に置いたのは、薄い木の板だった。
そこには、芸術作品と見間違うほど見事な彫り口で、日本語が刻まれている。
幹斗は板の上から下までを見たあと、ひっくり返して裏が平なことを確認する。
「……おかしいな、ガロ。ここに書いてないメニューがあるんじゃないか?」
「やっぱ、お前は分かるか。この匂いの正体」
得意げに笑うガロに、同じように返して幹斗は言う。
「ああ、分かるとも。この匂いに釣られてこの店に入ったんだからな」
「……その新メニューを五つ、で良いか?」
「……一つは麺増しで頼む……!」
「……任された!」
店の奥へと下がって行ったガロの背中から、正面へと視線を移すと、押し黙る三人が目に入った。
中でも右斜め前に座ったソフィアンは、いつにもまして機嫌が悪そうだ。
「あ……勝手に頼んで悪い。でも、味は保証出来る……と思う」
――この店っていうか、この星で食べるの初めてだから、多分だけど!
ソフィアンはこちらから顔を反らして、出入り口の方を見ている。
「もし、口に合わなかったら別のもの頼んでくれ。最大で五杯なら行ける! それくらい食べたい欲が高まってるから俺!」
声の無くなった店内には、何かがグツグツと煮える音だけが響いていた。
「そ、そういえば、みんなで食事に来るのって初めてですね!」
ややぎこちなく言ったドルトに、幹斗は心の中で礼を言った。
「だ、だよな! 基地の食堂でも、全員一緒ってことはなかったし」
シュメルは毎回一緒、ドルトは誘えばまず来てくれる、クシリナは誘おうと思った時には既にいないことが多かった。
そして、ソフィアンは何度誘っても、肯定的な返事はない。
「そうですよね! 俺、みなさんとは一度、じっくり話してみたいと思ってたんですよ」
「ちょっと遅くなったけど、小隊結成祝い? ってことで」
「はい! 皆さんどこの出身なんですか?」
ドルトの問いかけに、口を開く者はいなかった。
今度は幹斗の方から助け舟を出したかったが、話題がよくない。
『地球の東京』だと言うわけにはいかないからだ。
幹斗の葛藤を読み取ったように、クシリナがぽつりと言う。
「……ここから南に進んだ場所にあった小さな村だ」
「『あった』ですか……」
「十年前の戦争で更地になった」
「……俺の故郷も滅ぼされたんで、お気持ちはわかります」
ドルトの表情は明らかに沈んでいる。
「……ソフィアンの実家は?」
ソフィアンには、少なくとも継ぐ家があることは分かっている。
だから、これ以上空気が重くなることもないはずだ。
「……西部だ」
「西の方かー。そっちもやっぱ砂漠なのか?」
「……緑のある平原だ。森もある」
――なんかソフィアンと初めて敵意のない会話が出来た気がする! これはチャンスだ!
「森なんてもうずっと見てないから、行ってみたいな! いつか案内してくれよ」
「……断る」
――うん、分かってた。もっと時間かけて仲良くなろう……。
「だ、だよな……。もし万が一気が向いたら頼む……」
再び鍋が火にかかる音だけが聞こえ始めた。
「そ、そういう隊長はどちらの出身なんですか?」
気分が持ち直したらしいドルトから問われて、幹斗は思考を巡らせる。
――ナイスフォローなんだけど、質問がな……。適当に答えるか?
「……隊長の出身地は極秘なんだ。私がお聞きしても教えてくださらない」
――クシリナ准尉、ファインプレーだ! マジありがとう!
「そうなんだよ。なんか秘密があったほうがカッコイイだろ?」
「ははは、たしかに! でも今度、酒でも飲みながら聞き出しますよ!」
「いや、まだ年齢的に酒は飲めないなー!」
「え、どうしてですか?」
「だって、法律的に……」
「ってことは、隊長、この国の出身じゃないんですね。法で飲酒の年齢を定めてる国、結構絞れそうですね」
――やばい、こいつ結構聞き上手だ。
「あー……どうだろうな?」
「図星っぽいですね!」
ドルトは不敵な笑みを浮かべて続ける。
「……まあ、今日はこのくらいにしておきます。シュメル二等兵の出身はどこですか?」
「……分かりません」
「分からない?」
「あー、なんていうか……」
幹斗はなんとかフォローを入れようと考えたが、浮かばないままシュメルに先を越される。
「……私は、戦奴でした。幹斗が、シュメルにしてくれたんです」
「戦奴……。なるほど」
――また空気重くなった。みんな辛い過去持ちすぎだろ……。ああ、でも――。
考えてみると、帰る場所がもう存在しないのは幹斗も同じだ。
――だったら、ソフィアン以外みんな結構似た状況なのかもな。
地球にいた時から、最低でも千年経っているという実感が、まだ沸かない。
ここが地球ではないということは、自分を地に引き寄せる重力の弱さを感じる度に認識している。
しかし、時間の経過に関しては、状況的な根拠しかない分、想像しづらかった。
――俺まで暗くなってちゃ駄目だよな。一応隊長だし。
「シュメルは小さい頃、高い岩の中にいたんだよな?」
「はい!」
「誰か、心当たりないか?」
「高い岩ですか。……もしかしたら、『崖の民』なのかもしれませんね」
そう答えたドルトに、幹斗は問いかける。
「『崖の民』?」
「はい。崖の岩を砕いて居住地を作る民族で、立体的な生活をしている分、バランス感覚や空間認識に優れているとか」
「なるほど! シュメルもそうだもんな!」
「俺もそう思いました。『崖の民』は機械への適正が高いんです。だから、戦奴にするために、かなりの人数が連れ去られたとか」
「ドルト、マジでありがとう! 凄い手がかりだ!」
「いや、そんな! それに、仮に『崖の民』だったとしても、正確な故郷を探すのは難しいと思います」
「どうしてだ?」
「『崖の民』は南にあった六つの国々にまたがって住んでいましたから」
「凄い広い範囲を探さないといけないってことか」
「それももちろんありますが、ご存知の通り、南では三つの大国と、亡国の残存兵たちが、泥沼の戦争をしていますから」
「あー、まあそうだよな……」
――完全に初耳だったけど、知ってたことにしておこう。
基地を少し抜け出して、探しに行ければと考えていたが、現状では難しいようだ。
「よし、おまたせ!」
そう言ったガロが、次々と木製の大きな椀を並べていく。
幹斗は溢れ出そうになった唾を飲み込む。
クリーム色に濁ったスープの下に、細めの麺がうっすらと見える。
その上には、肉厚のチャーシューと、刻んだネギが乗っていた。
欲を言えば煮玉子が欲しかったところではあるが、贅沢は言えない。
言えるはずもない。
そう自分を戒めながら、幹斗は椀を持ち上げ、スープを口へと流し込む。
滑らかな口触りと共に訪れた味は、濃厚だった。
化学調味料で誤魔化されたまがい物とは違う、店で炊き出した本物の香り。
幹斗が椀に備えられていた箸でチャーシューを掴むと、あっさりと崩れた。
あまりに柔らかなチャーシューを慎重に口へと運んだ瞬間、幹斗は祈るように目を閉じた。
――豚さん、この星にいてくれてありがとう……!
次いで麺を頂く。
密かに『バリカタ』を指定しなかったことを後悔していたが、どうやら杞憂に終わったようだ。
ここの店主、ガロは分かっている。
精通していると言ってもいい。
幹斗が翌日、いや、今晩再訪することを決意したところで、自分をじっと観察していた三人の視線に気がついた。
「えっと、みんなは食べないのか?」
「あ、いや、匂いが独特なのと、これの使い方が……」
ドルトは箸を握るように持っている。
「あ、それ箸っていうんだ。使い方はこう……」
幹斗の持ち方を真似るように、ドルトは箸を使う。
何度目かの挑戦で、ようやく一本の麺をすくい上げた。
「……え、これすげえ美味いじゃないですか! やばい、もっと一気に食いたいのに、全然掴めない。もどかしい!」
「だろ!? クシリナ准尉はどうだ?」
「……それでは」
ゆっくりと椀を持ち上げて、スープを一口したクシリナは、再度同じ動作を繰り返した。
「これは……! 美味しいです」
クシリナは椀を口に運ぶ度に、瞬きを繰り返している。
「よっしゃ! ソフィアンは!?」
「……分かったよ。食べればいいんだろ」
ソフィアンは器用にチャーシューを掴むと、口へと運んだ。
「……悪く、ない」
愛想なく言った口調とは裏腹に、ソフィアンの目元が明らかに緩んだのを、幹斗は見逃さなかった。
「いやー! 三人とも口に合ったみたいで良かったよ! シュメルはどうだ?」
シュメルは椀を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。
「……骨の、味がします」




