第十八話 逆転劇
幹斗の前には、自分の机と垂直に並んだ四つの机がある。
それぞれの机に備えられた椅子は、一つを除いて、シュメル、ソフィアン、ドルトが埋めている。
幹斗の小隊が編成されてから一週間、変わったことは三つある。
一つ目は、十二畳程度のこの部屋が、小隊専用として割り当てられたことだ。
「クシリナ准尉、あと何枚あるんだ……?」
二つ目は、背後に立つクシリナが松葉杖を必要としなくなったことだ。
「十枚です。模擬弾の補充申請書に、実弾の受領書、それから――」
窓からの光を背にしているため、クシリナの表情は見えないが、おそらくいつも通り冷静そのものだろう。
「いや、もう大丈夫だ。どうせあとで見るんだし……」
そういって幹斗は、鬱々とした気持ちのまま、自身の机に積まれた書類の山を見た。
これら全てに記載を行った自分を褒めてやりたい。
もっとも、サインなどの最低限、幹斗自身が記入すべき部分以外を、事前に完成させていたクシリナを前にしては、それを口にすることもできないが。
「隊長なんてやっぱ断っとくべきだったな」
変わったことの三つ目は、幹斗が隊長になったことを早くも後悔していることだ。
「これでも、以前に比べると簡略化されているんです」
「これ以上って、昔はどんだけ地獄だったんだよ……」
「三倍の量はありました。その分、確認作業も複雑で、不正の温床になっていました」
「うわ、めんどくさい上に意味ないとか最悪だな……まあその頃に比べれば今はマシってことか」
「はい。これはネイダー大佐が司令官に就任されてからの功績の一つですね」
「じゃあ、ちょっとは感謝しとくか。っても、現状がめんどくさいのは変わらないけど」
「ぜひ。それと、隊長が喜びそうなものが一枚ありますよ」
「え、俺が喜びそうなもの? 今までそんなの一枚もなかったぞ」
「スナイパーライフルの受領書です。実物は、格納庫に届いているそうです」
幹斗は跳ねるように立ち上がる。
木製の椅子と床が、がりがりと音を立てた。
「よっしゃ! みんな、見に行こうぜ!」
出入り口側の向かって右側に座ったドルトも、同じように立ち上がる。
「了解です! 実は俺、すごい退屈してたんですよ! 戦術書とか読んでると眠くなるし」
「まだ、演習場は使えません。この小隊の割当時間まであと二時間ほどあります」
クシリナの冷静な声に、ドアへと伸ばしていたドルトの手が止まる。
何かを訴えかけるようなドルトの視線に、幹斗は軽く頷いて答える。
「えーと、じゃあこうしよう。近くに街あるんだよな? そこに機械で昼飯食いにいって、時間が来たらそのまま演習場行こう」
「了解! 今すぐいきましょう!」
既にドアを半分開いているドルトの手を、クシリナは制するように言葉を発する。
「まだ、昼食の時間になっておりません。待機中とはいえ、軍務時間に私的な外出は、問題があるかと」
「……ボクも准尉の意見に賛成だ。馴れ合うつもりはない」
そう言ったソフィアンは、手前の左側の席に座り、戦術書に目を向けたまま、こちらを見ようともしていない。
ドルトは落胆の表情を浮かべながら、ドアをそっと閉めている。
「お、俺さ、最近、初給与支給されたんだよ! だから、みんなに奢ろうと思ってたんだ! っていうか奢らせてくれないか?」
「隊長のご厚意に感謝申し上げます。ぜひ、軍務後の夜か、非番の日にご一緒できれば」
ドルトは静かに席へと戻り、目を伏せながら腰をおろした。
――何か、何かないのか!? この劣勢を巻き返せる一撃……そうだ!
「ま、街が襲われることってあるよな? いや、あるはずだ絶対! だって俺一回遭遇してるし!」
「はい、ございますが」
「なら当然、救援に向かう任務につく可能性もあるわけだよな?」
「……はい、たしかに可能性はあります」
「それなら、基地からのルートと、街の構造を全員で把握し、共通認識を持っておくことで、いざという時、適切な行動を取れるんじゃないか!?」
「確かに、おっしゃる通りです」
「しかもだ、敵の襲撃はいつ起こるか分からない。そう考えると、一刻も早く備えておくべきじゃないか!?」
「……私の認識が甘かったようです。申し訳ございません。隊長」
「いや、良いんだ。ソフィアンも来てくれるよな?」
「……ったく、准尉まで丸め込まれやがって。……軍務なら行くしかないんだろう」
苦々しく戦術書を置くソフィアンの横を通って、幹斗はドアへと向かう。
既にドアの前で待ち構えていたドルトが歩み寄ってきた。
「隊長、さすがです! 見事な逆転でした! ほんとこの隊に来てよかった!」
「一人だったら多分、途中で心折れてた。ドルトもナイス!」
「ははは、光栄です!」
幹斗は頷いてから、すぐ近くに座るシュメルの肩を軽く揺すった。
「シュメル、飯食べに行こう」
シュメルは飛び上がるように立ち上がる。
「は、はい!」
目をこすりながらこちらへと振り返ったシュメルの姿に、幹斗は軽く笑う。
「もしかして寝て……」
言い掛けた幹斗は、言葉を止めた。
訝しげな目でシュメルを見る、クシリナの視線に気がついたからだ。
「ね、寝てたわけないよな、うん。ごめん、びっくりさせて」
「だ、だ、だ、大丈夫、です!」
「シュメルは何食べたい?」
シュメルは少しの間、考え込むように上を見つめると、何かを見つけたように口を開いた。
「骨以外が良いです!」
「ほ、骨……?」
「はい! 骨はあんまり食べるところがなくて、すぐに、お腹が空きます!」
元気よくそう言ったシュメルを、幹斗はまっすぐ見つめた。
「……一体どんな食生活を……。いや、良いんだ。今日はシュメルの好きなだけ食べて良いからな……」
* * * * * * * * * * * * * * * *
〈やっぱスナイパーライフルはこれが一番だよなー!〉
幹斗の機体は、銃身がこげ茶色のスナイパーライフルを握っている。
八キロほど先の切り立った崖へと発射すると、狙い通りの場所へと着弾した。
〈三連射ごとにコッキングが必要だけど、精度と威力が良い。最大で十キロくらい行けそうだな〉
それが、一発ないし二発で重量型の装甲を破壊することの出来る距離だ。
距離などの条件によっては、軽量型を一発で撃破することも可能だろう。
〈これ拾った時、テンション上がるんだよなー!〉
〈拾った時? どういうことですか?〉
ドルトからの問いに、幹斗は答える。
〈一機目は最速で倒したいから、短刀だけ装備してるんだ。遠距離武器が必要な時は、持ってる敵倒したりして拾うんだよ〉
〈なるほど! 隊長の機体くらい速かったら、そういうこともできそうですね〉
〈でも、小隊内に一人もスナイパーいないのはまずいから、とりあえず普段はクシリナ准尉に持ってて貰おうかな〉
〈はい〉
〈そのまま撃ってもらうのもありだし、場合によっては俺が借りるかも。そこらへんは臨機応変で〉
〈了解しました〉
幹斗は、クシリナの機体へと空中でスナイパーライフルを手渡す。
進行方向へと向きを変えると、黄色の腰に銀色のレイピアを装着したソフィアンの機体が見えた。
〈そういや、ソフィアンもついに近接装備したんだな〉
〈……ここ数日、『自分で考えて』使うことにした。誰かに言われたからってわけじゃない〉
〈それでいいよ。むしろ考えてくれてありがとな〉
〈……勝手に感謝するな〉
幹斗は通信機を切って、軽く笑った。
感謝までするなと言われてしまうと、どうすればいいのか分からない。
幹斗は気の利いた言葉を探して、結局見つけられずに通信機を再度つけた。
〈街、見えてきたなー! これがアタラかー〉
無装甲機の全速力なら、数秒で横切れてしまうほど小さな街だ。
周囲を囲った石造りの防御壁は、人の侵入を防ぐことは可能でも、機体であればまたぐことすら出来る程度の高さしかない。
幹斗は機体を防御壁の外側へと着地させ、ハシゴを下って自分の足で砂地に立った。
「よし、じゃあ行こうか」
開け放たれた門を抜けると、白い天幕で覆った無数の屋台が群をなしている。
「こんだけあると、何食べるか迷いそうだな」
「ないわけじゃないですけど、飯屋なら屋内の方が多いですよ。こっちです」
手招きしたドルトの方へと歩み出した幹斗の足は、地面を削るようにして止まる。
「ごめんドルト! なんか詳しそうだし、おすすめとか聞きたいけど、また今度頼む!」
――この匂いは、まさか!
本能に突き動かされる幹斗の足は、もはや駆け出す一歩手前だ。
鼻を頼りにたどり着き、木製のドアを勢い良く開ける。
よりいっそう強くなったその独特の匂いに、幹斗は確信した。
――とんこつラーメン!!
「あ、悪い、まだ開店準備中なんだ」
『そこをなんとか』と頼み込むために開いた口は、言葉を飲み込んだ。
「お前、生きてたのか!」
そう言って笑ったのは、この星に来て最初に出会った大柄な男だった。




