第十三話 価値あるもの
幹斗は、クシリナの腿の上にある、彼女の両手へと重ねかけた手を止める。
細長い指の間から流れ出ていく血を、せき止めようと思ったものの、それが正しい処置なのか分からなかったからだ。
「……俺に出来ることは?」
「上着を脱がしてくれ」
幹斗は頷いて、クシリナの上着のボタンを一つずつ外していく。
上から三つ目のボタンからは、服を引き寄せるようにして慎重にといた。
胸に触れたくないと言ったら嘘になるが、この光景では劣情など起こりようもないし、何より状況を利用しているようで気が引けた。
「この後はどうすればいい?」
クシリナの両手がふさがっている状態では、上着を脱がすことはできない。
クシリナは黒い上着の間から灰色のシャツをのぞかせた状態で、目を伏せる。
「……頭が回っていないようだ。すまない。手を離すから、代わりに押さえてくれ」
細い指が離れた直後に、幹斗は腿を押さえる。
生暖かい液体が幹斗の手を濡らしていった。
「このまま押さえてても止まりそうにないぞ!?」
「ああ。だから、その破片を引き抜いて、上着で足を縛ってくれ」
他人事のように淡々と言ったクシリナの顔は、先程よりも青ざめて見える。
「……分かった。ゆっくり引きぬくぞ」
「頼む」
幹斗は傷口を広げないよう細心の注意をはらって破片を引き抜いていく。
その状況下で声一つ上げなかったクシリナは、けれど目を強くつぶって、苦痛の表情を浮かべていた。
完全にあらわになった破片の先端は、徐々に細くなりつつ五センチほど突き刺さっていたようだ。
破片を投げ捨てると、床に置かれた上着を手に取る。
「傷口を覆うようにすればいいか?」
「いや、もっと上の付け根のあたりをきつく縛ってくれ」
幹斗は言われたように、クシリナの足の間に上着を通すと、二重にして縛った。
血の勢いが止まったのを確認すると、視線を上げる。
「良かった! 多分止まったみ――」
幹斗が口を開けたまま、しかし発するのをやめたのは、クシリナが銃を構えていたからだ。
「すまない。曹長」
その声が終わると、幹斗の顔のすぐ前で火が上がる。
一発目の発射とともに響いた銃声は、幹斗の聴覚を狂わせた。
幹斗は、二発目が発射されたのを、銃口から出た火だけで知覚した。
クシリナの口が動いているのは分かるが、酷い耳鳴りがするせいで声は聞こえてこない。
クシリナが銃を置いて、幹斗より後ろを指差したのを見て振り返る。
茶色の服を着た男が、コクピットの外で膝をついていた。
その男が倒れこむ直前に、肩と腹から血を流しているのを視認して、クシリナがその男を撃ったことを理解した。
「……長、聞こえるか? 曹長」
ようやく澄んだ声が聞こえはじめて、幹斗は大きく頷いた。
「聞こえた」
「すまないな、耳の近くで撃ってしまった」
「いや。それより撃たれたあいつは……」
「おそらく、先程の敵機に乗っていたパイロットだろう」
ゲームでは胸部を破戒すればそれで反撃されることはなかったが、現実はそうではないことを忘れていた。
クシリナが撃たなければ、二人とも死んでいたかもしれない。
「まずいな。一キロ以内にあと二人いるはずだ」
「早くここを離れた方がいい」
冷静に言ったクシリナは、何故か銃身を握って、持ち手の部分をこちらに差し出している。
「この銃と、ディスプレイの下にある袋を持っていけ。中に水と食料が入っている」
「ここが危険なら、准尉も一緒に逃げよう」
「駄目だ。私が行けば曹長の生還率が下がる」
「見捨てられるわけないだろ!」
「もう十分命を救われた。生き延びて、私の任務を果たさせてくれ」
「任務なんて知らねえよ」
「曹長の監視と、命を守ることが、大佐から与えられた任務だ。そして、後者の優先度の方が高い」
「監視……か。やっぱ完全に信用されてるわけじゃないんだな」
「そうだ。だが、その実力と人柄なら、必ず大佐の信頼を勝ち取れる。生きて帰れ曹長! 命令だ」
「准尉、半日一緒にいて分からなかったか?」
幹斗は、クシリナの左腕を肩に乗せて続ける。
「俺、命令に従うの苦手なんだよ」
クシリナの体を支えるようにして立ち上がった。
肩に掛かる重みは、予想よりも軽い。
「命令がだめなら、頼みでもいい。聞いてくれ、私が一緒では逃げきれない」
「追いつかれたら准尉が撃ってくれ。俺、銃の撃ち方知らないんだ」
そのまま一緒にコクピットを出る。
太陽は傾きはじめているが、日差しは依然として刺すような熱を伴っていた。
「スライドを引いて装填し、引き金に指を掛けるだけだ。腕を離してくれれば手本を見せる」
「必要ない。それより定期的に基地の方向教えてくれ。俺、実は方向音痴なんだよ。だから、准尉がいないと国境側に向かっちゃうかもしれない」
「……了解」
クシリナが諦めたように指差した方向に向け、幹斗は歩みだした。
クシリナの右足が進むペースにあわせて前進する。
「機体の徒歩って、人間の何倍の速度なんだろうな?」
それでも、この場所に向かって来ていた時よりもずっと良い。
目的の分からなかった行きに比べて、帰りは歩く理由がこの肩に乗せられているから。
* * * * * * * * * * * * * * * *
沈みかけた太陽が、空を赤く染めている。
機体に乗っていた時間以上は既に歩いただろうか。
そう考えた直後に、幹斗は思考を少し前の状態に戻す。
――話題、尽きたな。
最初の数時間は、敵が迫っているかもしれない緊張感や『敵影かもしれない』もののおかげで、話題を探す発想すらなかった。
しかし、それらが全て杞憂に終わってしばらく経った今は、無言で歩き続けるのが辛くなってきた。
必然性がないと無口らしいクシリナに対して、幹斗は何個か話題を振ってみたものの、ほとんど一問一答で終わってしまい、会話が続かない。
結果得た情報は、
クシリナの家族は『いない』、軍に入ってから『三年三ヶ月』
機体に中量型バランスタイプを選んだのは『汎用性があるから』
好きな食べ物は『野菜とパン』、趣味は『特にない』
といったものだった。
――とにかく、一言で答えられないような質問を考えないと。
そうしばらく考えて、思いついたのがこれだった。
「准尉はなんで軍人になったんだ?」
「ネイダー大佐に救っていただいて、あの方のように機械を操りたくて軍に入った」
「大佐が人助けか。なんかイメージ沸かないな」
「大佐は任務を遂行されただけだ。それでも私を救ってくださったことには変わりない」
――会話が続いてる! この調子だ!
「どうやって助けられたんだ?」
「十年ほど前、この王国は、すでに存在しない国と戦争状態にあった」
「なるほどな。その戦争で大佐に救われたのか」
「そうだ。その国の軍に私の村が襲われ、村人の多くが死に、生き残った者も奴隷か戦奴のどちらかになる運命だった」
「戦奴はそうやって無理やり連れ去られるんだな」
「多くの場合はそのはずだ。私もあのシュメルという子のように、戦奴になっていたかもしれない」
「そうならなくて良かったよ」
「幸運だったんだ。鎖を付けられて車両に乗せられる直前に、赤い機体が現れた」
「大佐か」
「ああ。その機体は、村を燃やし尽くした五つの敵機を瞬く間に切り裂いた」
「『切り裂いた』ってことは、大佐は近接タイプなんだな」
「そうだ。大佐なら、曹長とも互角以上に戦えるはずだ」
「ちょっと戦ってみたいな」
「それは許さない。もしそうなったら、私は曹長に向けて引き金を引く」
「准尉の射撃は正確だから危険だな。……まあ同じ軍にいる限り戦うことなんてないだろ。さっきの話に戻るけど、軍に入ったのはもっと後だよな? それまでどうしてたんだ?」
「赤い機体から出てきた大佐……当時のネイダー大尉に頼んで、基地の雑用として雇ってもらった」
「俺の星じゃ雇った方が捕まりそうだな」
「それでも街で残飯を漁るよりは良い。それに、機体が飛び立つ姿を毎日見られる基地は、私にとって最高の環境だった」
そう、郷愁のこもった表情で言ったクシリナの肩が震えているのに、幹斗は気がついた。
「日が落ちて寒くなってきたな」
言って幹斗は、手に持っていた自分の上着をクシリナの肩に掛ける。
「礼を言う。曹長」
「上着ぐらいで堅苦しいな。やっぱ准尉は真面目だ」
「上着以外も。……今日してくれたこと全てだ」
クシリナの体が傾いてゆく。
「おい」
幹斗が両肩を支えても、足から崩れていくクシリナの体は、地についた。
「私はここまでのようだ。大佐に『あなたの下で戦えて光栄でした』と伝えて欲しい」
「俺と一緒に帰還して自分で言え」
「正直、私も期待し始めていた。基地に戻って、また大佐のお役に立てるのではないかと。だがもう、怪我をしていない右足も動かせそうにない」
幹斗はクシリナに背中を向けると、片方の膝を地につけて、後ろに手を出した。
「だったら、ここからは俺が運ぶ」
風もなく、生き物もほとんど見かけない砂漠は、十秒ほど静寂に包まれた。
「……私の、胸が目当てか?」
幹斗は思わず振り返る。
クシリナの顔つきは相変わらず冷静そのものだ。
「びっくりした。准尉も冗談とか言うんだな」
一切表情を変えずに、クシリナは澄んだ声を出す。
「冗談ではない。朝も指摘したが、私の胸を何度も見ていただろう」
「いやまあ確かに見てたが、この状況で、さすがに胸目当てとかないだろ! 大体、目当てにするほど無さそうに見えたぞ。っていうかどっちかというと尻の方が……」
幹斗は言い掛けた口を閉じ、言葉を探す。
クシリナの目尻が、朝に指摘を受けた時より遥かに上がっていたからだ。
「ごめん、さすがの俺でも今のは失言だったって分かる。あと気づかれてたかどうか分からないけど、ずっと尻ガン見してた。マジで、すいません」
そのまま怒りがこもった瞳で見つめられること一分ほど、静まり返った状況に耐え切れず、幹斗は再び背を向ける。
「ほんと謝るんで、どうか乗っていただけないでしょうか? 帰りましょう、准尉」
少し間があいて、幹斗の両肩に手が掛かった。
「ありがとうございます! 准尉様! これからは心をいれかえて命令にもなるべく従います」
幹斗の耳元に、澄んだ音とともに、吐息がかかる。
「紀州幹斗曹長。訂正する機会を、一度だけ与える」
幹斗の肩に乗っていたクシリナの両手が、首の横を通って行く。
細い腕が組まれて、クシリナの上半身が幹斗の背中に密着する。
柔らかな二つの膨らみが、背中に押し当てられたのを感じた時、幹斗は口を開いた。
「クシリナ准尉、訂正させてくれ。目当てにするだけの価値がある」




