表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/39

19


 簡単な医療道具が置いてあるという部屋に寄り、木箱を持って、三人は食堂に入った。

 食堂には、まだ比較的たくさんの蝋燭が灯っている。


 リオネルは当初、少女の申し出を断った。彼女の身体が心配だったからだ。けれど引きさがる気配がなかったので、受け入れたほうが早くこの子を休ませることができると考えた。

 消毒用のアルコール液や、布を取り出し、少女はリオネルの手を取る。


 以前のアベルであれば、手当のしかたなど分からなかった。けえれどデュノアの館を出されてから、身体のあちこちに傷を作るようになったので、簡単な処置の方法くらいは見よう見まねで習得していた。

 それでも他人を介抱するのは初めてのこと。必死だった。


 そんな少女の姿を、リオネルとベルトランはまじまじと見つめる。

 明るいところで見れば、リオネルの手当てをしているのは、彫刻を思わせるような、美しい少女だ。

 少年の姿のときはひどく汚れていて気がつかなかったが、身なりを整え、白い夜着をまとえば別人のようだった。

 水色の瞳は蝋燭の炎に神秘的に輝き、肌はなめらかで、暗い部屋に浮かび上がるように白い。整った顔立ちは、熱で頬が紅潮しており、真剣そのものの表情でリオネルの手に薬を塗っている。耳より下ほどまでの長さの髪は、月明りを編み上げたような金色だ。

 細い肩には、ベルトランの上着がかかっている。夜着一枚の姿だったので、リオネルがなにか持ってくるように指示したのだった。


 黙々と手を動かしていた少女に、リオネルは声をかけられずにいる。

 すると、先に口を開いたのは少女のほうだった。


「あの……」


 視線を上げないままの少女に、リオネルは黙って続きを待つ。


「昨日、助けてくださったのに……ごめんなさい」

「昨日?」

「……街で」

「ああ、きみが謝ることはないよ。さっきは怖がらせてしまって、こちらこそ悪かった」


 正確には、昨日ではなく、三日前のことだった。アベルは、あれから二日以上眠っていたので、時間の感覚が失われているのだ。


「それに、この手は自分でやったんだよ」


 リオネルはそう言ったけれど、アベルはうなずかなかった。自分が剣を振り回したりしなければ、こんなことにはならなかったという気持ちもあったし、心のどこかで、この青年の優しさが怖かったからだ。


「……どうして、助けてくださったのですか? ここは、どこなのでしょう。あなたがたはだれ?」


 アベルは、先ほどからずっと疑問に思っていたことを口にした。

 一度にいろいろ聞かれて、リオネルはどこから答えようか逡巡する。

 少女が口にした最初の質問が、最も答えづらかった。


「助けたのは……。やはり、この話は明日にしないか。今夜は疲れているだろうから」

「…………」

「おれの名前はリオネル。この人は、ベルトランだ。きみは?」

「……アベル、です」

「アベル……」


 ベルトランは、その名を納得がいかないというように呟いた。アベルは男の名だ。

 けれどリオネルは笑顔で言う。


「アベル、手当てしてくれてありがとう」


 アベルは、そのとき、初めて顔をあげてリオネルを見た。

 二人の視線が絡み合う。

 しばらく見つめあったあと、アベルは紫の瞳から逃げるように視線を逸らした。

 リオネルに名を呼ばれて既視感があった。

 自己紹介をし、名を呼ばれ、生まれたときからそんな名前だったような気がしたことがあった。その名を呼んだのも、こんな、紫色の瞳の持ち主だった。

 陽に焼けて豪快な雰囲気のサミュエルと、白く秀麗な顔立ちと柔らかな物腰のリオネルでは、まったく印象は異なるというのに、どうしてか胸の奥がひりひりした。


 春の梨の果樹園。

 果たされない約束は、アベルの心に、優しい棘となって突き刺さっている。

 アベルは手当てを終えると、リオネルの手を放し、


「あまりこちらの手は使わないでください。大事にしていれば、治るまでにそんなにかからないと思います」


 と、小さな声で言った。リオネルが微笑む。


「お医者さんみたいだね」


 アベルは、自分が負った怪我の経験からそう言ったのだった。


「ありがとう。では、部屋に案内するから、もう休んでほしい」


 リオネルが立ち上がる。次いで、アベルも立ちあがろうとしたとき、しばらく感じていなかった眩暈に襲われた。


「アベル!」


 緊張の糸がきれたように、アベルはその場に倒れる。

 床に落ちる寸前に、リオネルはその身体を受けとめ、ベルトランに告げた。


「ドニを、呼んでくれ」


 長身の若者は指示されるより前に、すでに扉へ向かっていた。




 真夜中に呼び出されたドニは、少女の身体を診て、命に別状なしと診断した。


「しかしながら、動き回る体力は残されていません。剣を振るうなんて、もってのほかです。この少女を助けるつもりでしたら、決して今後、そのようなことをさせてはなりません」


 それとなくドニに非難されて、二人は肩をすくめた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ