レディ・キャサリンは下賤な男がお好き
「あら、レディ・キャサリンよ」
「こんなところによく顔が出せるわね」
キャサリンは陰口を叩かれても気にしない。そんなことを気にしていては、生きてこれなかった。彼女には守るべき者がいたから。
悠然と聞こえないふりをする。
ドレスが流行遅れであろうが、そんなことは関係ない。ここ数年は社交界から遠ざかっていたし、父親が死んでからは新調するお金がなかった。
それでもあえてこの集いに参加したのは、アシュレイの将来の為だ。
伯爵だった父の個人資産を残されたキャサリンだったが、真面目で善良な父親はそれ故に禿鷹どもに狙われ、秘書だったサレが辞めてからはその資産は驚くほど食い潰されてしまっていた。今では伯爵家の恥だと親戚に屋敷から追い出されたキャサリンは、アシュレイと共に近くの村で小さな家を借りて細々と暮らしている。
「レディ・キャサリンがどうかなさったの?」
そこにキャサリンを知らない夫人が加わる。地方出身で、今回初めて社交シーズンに参加した新妻なのだろう。
「あなた、知らないの?」
「何を?」
「仕方ないわ。彼女はまだ社交界に入ったばかりだもの」
「ええ。そうね。新しく入ってきたばかりなら知らないのもわかるわ。じゃあ、教えてあげないといけないわね。レディ・キャサリンはね、父親のわからない子どもを産んだのよ」
父親はわかっている、とキャサリンは心の中で反論する。
「えっ?!」
「元々、下賤な男がお好きだそうだし、子どもの父親もそういう類に違いないわ」
彼女らが暗に仄めかしているのは、高貴な務めを果たす貴族などの上流階級ではないという意味だったが、キャサリンは彼女らが言う通り、働く下賤な男が好きだった。
キャサリンが初めて恋人同士の口付けをした相手は村の少年だったし、初恋の相手は父の館で働いていた少年で、初めての恋人も父の下で働いていた人物だ。
子どもの父親は確かに下賤な男だったとキャサリンはご婦人たちの言葉に頷いた。キャサリンは文字通りの意味で子どもの父親は下賤な男だと思う。
招待もされていないのに館に押しかけ、入り込んできた男を下賤と言わずして何と言おうか?
キャサリンの父は紳士らしく、その無礼な男をもてなした。
その結果、その男は非礼でもってキャサリンの父に歓待の礼を行ったのだ。
思い出しただけで、キャサリンははらわたが煮えくり返りそうになる。
険しくなりかけた顔を気力でおしとどめ、キャサリンは待つ。下賤な男が現れるのを。
「そうね」
「それなのに、どうしてこんなところへ? どなたの招待かしら?」
「それはそうね。お父様も亡くなられて、伯爵家は親戚が継がれたのでしょう? それに、あんな破廉恥なことをしでかしたのだから――」
ある人物がこちらに向かって来たのに気付いたご婦人たちの姦しい口はピタリと止まった。代わりに思わしげに扇が動かされる。魅力的な異性には自分をよく見せようとしたいのだろう。
彼女らの行動にキャサリンは笑っているのが見えないように顔を俯かせる。
キャサリンの顔の中で唯一、見えている口の端がピクピクと痙攣しているのを、彼は確かに見た。
「レディ・キャサリン。そろそろ始まりますよ」
「わかりました。では、参りましょう」
馴染み深い彼のエスコートでキャサリンはここに来た目的を果たす為に移動する。
舞踏室の奥では主催者とその親族、そしてキャサリンが待っていた男とその親族が何かを発表しようとしていて、楽団の演奏が途切れていた。
「皆さん、この良き日にお集まりいただき、ありがとうございます。本日は我が娘と――」
静寂の中、主催者が娘の婚約を発表しようとしているところで、キャサリンの手にしていたグラスが床に落ちる音が響く。
注目を主催者から横取りしたキャサリンは「失礼。手が滑ってしまいましたわ」と詫びる。
「大事な娘さんがアシュレイの義理の母親になると聞いて、驚いてしまいましたの」
「レディ・キャサリン? 何をおっしゃっておられるかわかっておいでで?」
招待状を出してもいないキャサリンがここにいることに驚く主催者だが、それを問い詰めるほど馬鹿ではない。招待状を出していなくとも、招待状を貰った相手と来たのだと見当をつけたのだろう。
個人的な晩餐会でない限り、招待状を貰った本人だけしか出席できないというのはまずありえない。招待状は貰った本人とそのパートナー。そしてお目付け役など三人くらいは許可されている。
「ええ。娘さんが婚約なさろうとしているのがどのような男かご存じで?」
「勿論。パイパー卿は素晴らしいとは言い切れない男だが、それは誰にでも言えることでは」
主催者から身持ちの悪さで私生児を産んだことを当てこする言葉にキャサリンはニッコリと笑ってみせる。
「招かれてもいないのに押しかけて来て、我が家で狼藉の限りを尽くしたことをそんな風に言われたくありませんわ」
「私はそのようなことをしていない!」
キャサリンにとって下賤な男は無実を主張する。
「でも、アシュレイは貴方の子どもですのよ?」
「私は貴女には手を出していないから、貴女の子どもの父親にはなれないんだよ、レディ・キャサリン。そんなに我が子の父親を貴族にしたいのなら、相手と言葉を選ぶことだな」
「どのようなことをおっしゃられても、貴方がアシュレイの父親であることは否定できませんのよ、パイパー卿」
「わからないのか? 私は貴女の子どもの父親ではない!」
「それはそうでしょう。わたくしは子どもなど産んだことはありませんもの。産んだこともない子どもの父親がこの世に存在するはずもないでしょう」
「では、何故、私をアシュレイとか言う子どもの父親だと言い張るんだ?」
「それは貴方がアシュレイの父親だからですわ。我が家のメイドに紳士的ではないことを為されたのをお忘れになって?」
「何を言っているのやら・・・。スタッフワンド伯爵家は貴女を野放しにすべきではない」
「わたくしはもう、26です。一人前ですわ。――貴方のように招かれてもいない家に押しかけて、メイドに紳士的ではないことはいたしません」
「たかが使用人のことでしつこいぞ」
キャサリンが下賤だと思っている男は使用人は替えのきく使い捨てだと思っている傲慢な者だった。
「当り前ですわ。わたくしも父も我が家の使用人は、身分の違う相手からは雇っているわたくしたちが守るものだと思っていますもの」
キャサリンの父は真面目で善良だった。招かれざる客によって、メイドが乱暴されて孕まされたのを放り出したりはしなかった。
そんな父親を持ったことをキャサリンは誇りに思っている。
一人っ子だったキャサリンはそのメイドのことを姉と慕っていた。だから、憔悴した彼女が産後の肥立ちが悪く死んでしまうと、社交界へのデビューを取りやめ、残された赤ん坊を妹のように可愛がった。
赤ん坊が子守にも預けられるようになってから社交界デビューを果たしたが、その頃にはキャサリンが父親のいない子どもを産んだという噂が社交界に広まっており、キャサリンの社交界デビューは失敗に終わった。
それで良かったのだとキャサリンは思う。
アシュレイを可愛がれない男など自分の結婚相手にはふさわしくない。
持参金狙いの男など、更にお断りだった。
「その父親も死んだ今、貴女はただの元伯爵令嬢じゃないか」
伯爵令嬢なのか、元伯爵令嬢なのかで立場は一転してしまう。パイパー卿は伯爵より上の身分ではないが、元伯爵令嬢にすぎないキャサリンからしてみれば、身分は上だ。
しかし、許せるものと許せないものがある。
「それでも、貴方が我が家のメイドにしたことは到底、許せるようなものではございません!」
キャサリンはどうしても許せなかった。
姉と慕っていた彼女がされた仕打ちを。
恋人との結婚に躊躇っていたのはこの為だ。
いつか、姉と慕った彼女にした償いをさせる。それまで、自分は幸せをつかめない。
キャサリンから離れたところでも糾弾の声は上がる。
「その通りだ。お前が姉さんにしたことを許せるはずがないだろう」
そう言ってキャサリンに助力するのは、姉が乱暴されても、相手を咎めなかった主家に見切りをつけて出て行ったキャサリンの初恋の少年だった。
家同士のしがらみなど色々あり、咎めなかったというのは語弊があるが、彼はそう思っていた。
パイパー卿にとって、ここ数年で成り上がってきた商人であるケイブ・クラブスの存在は寝耳に水だ。
「何故、お前にそんなことを言われないといけないんだ、クラブス!」
「聞いてなかったのか? お前が乱暴したメイドは俺の姉だったんだよ!」
「何?!」
新進気鋭の商人であるケイブは今や飛ぶ鳥落とす勢いの持ち主だ。
投資や領地運営はともかく、商売に手を染めることを働くことだと忌避する貴族は昨今、落ち目となり、商人たちの影響は無視できないものとなってきている。商人からの借金でどうにかやっている貴族もおり、交換条件として娘を商人に嫁がせることすらある。
身分的にはパイパー卿より下だが、ケイブは無視できない人物になっていたのだ。現に主催者もそれが理由でケイブを娘の婚約発表の場に招いたくらいだ。
つまり、ケイブを怒らせれば、主催者は資金の融通をきかせてもらえなくなる。婚約が吹き飛ぶほどの影響力を持っているのだ。
「そして、あなたは旦那様に叱られたのを根に持って、キャサリン様が私生児を産んだという噂を悪意を持って流しましたね」
キャサリンをエスコートする男が口を開く。
彼はキャサリンの父の下で秘書として働いていたサレだった。サレは祖父を貴族に持つ紳士階級の出身で、父親の死後、身分が不安定になる恋人の為にキャサリンの父の伝手で銀行家となっていた。
だが、キャサリンは恋人がお金持ちになっても、結婚するまでは頑として融通してもらうつもりはないと、援助を断って細々と暮らしている。
「!!」
新鋭の商人ケイブだけでなく、銀行家にまで睨まれていることの重大さにパイパー卿も気付いた。彼ら単体でも影響力はあるが、二人が同じ目的で手を組んだのなら、婚約話どころか実家に圧力をかけることも容易いことだろう。
なんせ、商人は商人同士。銀行家は銀行家同士。利があるとなると一致団結するものなのだから。
だから、大貴族は親族や庶子を商人や銀行家にするか、商人や銀行家が仲の良い友人にいるか、その友人でいるかしているのだ。
「こんなところで言ったら、そのアシュレイがどうなるか、わかってて言っているのか?!」
自棄を起こしたパイパー卿は出生の秘密のせいで社交界で冷たい仕打ちを受けるだろう、子どもを引き合いに出す。
「アシュレイは俺が(わたくしが)(私が)守る((守ります))!」
三人の復讐者は異口同音にアシュレイを守ることを宣言した。
その夜の催しは主催者の娘の婚約発表会ではなく、レディ・キャサリンをはじめとした三人の復讐者の告発会として人々の記憶に残った。
サレ:苗字はウィップス。
多分、彼は名前通りの性格だと思います。
キャサリン父:真面目で善良。多くの人に慕われ、多くの人に騙される。それ故に人脈もあり、サレを銀行家に預けられる伝手も持つ。
パイパー卿:婚約は破棄され、使用人を守るべき家族と認識する古き良き考えを持つ貴族からは忌避されて(社会的抹殺)、この騒ぎを伝え聞いた被害者が恋人や家族に告白した為、月のない夜の翌朝に路上で発見される羽目になる。
キャサリンたちの復讐法は貴族らしくないが、公表することで出生の秘密を知ったアシュレイが復讐に走る必要がないようにした。




