真夜中のワンウェイドライブ
連日続く熱帯夜。
けれどパワーウインドウを下げて、匂い立つような湿った空気を車内に迎え入れても、男はそれほど不快じゃなかった。
深夜の静けさが暑苦しさを軽減させていたからだ。
走らせている車の目的地はゴミ置き場。
それも集積所などではない、普通に誰でも利用する、所謂近所のゴミ置き場だ。
ただ、この運転手の近所ではないだけで。
深夜に車を走らせてそんな場所に向かっていると言えば、積み荷の中身は推して知るべしだ。
普通じゃない臭いを放ち始めた生活ゴミや、あまり人には見せたくないガラクタ、捨てるのに手間が掛かるゴミが段ボールの中に押し込めてある。
車内には分別が大の苦手な男と、目的地で降ろされる運命の無機物のみ。
仲良く深夜のワンウェイドライブだ。
ちょっと良心は痛むが、近所に捨ててモラルや嗜好について文句を言われたくない。
誰が捨てたか判らないゴミは、いつか誰かが適当に処理してくれる。
次第に小さな良心も麻痺して、すっかりこのドライブにも慣れてしまった。
今の彼の頭の中は、このあと始まる深夜アニメのことで占められている。
青春時代からずっとウォッチし続けている漫画が久々にアニメ化された。
戦記ものやダークファンタジーが好みだが、中でもこの作品は群を抜いてエグい。
毎分血が流れる残酷描写、主人公は生まれた瞬間から反則級の業を背負い、人間が思い付く限りの惨憺たる経験をし尽くす。
その状況を恨み、怒りつつ、力づくでその運命に立ち向かう主人公の圧倒的な強さに、彼は惹かれ続けている。
今の自分には絶対的に足らないものだから。
CGは好みじゃないけど、低予算であのスペクタクル感を出すためには致し方ない。
原作とは順序も違うがそこは予測済みだし、それコミで楽しめないならアニメなんて見るべきじゃない。
お気に入りの原作をどんな味付けで映像化してくるのか見ものだし、知っていてももう一度あのストーリーをなぞるだけでも時間を忘れられる。
壮大で残酷なこの作品の悲しさと美しさを表現したみたいなエンディングもなかなかいい。
歌っているのがお気に入りの歌手だし。
さっそくダウンロードしたその曲は車窓から外へ流れて、気温を0.3℃くらい快適に近づけている。
そのメロディーを鼻歌で歌いながら、ウインカーを出してハンドルを切った。
こんなことを繰り返すのも、もう何回目だろう。
車で15分ほど離れたゴミ置き場で、なるべく人目に付きにくい、そういうことをしても目立たないくらいマナーの悪い場所を数カ所覚えた男は、ローテーションで前回とは違う場所に向かう。
目的の場所に着いて、助手席で相棒を勤めていた立方体を抱えると、素早く事を済ませることだけに集中してドアを開ける。
が、腕の中の物を置くスペースを探そうとして視線を移動させた瞬間、とんでもないものが目に飛び込んできた。
周りに置いてある無機物とは一線を画する雰囲気を立ちのぼらせる有機物。
人、だ。
周りの無機物は電力さえあればまだ動くかも知れなかったが、皮肉なことにこの存在感のある有機物はもう二度と動かないだろう事が、一瞥しただけでうかがえた。
はだけたシャツの奥に見える黒っぽい模様は、肉の裂け目。
それらは規則正しく縦横に並んでいて一種幾何学的な模様を形成していたが、それは衣服ではなく、皮膚に直接つけられている。
人形にイタズラが施されているんだろうと、いやそちらの可能性を信じたくて男は身を乗り出し、至近距離でその人だったモノを確認した。
食い入るように見つめていて、気が付けば、傍らに自分が持ってきたガラクタが転がり出ている。
いつどこで手に入れたのかも思い出せない、やけに間の抜けた顔が売りのクマのキャラクター人形を目にした男の耳に、俄かに、だんだんと近づいてくるように、心臓の音が大きく鳴りだした。
やばい、やばい、やばい、やばい。
死体だ!
死体なんぞ見つけてしまった!!
第一発見者だ!!
そこから男は混乱状態になり、激しく狼狽した。
普通なら警察や救急車を呼んで事情を話すのだろうが、何しろ男にはやましい事情がある。
何故この時間にこの場所に居たのかを説明することは、彼の少し恥ずかしい趣味や、今まで重ねてきた不法投棄を明かすことにもなる。
それが今の彼にとってはものすごく重大な問題に思えた。
通報を躊躇した男は、とりあえず長居は危険だと判断して、零れ出たガラクタたちをかき集めた。
震える手で箱に戻し、戻しそこねて転がり出たものをまた拾い入れる。
それを抱えてつんのめりそうになりながらもドアを開け、なんとか助手席に戻すと車を発進させた。
そして住宅や店から離れた脇道に入って、車を停止させた。
車内に流れ続けている物悲しげな音楽が耳触りに聞こえて、offのボタンを押す。
心臓はさっきよりも奇妙な震え方をしていて、静まる気配は無い。
それは気持ちも同じだった。
死体
恐らくは殺されたであろう刺殺体を間近で見てしまった。
グッとうねるように込み上げてきたものを、慌てて窓の外に吐き出す。
刃物の形に空いた穴から覗いた、熟れ過ぎてただれたようなどす黒い肉を思い出して、続けざまに上がってきた波をもう一度吐く。
アニメでもテレビでもない、どうにも抗うことのできないリアル。
さっきまで自分が仄かに憧れていた殺戮の世界が、一気に陳腐に色褪せた。
男だった。
血は出てなかった。
あのまま朝になって、誰かが発見したら大騒ぎになる。
そういえば、俺は自分のゴミを全部回収しただろうか。
このまま逃げたら、いつの間にか俺が容疑者になったりしないだろうか。
思考が落ち着きなくあちこちに飛ぶ。
箱の中のガラクタを一通り見てみたが、そもそも捨てるものを選んだ時に、特に厳選したわけでも、リストアップしたわけでもない。
それで全部なのか、何か足らないのか、判断できなかった。
大きく息を吐き出してハンドルに突っ伏す。
口の中の苦い味を飲み込み、口元を拭った。
どうするべきか…思い浮かんでいる選択肢は2つ。
ある程度咎められるのを覚悟して通報するか。
このまま何も無かったことにして帰るか。
今の気持ちとしては後者を選んで、すぐさま安全な部屋に閉じこもってしまいたかった。
大変なものを見てしまった恐怖と、いきなり引きずり込まれてしまったこの非日常から、とにかく早く遠ざかりたかった。
思い出したり、深く考えるのも物凄く嫌だ。
いい加減脂の乗り切ったオッサンだが、それだけで泣きそうになる。
けれど、そうして逃げたところで、更にたちの悪い疑心暗鬼に陥るのは目に見えていた。
不法投棄でもチクリと痛む良心が、死体遺棄などというメジャーな重罪に耐えられるはずもない。
それに死体は他殺体だ。
殺した犯人が存在する。
死体を発見した、という関わりを持ってしまった以上、もう身の安全に絶対はない。
周りの誰かも判らない、いつどこから現れるか知れない犯人の影に怯えることになる。
やっぱりこのまま帰るなんて無理だ。
警察にいろいろ話して、そのために味わうことになる恐怖感、屈辱感、閉塞感を思うだけでも2、3キロ痩せられそうなくらい陰鬱になるが、命が危ぶまれる状況だ。
背に腹は代えられない。
男はもう一度大きく息を吐いて、ポケットから端末を取り出した。
一生押したくないと思っていた1、1、0の数字を押す。
その並びを画面で見て『この顔にピンときたら110番』のポスターを思い出した。
ほんの5分まえまで、あんなものはネタか別世界の話だと思っている側だったはずなのに。
今日、あの場所を選んだばっかりに。
自分を呪うかのようなため息がまた出た。
迷いを振り切って通話ボタンを押す。
ほぼノーコールで電話はつながった。
「はい、警察です。事件ですか?事故ですか?」
事件です。
言おうとしたのにうまく声が出ない。
代わりにヒューという風切り音がして、その次にゴプッと液体が溢れるみたいな音か聞こえた。
その音が自分の喉から出ていると気付いたときには端末は取り上げられ、通話は打ち切られていた。
「なんだー…期待ハズレだな。このままおうちまで招待してくれるのかと思ったのに。警察と話なんかしたって楽しくないよ。」
軽く、友達と話すみたいな声がした。
そっちを向こうとして首が動かないことに気づく。
「あはは、動けないでしょ、ナイフ刺さってるからねー。もしかして、まだ気づいてなかった?」
バックシートから身を乗り出してきたのは若い男。
それを認識して、その言葉を理解すると同時に喉から焼け付くような痛みと生暖かい血液が溢れる感覚にパニックになる。
慌ててナイフを抜こうとすると、男の手がそれを阻止する。
ゴフっ…ゴボっ…
叫びたいと、呼吸したいと思っても聞こえてくるのはそんな音だけ。
溺れているときのように苦しい。
ありえないくらい喉が痛い。
なにが、どうなってる?
こいつはだれだ、いつのまにうしろにいた?
うそだ、こんなの、こんなふうにとつぜん、すべておわるものなのか?
イヤだ…
イヤだイヤだ、イヤだ!!
もがいて、男の手を外そうと引っ掻いたり殴ったりしてみるけど、その手は外れない。
それどころか、喉に刺さっているナイフに響いて自分に更なる激痛が走る。
「フフ…僕ね、この瞬間の君たちの表情が一番好きなんだ。焦って、戸惑って、混乱して、怒って、抗って。文字通り必死…こんなカオ、一度見ちゃったらもう引き返せないんだよ…知らなかったときと同じには。だから、きちんと君たちの痛みや怒りも受け止めるからね。」
言われてそいつの腕を見た。
びっしりと、まるで生き物が巻きついているかのような傷痕。
古いもの。
治りかけのもの。
そして今、俺がつけている真新しいもの。
そいつの腕からも血は流れているのに、その表情はうっとりとして微笑んでさえいた。
ああ。
こいつがマッドな殺人者か。
逃げたり怯えたりするヒマもなく、もう俺をロックオンしていやがった。
そして、俺もあの死体と同じ運命を歩むのか。
そいつの薄ら寒い表情を前にして、抵抗するはずの力が消えていく。
「そうそう、いい子だね。今外したらフロントガラスが見えなくなっちゃう。大丈夫、あとで君もキレイに仕上げてあげるからね。」
あのアニメの主人公みたいに強そうな見た目とは正反対。
どちらかというと弱そうに見える。
色白で髪は長めで、地味な格好。
20代、もしかしたら10代か?
けれどこちらを見ている、切れ長の目が、すべてを物語っていた。
黒く、底の見えない淵を思わせる、闇の色。
その黒目が、まるでカメラのレンズみたいにこっちに向けられている。
レンズ穴の底には、興味、悪意、好奇、義務、欲望がドス黒く渦巻く。
機械的に、一瞬たりとも外されることなく、記録されている。
相手は、捕食者。
自分は、被捕食者。
越えられない壁を、ぐうの音も出ないほど、思い知る。
苦しいのかどうか、だんだんわからなくなってきた…
はあ…マジか。
こんなあっけなく、なんの脈絡もなく、人生詰む…
そこで男の意識は途切れた。
それを見ていた男は満足そうなため息を、ひとつ吐いた。
「恐怖して、全部あきらめて、僕を受け入れてくれたときのカオも、格別なんだよね…」
男は助手席のドアを開けて、シートに鎮座していたダンボールを勢いよく蹴りとばした。
中に入っていたクマのぬいぐるみもガラス類もそのほかのゴミも、派手に道の上に散らばった。
あたりはすぐにシンと静まり返って誰も気づくものはない。
男は特に気に留める様子もなく、バタンとドアを閉めた。
空いたシートに息絶えたばかりの男を移動させる。
そしてヘッドレストに血が染み込んだ運転席へ滑り込む。
おもむろに、助手席の男のポケットを探った。
手にした財布を広げて免許証を取り出すと、ナビでその住所を確認する。
免許証と財布をしまい、助手席の男にシートベルトをカチリとはめる。
「帰りは僕が運転するからね。」
返事をするはずもない男にニッコリと話し掛けた男は、周囲を見渡してから車を発進させた。
車は元来た道を進む。
行きとは違う人数を乗せて。
運転手はカーステレオをonにした。
さっきの歌の続きが流れ始める。
行きと同じように、運転手の鼻歌も聞こえ始めた。
住宅街に入ってしばらくしてからスピードを落とした車は、パワーウィンドウを上げて音楽を車内に閉じ込める。
そして、薄汚い木造アパートの前で止まった。
車の中からその建物を見上げた男は、楽しそうに表情を輝かせた。
「へぇー、ここが君の家『裏野ハイツ』か。なかなかいい感じだね。えーっと…102号か。一階で助かるよ。ちょっと待ってて、何か君をくるむもの持って来るから。」
そう言うと男はエンジンを切って、キーを抜く。
そのキーと同じリングに繋がっている部屋の鍵を確かめてからドアを開けて車を降りた。
他の部屋にも灯りは点いていなくて、あたりはひっそりとしている。
男はポケットの中のもう1本のナイフに触れてからガチャっと鍵を開けると、102号のドアを開けて中へ入った。
玄関の壁についている古臭いスイッチを倒すと、散らかった部屋が目の前に広がる。
男はナイフに触れながら瞳を素早く動かして、中の様子を確認すると後手に玄関を閉めた。
警戒を継続させたまま靴を脱いで部屋に入ると、全てのドアを開けて間取りを把握した。
そこまで終わって、やっと警戒を解く。
そして、床に落ちていたクマのキャラクター柄のブランケットを拾いあげると、車に戻るために玄関に足を向ける。
が、ふと、テレビの下のレコーダーが録画中であることに気づいた。
レコーダーとテレビの電源を入れる。
ほんの数秒のラグのあと、テレビにはアニメが映し出された。
助手席で眠る男が楽しみにしていた、あのアニメだ。
「わあ、コレ僕も見たかったんだよねー。でも先週、第1話見逃しちゃってすごく悔しかったんだ。あ、1話も録れてる!あはは、嬉しいなー。あとで一緒に見なくちゃね。」
主人公が容易く投げたナイフがウサギに刺さり、画面いっぱいに喉から血を滴らせる、餌食となったウサギが映し出された。
それを見てフフフ、と笑いを零した男は立ち上がり、満足げに部屋を見渡した。
「僕、ここ気に入っちゃったなー。ちゃんとお風呂もあるし、彼とは趣味も合いそうだし、雰囲気も、創作意欲掻き立てられちゃう。あ、そうだ。駐車場がどこかもこのアパートの誰かに教えてもらわなきゃいけないし、彼もひとりじゃさびしいよね。」
嬉々として呟いた男は、ブランケットを手に玄関を出て行った。
部屋には、金属音と呻き声と剣が肉を割く音がテレビから流れ続けていた。
去年、某歌手のMVに刺激されて書いた話です。
提出期限に間に合わなかったので今年になってしまいました。
裏野ハイツの設定やアニメの後付けがどう影響しているか心配ですが、サラッと短く終われて良かったです。
お読みいただき、ありがとうございました。




