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八百万物語 ~二世の契り~  作者: 哀ノ愛カ
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君が世

脇役二人のお話です。

 



 君が世





 引っ叩かれた頬がじんじんと痛む。

 手首を握る彼女の手が熱い。

 そんなことを、頭の隅で考えながら俺は引っ張られるまま百瀬千花についていった。

「ああ、気持ち悪」

 大学院棟と学部棟をつなぐ吹きさらしの渡り廊下まで来ると、百瀬はパッと手を離し、その手をスカートで拭った。

「ひどっ」

「てかさ」

 俺の悲痛な呟きを瞬殺し、百瀬は勝手に話を始める。

「もう、夏希に近づかないでくれる?貴方じゃ役不足なの。分かる?意味」

 役不足・・・本人の力量に対して役目が軽過ぎること。反対の意味に誤用されることが多いので注意。

「意味を理解していないのはあんたの方―――」

「とにかく、貴方はお呼びじゃないから」

 一方的に話を切ると、百瀬は来た道を戻り出した。その背中に向けてずっと思っていた疑問を投げ掛ける。

「何で、あの二人にそこまで拘るんだ?」

 厳密に言えば、あの二人が結ばれることに、だ。

 百瀬は足を止めると、振り返って「それは貴方も同じじゃない?」と、投げ返した。

「はあ?」

 そんな当たり前のことを。

 俺は夏希が欲しい。それを邪魔する政文が憎い。

 そういった至極当然の理由があるから、あの二人に拘っている。

 そう、もうずっと前から、あの二人に・・・。

「でもね、貴方が彼女としあわせになることなんて有り得ないよ」

 素っ頓狂な声を出した俺に、百瀬は続ける。

「そういう仕合わせなんだから」と。

 (はた)から聞いていれば全く不明な言葉だろうが、百瀬の言わんとしている意味は何となく分かった。

 と、同時に気付かされる。

「なるほど、そういうことか」

 全てが判った途端、急に笑いが込み上げてきた。

「いや、分かんなかったよ。あの二人は直感的にさ、感じ取れたんだけど。それに、あの茶道部の女も、何てったって俺の妻だったんだからさ!でも、あんたのことは興味が無さ過ぎて、ホント、もうぜんっぜん、気付かなかった!」

 (えにし)が深ければ深いほど、執着があればあるほど、そういうことは何となくでも分かるものだ。

 いろはちゃんに激似のあの女だって、直感的に感じた。

 恐らくは福永有も・・・。

 しかし、半年間も一緒にいて、幾度となく口喧嘩をしたというのに、百瀬千花の正体には気付かなかった。図書館へ行くための通路で対峙した時ですら、この女のことは脳裏に引っ掛かりもしなかった。

 でも、この女はずっと俺を分かっていた。

 そのことが無性におかしくておかしくて、笑いが止まらない。


 憚らない笑い声が校舎に当たって反響する。

 その音がいかにも不愉快だと言うように、百瀬は「うっさ」と吐き捨てた。

 でも、その目を見た瞬間、違う種類の笑みが心の奥底から湧き上がり、声に出すのを止めて口角を上げる。

「それで?あんたはどうしたいわけ?二人がくっつけばそれで満足か?それとも今度は本当に俺を殺す?」

 すかさず飛んできた鋭い視線にある種の興奮を覚える。この身体(からだ)には刻まれていないはずの傷が疼き出し、左足が引き攣る。

「なあ!?」

 挑戦的な態度で一歩前に踏み出すと、後頭部に鈍い痛みが走った。

「って!」

「吉津君、あんまり女の子を困らせちゃダメですよ?」

 後ろを振り返ると安住信がバインダー片手に苦笑いしながら立っていた。

「先生、気にしないで下さい。この人、ただの厨二病なんで」

「そう?じゃ、僕はこのまま行くけど、何かあったら相談してね」

 安住は柔和な笑みを浮かべると、そのまま大学院棟へと消えていった。

「なあ、あいつ、いつからいた?」

「いきなり笑い出したところから」

 最悪だ。

 一気に興が削がれ、俺は落下防止の柵に身体を預けると、煙草を一本取り出した。

「ここ、禁煙なんだけど」

「いいだろ、別に。一応屋外なんだし」

 大学院棟と学部棟を結ぶ廊下は廊下というよりもはや橋だ。申し訳程度の屋根は途中で作る気がなくなったのか老朽のためか、中程までで終わっているし、もちろん左右に壁などなく吹きさらしの状態だ。

 だが、三階に取りつけられたこの橋から見渡す景色は思いの外良く、俺は結構気に入っている。

 特に西の空に沈んでいく夕陽は格別に綺麗だ。

 今もまさに熟れた太陽が山際に落ちようとしているところだった。

「あっそ」と言って去ろうとする百瀬を呼びとめたのは、この光景を彼女にももう少しだけ見せてやりたかったからなのかもしれない。

「何?」

 不機嫌そうに問う百瀬に、「『君が代』の意味って知ってるか?」と質問した。

「貴方の世がずっと繁栄しますようにって意味でしょ?戦前は天皇家の世について言っていたから、今問題視されていて・・・って安住先生が授業で言ってたんだから知ってるに決まってるんですけど」

 百瀬は案の定真面目に答えて、怪訝な顔を向けた。

「安住の馬鹿の話は置いといてさ、」

 煙草の煙を吸い込んで一気に吐き出す。

「あれは、一説では挽歌だって言われてんだ」

「挽歌って、万葉集とかの歌の種類だっけ?」

「そう、人の死を悲しみ悼む歌」

 言った瞬間、相手が興味を持ったのが分かり、胸が高鳴った。

 話のネタは正直何でも良かった。「君が代」に触れたのは、先程安住と出会ったからで、特に理由はない。

 ああ、でも。

「そういや、織田信長も詠ってたな」

 唐突に、そんなことが思い起こされ、口をついて出た。

「信長が?でも、それはあれなんじゃない?「君が代」は中世の頃には庶民にもだいぶ広まっていたって安住先生が言ってたから・・・」

 何でもかんでも安住の引用なのが気に食わないが、まあ許してやることにする。

「そう、あんたも知っての通り田楽・猿楽・謡曲とかにも変形されて使用されてたし、「宴会の最後の歌」「お開きの歌」「舞納め歌」で詠われるのは当たり前だったから不思議じゃないって言えば不思議じゃないのかもしれない。でもな、」

 遥か昔の記憶を辿りながら、夕陽に目を細める。

「浅井を滅ぼした後の祝宴で、あの人は『死者に贈る』と言って詠ったんだ。あの時は皮肉だなと思って聞いてたけど、今から思えば・・・」

 その時、冷たい視線を感じて横を見た。

 傍らに佇む百瀬が「それってどの文献に載ってることなの?」と言わんばかりの態度でふんぞり返っている。

 頑なに認めようとはしない彼女の姿勢に呆れながらも、まあ、いっかと溜息を吐く。

「要するに、『君が代』は死者を弔うために詠われたものだってこと。原型としては「君が代は」じゃなくて「我が君は」だったらしいけど。昔の人がある王の死を悼んで詠ったんだろうな。常世では永遠に貴方の栄華がありますようにって」

 百瀬は俺のすぐ横まで来ると「へえー」と言って柵に両腕を乗せ夕陽と向かい合った。

 横目で盗み見た彼女の顔は赤に照らされてとても綺麗で――――そんな風に思ってしまう自分に心底参った。

 綺麗だなど、あのひと以外に抱いたことはなかったというのに。

 どうして――――。

 それに思い当たる理由を薙ぎ払い、俺は再び夕陽の方へと視線を戻すと、無理矢理話を続けた。

「それから、その王っていうのは今の天皇家とは全く関係ないんだとよ。大和朝廷ができる前の九州王朝の王に詠まれた歌だって言われてる。そう考えると『君が代』が国歌って笑えるよな?」

 沈みゆく赤い塊に向って笑い飛ばすと、百瀬が前を向いたままぼそりと呟く。

「それが事実かは置いといて、もしそうだとしたら――――」


 ――――美しい


 この話をして面白いと評する奴は結構いた。

 でも、美を語る奴には出会ったことがない。

 まじまじと彼女を見つめると、燃えるような赤を湛えた瞳がぶつかる。

「だって、自分達の祖先が滅ぼした敵国の王に祈りを捧げてるってことでしょ?懺悔か哀れみか知らないけど、ずっと鎮魂を願ってその王を讃えてるとか。その歌を詠った人がどんな人かは今となっては分からないんだろうけど、詠み人の願いはある意味叶ってるよね。千代に八千代に・・・数千年もの間、人々に詠まれ親しまれ、今や国歌にまでなってんだからさ。その王の栄華は今もずっと現世(・・)でも(・・)続いてるんだよ」

 その解釈にはさすがに薄ら寒さを感じた。

「日本人らしくて美しいよね!」

 そして、そう言ってのける彼女という人間に恐れを感じる。

 素直に純粋に、さもそれが当然で善と疑わない彼女はきっと、無自覚に狂っているのだろうと思った。

「あんたってさあ、本当にこれから俺をどうするつもりなわけ?」

 百瀬千花から離れた方が良いという警告が頭の中で回る。でも同時に、離れがたくて仕方がない。

 いっそうのこと、あの(・・)()のように殺してしまおうか。

 夕陽の赤と血の赤が混じって、今ならきっと美しく死ねる。

 まあ、こんな狂った思考の持ち主が彼女をどうこう言えるものではないが。

「しあわせにしたいだけよ?」

 彼女は小首を傾げてにんまりと笑う。それは冗談のように見せかけているだけであって、その実は本気なのだろうと思われた。

「前世で会った時は分かんなかったけど、千歳あんたは―――」

 直後、柵から離れて彼女は腕を組むと、俺を思いっきり睨みつけた。

「調子に乗らないでくれる?」

 そして、

「死ね、厨二病」

 辛辣な言葉が耳に届いた。

「はあ!?あんたって、ほんっと歪んでるよなぁ」

「どこが?」

 本当に、全く、全然分からないといった様子で返す彼女に、呆れと恐怖を感じる。


 強者か、狂人か。


 恐らくはその両方を兼ね備えている。

 こういう無意識に強くて狂っている奴ほど『逃げる』という選択肢を持たないものだから、扱いに困る。

 自分とは違い過ぎていて。

「ホント・・・自覚のない狂者は(たち)が悪い」

 思わず口に出た呟きを彼女は完全に無視した。そして、もう俺には用はないとでも言いたげな(しゃく)な態度で、大学院棟へと去っていくのだった。



 山際に残る弱々しい光が俺を笑いながら落ちていく。

 指に挟んでいた煙草はすっかり短くなっており、俺はそのままそれを(てのひら)で握り潰した。

「俺、何でこんなことしてんだろ・・・」

 時を超えても巡り合い、再び恋に落ちたあの二人は眩しくて、百瀬の言う通り、そういう仕合わせなのだろうと思えた。

 ならば、時を超えてまで敵わないそして叶わない相手を前に四苦八苦する自分は、どういう仕合わせの元に生まれたのだろうか。


 ――――しあわせにしたいだけよ?


 ふと、百瀬の言葉が思い起こされ、視界が滲んだ。

 そう言ってくれる人がいるなら、もう、過去の因果などは忘れて、吉津秀彦として生きてみるのも悪くないのかもしれない。


 無自覚な狂者に惹かれる自分も狂人であることには違いなく、案外お似合いだと思ってしまう。彼女との未来を、描いてしまう。

 そんな今の自分は――――

「ヤバい。これって結構・・・」


 幸福(しあわせ)かもしれない。




 *         *           *




 四百年前――――

 北近江小谷城本丸、渡り廊下にて。


 振り下ろされた刃を着物の袖で受け流し、相手の足を(すく)って仰向けに転ばせる。重い甲冑が床を打ち付け、その衝撃に男が顔を歪めた。

「無様だな」

 馬乗りになり、剣の切っ先を喉元に突き付けて見下ろす。

 明らかに優勢なのはこちらだ。

 それでも、

「良い眺めだ」

 男は余裕を崩さない。

 さすがは織田信長の懐刀と言われるだけのことはある。だが、品性も知性もないこの獣には、力づくでも思い知らせてやらねばなるまい。

 今はどちらが上なのかを。

「男の強がりは醜いぞ。それとも阿呆だから状況の判断も付かないのか?それなら足りない頭でよく考えろ。お前の命は今誰の手の内にある?」

 脅しのつもりで僅かに刃先を喉に食い込ませれば、薄っすらと滲んだ血が首筋を流れ落ちていく。

 しかし、依然として男は動じない。恐怖の色も見えない。それどころかどこか愉しげな様子で言葉を紡ぐ。

「俺をここまで追い込むとは大したものだ。まあ、ただの侍女じゃないことはあの時から分かってはいたがな。俺も阿呆じゃあない。一度きりとはいえ、そういうことは分かるものだ。あんたは些か硬かった」

 そう言って、男は口を弓なりに上げてみせた。

 羞恥か憤怒か、どちらの感情が私を突き動かしたのかは分からないが、瞬間的に男の頬を叩いていた。

「おいおい、感情を露わにして取った行動がそれか?なぜ、喉を切り裂かなかった。ああ、そうか・・・」

 ぽつりと、

「あんたは、まだ俺を好いてるんだな?」

 男は言う。

「私はお前などっ!―――ひゃっ」

 その時、はだけて露わになっていた肌をつうっと指でなぞられ、すかさず口にしようとした反論は悲鳴へと変わった。

 その隙を男は見逃さず、形勢は一気に逆転してしまう。手にしていた短剣は払い除けられ、立ち上がった男に壁際まで追い込まれた。

 太刀の刃先が(おとがい)に当てられる。

 そのせいで、立つことも下を向くことも許されず、ただ黙ったまま相手を睨みつけることしかできない。

「その目を見れば分かる。俺だけを引き止めたのは嫉妬からだろう」

 分かるなど、気易く言ってくれるな。

 私の気持ちを嫉妬などという安易な言葉で片付けてくれるな。

「・・・お前には一生分かるまい」

「女の強がりは―――」

 刃先が逸れたと思った刹那、それは胸元を突き刺していた。

「可愛いものだ」

 男は私の目元に浮かぶ雫を(さら)うと、己の欲する者の方へと足を向けた。

 支えるものがなくなり、ぐらりと傾いた身体は床へと倒れ込む。地べたに手をついて周囲を見ると、手の届く範囲に払われて落ちた短剣があった。

 まさに立ち去ろうとする男の足にしがみついて、左足の甲へとそれを突き刺す。

 瞬間、男の悲痛なくぐもった声が聞こえた。

「邪魔だ、退け!」

 案の定、激昂した男に蹴り飛ばされ、壁に身体を打ち付ける。

 徐々に聞こえなくなる男の足音に耳を澄ましながら、私は血の付いた短剣を大事に懐に抱え込んだ。


 交じる。


 血と血が交じる。


 かつて、私を拾い『千歳』の名を授けてくれた方から教わった歌を思い出す。

()の子、亥の、子・・・子、もち、ついて」

 その方が言っていた。

 この世の『仕合わせ』は決まっていると。

「親うめ、子・・・、祝わ・・、も、のは」

 例えば、市姫と浅井長政のように。

 浅井と戦になることが分かりきっていても、妹を嫁がせたのはそういう理由だと。

「鬼うめ、蛇・・め、角生えた、子う・・」

 では、自分とでは決してしあわせになれない相手を望んでしまった時はどうしたら良いかと、私は聞いた。

身体(からだ)は朽ち、・・も、()の血あ、る限り」

 その方はこう言った。

(めい)は尽き、ても」

 仕合わせを作ればいいと。

「亥の血ある、限り・・・」

 仕合わせを積み重ねればいいと。

「次、の()・・・二世(にせ)、で」

 そして、血を交ぜて『亥の子歌』を詠えばいい、と。

「契、りを、果、た・・・さ、ん」


 一生の内に分かり合えることはそうそうない。

 人生高が五十年。その間に自分を、自分の気持ちを理解してもらえることは難しい。


 だから、

 一生分からないなら、

 二生でも三生でも、時を掛けて分かってもらうしかあるまい。


 その過程で、誰が、何が、犠牲になろうとも構わない。

 例え、自分の四肢をもがれようと、心を切り刻まれようと、それと同じ苦しみを何の関係も無い他人が味わうことになったとしても。


 どんな手段でも使う。

 使ってみせる。

 そうでないと、しあわせにはなれない。



 ――――そういうことでございましょう?信長様・・・。






 亥の子 亥の子 亥の子 

 もちついて

 親うめ 子うめ 

 祝わんものは

 鬼うめ 蛇うめ 角生えた子うめ

 身体は朽ちても 亥の血ある限り

 命は尽きても 亥の血ある限り

 次の世 二世で

 契りを果たさん


『千と世 亥の子歌』より


千歳(千花)と秀吉(秀彦)にはしあわせになってほしいものです。

でも、そうは問屋が卸さない笑

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