月の国と赤い影 1
「えっと…、”聖ルウィンの国”はこれかな…?」
一松の座っていた左側の席に座り、いつもの癖で独り言を小さくつぶやく。赤と黒で色塗られた表紙の絵本を腕を伸ばして手繰り寄せる。
トト子と一松の座っていた席の間にあるそれは、一見すると確かに子供が怖がるような表紙だった。
絵の具で厚塗りされた聖ルウィンと思わしき男は真っ黒な顔をして、赤い王冠をかぶっている。大きく目を見開いて、両手で子供達と思わしき赤く小さな複数の影を覆っている。
背景は黒と赤。真っ赤な炎で、聖ルウィンの後ろには小さな鉄製の女性像が置いてある。”アイアン・メイデン”で有名なそれを表紙に置くとは何事だ。そう思いながら、1ページ目を開く。
最初の文。
「”あの子”が欲しがっていたものを、僕は全部持っていた。あげようとしたのに、それを拒んだのはあの子。理由がなんだったか知ってるか?『ブ男だったから、あんたのものは要らない』だったんだぜ?あの子は常にいろんな人からの贈り物を受け取っていたのに…。」
これを言っているのは”赤い影”だそうで、名前は特に付いていない。だがセリフがなんか聖ルウィンっぽいのは何故だろうか?私は聖ルウィンという男が何なのかはほぼ覚えていない。難しい言葉を羅列しただけのこの絵本。やっぱり児童書コーナーに置くのはおかしい。
この本は文章も難しいが、絵もなかなか分かりづらい。1ページ目の赤い影が青い涙を流しているのだが、赤い影と黒い背景が同化してしまっている。目と思わしき白い線と垂直に流れている青い(水色っぽいが、どこか違う)線は涙だそうだ。
赤い影のセリフの次に出てきたのは、こんな文章だった。
「赤い影は”月の国”では醜男の部類に入りましたが、一番カッコ悪いというわけではありませんでした。」
これと”聖ルウィンの国”、どう関係があるのだろうか?私には一切わからない。醜男が聖ルウィンなのか?
とりあえず、続きを読み進めてみよう。
醜男は世間から醜い外見で嫌われ、自身もそのコンプレックスを身にまとって暮らしていた。親からも厭われ、陰の中でこっそり泣く生活。
簡単に言えばそんなに長い文章を使わず、醜男の生活している様子を書ける。
それなのに、この絵本の作者は醜男
の生活について延々と書いている。全体の五分の一は使っているのだ。
いつものように醜男は月の国で使える、人を騙せる”被り物”をして外へ出た。行き先は図書館。仕事である”薬の国”の資料を”月の国”の言葉へ翻訳するための資料探しだ。
”月の国”とは書いてあるが、国というよりは”世界”という概念らしい。”薬の国”も同様。ただ、月の国と違うところは小さな国が集まって連邦を作っている。この世界でいう国連だ。
一方の月の国は王族が大きな世界を牛耳っていることだ。
薬の国は”科学”を使い生活し、月の国は”魔法”を使い生活している。だがお互いのできないところを補いながら共存している。
例えば、”薬の国”では不治の病を治す薬を月の国から輸入する。月の国は魔女の力を使わないと出来なかった発電を科学の力で行う。
醜男は薬の国に留学したことのある、いわば”エリート”なのだが、月の国では外見のために仕事に就けず翻訳家をしている。
「美しい者は素晴らしく、醜い者は全てが愚かだ。」
こんな迷信が月の国の住民の心に染み付いている。こんな迷信を嫌って月の国を出た醜男だったが、親の介護のため、なくなく戻ってきて十数年を活かせず暮らしてきた。
いくらマスクをかぶっていても、人の目が辛くて仕方がない。一応イケメンのマスクでも、顔を伏せて本に顔をかぶせてしまう。
月の国は意外とそのマスクの存在が知られているため、マスクをかぶっているかどうか分かっている。
そんな醜男だが、その日は人がいつもよりずっと少なかった。少ないのに安心して顔を隠さずに本を読んでいたら、双子が同じ棚から本を取り出しているのを見かけた。
本は薬の国の子供がどのような生活をしているか、について書かれた本で、それを読んでいた子供たちは薬の国の子供に憧れていた。
双子もその例に漏れず、静かにすべきところで大声で感嘆する。
「うわぁ〜!凄いなあ、”アニメーション”だって」
「絵が動くんだ…、いいなあ。しかも立体的に…か」
「ここは絵本くらいしかないもんな」
醜男はアニメーションの言葉を聞いて思い出す。かつて自分が初めてそれを見たときの感動を。それを思い出し、薬の国に思いをはせる。
「ねえおじさん!”アニメーション
”のこと、知ってる?」
男女の双子の片割れ、女の子の方が質問してくる。自分のことを悪く思わないでくれる彼女に、赤い影はつい心を許してしまった。
「うん、見たことあるよ!とてもリアルな絵で、ストーリーもあったんだよね。子供向けでも」
そこから双子の兄妹と立ち話をした赤い影は久しぶりに心から話せる者を知り、喜んだ。
だがそれから数日後、月の国の警察が醜男の元を訪れる。
「エリーズ・ハリエットとニコラス・ハリエット誘拐の罪で逮捕する!」