少年少女の観察
「もう上に上がって勉強しよう…」
そう思っていたら、甲高い幼女の声が少年の名前を呼んだ。
「聖ルウィンってこわいね、いちまつ」
少年はとっさに幼さをアピールするような口調で答えた。
「そうなんだよな!だからパパはこの絵本を買ってくれなかった。わかるかととこ?」
いちまつ、ととこ…。
わたしはとっさに、当時まだ若い人には知られていなかった漫画を思い出した。
東京下町、1960年代の広大な空き地がまだあった時代。一卵性六つ子の男子と魚屋の美少女…六つ子の中のしっかり者が”いちまつ”、美少女が”ととこ”だった。
しかしいちまつはともかく、ととこは漢字にすると”魚魚子”だ。ひらがなや可愛らしい漢字の名前が多いこの時代に、”魚”が二つの名前は可哀想すぎる。まあ、きっと当て字は違うのだろうけど…。
口は何も喋らず、しかし心は饒舌。わたしはいちいち赤塚不二夫の漫画を思い出しながら声のする方へ目線を変えた。
幼い顔をした目の大きい幼女と少し背の高い、坊ちゃん刈りに似た頭をした少年が仲よさげに本を読んでいる。少年は目はそこまで大きくないがまつ毛が長く、つけまを付けているように見えた。
「あ〜んもうこの話わかんないよお〜!」
「僕は分かるよ?」
「じゃあどんな話なのよ?教えて!一松博士!」
「ちょっと…お前の頭じゃついていけないよ?」
一松が知性はあるが、幼さを隠しきれない高さと大きさの声でトト子に返答する。
トト子はどんな話かがとにかく気になるらしく、身体を揺らしながら言い返す。
「わたし一松よりは頭は良くない。でも考える力ならあんたよりは上なんだから!」
2人の甲高い声は児童書コーナーという締め切られた狭い空間中に響く。わたし含め、コーナー中の子供や大人たちが2人に夢中になっている。
うるさい、と一言いう者はいないだろうか?そう怒る誰かを待ちわびていた。図書館でなら沈黙を求める人間が普通のこの世の中、他人の大きい声ほど消えて欲しいものはない。わたしもかつて、後ろで馬鹿な中学生が騒いでいるのを耐えられず、机をドンと叩いて家に帰った記憶がある。この頃はまだ音楽機器を持っていなかった。携帯は動画が見られず、pvすら見れない。この頃はまだ家にいたほうがくつろげた。そのことをここで懐かしく思う。
この2人だけの世界に入った一松とトト子は、愛し合いすぎて周りを見られなくなった恋人によく似ている。発想力がわたしの斜め上を行く者なら、「リア充を見ているようだ」というかもしれない。実際そんなことを言った人がいた。
「リア充みたい…」
後ろから少し低い男の声が聞こえた。わたしは「えっ?」と口走って振り返った。しかし男はいない。
男がいなかったことで、またうるさい一松とトト子に目線を戻す。
「ねえぇ!コンキスタドールって何?コロンブスって何をした人なの?」
トト子が一松と同じ長さのまつ毛をパタパタさせて流し目で彼に返答を求める。頬は子供らしく赤に染まっており、その顔で一松に抱きつく。赤いリボンを付けたツインテールは揺れ、彼女の髪の匂いが一松に伝わってくる。
女の子の髪の匂いが好きなのかは知らないが、桃のような香りだったのかもしれない。躊躇なく一松は話を切り替えた。
「いい匂いだね、トト子の髪…」
トト子はその意味がわかっていないようで、ただうれしそうにお礼を言った。
「ありがとう!トト子嬉しい!」
そしてさらに強く一松の体を抱き締めた。一松はもじもじしながら下を見て、赤く染めた頬を隠そうとしている。
一松の外見は10歳くらい、トト子は9歳くらいだ。わたしの妹は7歳なので、だいたい外見年齢の予測を立てられる。このくらいの年になるとそろそろ「空気を読む」ことを学んでくるはずだ。
幼い頃のわたしのように、母親の友人がくれた人形に本人の目の前で「可愛くなあい」と大きな声で言ったり、自分に告白してきた男の子に「かっこよくないからやだ」などとストレートに言う子はなかなかいないだろう。「さとり」世代という年齢層の人間がいる時代だ。サンタの存在も、地獄の存在も信じなくなってくる年頃でもあるから、余計そう思ってしまう。
かつてのわたしがそうだったように。空気を読めっての!